2章1‐2 自虐ネタはズルいだろ。
上からスクロールしていくと……まずは柴崎か。
多分、記事のタイトルは『本当はファンのみんなが大好きなの』とかそんなんだろう。
『本当はファンのみんなが大好きなの』
ほらな。いわんこっちゃない。
『私は今までファンのみんなにひどい対応をしていたけど、本当はみんなのことが大好きなの。
みんなの声援をもらうと、大好きな歌をもっと頑張ろうって気持ちになれる。
だからこれからも私を応援してほしい。私には期待に応えられるような力はないけど、それでもみんなの声は支えになるから』
直訳
『私は今までファンのみんなに酷い対応をしていたけど、本当にみんなのことが大嫌いなの。
みんなの声援をもらうと、大好きな歌のモチベーションが低下するの。
だから私には関わらないで。私には才能があるからみんなの支えなんて不要だから』
一片の慈悲もない、そんな記事だった。
ファンはこの記事を見て一体どんな気持を抱くのだろうか。
そして、ネタばらしの記事は、
『嘘』
一文字で終了していた。もしかしたら~なんて期待も悉くへし折っていくストロングスタイル。
だが、それでもファンの数は学年2位なんだから凄いよな。
他のアイドルはその結果をどう受け止めているのか。真面目に活動するのが馬鹿馬鹿しくなりそうだが……。
まぁ、ファンでもない人間からすればこのドストレートな直球は見てて愉快なんだがな。
さて、続きましてはダイダロス橙田の記事か――
『橙田やずる、過去生の記憶を呼び覚ます』
「んふっ」
自分からそのネタ使うのはズルいだろ……。
「なに1人で笑ってるのさ、気持ち悪い……」
「いや、この記事書いたのお前だろうが」
「ふっ……いや、それは向こうから言い出してきただけで僕は言われた通りに書いただけさ」
こいつも今笑ったな。
このネタは完全に向こうから言い出したことなのか。
まさか、自分から開き直ってダイダロスネタを使ってくるとは。
さて記事の内容は。
『我らがマザーの橙田やずる“だったもの”は神妙な口調でこう語る――
「まさか私が再びこの陽光を浴びることになろうとは思いもしなかった」
どうやら我らが聖母に何者かが乗り移ってしまったようだ。
Q橙田やずるの頃の記憶はありますか?
「成程。この器はそのような名を持っていたのだな。だが、すまない。今私にあるのは、神であった頃の記憶のみだ……」
彼?の話によると、やずるママの体に乗り移ったのは神話に登場するダイダロスの魂のようだ。
「――っ!? そうだ。イカロスは、イカロスはどこだ? きっとこの世界のどこかにいる筈だ、イカロスー!」
橙田ロスは過去生の息子の名を叫ぶなり、急に立ち上がり教室を飛び出していった。
向かった先はデザイナールームだった。何故、記憶が消えているのに自分の教室の場所を知ってっいるのかは定かではないが、入室するなり慣れた手付きで何かを創りだした。
そして、待つこと1時間――
出来上がったのは“翼”だった。そう、この翼で息子のイカロスを探しにいこうというのだ。
橙田ロスは作り終えたばかりの翼を背に付けると、どこかへ走り去ってしまった。
それから数時間後、橙田ロスはアイドル科に姿を現した。イカロスに会うことはできたのだろうか。
Q、息子さんには会えましたか?
「会えたさ……だが、まさか複数に増えているとは思わなかった」
Q、複数と言いますと?
「この器のファンと呼ばれる者達が皆イカロスの魂を継ぐ者だと、見た瞬間に確信した。私を母と崇めるその姿にイカロスの影を見た」
Q、ではこれからはそんな無数の息子さん達にどう向き合うつもりでしょうか?
