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4‐3 過ちと決意。

「ああ。ではさっそく話させて貰うとしよう」


 鎌田の様子から察するに、どうやら俺がその事情を聞けば票を返上すると確信しているようだ。

 だが、俺は相当な大事でもない限りこの票を譲る気はない。鎌田もそれを理解している筈。

 それでいてこの様子となると、これから話す内容は腹を括っておくべきなのかもしれない。

 来てはいけない領域に踏み入ってしまったかのような感覚に襲われるが、もう後戻りはできない。



「――あれは7年前の8月2日、日数にして2407日前に相当する日の事だった――」


 そこまで繊細に覚えているなんて、鎌田にとってその日はとても重大な日なのか。


「当時は夏休みということもあり、家族で山へキャンプに出掛けていた。

 宿泊期間は2泊3日の予定だったのだが、2日目の昼に予報にない急な大雨により災害の危険が発生し、急遽キャンプは中止となってしまった。

 帰りの車中。俺は後部座席の左端に座り、その隣に両親が座り、運転は雇ったドライバーに任せていた。

 その時の俺は憂鬱な気持ちで、ただ山道を下るだけの代わり映えしない風景を眺めていた。

 だが、出発して10分程が経過した時その雨は止んだ。

 俺は止んだことを確認する為に窓を開け、そこから手を出し、雨粒が当たらないことを確認すると、入り込んでくる風が心地よく、そのまま窓から顔を出し風に当たっていた。

 それを見た両親から『危ないから止めろ』と注意を受けたにも関わらず、俺はそれを無視し風に当たり続けていた。

 それから更に10分程経過した時だった。

 …………。車がカーブを曲がった瞬間に対向車が現れた。

 道は狭く、こちら側がカーブによって中央線をはみ出してしまっていた為、このままでは衝突は避けられなかった。

 ドライバーは咄嗟の判断でハンドルを切り、衝突は免れたものの、俺達の車は勢いよくガードレールに衝突してしまった。

 ガードレールのお陰で車が崖に転落することは避けれたが、衝突の衝撃によって、両親とドライバーは意識を失い、そして俺は、窓を開けていたことにより身を投げ出され崖へ転落した。

 その崖はコンクリートのブロックを積み上げたもので、地面までの高さ約30メートル程。落下すれば即死の高さだ。

 だが俺は不幸なことに。崖の上から約3メートル程下のブロックの隙間から生えた蔦を掴み、落下を免れてしまった。

 そんな九死に一生を得たのも束の間。下を見れば、その高さに死の恐怖に駆られた。

 慌てて登ろうとするも、そう都合のいい場所に蔦なんてなく、自力で登る為には、ブロックの繋ぎ目の隙間を駆使して登るしか方法はなかった。

 だが、恐怖により足は竦み、しかも雨によってブロックは濡れてしまっている状態。そんな状態で登れば滑り落ちる危険性が高い。

 なので俺は早々に自力で登ることを諦め、必死になって助けを呼び続けた。

 けれど、その時両親は意識を失っていた為に応答することはなかった。

 誰も来ず自分はこのまま死ぬのか。――と、そう思った時だった。

 そんな俺の助けに応える存在が現れた。それは対向車に乗っていたご夫妻方だった。

 その夫に当たる男性の方が俺に、

 『今助けるからね。君は助かるよ。だから落ち着いて』そう言って下さったんだ。

 パニック状態に陥っていた俺を落ち着かせる為の優しき配慮だった。

 だが、俺はそんな温かい言葉を掛けて頂いたにも関わらず、恐怖は消えず、そんな配慮に背きひたすら助けを求め叫び続けた。

 すると、その男性の方はすぐさま、命綱もなしに己の危険など省みずに俺の元までやって来て、右腕で俺を抱え『もう大丈夫だから落ち着いて』と言ってくださり、俺はようやく落ち着きを取り戻すことができた。

