3‐3 俺はまだ己の矛盾に気付けていなかった。
「こんなものを実装するなんて、どういうつもりだ?」
「どうもこうも、いい企画を持ち寄られたから実装しただけさ」
「……お前、自分が何をしているのか分かっているのか?」
「父親に向かってお前とはなんだ。まったく、そんな親不孝な子に育てた覚えはないんだけどねぇ……」
「下らない御託は不要だ。分かっているだろ、俺はこの計画を確実に成し遂げなければならないことを」
「うむ、当然だ。だがね、私はお前の父でもあり、同時にこの学園の理事長でもあるんだ。あまり出すぎた行動をするのであれば、理事長としてお前を裁かなければならない」
「俺を誰だと思っている。上手い事やるさ」
「上手い事ねぇ……3週間前のこと、私が気付いていないとでも思ったか?」
「……だろうな。鹿誠文空め……。だが、あの時は奴に対する警戒という概念が欠けていただけのこと。次はそうはいくまい」
「次はって、またなにをするつもりだ!?」
「大丈夫だ。迷惑をかけるようなことはしない。とにかく俺の邪魔をするな。分かったな」
そう告げて理事長室を後にする。
「……どうしてこうなってしまったのかねぇ」
☆
放課後。どうやら黄谷のボイスガイドは好評みたいで、
「まるで、かこむちゃんが目の前にいるようだ」
「今度一緒に遊園地行く約束したよ!」
「こんなん実質彼女じゃん」
など、内容には目を瞑るが、評判はいいようだ。
よかったよかった……。まぁ、頑張ったのは黄谷と収録に携わった人達であって、俺が喜ぶことではないのは理解している。あくまで安心しただけだ。
「大好評じゃないか。流石は文空マネージャーだね」
「……うるせーよ」
「なに照れてるのさ。今日は、このかこむロイドの考案者の鹿誠文空氏に取材をしなくてはならないね」
このボイスガイドはかこむロイドと名付けられたようだ。
「俺はただ少しアイディアを出しただけだ。デカい顔をするつもりはない」
「勘違いしないでくれ。あくまで記事に載せるのはほんの2、3行だけさ」
「あーそうかい」
なら壮大に取材とか言うな。
「さて、それじゃあ行こうか。今日も今日とて部活動だ」
「……そうだな」
俺は身体を伸ばし大きな欠伸をした。
すると、あることに気付く。
喉が乾いた。冬の乾燥のせいだろうか。自販機でなんか買ってくか……いや、部室で紅茶を飲めばいいか。あ、そうだ。
「なぁ、部室にコーヒーとかに入れるミルクなかったか?」
昨日飲んだ影響か、ミルクティーがまた飲みたくなったので、いつも部室で飲んでる紅茶に入れようと思ったのだが。
「ミルク? そんなもの入れないさ。僕は大人のブラック派だからね」
「それじゃあ金渡すからコンビニで買ってきてくれ」
「嫌だよ。僕は記事作成で忙しいんだ。それくらい自分で行きなよ。どんだけ面倒くさがりなのさ」
「…………」
使えない奴め。
「なにぶすっとしてるのさ……それなら僕は時間が惜しいから先行ってるよ」
そう言って瑛介は教室を去っていった。
さて、どうするか……席に座ったまま考える。コンビニまで行くには1階まで降りなければならない。たかがミルクの為にそこまで足を運ぶのは面倒だ。
他に何か理由がないものか……理由があれば、仕方がないと割り切れるのだが。
……なんか……なんか……ああ、そういえば今日黄谷が用事があるとかでうちの部室に来るんだったな。
それなら、何か適当に差し入れを買っておいてもいいだろう。前にあいつに持て成してもらったしな。
もし食べなかったとしても、後で俺と瑛介で食べればいいし、無駄にはなることもない。
よし、そうと決まれば行きますか……後5分休んだら。
☆
重い腰を上げコンビニへ到着し、当初の目的のミルクと適当な菓子を購入した。
