4‐EX2 伝えたいこと。
鎌田視点のお話となります。
3月中旬。黄谷との和解を果たしてから1週間が経過した今日。
俺は学園の校門前で、ホットの缶コーヒーを片手に佇んでいた。
天気は曇り。肌を刺すような寒い風が吹き思わず身体を縮こませてしまう。春が近付いているとは到底思えないな。
一旦引き返してコートを取りに戻るべきか……いいや、辞めておくか。
この寒さの中で飲むコーヒーが格別に美味いからだ。冷えた体にコーヒーの暖かさが染み渡っていく感覚が心地いい。香りを楽しもうと、空気を吸うと混じり込んでくるこの乾燥した空気の匂いもまたこの旨さに加担しているのだろう。
また新たな発見をしたな。コーヒーの味わいが場所や状況によってこんなにも変わるなんて。
前の俺だったらこの程度のこと気にも留めていなかっただろう。味わいの変化なんて……いいや、もっと根本的な寒気や味覚すらも意識していなかったな。
黄谷と和解してから感情を再稼働させ、感じることを意識して以来、このような様々な発見をするようになり戸惑いの日々を送っている。
まだまだこの世界には未知が溢れていると実感すると同時に、これからその無数の未知と出会えることに胸が躍っている自分がいる。
そのお陰か世界が明るく見えるようになり、毎日に躍動を感じるようになった。
それもこれも全ては黄谷と……認めたくはないが、鹿誠文空のお陰になってしまう。
あの男が黄谷を守る為に動いていなければ今頃、黄谷はこの学園を去ることになっていて、和解もできずにいただろう。
感謝しなければならないな。――だが、それはそれ。これはこれだ。
あの男のせいで俺の連続学年1位の記録が止まってしまったからな。学年2位での親睦会の面会は本当に屈辱だった。
この屈辱はいつか必ず晴らさせてもらう――と言いたいところだが、それは叶わない。俺は、海外留学の為に3日後にこの日本を発つからだ。
来年度から俺はアメリカで生活していくことになる。最終的な目標はやはりハーバード大学を卒業をすることにある。
別にハーバードに行くことに拘りがある訳ではないが、誇れる人間になる為には最高峰のステータスを身に付けておきたいが為だ。
無論、向こうでの日々を消化で終わらせるつもりはない。
俺にはこの1週間でもう1つ大きな目標……いいや『夢』ができたからだ。
なので、その夢の為の積み重ねをしていけたら、と思っている。
それから、俺は別にはこんな場所に税に浸りに来た訳ではない。
俺は現在待ち合わせをしている。この前黄谷と約束した御墓参りに行く為に。
集合時間は8時15分。待ち合わせ場所はこの校門だ。
俺は此処に7時40分に到着し、現時刻は7時55分。到着が早いように思えるがこれには理由がある。
まず留学の準備で精神的な余裕がなかった為、外の空気を吸って落ち着く時間が欲しかった。
そして何よりも、俺の立場で黄谷を待たせる訳にはいかないので、こちら側が早く来るのは当然のこと。
だから父ももう既に来させている。寒いからと車に籠っているがな。俺は奴とは違い出迎えまでも怠らない。
本当は母も来させたかったが、いかんせん急な決定だった為にスケジュールを合わせられなかったのだ。
母は現在、自らが一から立ち上げた化粧品メーカーの社長を務めていて多忙な日々を送っているからな。
そんな母を無理矢理連れて行く訳にはいかないし、そもそも母は事件との関連性も低い。
本当は黄谷をアイドル科校舎まで迎えに行きたかったのだが、あの場へ行くと必ずといっていい程、藍坂に絡まれてしまうのであまり立ち寄りたくない。
特にアメリカへ行くと公表してからは、絡んでくる頻度が劇的に増え、アイドル科校舎に近寄ることにすら躊躇するようになってしまった。
まったく、負けず嫌いも大概にしてほしいものだな……。
――っ? そんなことを考えている内にもう59分か。考え事というのは時間の消費を早く感じてしまうものだな。
黄谷もそろそろ来る頃だろう。
「……え、鎌田君もう来てたんですか!?」
「いいや。俺も今来たばかりだ」
黄谷は普段から10分前行動を心掛けている。それでいて、今日は大切な行事の日となれば更に早く来るだろうと踏んでいた。
それを読んだ上で黄谷をこの寒い中で待たせないよう早く来ていた。
「じゃあ丁度よかったです……それにしても、鎌田君ってお洒落なんですね」
「……そうか? 落ち着いたものを選んだつもりだったんだが」
「あ、いや、派手とかそういうんじゃなくて、服の組み合わせや、手に持ってる鞄まで1つの形になっているというか……」