 それからも俺を背負いながら崖を登って下さった。

 だが、後少しで登り切る。といった処で、俺に先に登るよう言ったんだ。もう崖の上の景色は見えている、そんなタイミングで。

 俺はその時、自分のことだけに必死で、何故最後まで一緒に登らなかったのか、なんて考えようもしなかった。

 そして、俺は無事登り切り、この正義感溢れる勇敢な行動によってこの命を救われた。

 ――そう、生き残ってしまった……」


 苦い思い出を引きずり出しているからか苦悶の表情を浮かべる鎌田。歯を食いしばり、苦しそうに次の言葉を紡ごうとしている。

 そんな鎌田から推測するにもう先の展開は読めてしまう……。


「だが……その後、妻である女性の方が男性の方の手を掴み引っ張り上げようとするが……そのもう少しというところで男性の方は足を滑らせてしまった。

 そう。当時小学生とはいえ30kgはあった俺を背負いながら崖を登って下さったんだ。故にもう体力が限界だったんだ……。

 だが、その女性の方は決してその手を離そうとはしなかった。

 ……そして、女性1人の力で大人の男性を支えられる訳もなく……共に……」


 それを言い終えると、鎌田は理事長の机に拳を叩き付けた。その机は金属で出来ているが、自分の手に掛かるダメージなんて省みていない。


「ッ……あの時、俺が生きたいだなんて、身の程も弁えない図々しい願望を持ちさえしなければ!」


 1度に留まらず、何度も。何度も叩き続ける。

 このままでは大怪我になりかねないが、鎌田の中に募る感情が抑えられないのだろう。

 対向車が現れたと聞いた時点でその最悪な結末を推測することはできたが、いざ結末を聞き、苦悶する鎌田を見ていると、やはり来るものがあるな……。

 まさか、今までそんな重い過去を背負って生きていたなんて……。

 そして、ようやく落ち着いたのか机を叩くのを止め、話を再開する。


「……それ以来、俺はこの御二方に救われたこと。それを少しでも意味のあった行動にする為、世にとって有益な存在になる事を志すようになった。

 それに伴い、鎌田京二郎という生きる価値のない存在を殺した。

 娯楽、感情。目標の為に邪魔となる物を全て捨て、ただこの目標の為だけに生きることにした。


 ――そう、今の俺はただ、世の役に立とうとする有機物だ」


 そうだったのか。それじゃあ、鎌田がこの学園で優秀な成績を収めるのも、生徒会に入り学校の為に尽くしているのも、全てはその目標の為なのか……。

 自分の意思なんて関係なく、罪を償う為に少しでも世の役に立とうとしてきた。

 それなのに、俺は今までそんな懸命に生きてきた人間を馬鹿にしてきてたのかよ……。


「鹿誠。お前の言う通りだ。俺は他人から幸せを奪う有害だ」


「違う。お前は――」


 ここまで言いかけて言葉に詰る。

 何もしてこなかった俺が、目標に向かって懸命に生きる人間に掛ける言葉なんてある筈がなかった。

 もし俺なんかが役に立てることがあるとするなら、この票を……いいや、だがこれは黄谷の為に……ん、待てよ……今の鎌田の話と、黄谷の退学の件になんの関係が――まさか!? いや違う。それは違う。