黄谷の好みを知らなかったので、勝手に甘いものが好きと断定し、パンケーキやチョコレート、クッキーを買っておいた。
さて、ここからが難関だ。4階まで階段を登らなければならない。
上りの時だけ重力が逆さまに働いてくれないものかねぇ……。まぁ、そんな冗談は置いといて、さっさと駆け上がってしまおう。躊躇う程に気が重くなっていくだけだ。
決死の覚悟を決め、階段に踏み込もうとした時だった。
「……あの、今回はどういった用件で?」
「それは後で話すさ。黙って付いて来い」
上の階からの喋り声。この尖った喋り方、間違いない。
俺はその声を聞くなり、慌てて引き返し壁に身を隠す。
階段の方を覗き込むと、案の定、鎌田が生徒を引き連れて歩いていた。
人数は鎌田含め6人。なんだこの集団は? 生徒会か。いや、あんな奴らは生徒会にはいなかった筈。それに鎌田以外の5人は距離を置いて歩いていて、親しい仲のようには見えない。
となると、あの5人を鎌田が呼び出した形になるのか。
極力あいつには出くわしたくはないので、このまま隠れて通り過ぎるのを待つか――いや、もしかしたら。
頭の中に浮かぶ仮説。過去に想定していたことを思い出す。もしこれが当たっていたら……。よし、後を付けてみるか。
鎌田達は俺がいる逆方向へと向かっていった。あっちは人気のない場所だ。やはり匂うな……。
その後も気付かれぬよう、細心の注意を払いつつ、後を追っていくと、ある教室へと入っていった。
教室名のない物置となっている場所だ。こんな場所で話すとなると、他人には聞かれたくないような内容なのだろう。
少し間を置いて、俺も扉の前へ。一度息を吐いて落ち着いてから、ゆっくりと引き戸式の扉を数センチだけ空ける。
そうすることでようやく室内の様子を伺えるようになった。
さて、何を話してるんだか――
「――電子工作部の先輩達が大会で優れた功績を挙げたようだな」
あの5人は電子工作部か。そういえば、校舎にそんな垂幕が掛かってたな。
「……え、えぇ」
それを戸惑った様子で返す部員。話が見えてこないのが不安なのだろう。
「ロボットを作成し、それをぶつけ合う競技だと聞いている」
どんな大会だよ。
「……はい、そうですが」
「だが先日、その大会で使用されたロボットに不正部品が使われていたことが、此方の調査で発覚した」
「まさか!? 先輩がそんなことする訳……」
「ああ。先輩はしていないさ。勝手に部品を摩り替えられていたんだ。そして、その犯人は……朝我、お前だ」
「え!? なんで俺がそんなこと」
「証拠ならここにある。この画像は、大会の数日前に部活動終了後に誰もいなくなった部室へ侵入してくお前の姿を校内のカメラが捉えたものだ。恐らくこのタイミングで部品を摩り替えたのだろう」
「なっ!? これは違う。その時は忘れ物を取りに行っただけだ。そもそも、何を根拠に摩り替えだなんて言ってるんだ」
「とぼけても無駄だ。この部品に見覚えがあるだろう? これは大会の規定値を超えた馬力を持ったモーターだ。実際に先輩からロボットを押収し、組み込まれていたことも確認済みだ」
「そんなのデタラメだ! 大会当日だって先輩はチューンしてんだ。仮に俺がすり替えていたとしてもすぐに気付く」
「確かに先輩でも気付くことはできなかったろうな。専門家にこの部品を見せたところ、表面は正規の物と区別が付かない程に精巧に作られていたそうだ」
「なっ……偽造したとでも言うのかよ?」
「白々しいにも程があるな。お前は依頼したんだろう。職人に偽造パーツを作るようにな」
朝我が否定しようとするのを遮り、鎌田は続ける。
「証拠ならある。今繋ぐから待て」
「繋ぐって、誰に……」
どうやら鎌田はその職人とやらに電話を繋いでいるようだ。
少し間を置き、鎌田は朝我にスマホの画面を見せつける。テレビ電話を繋いだようだ。
「この生徒で間違いないでしょうか?」