「皆等しく平等に愛すさ。全員が私の息子なのだからな」
そう告げると橙田ロスは背を向けて立ち去っていった。その背中にはかつてにない勇ましさがが溢れていた。
まさか、このまま橙田ママではなくパパになってしまうのだろうか……』
何馬鹿やってんだよこいつ……写真も添付してあるが、橙田はどんな気持ちで撮影に臨んでいたんだろうか。
身体を張ったネタだが若干滑ってる気がするが、ファン達には大受けしてそうだな。
んで、ネタばらし記事は……黄谷と同じ動画ネタか。
再生ボタンを押すと、そこには翼を付けた橙田が立っていた。
『それではさっそくイカロス達の為に、アイドル活動とやらを始めるとし……な、なにをする……や、やめっ――はぁはぁ……勝手に私の体を乗っ取るんじゃないわよ……それに私の息子達を自分の子に重ねなないでちょうだい。まったくも……うっうぅ――すまない、邪魔が入ってしまった。ではイカロスよアイ活……ぐぬぅ……お、おお――だから勝手に入ってこないでっていってるでしょうが……はぁ、もう完全に押さえ込んだから大丈夫よ!
という訳で、2年生になってからもママは我が子の為に頑張っちゃうから、応援し・て・ね!』
頭おかしいだろこいつ。
「さっきから気持ち悪いなぁ、なにニヤニヤしてんさ」
力技すぎて逆に笑えてきた。
「そういうお前こそニヤケてんじゃねぇか」
「いや、だってさ、まさか自分から言い出すなんて思いもしないじゃないか」
「確かに自分から言うのは反則だわな。これから顔合わせるとき笑い堪えられる気がしない」
だが、嫌な思い出であろう出来事から勝手に付けられたあだ名を、自ら笑いのネタにできるその寛容さは賞賛されるべきだろう。
無駄にプライドが高いタイプの人間だったらまずこんな芸当できないだろうしな。
「んー、なんか面白そうな話しをしているわね、ママにも聞かせてもらってもいいかしら」
「ゴホンッ、ゴホンッ」
「あら、また風邪ちゃったの」
「そう――ゴホンッ、です」
橙田は不敵な笑みを浮かべながら、顔を逸らしていた俺の鼻を摘み、無理矢理向き合わされる。
「ほら、人と話す時は顔をちゃんと見なさいって何回も言ってるでしょ」
何回も。アイドル科に通い始めたことによって橙田に会う回数も増え、その度に笑ってしまい鼻を潰されていた。
そして、最近ようやく耐性がついてきたというのに、また新たな燃料を注ぎ込みやがるなんて。
「いや、おはひいはろ。ひふんはらいったくせに(いや、おかしいだろ。自分から言ったくせに)」
鼻声になりながらも必死で訴える。
「ふざけてるの? 何いってるのかさっぱり分からないわ」
なんて理不尽なんだろうか。
「ふひゃふへたはすふひゃろ!(自虐ネタはズルだろ)」
「うん、もういいわ。お母さん、おなか空いたから、とりあえずいつものいくわね」
いや、待てやクソバ――
「あああぁぁぁぁぁぁ、あああぁぁぁぁぁぁぁっ!」
――それから、俺の絶叫を響かせ満足げな表情の橙田は一緒に来ていた緑沢と共に料理を取り、黄谷の隣に並ぶように座った。
「……流石にやりすぎでしょ。ここからでも赤いと判別できるわよ」
「いいのよ。叱る時はちゃんと叱らないと、いい子には育たないから」
対面の机越しでも分かるって、今俺の鼻はどうなっているんだ。
まったく、俺の鼻を潰すのを恒例の挨拶にするのはやめて頂きたいものだな。そもそも、今回の件に関してはマッチポンプもいいとこだ。
「大丈夫ですか文空君? ふっ……氷持ってきて冷やしますか?」
「いいや、ほうっときゃ治るから大丈夫だ」
それより今笑わなかったか?
