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2‐1 覗き見よりも、ホットケーキ食べたい。

「ただいまー……誰もいないけど」


 壮絶な一日を終えたせいからか、思わず声が漏れた。疲労感を声に出して吐き出したくなってしまったのだろう。

 流創学園から俺の家までは3駅で、駅から家まで5分と、面倒くさがりの自分からすると恵まれたアクセスだと改めて実感する。

 現在家族は転勤により遠くへ引越し、実質一人暮らしという自由な状態だ。その分洗濯物とか面倒なことを自分でしなければならないのだがな。

 まぁ、それにつけてもうるさい親がいないというのは本当にいいもので、自由奔放な生活を送っている。


 ――それから。晩御飯は済ませたので、風呂に入り、歯を磨きを終えた俺は、ようやく待ちに待った就寝タイムに就ける。明日の準備は明日の俺に任せよう。

 家は2階立てで、自分の部屋は2階にあるのだが、階段を上るのが面倒なので、基本1階で過ごしていることが殆どだ。

 寝室も1階にあり、そこは和室で隅にベットが置いてあるだけの質素な部屋だ。室内は畳の匂いがほのかに香る落ち着ける空間になっている。和室にベッドは少し変だろうが、ここは寝ることだけに特化している場所なので気にしない。

 ここは元々父の寝室だった部屋で、父は睡眠に対してとても強いこだわり(俺とは正反対の理由で)を持っていて、ベットとマットレスはかなり高価なものとなっている。

 そんなベットでの寝心地はそりゃもう快適で、俺の睡眠好きはこいつのせいで更に加速させられてしまった。

 だが、枕だけはくれなかったので、デパートで数千円で買ったものとなっていて、枕だけ不釣合いなものになっているが。


 よし、もう体を縦にしておきたくないので、さっさと寝よう。

 俺は倒れ込むようにベットに全身を預ける。


「ッ~~~~~!!」


 これだよ、これこれ。あぁ、もうこれなんだよ。

 高級の低反発マットレスによる程よい弾力が優しく受け止めてくれる。まるで、天使に抱かれているかのようだ。

 もはや、俺はこのときの為に生きていると言っても過言ではないだろう。

 その為に学校へ通い疲労を溜め込んでいる。いわばマッチポンプだ。

 あまりの開放感に一人で唸り声を上げている変質者になっているが、誰も見てはいない。そう、俺を縛るものは何もないのだ。俺は自由なんだ。


 ――その状態のまま数十分が経過して。さてと……就活の時間といきますか。

 就活というのは言葉通り『就寝活動』のことで、寝転がりながらする活動のことだ。

 いつもはスマホを弄ったり、枕元に置いているタブレットでようつべや月額配信サービスの動画を見ながら眠くなるまで適当に過ごすのが定石だ。

 だが、今日は後回しにしていた議題があるので、そちらの討議に取り組もうと思う。

 で、その議題とは、


 『何故俺は、黄谷のマネージャーを引き受けたのか』


 当時を振り返る。その時は保留の方向で考えていたが、瑛介の放った『自分好みに染め上げる』という言葉で光明が差した気がして、そのまま特に考えず引き受けると言ってしまった。