電話の音声までは聞こえないが、朝我の顔を見せて確認しているようだ。
「そんな!? 嘘だ。俺は最近あなたの店には行ってません。別人と勘違いしてるんだ」
電話からの返答。それを聞いた鎌田は、
「間違いないと言っているが? ……ほう。電話番号も控えていると。ならば話は早い。その番号に今から掛け直して貰えれば、白黒ハッキリする訳だ。……という訳で、掛け直して貰ってもよろしいでしょうか? はい。では、お願いします」
そう言って電話を切る鎌田。少しの間を置くと、また携帯の着信音が鳴り響く。
「な、なんで……」
どうやら、その着信は朝我のスマホから鳴ったもののようだ。恐る恐るその電話に出る。
「どうして? 俺は電話番号なんて教えた覚えは――あっ、ちょっと待ってくだ――」
確認が済んだからか直ぐに電話は切られたようだ。
「ふん。ここまで証拠が出揃っても尚、抵抗するか?」
「…………」
黙り込んでしまう朝我。仕方がない。積みだ。
店の人間が実際に偽造パーツを朝我に売ったという証言があるなら、どうやっても誤魔化すことはできない。電話番号まで控えられているのなら尚のこと。
しかもそのパーツとロボットは鎌田の手の内。どうやっても覆しようがない。
「もしこの事実が明白になれば、大会の結果は揉み消しとなり、先輩方は汚名を着せられることになるだろうな。まったく、先輩方には罪がないというのに、なんて哀れなんだ……」
「だ、だから俺はそんなことしてない……なぁ、お前らもなんか言えよ……なんで黙ってるんだよ」
こんな証拠を見せられれば周りも認めざるを得ない。
「俺はお前なんかの為に、無益な時間を割いている暇はないんだ。早く認めてほしいものだな」
こうなれば朝我の不正は確定。――だが、俺はそうは思わない。
何故なら俺には前提があるからだ。そもそも根本的な話、盗み聞きをしようと思った理由。
それは、鎌田による黄谷潰しだ。黄谷を確実に退学させるにはどうすればいいか。手っ取り早いのはファンに票を入れないよう交渉すること。そうすれば確実に7位にできる。
俺の推測では、朝我は黄谷の数少ないファンで、鎌田はこの弱みを交換材料に黄谷への投票を止めさせるつもりなんじゃないだろうか。こんな不正を捏造してまでな。
わざわざ少ない票を潰す為に、そんな手の込んだことをするだろうか。と思われるが、この前の黄谷への窃盗を仕組んだのも鎌田だと考えれば、不自然なことではない。
そもそも、手が込んでるとは言っても、第3者と金の力があれば本人はただ指示を下すだけでいいから、手間も掛からないしな。
この場に出くわせたのはラッキーだったかもな。俺は今この会話を録音している。この距離じゃ上手く声を拾えているか分からないが、しないよりはましだろう。それにこの情報があるってだけでもアドバンテージに成りうる可能性を秘めている。現段階じゃまだ弱いが、これから本性をさらけ出す筈。
そして、状況は動く。黙る朝我に鎌田は付け加える。
「別に、誰も実際に告発するとは言っていないだろうに」
「はい?」
やはり交渉するつもりか。いいぞ本性をさらけ出せ。
「元々は対戦相手である学校の生徒から寄せられた事案でな。これは俺個人が調査を進めたものなんだ。そこで調査を依頼した人間が言っていた。確かに馬力は指定値は超えているものの、微々たるもの。勝敗を左右する程ではない、と」
「……え、ええ」
「俺は堅物な人間ではない。その程度であるならば。この件はあくまで俺個人による厳重注意で済まそうと思っている。学園側に報告すれば、調査をした俺まで時間を食わされる羽目になるのも御免だからな。かといって、生徒会の人間として不正を見過ごす訳にもいかない。だからこのような形を取らせてもらったんだ」
はい? ただの厳重注意をしに来ただけだと!?