「文空は失礼なんだから。母上様を見るなり笑うか普通?」
「うるせー、お前も笑ってただろうが。なのに、なんでお前の鼻は無事なんだよ」
「僕を君のような無礼な人間と等しい視点で見ないでくれたまえ。僕には取材で積み上げてきた信頼があるのさ。今日だって母上様の春コーデ衣装の撮影があるんだ」
「うふふ、いい子ねぇ」
ただの忖度じゃねぇか。
「……で、干物はこの私の記事も見たんでしょうね?」
「いや。これから見ようと思っていたところだが」
「んじゃ、早く見なさいよ」
「あ、あぁ」
緑沢の記事か。一体どんな記事なのだろうか。
『緑沢、豚を捨て牛に目覚める』
牛? とんかつに使う肉を牛肉にするって事か?
まぁ、見てみるか……。
『あの有名豚かつ店の大爆散が豚を捨て牛に切り替えるという衝撃の情報を入手し、その真意を確認すべく、取材班は急遽大爆散を直撃した。
Q、あの豚を捨てるというのは本当でしょうか?
「なんやお前? 忙しいんだから後にせぇ」
この方は大爆散の店主、緑沢浩二さんである。
現時刻午後13時。確かに飲食店でのこの時間は最繁時といえよう。
そんな時に取材だなんて営業妨害としか言いようがない。取材班は配慮の足りなさを痛感しながらとんかつを注文する。
美味なとんかつを食し店を後にして、また時間を改め取材を行う事に。
そして、同日午後の16時。再び大爆散へと向かった。
「なんやお前、みつなの友達やったんか。さっきはすまんかったな」
――いえいえ、こちらこそ大変な時間にすみませんでした。
「わびに1枚ご馳走したるわ」
――ありがとうございます。ですが先程ご馳走になったので。
「そうか……。んで、なんで牛かつを始めようかってことよな」
――はい、お願いします!
ちなみに牛かつとは、名前通り牛を衣で揚げたものなのだが、牛は生で食べれることを生かし、赤みの残ったレアの状態で頂くのが特徴だ。
「俺はよ。初め牛かつちゅーもんを見た時、おもっきし「なんやこの邪道は」って罵倒してもうてな。見向きもしてなかったんよ。
でもよ、ある日娘にな、研究も兼ねて食うべきや言われて行くことにしたんや。
確かに研究も大事や思ったけどよ。何より、あんなかわいい娘におねだりされて断れる訳ないやんけ。な?」
――わかります。
「でよ、実際食うてみたんよ。したら、あれがうんめぇのな。牛の臭みもねぇしよ、まるでありゃ衣の付いた炙った刺身や。
で、なにより驚いたのが、あの味わい方の広さや。岩塩、わさび醤油に……あれよ、なんかわかんねーけど、焼肉のタレっぽいの。あの広さはとんかつにゃ真似できんわ。
で、食うてる内によ、これも合うんやないか、あれもいいんやないかって頭ん中一杯になったてよ、イマジネーションっつうやつ掻き立てられてもうてな。自分オリジナルで作ってみたくなったんよ。それが、今回の牛かつをやってみようなったきっかけや」
――そうですか。僕はまだ牛かつというものを食べたことはないのですが、さっぱりとした味わいで女性の人気も高いって聞きますし、新たな客層を引き込むことにも繋がりそうですね。
「はっはっは……そうなんよな。俺が行ったとこもよ、周り女だらけでよ、この店にも華を――」
パンッ(お盆で頭を叩いた音)
「なにすんねん。もーな、こんなんだから華がないねん。まぁよ、なにより娘がうまそうに食ってたことが腹立たしくてよ、なら俺がそれより美味いもん食わしたるわ、なったんが一番の理由やな」
――成程! つまりは娘さんのかわいい笑顔の為だったんですね。
そんな娘さんへの愛情がたっぷりと詰った牛かつ、是非とも食べてみたいですね。
という訳で、緑沢さん。今回は取材へのご協力ありがとうございました!』