 不意に頭に流れ込むもう一つの最悪のシナリオ。

 必死にそれを否定できる部分を探すが、考える程にその最悪なシナリオが明確なものへとなっていく……いいや、違う。違う。違う。


「……そ、それと、これとで……なんの関係があるんだよ……?」


 否定してほしい。ただそれを願っての一言だった。だが――


「お前のことだ。もう察しているのだろう」


「違う。そんなこと……」


 やめろ……。違うと言ってくれ。もし、この考えが当たっていたら――


「ならば、言ってやろう……。そのご夫妻方には子供がいた。俺達と同い年の娘がな。


 ――その娘こそが黄谷かこむだ」


「ッ!?」


 俺はそれを聞いた瞬間、背筋が凍りつき、体から力が抜け落ち膝を付いた。

 そんな……嘘だって言ってくれ……。

 だが、無情にもそれを否定してくれる存在はいない。そう……これは紛れもない事実なんだ。


 ――俺は取り返しの付かないことをしてしまった。


 ……知らなかったんだ……知らなかったんだよそんなこと……。

 その過ちを認識していくにつれ、次第に体が震えだし、過呼吸状態に陥る。

 俺が犯した過ち。それは、俺が黄谷に放った一言だった。


 『お前がそんなんだから、周りから人間が離れてくんだよ』


 そう言ったんだ……。当然、当時の俺は黄谷の事情なんて知ってる筈もなく、別の趣旨を込めて伝えた。

 だが、そんな理由で許されるようなことではない。

 黄谷は辛い過去を乗り切って、明るく振舞っていたというのに……俺は無神経にもそのトラウマを掘り返すようなことをしてしまったんだ。

 だから、その言葉を受けた時の黄谷はあんなにも泣いて怯えていたんだ。辛い過去を呼び戻されたから……。


 そんな様子が急変した俺に構わず、鎌田は話を続ける。


「その事件以来、黄谷は俺は勿論、俺の親族とも面会を拒否し、慰謝料すらも受け取らず、徹底的に俺の存在を拒絶した。

 それ故、俺がその元凶であるということを知らないんだ。

 当然知られてないからとはいえ、元凶の俺が普通に接して貰っていい筈がない。

 だから、常に悪態をつき接していた。なるべく元凶に対して抱く感情に近いものを感じられるようにな」


 補足するように不可解だった点も潰される。未だに信じたくない気持ちが残っているのだろうか。


「そして、俺は本来この学園には入学せず留学するつもりだった。

 だが、黄谷がこの学園を志望していることを理事長から耳にした。

 それを知った俺は、受験結果に関係なく黄谷を合格させるよう取り合った。

 この学園の手厚いサポートで幸福を与えることができると思ったからだ。

 それに伴い、俺も留学を取り止め、裏で黄谷のサポートに専念することにした。

 ――だが、それは間違った選択だった。

 俺は黄谷の心境を読み違えてしまった。

 毎回投票の結果を見る度に落胆し、更には、周りの仲間との才能の差を痛感する。そんな自分への失望の日々を送らせる羽目になってしまった。

 サポートをするにしても、この学園内では過度な特別扱いをすることもできないので、してやれることも限られていた。

 だが、実際に落胆する黄谷を目視し、ようやくそれが間違いだと気付いた。

 アイドルという概念に打ち込む。その誠実な思い入れを読むことができなかった。

 俺が未熟だった。幸福を与えるつもりが、返って不幸にさせてしまった……。

 そんなことあっていい筈がないんだ――。ただでさえ理不尽な不幸に襲われているにも関わらず、再び苦痛を味わうだなんて、断じてあっていい筈がない。

 だから、黄谷をこの学園から引き離すことにした。その時に辛い思いをさせてしまうことになるが、すぐに理事長の手によって過剰な程の報酬と待遇を与える。

 俺達の存在が知られてない以上、受け取ってもらえる筈だからな。

 だから安心しろ。退学後も黄谷が不幸になることはない」


 そうか……。黄谷に幸福を与えること。それが鎌田の言う宿命なのか。

 黄谷から奪ってしまったものはもう取り戻すことはできない。だから一生を懸けて償い続けることになる。故に宿命。

