18 頼れるものは一つ
「うぅ……」
最近薬の切れが早くなった気がする。体が慣れたのか。おまけに、切れると心拍数が上がって震えるようにもなった。
俺にはいくらでも金がある。俺がどうなっても、杏珠は落としてやる。地獄へと。
しばらく座っていた杏珠。そこへ男がやってきた。あの男は、恭弥と一緒にいた奴だ。
「杏珠ちゃん、大丈夫?」
「あっ……はい」
「今日ウチに来ない? 実はさ、バーベキューやるんだ」
「えっと……」
「全部ウチで用意するからさ」
「あぁ、はい。喜んで」
杏珠は愛想笑いをした。前より不自然な笑顔になったな。
早退した杏珠は日が暮れ始めた頃、恭弥の会社へ行く。
そこでは男が言っていた通り、バーベキューの準備をしていた。
「よう。来たか、杏珠」
恭弥が出迎える。
「昨日はあんなこと言ってごめんな?」
「あぁっ、気にしてないよ」
会社員二人を合わせて四人で肉を焼き始めた。
これを、俺は見てるだけなのか……。
「肉の一つくらい取ってもバレないだろう」
デッドオーバーから、悪魔の囁きが飛んでくる。
焼き担当の男が、焼けた肉を皿に移す。別の皿に移している隙に、網から外された肉を一枚もらう。
「……うまいな」
こんな形で参加することになるなんて。
「はぁ」
「我らもバーベキューするか」
「……二人だけでか」
「では焼き肉にしよう」
「まぁいいか」
デッドオーバーの相手をしていると、恭弥と杏珠が話を始めた。
「なぁお前、太陽って奴知ってるよな」
「あぁ……お客さん、ね」
「三日前、そいつに掴まれてたところを俺が助けてやっただろ」
「……うん」
「お前、あいつと何かあったのか」
「一回会っただけなんだけど、なんか恨まれちゃって」
この女、一回だけじゃなく体まで許したくせに。もう俺のことは忘れたっていうのかよ。
「そんなことはありえない」
恭弥は杏珠の言葉を否定した。なんだよ、今更俺の味方かよ。
「あいつはな、間違ったことを言われても反撃のできないグズ野郎なんだ。そいつを動かすなんて……」
杏珠の顔を伺う恭弥。見つめられてる方は言葉も出ない。
しかし、否定したのはそういうことだったか。恭弥の中では、中学生の頃の駄目でどうしようもない俺で止まってるわけか。
「お前……あいつと付き合ってただろ」
「っ……!」
「あいつは童貞で女との距離もわからない。だから一回寝ただけで粘着されたんだろ」
「それは……!」
「お前は嘘をついている。俺にも、自分にも。それはお前自身を守るためでもあるんだろう」
これくらいの内容なら言い当てられるかもしれないが……。
「デッドオーバー……」
「濡れ衣だ。我は何も言っていない」
「本当かよ」
まぁ、そういうことにしといてやるか。
「俺なら、お前がいくら汚れてようが守ってやる。分かるな?」
あんなこと言って、杏珠にキスした。俺はあんなに尽くしても嫌われたっていうのに。恭弥には雑に扱われてもいいのかよ。
その後四人は他愛もない話をして過ごした。網の上に残った野菜は、デッドオーバーが用意したおにぎりのおかずとしてもらっておく。
片付けが終わったら、こいつらはまた馬鹿みたいに盛ってる。
今日は早めに寝るとするか。
翌朝。今日は透明じゃない状態で杏珠に会ってやろうかな。杏珠が起きたことを確認して、アパートの外に出る。
デッドオーバーには離れてもらう。
杏珠の部屋のチャイムを鳴らす。
「……どちら様ですか」
少しすると、インターホンから聞こえてきた。
「俺だよ。俺。覚えてるだろ?」
「っ……」
「お前に嫌われた男だよ」
「なんでここがわかったの……?」
「お前が帰ってくるところをたまたま見たんだ」
そこから杏珠の声が聞こえなくなった。警察を呼んだか? それとも別の男に助けでも求めてるか?
居座るのもいいが、後が面倒だな。アパートを離れてデッドオーバーを呼ぶ。
「どうだった?」
「反応は普通」
透明になって、杏珠の部屋で待つ。その間に杏珠は家事をしていた。俺のことなんか脅威にならないってか。俺に捕まってたくせにな。
アパートを訪れたのは恭弥だった。部屋に招き入れたら二人で話し始める。
「太陽が来たのか」
「そうみたい。ちょっと顔がやつれてたけど」
「当然住所は教えてないんだよな?」
「当たり前でしょ」
「そうか。あいつには、唯一のお友だちがいるからな。いわゆる悪友ってヤツが。次来たらまた呼べよ」
恭弥はそれだけ伝えて帰った。
草を補給してから考える。心霊現象に見せかけるにしても、今の時間は明るすぎる。
適当にゲームでもして時間を潰した。
杏珠は仕事の時間になっても家を出ない。休日か?