緑沢って父の方かよ。てか、嘘の要素どこだよ。ただの牛かつの告知じゃねぇか。
そもそも取材しに行ったのは瑛介1人だろうに、取材班ってなんだよ。
だが、わざわざ取材の為に店まで出向く気合は評価してやる。
で、ネタばらしは同じく動画だな。
『はーい、という訳で、大爆散が豚を捨てたというのはエイプリルフールの嘘になりまーす。ウチが豚を捨てることなんてありません。
ですが、折角なので翌日からの2週間限定で牛かつを試験的に販売することにしました! とんかつよりも少し値は張りますが、ウチが作るんだからきっと何処よりも美味しい牛かつになる筈なので、是非とも足を運んでみてくださーい!』
やっぱりただの告知じゃねぇか。
「という訳よ。新たな試みで是非色々な人に食べてみてほしいからあんたも来なさいよ」
「……美味そうだし食いたいが、まぁ時間が空いてたら行くことにするよ」
「それ却下する時に使う言葉じゃない。行きたくないなら素直に言いなさいよ干し豚!」
「いや、本当に行きたいと思ってるさ。ただ最近は黄谷のことで忙しいからな」
干し豚ってなんだよ。
「それじゃあ、私と一緒に行きましょうか! 私も牛かつ食べてみたいです!」
「まじで?」
「はい、みつなちゃんにはいつも美味しいとんかつを食べさせてもらっていますしね」
とんかつをご馳走になってる礼に牛かつを食べに行くっておかしい気もするが……。
「……そういえば、明後日に入ってた仕事が中止になってスケジュール空いてたな。んじゃ、その時でいいか?」
「それなら、丁度いいですね!」
「了解ー」
「明後日なら、私も丁度予定空いてるから同行できるわね」
「おう、そうか」
「わーい!」
黄谷と2人だと間が持たないだろうしよかった。ところで……。
「…………」
先程から瑛介がこちらを見つめているのだが。
「なんだよ?」
「……いやさ……ずっと待ってるんだけど……」
「あっそう」
「あっそうじゃなくてさ。僕を誘えよって言ってんだよ。なにかこむちゃんとみつなちゃんだけで行こうとしてんだよ」
ああ、そういうことね。
「誘ってもいいか?」
黄谷と緑沢に確認を取る。
「私は構いませんよ」
「そうね、どうせあんたが来るなら食レポ記事でも書いてもらおうかしら」
「お安い御用さ」
という訳で、この4人でとんかつ屋へ行く予定ができた。
牛かつか……楽しみだな。正直前々から食べたいと思ってたんだよな。
「みゆきちゃんも行くひょも?」
「……ごめん。アタシは予定あるから」
「……しゅん……」
「なんだ、いたのか」
いつの間にか隣のテーブルにいた赤宮。
「随分と楽しそうに盛り上がってるから邪魔しちゃ悪いと思ってね」
「別に楽しそうになんざしてないだろ」
「そう? アタシにはそう見えたけど。女子に囲まれて浮かれてるんじゃない」
「んな訳あるかい」
「まぁ、アンタのことなんて心底どうでもいいし、そもそも話掛けんなし」
「へいへい……って、次は丁度お前の記事だな。どんな内容にしたんだ?」
「っ!? いや、今は見んなし……」
ん、なんだこの微妙な反応は。
「仕方ねえから見てやるよ」
どれどれ……。
『赤宮の大阪、初まる』
「ぷっ……」
意味分からねぇ。
「なに笑ってんのよ」
「なんだよ大阪始まるって。くっだらねぇな」
「その下らないネタに笑ってるアンタは、所詮その程度の下等な人間ってことよ」
くっ。あまりの下らなさに一周回って笑ってしまった。不覚だ。
記事の内容も適当な文章に、写真が1枚、はっぴを着てヘラを持っている赤宮が写っているだけのものだった。
よくこんな下らないネタ考え付くな。俺なら恥ずかしくてできんわ。
そもそも嘘の要素どこだよ。ネタばらしは動画のようだ。
『はーい、今のは嘘でーす。みゆきーはバリバリの都会生まれでーす!