 ずっと鎌田は黄谷のことを想い続けていたんだ。なのに、俺はそれを邪魔しようとしていたのか……。本当に俺は愚かな人間だな。

 だが、よかった。この話を聞くことができて。危うくそんな鎌田の想いを阻害してしまうところだった。

 俺の票は鎌田に譲ろう。これがせめてもの……いいや、この程度じゃ到底償うことなんてできない。そもそも何をしようが心の傷は消えない。それでも俺にも出来ることをこれから……。

 そんなとき、理事長が続くように割って入る。


「……では、私からも1つ。かこむちゃんが東京大学を目指していることは知っているよね。

 では何故、そんな高い目標を持っているのか。


 ――それは、両親方とした『沢山勉強して、いい学校へ行く』という口約束を最高の形で果たしたいが為なんだ」


 またしても重い事実が圧し掛かる。……しかもなんでこんなタイミングで……。

 俺はそんな黄谷の健気さを馬鹿にしていた。罪悪感は更に深くなっていく。


「俺もそのことはこの学園に入学した後に知った。それを踏まえた上での判断でもある。

 アイドルをしながらその目標を果たすのは厳しいのが現状だからな。

 だが、その負担を軽減できれば、黄谷の学力ならば十分に実現可能な目標となる」


 そこまで考えられていたのか……。

 もう迷うまでもない。きっと鎌田に預けるのが黄谷にとっても一番最良な選択になる筈だ。

 そもそも、こんな重大な問題、俺なんかが割って入っていいようなことではなかったんだ。


「当然、人間関係までも漏れなく完備させよう。完全に理事長の力に頼ることになるが故に、俺が偉そうに言えたことではないがな。

 黄谷がアイドルを始めたのも人に囲まれて寂しさを紛わす為なんだろう。だからそちらの面は特に手厚く補わさせてもらう」


 ……成程。アイドルを志願したのも寂しいからだったのか。

 確かにアイドルであれば沢山の人間に囲まれるし、寂しさを紛わすのにも適している。

 だから、苦手なことだろうと必死で突き進んできてたのか……通りであいつはいつも……。

 ――いや、待て……。だとしたらおかしい。それだと説明が付かない……それに、あのライブの意味も……。

 俺は黄谷と深い関わりを持っていた訳ではない。だがそんな浅かった関係でも十分に伝わる程の信念があった。

 今知った黄谷の過去。そして、その信念を照らし合わせる……。


 ――そうか……そうだったのか。


 俺はそれに気付くと、自然と体の震えは止まり、呼吸も正常に戻っていた。

 ようやく分かった。俺がマネージャーになると決めた時に見えた黄谷が。そして、今まで自分が覆い隠していた本心が。

 心の中の雲が吹き飛び、まるで生まれ変わったかのような爽快感が訪れる。

 この感覚は前にも感じたな。だが、その時はすぐに雲を覆い被せてしまった。全ては俺が弱かったから。

 そして、そのせいで過ちを犯してしまった。

 これからはこの過ちと共に生きていくこととなるのだろう。今この瞬間生まれた決意と共に――

 俺は一呼吸置き、立ち上がる。


「分かっただろう。だから、お前の票を――」


「断るッ!!」


 俺は言い放つ。やはり黄谷を退学させる訳にはいかない。


「なにっ!? 何故だ? 当然お前にも報酬は払うよう頼む。金でもなんなりと――」


「ちげーよ。あいつのことを碌に理解できてねー奴には預けられねーんだよ」


「……何が言いたい?」


「お前は気付いたか? あの朝会での黄谷のライブの意味を」


「そ、そんなもの……」


 どうせ票を得る為の悪あがきとでも思っているのだろう。

 だが、あのライブには理由があった。実に黄谷らしい理由がな。鎌田はその意図に気付いてはいない。

 だからこそ、任せる訳にはいかない。あいつのことをまるで理解できていないから。


「あの曲のタイトル『メモリーズ・バイ・サラウンド』これを聞いても何もピンとこなかったのかよ」


「タイトルだと……サラウンドが黄谷の名前に掛かっている。黄谷の思い出。という翻訳ができるだけだろう。それに、曲のタイトルなんて作詞作曲した人間が決めたものであって意味なんて――」