確かに鎌田の言っていることは一応筋は通っているが、鎌田の素性を知っている身からすれば、素直にそう解釈しろというのは無理がある。
「え……あ、ありがとうございます」
煮え切らない様子の返事だが、無償で済むのにわざわざ話を広げる必要はないのでさっさと済ませたいのだろう。
「ただし、だ。お前らがもしこの学園の風紀を乱すような行動をすれば、改心する気はなかったと見なし、この件を即告発するものとする」
「……風紀を?」
「ああ。朝我だけではない。この中の1人でもそれを破るようなことをすれば連帯責任とし報告させてもらう」
風紀……引っ掛かるな。黄谷を退学させたいのも風紀の為と言っていた。――そうか先が読めた。
「当然、風紀を乱す要因に加担することも許さない。分かったな?」
「風紀を乱す要因? ……って、まさか!?」
「どうした? 思い当たる節でもあるというのか?」
「い、いえ。なんでもないです」
「そうか。では、もう二度とこの俺に無益な時間を割かせぬよう、心掛けてくれ」
「はい」
やっぱり脅しだったか。鎌田は既に1年の生徒らの前で黄谷と面会をしなかったことが話題となっていた。その前提があったからこそ、朝我らは風紀を乱す要因として黄谷を指していることを連想できたんだろうか。
とりあえず、話は終わったようだし早く撤退せねば。
俺はゆっくりと扉から離れ、忍び足で立ち去った。
☆
部室へ到着した俺は、ミルクティーの匂いに心を落ち着かせながら先程のことを整理していた。
「どうしたんだい、ぼーっとしちゃって。考え事かい? お、このクッキー美味しいね、中々センスあるよ」
「いや、まぁ……ってなに食ってんだよ。これは黄谷に買ってきたんだぞ」
「いいじゃないか。こんなに沢山あるんだしさ」
まったく、気を散らせないでほしいな。でも丁度いい。こいつに聞きたいことがあったしな。
「……なぁ、黄谷と鎌田って仲悪かったりするのか?」
「どうしたんだい急に? この前の面会は急ぎの用事があって時間が足りなかったって言ってたじゃないか」
「それ以前に、過去に何か黄谷と鎌田が関係した出来事とかなかったか?」
「え、それは……うーん、あっ、そういえば、冬休み前に一度かこむちゃんのイベントに乱入してきて、風紀違反だとか言って、そのイベントを中止させられちゃったことがあったね」
「なっ!? そんなん初耳たぞ」
「そりゃね。かこむちゃん本人にも迷惑が掛かるからって、このことは内密に済まされたんだ。やずるマ……さんの件もあるから下手に広めたらいけないってね」
「なんだそりゃ……」
成程。面会の時だけでなく、事前に風紀を乱す要因と刷り込みをしていたのか。
「んで、話は逸れるが、電子工作部の奴らに黄谷って人気なのか?」
「うん、そうだよ。大会の時にかこむちゃんが応援に来ると、いつもいい結果が出るからって、勝利の女神として崇められてるんだ」
「そうか」
さっきのは朝我だけに対する脅しじゃなかったんだな。
「そんな事聞くとなると、今回かこむちゃんがここに来るのは、大会でいい功績出したから、その報酬を渡す日なのかな」
「報酬……そういやそんな制度あったな」
「この学園じゃ常識なんだけどね」
報酬とは、例えば部活などでいい功績を残した時にアイドルから景品を貰うことができる、という制度だ。
他にも、漢検、英検などの資格を取った場合にも適応される。
これを目当てに生徒のモチベーションを上げさせる為のものだ。なので、ここの生徒は部活だけに限らず、積極的に資格を取りにいっている生徒が多い。
「というか、大会で成果出したのって先輩なんじゃないか? どうして1年の黄谷なんだ?」
「1年生も冬休みの時に、なんかのコンクールで大賞を取ったみたいでね。自慢されちゃったよ。裏山けしからんね」
「そんな奴らとも仲いいんだな」
それにしても、なんてタイミングの悪さだろうか――いや、狙ったのか。鎌田はこのタイミングを見計らって、電子工作部に仕掛けたんだ。――黄谷の心を折る為に。
舐めていたな……。俺が言えたことではないが、邪道にも程がある。
「どうしたんだい? 急に顔色悪くして」