でも折角なんで、今日のライブの時にみんなにお好み焼きを振舞っちゃおうと思いまーす! だからみんな来てねー! ばいばいきー!』
「ぷふっ、ばいばいきーって」
「キモッ。お前が言うと汚れるからやめろし」
この記事で1番笑えたわ。
「というか、多目的ルームでお好みなんて作るなよ。室内が匂いで充満するじゃねーか」
「換気扇あるし大丈夫っしょ~」
「逆に換気扇しかねーんだよ」
あの教室には窓が付いていないのだ。
「うじうじ、うっさいな~。そんな匂い明日になりゃ消えてるから大丈夫だって」
まったく、次の日は黄谷の担当日だというのに、匂いが残ってたら最悪だぞ。
「ふふっ、2人は仲がいいんですね」
「「どこがだよ!」」
喧嘩する程仲がいい理論を唱えたいのだろうが、それはこじつけもいいとこだ。
「アンタと絡むとほんと碌なことがありゃしない。もう一生話し掛けんな」
「ああ、すまんかったわい」
それはこっちのセリフだと言いたいが、投げ返せばまた球が返ってくるだけなので抑える。
「って、あれ、藍坂と青松の記事はないんだな」
今日更新された記事はこれで終わっていた。
「それは――」
返答しようとする瑛介を遮り、
「民からの信頼を集める者が、例え文化的行事だろうと民を欺くだなんて、愚行もいいとこよ」
どうやら藍坂も来ていたようだ。斜め後方の席に座っていた。
もう食事は終えたようで、優雅に紅茶を啜っている。
そして、辺りを見回すと柴崎も既に来ていたようだ。
なんつーか2年のアイドルって案外まとまりがないのな。全員同じ席で食ったりはしないのか。
「ふぅ、走り込んできたから腹減ったぜ~」
お、最後の1人の青松がやってきた。これで全員勢ぞろいか。
「あり、どうやらオレが一番最後だったみたいだな、ちょっと走りすぎたか……まっ、そんなことより、腹減ったしさっさとメシだメシー」
走り込んできた後とは思えない程のハイテンションっぷりだ。相変わらず活気に溢れている。
それから料理を取ってきた青松はわざわざ椅子を持って、端に座っている黄谷の隣に置いた。
「いぇーい、かこむーかこむぅー」
「もう、なにするひょも」
黄谷の脇腹をつつく青松。最近、黄谷に対していつもこのようなノリで接している。
黄谷が7位5回目にリーチをかけ、別れが来るかもしれない状況に直面したことによって、黄谷の大切さをより強く実感したのだろう。
ちなみに、後から聞いた話では黄谷が退学するなら自分もこの学園を辞める、といってストライキを起こしていたそうだ。
「よっ、文空! 相変わらず元気ねーな」
「よっ、そっちは相変わらず活力が漲ってるな」
「別にオレは普通に生きてるだけだって。でもまぁ、それはお前も同じなんだよな。結局はお互い本能で生きてるだけだろ」
「確かにそうだな」
対極的と言える俺と青松だが、結局は互いに先天的な部分に沿って生きているだけだけなのだろう。
「でもやっぱお前ってよく分かんねーよなぁ。無気力そうにしてると思ったら、急に猛勉強してあの鎌田に勝っちまうんだからよ」
「あれはまぁ、状況が状況だったし……そもそも俺はあいつに勝ててなんていない」
後から理事長から聞いた話だが、鎌田はあえて1000点を取らずにわざとミスをして数点落としていたそうだ。僅かでも勝てるかもしれないという希望を残す為だそうだ。
毎回1000点取っている化け物と知ってたらこの土俵で勝負することはなかっただろう。
俺なんてテストまでの期間、10教科で1点も落とす訳にはいかないが故に睡眠時間を削ってまで机に向かっていたというのに。
でもって結局4点落としたという。この喪失感は大きく、もう二度と勉強なんざしないと誓った。