「そこまで理解できてるのにどうして分からないんだよ! あの曲のタイトルは黄谷が自分で考えたんだ。あのライブをした理由からそれは割り出せるだろ」


「……なんだと」


「あのライブにはある特定の人間のみにだけに届くメッセージがあったんだよ。

 その特定の人間。それは黄谷のファンだ。

 お前は黄谷のファンを割り出し、その全員に投票しないよう脅した筈だ。なら、その脅されたファンの心境になって考えてみろよ」


「ファンの心境だと……」


「そうだ。お前の行動によってファンの奴らは黄谷が退学するということを悟った筈だ。そんな時にあのライブを見たらどう思う?」


「それは…………っ!? そ、そうか……」


「やっと気付いたのかよ……。そう。黄谷もそれを分かっていたんだよ。

 ファンの人間が自分が退学するのを知っていること。そして、その事実を知ったことによって、裏切ったことへの罪悪感に苛まれていることまでもな。

 だから、黄谷は曲のタイトルからこう伝えたんだ。


 『最後まで自分との思い出を沢山作ろう』――ってな」


 それを曲のタイトルにして伝えたんだ。

 そんなメッセージを伝えたいが為だけに。必死で歌と振り付けをマスターしたんだ。しかも3日間で。厳しい練習をこなしていたに違いない。

 メモリーズと複数形になっているのもこのライブだけではなく、他にも沢山思い出を作りたいから。

 だから、あのライブの後もいつもより活動を増やしていたんだ。

 そんな活動が、ファンの罪悪感を浄化してくれるから。

 自分へのメリットなんてない。ただ相手の為に。それもファンだとかの繋がりも関係ない。

 黄谷はただ、悲しんでる人間がいれば手を差し伸べたい。そんなシンプルな思想で動く――


「そう。黄谷は人のことを想いやりすぎて、肝心な自分に想いやりを割くことのできない程の重度な他人想いなんだよ!」


 いつもそうだった。自分が不幸な目に合っていようが他人の心配をしだしたり、深く傷付くようなことを言った俺すらも庇う程のお人好しだ。

 例えその行為によって自分の身に火の粉が降りかかろうが関係ない。

 その根本は、人が悲しんでいるのを放っておけないから。

 辛い想いを誰よりも理解しているからこそ、人には悲しい思いをせずに笑っていてほしいと思う。

 そんな人を幸せにできる存在になりたい。だからアイドルという道を選んだんだ。

 それが、『黄谷かこむ』という人間なんだ。


「……なのに寂しいからその道を選んだだと? ふざけるな! そんな発想しかできない奴に黄谷を渡す訳にいくかよ」


「……そ、そんなものお前の勝手な推測だろう」


 確かに推測ではあるが、確信でもある。

 黄谷の今までの行動を見ていれば誰だってその結論に辿り着くし、それを否定するのは侮辱に値する。

 俺はそんな真っ直ぐな黄谷を信じる。疑念なんて一切持たずに。

 鎌田ももう気付いていたのだろう。だが認められないんだ。自分が今まで正しいと思って積み上げてきたことを否定するのはそう簡単にできることではない。

 人間には誰しも意地というものがある。その根が深くなる程に引き返すのが困難になり、間違いだと認めたくなくなる。

 それを今、俺も実感している。

 過ちを犯したことによって意地をズタズタに引き裂かれ、そうすることでようやく自分の間違いを認めることができたから。


「誰がなんと言おうが関係ない。俺は黄谷を進学させる。黄谷の欲するものがこの学園にあるから」


 そして、新たに生まれた決意――



「黄谷は俺が幸せにする」



 罪を償う為――違う。これこそが俺のしたいことなんだ。

 それも黄谷の過去を知る前から無意識の内に芽生えていたことだった。

 苦手なことだろうが、目標の為に必死に突き進む黄谷を見て、俺は感銘を受けていたんだ。

 だが、そんな黄谷を受け入れてしまえば、同時に駄目な自分を直視することになってしまう。

 だから必死になって目を逸らして避けていた。

 でも今は違う。もう俺は逃げない。これからは自分と向き合い、自分に素直に生きる。

 黄谷の助けになりたい。それが俺の本心だから。

 今からでも俺ができることを――。


 不相応な居場所から連れ出したい。


 多忙であるのなら少しでもその負担を減らしたり、受け持ったりしたい。


 人を笑顔にしたい。その素晴らしい願いをより叶えられる手助けをしたい。


 なんでもいい。少しでも黄谷の為になるのであれば、こんな無価値な人間の人生なんていくらでも奉げよう。

 もう俺が何をしようと許してはくれないのかもしれない。それでも俺は黄谷の為になることをしていきたい。


「……ふざけるな……それは俺の役割だ……お前などに渡してたまるか!」


 それでも尚、引き下がらない鎌田。気持ちは痛いくらい伝わる。理解することがおこがましく思える程に。

 一生を懸けても消えない罪を償うことが生きる理由である鎌田は、その生きる理由を易々と他人に受け渡したくはないんだ。

 俺だって奪うような真似はしたくない。

 だが、それと黄谷本人の幸せは別だ。

 今の鎌田では、黄谷を心から幸せにすることはできない。だから俺がやる。


「京二郎、教えた筈だ。この世は結果が全てなんだと。勝ったのは鹿誠君なんだ。お前は負けた。だから――」


 見兼ねた理事長からの厳しい横槍が入る。


「黙れ! これは俺が償わなくてはならない問題なんだ。なのに何故邪魔をする? お前も連帯責任者だろ? なのにその責任を部外者に押し付けるつもりか?」


「……分かっている。私にだって責任があることくらい。そんな立場で言えたことではないのかもしれない。それでも、言わせてくれ。

 私はお前に人として生きてほしいんだ。お前は有機物などではない。人間だ。私の息子なんだ。

 お前の幸せを願うのは当然のことだろう。私はお前の父親なのだから……」


「俺に幸せなんて不要だ。心なんてとうに捨てているんだ。

 今の俺が生きる意味は償うことだけなんだ。だから奪わないでくれ……俺から償うことを……俺に償わせてくれ……頼む……」


「…………」


 そんな鎌田の悲痛な叫びに、俺と理事長は何の言葉も掛けることはできなかった。

 これは行動や理屈でどうにかなる問題ではないからだ。失ったものは戻らない。だからどう諭すこともできない。

 できることなら助けになりたい。力になってやりたい。だが、それでどうにかなる問題ではない。

 故に、そんな現実を前にしたところで目を逸らし避けて通るしかないのだ。

 そして、そんな重苦しい場の空気から、早くこの場から立ち去りたい。この現実から逃げたい。不本意にもそんなことを思い始めてしまう。


「こちらの事情に巻き込んですまなかったね鹿誠君。君はもう退室してくれていい」


 俺の心中を察したかのような言葉を掛けてくれた理事長。

 その言葉を聞き入れるか躊躇うが、自分ではどうしようもない。そう言い聞かせ退室することに決める。

 だが、その前に、


「……あの……最後に一つ。どうして俺を選んだんですか?」


 最後に聞きたかった。何故黄谷を俺に託したのかを。

 その理由がまだ判明していなかった。


「気付いてなかったのか……私はかこむちゃんを託せる人間を探していたんだ。かこむちゃんを理解し、その上で手を差し伸べ、例え権力が敵に回ろうがその前に立てる人間――そう。今の君のような存在をね」