凄いな……。パッと見ただけで服のセンスが分かってしまうのか。
俺が今着ている服はプロのデザイナーに選ばせたもので、墓参りに合ったファッションを、というテーマで依頼したものだ。
それを3人のデザイナーにそれぞれオーダーし、最終的にそこから自分がいいと思ったものを選んだのが現在来ている服だ。
俺からすれば黒いコートと灰色の長ズボンにマフラーとその他小物程度の認識なんだが、分かる人間から見れば分かるんだろうな。
「話の続きは車の中でするとしよう。ここじゃ冷えてしまうからな」
「はい。そうですね」
本来ここは相手の服装を褒め返すのが定石なのだろうが、黄谷はロングコートを羽織っていて、それを褒めるのはどうかと思うので、ベストな返答が思い浮かばなかった。
不覚だな。もっと会話の引き出しを増設しなければならないな……。コミュニケーションとは難しいものだ。
前までは人との会話に悩んだことなんてなかったんだがな。これも心を取り戻した弊害……例えが悪いな。新たな学びの機会を得た。とでも言っておこう。
――俺達は車に乗り込み出発した。
目的地まで約3時間程の長時間のドライブが始まる。その中で2回程休憩施設での休息を挟むことになっているから到着は正午手前の予定だ。
車内の配列は助手席に父親、後部座席に俺と黄谷で並んでいる。
父は免許を持っていないので、学園専属のドライバーが運転をしている。父曰く免許を取りに行くのなんて時間と金の無駄だそうだ。
俺もそれには同感だ。取得する時間が無駄なのもあるが、運転する時間もまた無駄と考えているからだ。
運転を他人に任せれば、その移動の時間を何か有意義なことに活用できるからな。
故に、俺も父と同じように免許を取得することはないだろう――が、いい歳して免許も持っていないだなんて、誇れる人間としてどうなのだろうか……。
だが、今はそんなこと考えている場合ではないな。
「「............」」
今はこの白けた空気の緩和が課題だ。
実はあれから留学の準備や藍坂の妨害により黄谷との会話の機会にも恵まれずにいた。
だが別に、多忙とはいえ会話の時間を作る程度のことはで出来たのだが、この機会があるからいい、と後回しにしてしいた……いいや、逃げていた、という解釈が正しいか。
確かに黄谷は俺を許してはくれた。だからといって気さくに話掛けたりしていいのだろうか。という疑念が付きまとう。
俺は今まで黄谷に嫌われるよう悪態を付いて接していた。そのせいで心を痛めたり、精神的に追い込むようなことをしてしまった。
そんな俺が急に気安く接するだなんて、いくら向こうの許しがあれど俺自身の抵抗が大きい。
俺は過去の行動を許容して生きるつもりはない。俺が黄谷と笑い合う権利なんてない、今もそう思っている。
だが、黄谷はこう言ってくれた。どんな苦しみも共に乗り越えようと。これは濁りのない純白な本心。
つまり、この俺の抵抗は黄谷の望みとは真逆の思想。
俺は逃げている。黄谷の意思から。
向き合わなければならないと理解はしている。それを中々行動に移せない。心の弱さ。
だが、今こそ向き合う時。誇れる人間になる為にも、俺は今ここでそんな弱さを克服しなければならない。
無論、こうなるのは想定済みで既に策は練ってある。それは――
「き、黄谷、こんなものを持ってきたんだが一緒にやらないか?」
「……ゲームですか!?」
俺が持ってきたのはゲーム機だ。
最近の家庭用ゲーム機はテレビに繋いで遊ぶだけでなく、外に持ち運んで遊ぶことができ、しかも、このゲーム機1つあれば2人で遊ぶことも出来るのだ。
このゲーム機に施された様々創意工夫は、ゲームに無頓着な俺でも関心を寄せてしまう程のものだった。
俺もいつかこのような奇抜な発想で人々の関心を集められるような偉業を成し遂げたいものだ。
ゲームソフトはライト層でも楽しめそうな、パーティー、レース、パズルとレパートリーにも富んでいる。
スムーズに進行できるよう軽い予習も済ませてある。抜かりはない。
これで長時間のドライブを苦にせず過ごせる筈だ。
そして、これをきっかけに黄谷との距離を縮めていく。完璧な計画だ。
「最新の家庭用ゲーム機は、このように外に持ち運んで遊ぶことができるんだ。凄い物だ」
「……あ、はい、そうですね!」
「ソフトもこの中から好きなものを選んでくれ」
「お、おぉ! お、面白そうなのばかりですね……」
…………。なんだ? その歯に何か詰ったような微妙な反応は。
「ゲームは好きじゃないのか?」
「あ、いや、別にそういう訳じゃないんですよ……」
ではなんだというんだっ!?