そもそも勉強外の面において余裕を持っていたのも、攻め込む側故に圧倒的有利な土俵にいたからにすぎない。
例えるならなら、どんなに鍛錬を積んだ格闘士がいくら土俵の上では勝てようと、夜道で背後からの武装した人間の奇襲は防ぐことはできないようなものだ。
防衛する側は何時如何なる時も、ありとあらゆる奇襲を想定し備えなければならない。一方で攻める側は好きなタイミングで自由な手を打つことができる。
そう。元より対等な土俵での戦いじゃなかったんだ。それでも理事長がフェアだと言ったのは、権力に立ち向かうという面を大きく見ていたからだ。
もしフェアな土俵で戦っていたら負けていたかもしれない。
「そう謙遜するなよ。勝ちは勝ちじゃねーか」
「俺はただ1つの面だけに全力を注いだだけにすぎないさ」
「でもよ、藍坂ですら1度も勝てなかった相手なんだから、すげーことに変わりはねぇよ!」
「いや、そりゃ――」
バンッ、と机を叩いた音が室内に響く。
「聞こえてるわよ」
「あ、わりぃわりぃ……別に煽るつもりで言ったんじゃねぇよ」
「あくまで鎌田には勝ち逃げされただけよ。あの男、急に留学するだなんて言い出して……次帰省してきた暁には屈辱的な敗北をお見舞いしてやるわ」
学力、身体能力と全てにおいて高い水準を誇る藍坂だが、そんな彼女が何においても勝てなかった相手、それが鎌田だった。
負けず嫌いの藍坂は何度もリベンジを果たそうと挑んでも、結局1つも黒星を鎌田に付けることはできなかったそうだ。
そのせいか最近元気がないようにも見える。
「それとそこの干物男、鎌田に偶然1度勝ったからといって、私にも勝っただなんて分不相応な認識はしないで頂戴ね」
「分かってますって」
藍坂までその呼び方をしだすとは……。
「ななみちゃん、スマイルひょも~」
「こんな状態で笑える訳ないでしょ」
「……うぅ……」
逆にこんな状況で笑いだしたら気持ち悪いだろ。
にしても、どうすんだこの空気。完全に白けてしまったではないか。
だが、そんな静寂を切り裂くようにピシャリとドアが開けられた。
「おーい、鹿誠君いますかー」
2年アイドル科顧問の花山先生だ。ナイスタイミング。
「はい、ここにいまーす」
「あら、いい場所にいるわね」
そう言うと、花山先生は俺の前方、いいや正確には、
「ふぎゅっ」
黄谷を後ろから抱きしめ、黄谷の肩に顔を置いてその状態で俺に用件を述べるつもりのようだ。
何を伝えに来たのかはもう見当がついている。
「頼まれてたもの置いといたから、予定通り決行できるわよ~」
「そうですか。ありがとうございます」
「それにしても、急に校内美化をしたいだなんて何が狙いなの?」
「まぁ、色々あるんすよ」
俺達がこれからするのは校内美化。
校内美化といっても多目的ルームを掃除するだけなんだがな。そう言っておいた方が響きがいいからそう言っている。
「ふーん。まぁ、ちゃんとした狙いがあるのならいいんだけどね。もし私利私欲を満たす為に私の可愛いかこむちゃんを利用するっていうのなら……社会的に抹殺してこの学園にいれなくするから覚悟してなさいね」
「……あ、はい」
この人やっぱり怖いわ。目が本気だ。
「んじゃ、少し早いが準備に取り掛かるか。黄谷、ジャージに着替えたら多目的ルームに集合で」
「はい、分かりました」
「私も同行するわ」
「えっ? いや大丈夫ひょも……」
「着替え中になにかあったら大変でしょ。私も行くわ」
「いやでも――あっ文空君、ちょっと待ってくださいー」
すまないが俺にこの人を止めることはできない。頑張ってくれ。