「……っ!?」


 そうか。今ので繋がった。全ては俺に資格があるか試す為だったのか。

 理事長が求めていたもの。それは、心から黄谷を幸せにしてやりたいと思える人間だったんだ。

 簡単な答えだった。だが、その結論に辿り着くことはできなかった。何故なら俺自身が本心から目を逸らしていたのだから。

 だから、理事長は俺を黄谷に触れさせ、あえて危機に瀕しさせることで、そんな俺の本心を呼び覚まそうとしてくれたんだ。

 だが別に悪戯に黄谷を危機的状況に突き落とした訳ではない。鎌田の言い分も正しいと思っていたんだ。

 例え黄谷が進学したとしても、アイドルの道を挫折してしまうかもしれない。そうなれば更にショックが大きくなる可能性だってあった。

 そうなる前に引き離すのも黄谷の為だと言える。

 だから、俺と鎌田のどちらが黄谷をより幸せにできるかを試していたんだ。

 俺が本心に気付かなかったのであれば、例え鎌田に勝っていたとしても、黄谷を託してはくれなかっただろう。 


「なんだと!? 俺にはそれができないとでも言うのか? 黄谷を幸せを誰よりも願うのはこの俺だ。こんな奴、非でもない程にな」


「お前はその幸せというものを形でしか捉えられていないんだ。

 本当に他人を幸せにしたいのであれば、心から相手を理解し、寄り添うことができなければ人を幸せにすることなんて到底不可能だ。

 かこむちゃんは、お前の償いの道具ではないんだよ」


「ッ……」


 鎌田はその言葉を受け、ゆっくりと膝を付く。

 悲しいがこれは事実だ。

 幸せの感じ方は人によって違う。その中でも殆どの人間は金や地位に幸せを感じるのだろう。

 だが、黄谷は違う。それを理解することができていない鎌田に黄谷を幸せにすることはできない。

 心からその原動を理解をできなければ、本人が本当に欲するものは与えられない。

 故に、俺の方が絶対に黄谷を幸せにすることができると確信している。

 だからもし俺が鎌田の助けになれることがあるのだとすれば、黄谷を本当の意味で幸せにすることなのだと思う。



「すみません。それでは、失礼しました」


 用件が済んだので、俺は深く一礼をし理事長室を後にした。


 そして、すぐさま廊下を駆け出す。

 今すぐにでもしなければならないことがあるから。


 ――とにかく今は黄谷に謝りたい。



           ☆



 私は理事長先生に呼び出され普通科校舎を訪れていた。退学手続きの準備だろうか。

 けれど、向かう途中で文空君と遭遇してしまい、反射的に引き返してしまい、少し間を置いてから再び向かった。

 理事長室の前へ着くと、扉が少し開いていて、そこから話し声が聞こえてきた。

 その隙間を覗くと。どうやら、文空君と鎌田君が来ていたようだ。

 この2人がいるとなると、もしかしたら私に纏わることなのかもしれない、と思い気になってしまったので、このまま盗み聞きすることにした。


 ――その話の内容は衝撃の事実の連続だった。


 まず文空君が私を進学させる為にテストで学年1位を取っていたこと。

 町田君から聞いた話だと文空君は勉強が嫌いで全くしないと聞いていた。それでいて順位は20位周辺。始めて聞いたときは驚いたけど、文空君は頭が良い人だし、特に気にも留めなかった。

 でも、そんな勉強嫌いな文空君が今回学年1位を取った。まずこの順位は勉強なしで取れるようなものではない。

 きっと私に酷いことを言ってしまったから、その償いとして私に1位の票をプレゼントして許して貰おうとしたんだ。

 だからその為に嫌いな勉強を沢山して……。

 あの鎌田君を越える点を取るために一体どれだけの勉強をしたのだろうか。

 そのことを考えると心が痛くなる。

 いくら文空君が酷いことを言ったからって、こっちの事情なんて知らなかったんだし、そこまでさせるようなことではない。

 どうしてだろう……知っていたのに。文空君がとても優しい人だって。

 私はそんな一面を無視して、一方的に文空君の悪い部分だけを挙げて攻めていた。

 どうしてか。私はただ不機嫌になっていて、文空君を怒りをぶつけられる的にしたかっただけけ。……私は本当に最低だ……。


 そして、文空君が言ってくれた。私を幸せにするって――ううん。私に幸せになる資格なんてない。

 私が他人想いの人間だと言った――そんな訳ない。現に私は私情によって人を苦しめ続けてきたんだから。


 何よりも衝撃だったのはその後。

 あの時私の両親が助けた人が鎌田君だったという事だ。


 あの日。私達も同じ場所に来ていて、同じく雨によって引き返すことになった。

 帰りの車中での私は、キャンプが中止になったことによって拗ねていた。両親の仕事の都合上、家族3人でいれる時間はとても貴重だったから。

 だから、雨が止んだことによって引き返してと駄々をこねた。最初は駄目だと言われたけど、泣き叫んで暴れてお願いし続けたら、仕方ないと両親が引き下がってくれた。

 この時、私が我がままを言わなければ……。

 そして事故が起きた。私達の車は無傷だったけれど、対面の車がガードレールに衝突してしまった。

 すると、両親は私に車の中で待っていなさいと言い残して様子を見に出て行ってしまった。

 その後の様子が対面の車で隠れて見えなくて、いつまで経っても帰って来ないから、待っていられずに車を降りて外へ出たけれど、車の向こうは同い年くらいの男の子が一人いただけで、両親の姿はなくて……まさかと思って崖の下を見たら……。