「いや、大丈夫だ……」
不幸中の幸いにも黄谷は一度ここに来ると言っていた。
今、電子工作部員と黄谷を接触させるのは阻止しておきたい。あいつがここに来たら景品は俺が預かって代わりに渡しておく事にしよう。
そんな決意をしたと同時に、
「ひょっも~ん。失礼しま~す!」
「うっひょ、かこむちゃん!」
「お、おう黄谷か。久しぶりだな」
「こんにちは、文空君。こうして会うのは実に3週間ぶりですね!」
「ああ、そうだな」
「かこむロイド楽しく使わせてもらってるよ!」
『カワイイひょも』
「うわぁ、ありがとうございます! 嬉しいです!」
どんな使い方をしていたか知ったら、その返答は出てこなかったろう。
「で、今日は何しに来たんだ?」
「今日は電子工作部の人達にこれを渡しに行くんです!」
それは『3位おめでとう』と書かれた色紙だった。
色紙にはサインの他にも、差し出し主の名前やイラストなどが隅々まで書き込まれていた。
それを見て胸が締め付けられる感覚に襲われる。
何故なら、その色紙は部員の手に渡る事はないからだ。
もし受け取ってしまえば、鎌田の言う風紀を乱す要因への加担になってしまうからだ。
どこまでが加担のラインかは分からないが、だからこそ極力接触すべきではない。そう判断するだろう。
だから今はとにかく黄谷を電子工作部の元へ行かせないようにしなければ。
「けどよ、お前忙しそうだし、それは俺が代わりに――」
「おお、よく分かりましたね! そうです。アイドルと生徒は接触禁止。なので、普段は顧問の先生に渡してるんですけど、せっかくマネージャーがいるんですし、その役割を文空君にお任せしようと思って来たんです」
「成程、分かった。なら俺が責任を持ってその役を引き受けよう!」
丁度いい。それは、願ったり叶ったりだ。
「ありがとうございます! それでは、さっそく行きましょうか!」
「え、いや、お前が付いてきたら駄目だろ」
「文空君、珍しく鈍いですね……それなら顧問の先生でもいいじゃないですか」
ん、どういう意味だ?
「成程っ! 偶然を装って部員との接触を計ろうってことだね。後ろで叫ぶだけならなんも問題はなしね」
「正解ひょも! 私は、文空君が色紙を渡しているタイミングで偶然『おめでとう』と叫ぶひょも!」
そういうことかよ。まずい、引き受けると言ってしまったことによって完全に引き返せない流れになってしまった。
「さっすが、かこむちゃん! 天才ということばじゃ表しきれない程の奇才だね」
「いや、けどよ、校内のカメラに映ったりするだろうし、やっぱり止めたほうが……」
「……らしくないですね。カメラの映像は何か問題が起きたりでもしない限り見られることなんてありませんし、万が一バレたとしても私は叫んでただって言いますから大丈夫です」
「……そ、そうか」
誰だよこんなガバガバなルール考えた奴。
☆
部室までの道中の廊下。刻一刻と近付く距離と共に重みを増す足取り。
どうする……どう止めるか策を巡らすが、いい打開策が思い浮かばない。
まったく、上手い事やりやっがったな鎌田の奴め。周到な用意の元、脅迫を完全に包み隠し、厳重注意へと変えやがった。あれでは反旗を起こそうとしても身内が犠牲になるだけ。しかも相手は理事長の息子。仮に弱みを握っていたとしても攻めようとは思えないだろう。
「なぁ、トイレ大丈夫か?」
「……文空君こそ大丈夫ですか? さっきから様子がおかしいですけど」
「だよな……」
なに言ってんだ俺は……。トイレに行ったとこでどうするんだよ。その隙に逃げ出そうってか。人は切羽詰ると知能が落ちていくんだと実感する。
だが、逃げ出すのはいい考えなのかもしれない。色紙は今俺の手の中にある。このまま逃げ出して、帰宅時などに学校の外で渡せば鎌田にもバレずに渡せる。ただの強行手段だが、それも悪くはない。
……まぁ、現実的に考えてそれはないか。不信感を持たれるだけだし、何故そんな行動をしたのか詮索されてしまえば本末転倒だ。
「なぁ、さっきから気になってたんだが、このタッパーに入ってるのはなんなんだ?」