スマホを見てるだけで面白くない。キャバクラに寄ってみるか。一日経って、杏珠の評価はどうなったかな。
裏側でメイクを直している女従業員。他の従業員とすれ違っても、ただ挨拶するだけだ。昨日の内に気持ちの整理がついたのか。
他人を気にしている暇があったら、仕事に集中したいってことか。
割り切ってるな。別にそれが大人だとか、そんなことは思わないが。もちろん杏珠とおさらばすることもできるが、あいにく俺には他に楽しみがないからな。
菓子でも買って、監視しながら食うか。
アパートに戻る。杏珠はベッドの上でスマホに夢中だ。
いいことを思い付いた。
ポテトチップスの袋を開けたら、杏珠の耳元で食う。その瞬間だけ透明化を解除する。
「うっ……!」
突然耳元でカリッと聞こえたら驚くよなぁ。虫だとでも思ったか、杏珠は手で耳を払っている。
辺りを見回しているが、すぐに平静を取り戻す。
じゃあもう一回。
「いやっ!」
さっきと同じ動作をして、今度はベッドを降りた。そして部屋中を見て回る。
無駄だけどな。お前に俺は見えない。
俺はキッチンに立って、菓子を食べる音を垂れ流す。
静かに歩いてきた杏珠。デッドオーバーが上手いこと見つからないように調整してくれる。
「……何? 誰かいるの?」
あぁ、いるさ。お前をずっと監視している。
今度はトイレに入って食べる。トイレの消臭剤が香る。正直、気持ち悪くなるな。
音の出どころが掴めないのか、なかなかやって来ない。
「げほっ」
消臭剤味のポテチはおいしいとは言えない。むせてしまった。
人の声で気付いたのか、杏珠が怯えた様子で入ってきた。
目の前に杏珠。本当に見えていないのか、少し不安になるほどの距離まで迫る。
「気のせい……なの?」
そう言って出ていった。
夕方から杏珠はいくつか料理を作って冷蔵庫に入れた。一食分はそのまま食べている。
夜には、やはりスマホに夢中な杏珠。イヤホンを付けていて、音の妨害ができない。
掛け布団からはみ出している太ももを、指先でなぞる。
「きゃっ!」
瞬時に反応して、猛烈に太ももをさすっている。
「もう何なの……!」
立ち上がって、また部屋中を見回りだした。
さて、ここからはパーティータイムだ。オバケのパーティーが始まるぞ。
手始めに、小物を倒す。たっぷり時間をかけてやるんだ。それも不規則に。
いつ来るか分からない恐怖に怯えるんだ。
「何かいる……絶対に。虫?」
しばらく歩き回って、諦めてベッドに戻った。
次は……冷蔵庫の開け閉めでもするか。
寝室へと繋がるドアの向こうから「何の音?」と声が聞こえる。
スマホのライトで照らされる。いや、その光は俺をすり抜けている。
恐る恐る冷蔵庫を確認する杏珠。その首元を爪でなぞる。
「いやぁぁっ!」
叫び声と共に壁を叩く音がする。隣人がお怒りだ。
「はぁ、はぁ……もうやだ」
杏珠は玄関へ走る。鍵もかけずに外へ出ていった。
ついていくと、電話をしていた。
例によって恭弥に助けを求めたんだろう。
数十分で恭弥が来た。
「どうした、俺のことが恋しくなったか?」
「……それがね、変なの」
「あ? 急にメスアピールかよ。興奮しておかしくなったのか?」
「そんなんじゃない。あの家、変なの」
ふっ。変なのはお前の考え方だろ。自分の体なのに安売りして。
「どう変なんだ」
「何もしてないのに、音がするの」
「アパートだろ? 隣人の音じゃないのか」
「そういう音じゃないの。明らかに私の部屋から聞こえるんだって」
二人は部屋に入る。残念だったな、俺が出してる音だから鳴らさないという選択肢もあるんだ。
もしここでお前の思い通り音を出せば、お前が異常なんじゃなくて本当に部屋がおかしいと証明されてしまう。
それじゃあ不都合なんだよ。
恭弥は5分ほど居座った。
「何もねぇじゃねーか」
「たまたま聞こえないだけで……」
「お前最近おかしいもんな。疲れてるんじゃないのか? 俺は帰る。毎日付き合ってやれるほど暇じゃないからな」
「待ってよ」
「他の男にでも匿ってもらえ」
こうなったら恭弥には何を言っても無駄。恭弥が帰ってから、杏珠は小さく零した。
「そんなことしたらタダでヤリ逃げされるだけだっての」