 その後の私はただひたすら大声を出して泣いていた。それ以外のことは殆ど記憶にない。

 それからの日々。私はこの事件を何度夢であってほしいと願っただろうか。でも、現実は重く圧し掛かってくる一方だった。

 後日、私は事件の真相を聞き、その少年のことを憎悪した。面会は勿論、その少年が関係するもの全てを拒絶した。

 心底憎かったから……。少しでもその憎い存在に触れれば自我を抑えられる気がしなかった。それだけ強く憎しみを抱いていた。

 助けなんて求めずにいなくなってくれていれば、なんて酷いことも常に考えていた。


 けれど、実際に苦しむ鎌田君を見て、初めて私は取り返しの付かないことをしていたと気付いた。

 鎌田君も同じくこの事件のことでずっと苦しんでいた。しかも、私がこんな対応をしてしまったせいで更に苦みを増加させしまっていたんだ。

 何故、今までそのことに気付かなかったのか。それは明白だ。

 文空君にしていたことと同じ。憎しみをぶつける対象が欲しかったんだ。この理不尽な不幸に対する憎しみをぶつける矛先が。

 だから、鎌田君のことなんて考えようともしなかった。

 それなのに、こんな私が他人想いな訳がないんだ……。


 ――だけど、それを悔やむのは後だ。自分を打ちのめすことなんていつでもできるから。

 今はそれよりもすぐにやらなきゃいけないことがある。


 話が終わり文空君が退室する様子だったので、鉢合わせないよう、私は近くの壁に身を隠した。

 それから、退室したのを確認すると、私は入れ違うように理事長室へ入る。


「……鎌田……くん……」


「っ!? 黄谷、何故ここに?」


「……まさか聞いていたのか!? ッ……私としたことが……」


 いいや、理事長先生。私はそれを知ることができてよかった。よかったという言い方は違うのだろうが、この事実を知らなければ私は鎌田君を苦しめ続けることになっていた。


「そうか、聞いてしまったか……」


 それは今の私を見れば容易に察することができる。

 莫大な罪悪感によって涙が溢れて止まらないからだ。

 気持ちを落ち着かせてから入ればよかったのだけれど、そんな時間すら惜しかった。

 とにかく今は私のすべきことをしなきゃいけない。


「……ごめんなさい。ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 駄目だ。何も考えずに来てしまったから謝罪の言葉しか出てこない。

 本当にしたいことは謝罪じゃないのに……。

 すべきこと。それは今すぐにでも鎌田君をこの苦しみから解放させることだ。一秒でも早く。

 これは私にしかできないことだから。

 でも、どうすれば鎌田君を助けられるの……分からない。


「何をしている!? 何故お前が俺に謝るんだ! 謝るのは俺の方だろう……いいや、謝ったとこで償えない罪を犯したんだ。なのに何故」


「……鎌田君は悪くないです……なのに、私のせいでずっと……苦しい思いをさせてしまって……ごめんなさい……本当にごめんなさい」


「いいや、元凶は俺だ。俺のことなんて気に掛ける必要なんてない。だから、頼むから止めてくれ……」


 鎌田君は辛そうに私から視線を逸す。でも止める訳にはいかない。

 でも、そんな辛そうな鎌田君を見ている内に、頭の中で渦巻いてぼやけていた気持ちが徐々に形となって具体的に見えてきていることに気付いた。

 そうだ。だって鎌田君は――


「止めません……だって、鎌田君はパパとママが救った――大切な命だから」


「っ!? 俺が大切な…………」


「はい……パパとママはとっても優しいから……だから、鎌田君を憎んだりなんてしません。今でも幸せになることを願って見守ってくれてます」


 そう。鎌田君は両親が命を賭けて救った大切な存在。

 だから、残された私には鎌田君を幸せにする義務があるんだ。いいや、そんな義務なんて関係なく、私は鎌田君を救いたい。

 だから、例え拒まれようと、私は何度でもそう伝え続ける。


「違う……やめてくれ。俺は奪ったんだぞ。お前から奪い、辛い思いをさせた元凶なんだぞ」 


「……確かに辛いですよ。今でもそれは変わらない。でもそれは鎌田君も同じ……。

 だからこそ。同じ苦しみを持つ私達だから……その悲しみを理解できるからこそ、私は鎌田君の苦しみを少しでも和らげたいと思うの。鎌田君が私にしてくれてきたことのように」