色紙を渡されると同時にこのタッパーも渡されたのだが、中が見えないタイプなので気になっていた。揺らさないでのことだが。
「これはブルーベリームースのレアチーズケーキです。電子機械を弄ってるとなると目が疲れてしまうでしょうから、アントシアニンが配合されたブルーベリーをおやつに、と思いまして」
「成程そうだったのか」
ファンの為にわざわざこんなもんまで作ってきたのか……。そんな心遣いにまた胸が締め付けられる。これもまた届かないのだから。
「栄養って素敵ですよね。摂取するだけで体にいい影響を与えてくれるんですから。だから、もっともっと深く理解して、誰かの役に立てるようになりたいです」
「そういや栄養師を目指してると言っていたな」
きっかけは、そんな気遣いから来たものだったのか。
相変わらずこいつは――って、今は止める術を……だが、相変わらず打開策は浮かばない。
「着きました! ここが電子工作部の部室になります」
「うえっ!?」
まじかよ、もう着いたのかよ。駄目か……完全に詰みだ。
もう覚悟を決めて……いや、待て。というか、なんで俺は黄谷のことなんて気に掛けているんだ。冷静に考えてみれば、俺が損する要素なんてないじゃないか。
そうだ。俺は何も悪くない。悪いのは鎌田だ。だからこの先で何があろうが気にする必要ないんだ。
そう考えると気が楽になってきたな。それじゃあさっさと、この雑務を消化してしまおう。
そう割り切った俺はなんの躊躇いもなく部室の扉を開け、
「失礼しまーす。1年生の部員に黄谷からのプレゼントを届けにきましたー」
1年の部員らは1つの机を囲んで作業をしていて、俺の呼び掛けを聞き一斉にこちらに視線を向けた。
だが、すぐに視線を戻し、何も聞いてなかったかのように作業に戻りだした。
白を切るつもりだろうがそうはいかせまい。
「ちゃんと1年全員分あるんで、早く取りに来てくださーい」
再び大きな声で言う。周りにいる先輩らにも聞こえるように。
これなら先輩らに不信がられるから来ざるを得ない。あくまで鎌田に持ち掛けられた件は内密にしておきたいだろうからな。
すると案の定、部員らは重い足取りでこちらへやって来る。
「どうも、黄谷のマネージャーに就任した鹿誠です。今日は大会で優れた功績を挙げた事を証し、その戦果を称え、このサイン色紙を授与させてもらいまーす」
淡々と消化していく。それでいい。終わりはもうすぐだ。
「あー今日は電子工作部の人に色紙が渡される日ひょもねー。文空君はちゃんと渡してくれるかなー」
後方からわざとらしく喋る黄谷。
そんな声を聞いて身体をビクッと反応させる部員ら。まさか、本人が来るとは思っていなかっただろう。
本来であれば飛んで喜んだであろうサプライズ。
――だが、そんなサプライズはこれから悲劇へと変わる。
「はい、ではどーぞ」
俺は部員に色紙を手渡す。当然受け取りはしないだろう。
さて、どう拒否するのか。
「朝我君、おめでとうひょも~」
もはや、普通に喋りかけている黄谷。だが皮肉な事に、そんな優しさは今の朝我には棘となる。
「……ごめんなさい。それは受け取れないんだ……」
「えっ……」
驚きの声を上げる黄谷。きっと喜んで受け取ってくれると思っていたに違いないからな。
「どうして受け取れないんですか?」
俺からすれば想定通りの反応。だが、せめて黄谷には納得の行く説明、いや、言い訳を聞かせてやれ。
「……それは、その……やっぱり別のアイドルから貰うことにしたんだ。だから、それは受け取れない……ごめんなさい」
そうきたか。まぁ、妥当な言い訳だな。
後ろの黄谷は黙り込んでいる。この予想外の出来事を、どう感じているのか――。
「ふーん。で、他の奴は?」
「こいつらも一緒で、みんなで他の子を応援するんだ……そうだよな、お前ら?」
他の部員もただコクリと頷く。
「そうか。んじゃ、もう用もないし失礼するぜ」
そう言って強く扉を閉めた。
……さて、面倒な用事も済んだし、部室へ戻ってゆっくりしますか。
「という訳だ。帰るぞ」
黄谷からの反応はない。だからといって表情は見れない。……最低でも今はだけは見たくない。
俺はこんな時、気の利いた言葉を掛けられない。ただ目を逸らすことしかできない。