明らかに気乗りしている反応ではないのは確かだ。
それに、何故だか父が笑いを堪えている。
なんだ? 俺が何をしたというんだ?
「……えーと、はい、じゃあやりましょうか」
考えろ……。何故、黄谷はこのような微妙な反応をしているのか……。
こういった時は相手の身になり考えるのが基本。
……まさか下劣な下心があるように思われたのだろうか?
年頃の女子であって、しかもアイドル。そうであれば異性に対する警戒心が強くなるのも無理はない。
つまり距離を詰める段階を飛ばしてしまったということか。もっと初めは軽い会話から始めるべきだったか……いいや、だが黄谷に限ってはそれはないか。
俺が見てきた黄谷はどんな人間に対しても真摯に向き合っていた。
つまり俺1人に向き合った結果で――ああ、そうか。やっと理解した。勧められている相手が俺だからだ。
異性だとか、距離感だなんて関係なく、俺だったからなんだ。
他人から見た俺は、殆どの者が冷酷で寡黙という印象を抱いているだろう。
そんな人間から急にゲームをやろうだなんて誘われたら、困惑するのは至極当然だ。
今思い返せば、根本的な話、俺のような人間と遊んだところで盛り上がるビジョンが浮かばない。
それどころか黄谷の性格上、気を使って無理に楽しんでいるように振舞うだろう。
危なかった。俺はこの3時間、黄谷にそんな地獄を味わわせてしまうところだった。
くっ……何故そんな簡単なことを想定することができなかったのか……。不覚だ。
「いいや。やはり止めておこう……これは俺には不要だからそっちで活用してくれ」
「ええっ!? せっかく持ってきたんですし、やりましょうよ」
さっそく俺に合わせようと気を使わせてしまっている。
笑いを堪えていた父もとうとう笑い声を漏らす始末。実に腹立たしい。
……なんて情けないんだ。穴があったら入りたいとはこういったシチュエーションの為の言葉なんだな。
だが、気を落としている場合ではない。場を和ませなくては。
かつてない程に思考を巡らせる……ここは即興のトークで――いいや、俺に女子を楽しませるトーク力なんて持ち合わせてはいない。だからと言って何か極めた一芸を持っている訳でもない。
やはり俺には不可能なのか。ここは黙っているのが一番の貢献か……俺らしく。俺らしい方法なんて……いや、あるじゃないか。俺が今も極めていることが――
「そういえば、そっちは明後日に学年末試験だったな」
「あ、はい。そうですけど……」
アイドル科の生徒は投票の関係で普通科の生徒とはズレたタイミングでテストを受けることになっている。
票を集める為の活動をしなくてはならないから、テスト勉強をそこに重ねられると困るからだ。
「ならば、これから試験対策勉強会なんてどうだ? それなら俺でも助力できると思うのだが」
アイドル科は本人の希望や学力に応じてテストの難易度が変わる。
そこで俺はよくアイドル科の最高難易度の試験を紐解いていた経験がある。正確には藍坂と同じものをやらされ競わせれていただけだが。
この経験から、俺はアイドル科のテストでどのような問題が出題されるのかもある程度は予測できる。
そんな俺ならば、次のテストでも力になれる筈だ。
「え、いいんですか!?」
「ああ、喜んで力になろう」
黄谷は両親との約束を最高の形で果たす為に東京大学を目指し日々努力を重ねている。そんな偉大な目標の力になれるなら喜んで手を貸させて貰おう。
「それは助かります! では、怪しい教科があるんで、そこから見てもらってもいいですか?」
「分かった。見せてみてくれ」
……なんとか、俺らしく振る舞えたようだな。
――長時間のドライブを乗り切り、俺達は黄谷の故郷を観光しながら無事御墓へと到着した。