 鎌田君は今までずっと私の幸せを想っていてくれてた。

 償いの為でもあるけど、何より私の苦しみを和らげたいという気持ちがあったから。

 だからこそ私の助けたいという気持ちも理解してもらえる筈だ……。

 鎌田君はそんな私の言葉を受け入れてくれたのか、もう否定はしなかった。

 そして、何かを決意したかのような真剣な表情になり、


「……分かった。それじゃあ……1つだけ…………頼みを聞いてもらってもいいか?」


「は、はい! なんでも言ってください!」 


 やった。鎌田君がようやく心を開き始めてくれた。

 一体どんな要求なのだろうか。このチャンス。必ず応えなきゃ。


「……それは…………俺の……俺の為に……」


 言い出しにくいのか、中々次の言葉が出てこないようだ。

 私はそんな鎌田君を真剣に見つめる。どんなことでも受け止めるという姿勢を示す為に。

 そうすると、その気持ちを受け取ってくれたのか、重い口を開いてくれた。


「……その……俺の為に……笑ってくれないか? 俺に向けて、笑顔を見せて貰えないか」


「えっ?」


 笑顔? 予想外の言葉に戸惑ってしまう。どんな要望でも応えると決めたのに……。でも、次第にその言葉の意味を理解すると共に胸が苦しくなる。

 鎌田君が今まで私に冷たく接してきたのは、それが許されない存在だから。

 つまり、私が鎌田君に向けて笑うということは、その許しを意味する。

 それも決して安易に解釈していい言葉ではない。

 言うならこの言葉は鎌田君の弱音。今まで自分に厳しく当たってきた鎌田君がそんな言葉を発するなんて。それだけ鎌田君の精神が磨り減ってしまっている証拠だ。

 そして、そこまで追い詰めたのは紛れもなく私だ。

 あろうことか私は背いてしまったんだ。両親の意思に。本当に自分が嫌になる……。

 でも、今は私が嘆いてる場合じゃない。今辛いのは鎌田君の方なんだから、その為にも要求に応えなきゃ。


「こ……これで……」


 駄目だ。必死に笑顔を作ろうとするけれど、こんな状態で笑える訳がない。

 どうして……笑うことなんて意識することでもないのに……今ではそれがとても困難だ。

 お願い。今だけでいいから……。もう一生笑えなくてもいいから。この場だけでいいから……。


 ――けれど、そんなとき想定外の出来事が起こった。


「……お前……ふっ……なんて……」


 どうやら私が必死に作った表情が可笑しかったみたいだ。

 場の空気を読み、必死で笑いを堪えようとしているが、それでも我慢できずに笑ってしまっている。

 私が笑わなくてはならないのに、逆に鎌田君を笑わせてしまったようだ。

 予想外の反応に私はキョトンとしてしまう。そんな可笑しな表情をしていたのだろうか……。

 ――でも、これは結果オーライだ。どんな形であれ鎌田君を笑わせることができたのだから。

 始めて見た。鎌田君が笑っているところを。そっか、こんな風に笑うんだ……。

 そして、そんな鎌田君を見てる内に――


「ふふっ。この睨めっこは私の勝ちですね!」


 私も笑顔を思い出すことができた。笑っている鎌田君を見ると自然と口角が上がり自分も笑顔になっていた。

 そして、胸が温かい気持ちで一杯になる。

 鎌田君を笑顔にできたことが嬉しくて。誇らしくて。

 胸がくすぐったくなる程の幸福感が溢れ出してくる。


「何時からそんな勝負をしたんだ……」


 鎌田君の目からは一粒の涙がこぼれ落ちる。

 けれど、これは悲しみの涙ではない。きっと喜びの涙だ。

 何故なら、泣いてると共に笑ってもいるからだ。

 心を捨ててきた鎌田君が、今こうして泣いたり、笑ったりしていることがとても嬉しい。

 だって、それはつまり――


「そうやって感情を出せるのは鎌田君に心があるから。違いますか?」


「……本当にいいのか? 俺が人としての道を歩むだなんて」


「勿論です! ですから、これからはもう過去に縛られずに自分の人生を生きてください。それが私達の願いです」


 今こうして心を取り戻すことができたのだから、これからは過去に縛られず、自分の幸せを探してほしい。

 当然この過去を忘れたり捨てることなんて出来はしない。これは生涯心の中に辛い出来事として残り続けてしまう。そして、それは私も同じ。

 だからこれからも、こうやって助け合いながら支え合って生きていかなければいけないんだ。

 互いに悲しみを理解し合える唯一の存在なのだから。


「ありがとう。お陰で身が軽くなったよ。分かった。これからは俺自身の人生を歩まさせて貰う。

 だが、有益な存在になる目標を変えるつもりはない。

 俺はあの御二方に誇れる存在で有りたいから。この気持ちは前から変わらない俺自身の意思だ」


「そうですか……。分かりました! それでは私はその目標を全力で応援しますね!」


「ああ。心強いよ」


「もし、辛くなったときはいつでも私に言ってくださいね! 例え海外だろうとすぐに駆けつけます!」


「なら俺はお前が少しでも辛い想いをしようものなら、すぐにここへ戻って来てあの間抜け面をぶん殴ってやる」


「ふふっ。大丈夫ですよ。文空君はとっても優しい人ですから」


「ふん。不服だが、今はあいつを信じよう……で、あいつの元へ行ってやらないでいいのか?」


「あ……そうでしたね。ではまた落ち着いたらお話しましょう!」


 そうだった。文空君はきっと私に謝りたくて探し回っているに違いない。あれだけショックを受けていたのだから。

 でも、謝らなければいけないのは寧ろ私の方なのだけれど。


「あ、すまない。それと、もう一つ頼みがあるんだが、いいか?」


「はい、なんでしょう?」


「海外に飛ぶ前に、良ければ、御墓参りに行かせてもらいたい」


「っ……勿論です!」


 そっか。鎌田君との関わりを拒否していたせいで、お墓の場所すら知らなかったんだ。

 また申し訳ない気持ちが込み上げそうだったけれど、もう湿っぽいのはなしだ。

 折角こんな温かい気持ちになれたのだから。今は笑っていよう。


「心から感謝する。では後程、都合のいい日時を知らせてくれ」


「はい、分かりました!」


「……あ、あの私も一緒について行ってもいいかい?」


 どうやら理事長先生も泣いていたようで、涙声になってしまっている。


「はい! 理事長先生も一緒に行きましょう」


「うぅ……ありがとう……」


「ふん。大の大人が情けない……」


「ふふふっ」


 思い返してみれば、理事長先生は今まで私にだけ接し方が違うと思っていたけれど、それは私に温かい眼差しを向けていてくれてたからだったんだ。

 この二人は私のことをずっと見守ってくれていたんだよね……。

 伝わる想いやり。これからはそのお返しができるよう精神しないと。


 ――そんなやり取りを終えて、私は精一杯の感謝を込めたお辞儀をして、理事長室を後にした。

 そして、胸に手を当て、この心地いい余韻に漬かりながら実感する。



 ……そうだ。私はこの温もりを沢山の人に感じてほしいんだ。

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