その反面、意外な事に俺の中には怒りの感情があった。きっと鎌田なんかに屈する不甲斐ない奴らに苛ついたのだろう。
……空気が重い。早くこの場を立ち去ろう。
体を帰路へ向ける。すると、そこには、
「おや、これはこれは、嫌な場面に出会しまったようだな」
鎌田か。わざわざ、これを見る為に来たのか。悪趣味な奴だ。
「……もうお楽しみは終わったろ。失せろよ」
「なんだ、その、あたかも俺が意図的に此処に居たかような言い方は。俺はだた偶然通りかかっただけなんだがな……」
「生徒会は暇なんだな。羨ましい」
鎌田はそんな俺の悪態を無視し、俺の前へと立つ。
「――これはお前への忠告でもある」
忠告か……。自分の邪魔をするならお前も同じような目に合わせる。という意味だろう。
だが、残念ながら俺には奪われて困るようなものなんてない。なんせ空っぽだからな。
「……いいから、失せろよ」
「情に縛られずに少しは――」
「失せろっ!」
「……ふん、愚かだな。――ならば思い知るといい」
そう言い残し、立ち去っていった。
苛付いていたからか、ついムキになってしまった。
「黄谷、あんな奴気にすることなんて――」
「――文空君、もういいです」
「はい?」
「もう、いいんです。文空君まで巻き込む訳にはいきません――だから私、この学園を辞めます」
「なに……言ってんだよ?」
「元より私にアイドルなんて向いてなかったんです。投票でもいつもビリでしたし、それを5回連続で取るような人間は元よりここにいるべきじゃないんですよ」
どうやら、この出来事によって気が滅入ってしまったようだ。
しょうがない。ここは俺ができる限り励まし……やめろっ、駄目だ――
「なにふざけたこと抜かしてんだよ……」
「えっ……」
「お前の想いはその程度のものだったのかよ。拍子抜けもいいとこだな」
「……文空……君?」
「お前が積み上げてきたものは、そんな簡単に捨てれるものだったのかよ! そんな薄っぺらいもんを守る為に俺を頼ったのかよ!」
やめろ……その先に踏み込んでしまったら。
「そ、それは……」
「それに、お前に懸けてくれた人の気持ちはどうなるんだよ。お前言ってたよな、自分と関わった人間を幸せにしたいって。なのに、そんな人達の想いを踏みにじるのかよ。お前が辞めたら全部無駄になるんだぞ?」
「……だ、だって、ファンもいなくなちゃって……」
「違うだろ。お前にはあいつらが本気でファンを辞めたように見えたのかよ? お前はただ、そうやって自分の都合のいいように捉えて、逃げる理由にしたいんじゃないか? 傷つきたくないから。自分を守りたいから。不都合な結果が出る前に逃げたいだけなんだろ?」
「ち、ちがい……ま……」
「そんな覚悟もないなら最初からこんなとこ来るんじゃねぇよ。お前がそんな不甲斐ないから、だから、周りから人が離れてくんじゃねーか!」
全てを吐き出してしまった。他人の世界に踏み込んでいいような大層な人間じゃないくせに。
先程から苛つかせられてるから、黄谷に鬱憤をぶつけて憂さ晴らしをしてしまったんだろう。
血の気が引いていくのを感じる。ただでさえ黄谷は傷心状態だというのに、そこに追撃を入れるなどと、なんて最低な行為だろうか。
直ぐ様フォローを入れなくては、と俺は黄谷に向き直る。
「だから――」
だが俺は黄谷を見て言葉を失う。
どうして……そんな顔をしてるんだ?
確かに俺は言いすぎてしまった。だが、それにしてもオーバーリアクションすぎないか?
視線は前を捉えているようで、何も捉えていない様な死んだ目をしていて……まるで大きな恐怖に直面しているかの様に震えている。
「……い……や……いや……」
「なぁ、黄谷!? おいっ――」
俺が声を掛けると、我に返ったのか、死んでいた目に少しだが生気が戻る。目の前にいた俺が見えなくなる程だったのか。
そして、黄谷は俺から視線を逸らし、走り去っていった。
――俺はこの時、まだ誠意を見せれば許されると思っていた――自分自身には。
だがまさか、この出来事が俺の中で一生涯の悔いとして残り続ける事になるなんて、思いもしなかっただろう。