ここまでの道のりで黄谷とも軽快に話せるようになり、距離もかなり縮まっただろう。これで心残りはこの御墓参りのみとなった訳だ。
この御墓が立っている場所は周りに建物1つなくて、すぐそこに山が見えるような自然豊かで、空気も美味しく、落ち着けるいい場所だ。
俺は借りた柄杓と手桶を持ち、黄谷のご両親方の御墓へと向かう。
御墓参りの手順は、まず初めに御墓の前で軽い合掌を行い、その後墓周りの清掃、打ち水、お供えを済ませ、最後に線香を立ててもう一度深く合掌する、という流れとなっている。
事前にシュミレーションも済ませてある。御無礼のないよう、完璧にこなさなければ。
「ここが、私の両親のお墓になります」
「……ここが……」
そんな手順をしっかりと把握していた。それなのに。
その御墓を見た瞬間、気持ちが抑えられなくなり、気付けば俺はその手順を無視し、御墓の前でしゃがみ込み、目を瞑り合掌していた。
伝えたいことが沢山有った。
救って頂いたことへの感謝。奪ってしまったことへの謝罪。それから、自分がどんな人生を歩んでいたか。どんな成果を挙げたのか。この7年間の出来事1つ1つを繊細に、全てを受け止めてほしくて。
まるであの偉大な御二人を前にしているような気がして、そんな溢れんばかりの想いを奉げた。
――それからどれだけ時間が経ったのか分からない。ただ、立ち上がろうとしたとき、足が麻痺し暫く立てなかったことから、相当な時間この御墓の前にいたと推測できる。
だが、それを見ていた2人はこんな無礼な行いを咎めることなく、ずっと見守ってくれていて、顔を向けたときには薄く微笑み、そんな俺を受け入れてくれた。
この瞬間俺は、人の繋がりが生む心の温かさを感じた。
想い合うことで生まれるこの気持ちが、心境に多大な影響を与えてくれるんだと教えて貰った。
☆
三日後。アメリカへ飛び立つ日。空港にて。
「そろそろ出発の時間だな……」
「鎌田君、心配はいらないと思いますが、向こうでも頑張ってくださいね!」
「ああ。必ず大きな成果を挙げてみせる。そして、その恩恵をふんだんに与えてみせよう」
「ふふっ。楽しみに待ってますね!」
黄谷には様々なことを教えて貰ったな。心から感謝している。本当は今すぐにでもその恩を返したいのだが、俺はまだ無力。与えられる資産を持ってはいない。
だから、この留学で資産を生める一個人に成りに行くんだ。
「アイドルは旬が命なんだから、あまり待たせちゃ駄目よ」
「そうだぞ。化粧で必死にしわを隠すようになってからじゃ手遅れだからな」
「ちょっとあなた……それ誰のことかしら……」
「別れの時くらい普通にしていてくれ……」
俺の両親ときたら、少し喋りだすとすぐこのように喧嘩を始める。それもこんな大勢の人間がいる場で。息子の俺にまで恥が及ぶということも考慮してほしいものだ。
そんな訳で、両親と黄谷がわざわざ空港まで見送りに来てくれている。正確にはもう1人――
「何故お前がいる? 鹿誠文空」
「あ……いや、それはその……」
もうこいつに因縁を付けられる覚えはないんだがな。無論、見送りをするような仲になった覚えもない。
「文空君は鎌田君に悪いことしちゃったから謝りたかったんですよ。海外に行ったらその機会もなくなっちゃいますからね」
「俺に謝罪だと?」
「……いや、その……あれだよ、あれ」
あれとはなんだ。
「何であれ、お前の謝罪なんぞ無益極まりない。さっさと失せろ」
「……で、ですよねー」
こいつは非道な面に対し、甘い面も在るのは知っていたが、まさかそれを俺に向けてくるとはな。
そんな暇があるなら少しでも黄谷の為になる事をしていてほしいものだ。
まぁ丁度いい。こいつには確認しておきたい事があった。
「黄谷の2年間を引き受ける、その意味を理解しているな?」
2年。短いようだが、黄谷にとってこの2年はこれからの人生を決める大切なとき。
故にその責任は重大。絶対に失敗は許されない。時に己を犠牲にする選択を強いられる時も来る。生半可な気持ちで勤まる役割ではない。
その覚悟があるのか。最後にそれを視たかった。
「その点に関しては心配ない」
即答か。先程までうつろだった視線が今は真っ直ぐとこちらを捉えている。
大した自信だな。その目から揺ぎ無い強い決意を感じ取ることができた。
「そうか。ならば今は仕方なくお前に任せるとしよう」
「ああ。任せてくれ」
……素直になれないものだな。
意図していなかったにしても、俺が黄谷と和解できたのはこいつが黄谷に本気で向き合ってくれたからであり、黄谷を任せることもまた大きな借りになる訳だ。
故に感謝の意を表したい気持ちがあるのだが、それは俺にそぐわぬ行為。不相応な身の振り方は相手の困惑を生むだけ。この前学んだことだ。
「……では、そろそろ行くとするか」
「京二郎、何かあったら必ず私を頼るんだぞ」
「寂しくなったらいつでも母さんに電話していいんだからね」
俺のことを気に掛ける両親。
あの事件以来、俺はこの二人を親と認識していなかった。それどころか、ただの邪魔者と烙印を押していた。
なのに、この2人はそんな俺をずっと支えてくれたいた。
1週間に1度は必ず家族揃って食卓を囲む機会があった。当時の俺からすれば迷惑極まりない習慣だったが、今考えてみれば、多忙である両親にとっては食事の時間すら確保するのは困難だった筈。
なのに、ただ食卓を囲う為だけに貴重な時間を割いてくれていた。
会食だなんて無益な行動にしか思えなかった。だが、今なら分かる。伝えたかったんだ。人との繋がりから生まれる温かさを。
その熱がいつか俺の冷めた心を突き動かすかもしれないと。地道に何度も何度も……な。
困惑させるだろうが、今この瞬間は俺にそぐわぬ行為をさせてほしい。これだけは伝えたい。
「……今まで俺を支えてくれてありがとう。父さん。母さん。行ってくるよ」
「っ!? 今、父さんって……」
「……わ、私を母さんって言ったの?」
それを伝えると俺は照れくささからか、背を向けて歩を進めた。
温かさから遠ざかって行くのを感じ、寂しさが込み上げてくる。引き返してもう少し話をしたいだなんて感情も込み上げている。
だが、それでも足を止めたりはしない。今はただ前進したい気持ちが強いからだ。
なんたって、この前進は夢へと近付く一歩なのだから。
俺の夢。それは、尊敬する父のように独自の教育学校を設立したい。
勿論、アイドルを使っての教育などではなく、俺が独自で編み出した教育法でだ。
教育者として目標にされるような人間になることが、誇れる人間になる。という目標を最高の形で体現できると思うから。
だから、そんな夢に近付くことに胸が躍るんだ。この先に待っている未来を思うと躍動する気持ちが抑えられなくなりそうになる。
この高揚感が寂しさに打ち勝ち、動力となっているからこそこの足は止まらない。
俺はこの目標を必ず叶えてみせる。根拠なんてないが、今の俺は自信に満ち溢れている。
「辛くなったらいつでも帰って来ていいんだからなーーー」
「授業参観の日程が決まったらいつでも言うのよーーー」
もう随分と距離が離れている筈なのだが、それでもうるさく感じる程の音量。やはり自分にそぐわない行動なんてするものではないな……。
だが、温かい。皆がくれるこの温もりが俺を支えてくれる。だから高い壁だろうと越えていけると思える。
これこそが、黄谷の届けたいものなんだな。