 が、その光がまた雲隠れしてしまったのだ。なのでその光の正体を探らねばならない。

 まず前提として俺は黄谷を自分好みに変えたい訳ではない。人を変えるというのは、ただのお節介でしかないからだ。

 変化させることによって生まれた不。それを発生させた責任を取り切れるのであればいいかもしれないが、大抵は取り返しの付かないことになるパターンが殆ど。

 だから俺は人に変化を与えないと胸に刻んでいる。

 ならば他に理由は他にある。やはり、選択授業免除だろうか。

 ――いいや。それなら当初考えていた通り保留にしとけばいいだけのこと。マネージャー科の授業がどんなものかまだ不明なのだから、決断するのはそれからでいい。

 う~む。他に思い当たる節も見当たらないな。なんかもう考えるのも面倒になってきた。

 光の正体は、まぁ飛び込めばいつか解るだろう。もう眠い。時間はまだ9時……少し早いがいいだろう。結局結論は出せなかったが寝てしまおう。

 リモコンで部屋の電気を消し、明日こそは平和に過ごせるよう願いながら瞼を閉じた。



          ☆



 ――6時か……早いな。

 午前6時。昨日の就寝時間が早かった為にこんな時間に目覚めてしまった。あと1時間30分は寝れるな……。

 けれども長時間眠ったせいか二度寝できそうにもない。

 適当に動画でも見て時間を潰すか……と、枕元のタブレットを開き、動画サイトのアイコンをタップしようとしたときだった。

 ピコンッ。と、スマホからチャットの通知が鳴る。

 こんな時間に誰だよ……差出人を見ると、瑛介からだった。

 内容を見てみると、

 『もう起きてるかい?』その後に『起きたら連絡頂戴』と来ていたので、無視して動画を見ることにした。

 が……それからまた、

 『おい、既読付いてるじゃないか』『無視すんなよ』『干物顔!』と連投が飛んできた。

 既読機能とか要らん機能付けおって……。

 どうせ、作業を手伝ってほしいとか、面倒事を押し付けてくるだけだろうから、このままスルーするのが正解だろう。

 だが『おーーーい』『あああああ』『いいいいい』と子供じみた追撃が続く。

 ここで出たら負けだ。ミュートという、特定の人間からの通知が無くなる画期的な機能を使って凌がせてもらおう。

 ――さて、これで心置きなくネットサーフィンを楽しめる。

 動画サイトのアイコンをタッチし、どんなワードで検索するか考える……。

 最近は動物の動画がマイブームなので、猫の動画でも見るか……と、検索欄に『猫』と入力し検索ボタンを押すと、沢山の猫動画が表示され、その中から茶トラ猫がサムネイルの動画を見つけたのでその動画の再生ボタンを押す……って広告かよ。それは、本編の動画の前に再生される広告動画なのだが。

 朝メニューのホットケーキだと!?

 目の前に飛び込んできたのは。バターの溶けた大きなホットケーキの上に、沢山のメープルシロップが掛けられる動画だった。

 朝起きたばかりとなれば空腹状態。そんな状態の俺にこんな動画を見せるとは、なんて悪質な動画なんだ。

 俺は普段、1分でも長く寝ていたいが為に朝食を削るが、今日は早起きの効果か活力が溢れている。いや、溢れてきたんだ。

 ホットケーキを食べたい。という食欲が活力になり、いつにもないエネルギッシュな状態になっていた。

 そして、俺はいつの間にか体を起こしていた。

 たまにあるんだよなこういうの。



          ☆



「まだ7時30分かよ……」


 学園の時計を見て呟く。

 ホットケーキはファストフード店のものなので、気軽に入れるし店内でのんびり食べようかと思っていたが、駅に近い場所にあるせいか、出勤前のサラリーマンなどが座っていて席にあまり空きがなく、ゆっくりできそうになかったのでテイクアウトにして学校で食べることにした。

 ホットケーキだけ買うというのは少し恥ずかしかったので、見栄を張って一緒にコーヒーも購入してしまったが、正直いらない。

 食べる場所は妥当に教室でいいか。この時間ならまだ生徒はそんないないだろうからな。

 あぁ……腹減ったし、早く食べたい。溢れる唾液を飲み込んだときだった――


「ああ、文空じゃないかっ! おいこら、何連絡無視しとんじゃ! まさか、唯一の親友をミュートしたんじゃないんだろうなっ?」


 あー最悪だ……。ホットケーキのことで頭がいっぱいですっかり忘れていた。


「すまん手が滑ったんだ。だが、朝食の用事があるからまた今度な」


「僕は朝食以下なのかよ! せめて用件を聞くくらいしてくれてもいいじゃないか!」


「…………」


 あーうるせぇ。黙っててくれないかな。


「今日は見せたいものがあって連絡したのさ。それも中々お目にかかれないレアなものだよ」


「……覗きか?」


「何でそうなるのさ……あ、いや、まぁ、そうっちゃそうなんだけど……」


「おい」


 茶化すつもりで言ったんだが……。


「けど、卑猥なやつじゃないんだ」


「どうでもいいわい」


「まぁ、どんな内容かは見てからのお楽しみ――という訳で行こうか!」


「一人で行け。俺はホットケーキ食べるんだよ――って、おい、放せ!」


 瑛介は俺の制服の袖を掴み、強制連行という手段を取ってきた。

 くそっ、ネットでの接触を絶つのは簡単だが、リアルでの接触を絶つのは困難だ。

 俺はなす術なく、瑛介にされるがまま連行されるのであった。



          ☆



「……こんなとこで何が見れるんだよ」


「こんな場所だからこそ見れることなのさ」


 瑛介に連れていかれたのは、校舎裏の角の人影のない場所だった。

 これからこの校舎裏で何かが起こるのだろう。俺達は角から覗き込み、それを待つ。いや、待たされてる。

 こんな場所で行われることと言えば――


「告白でも覗くのか?」


「僕が同姓愛者の告白シーンを覗き見るような人間に見えるのかい?」


「……確かにそうだな」


 この学園の生徒の殆どが男だ。僅かに女子もいるが、それはアイドル科の女子だけで、アイドルに手を出そうとすれば学園側から厳しい処罰が下る。そんな無謀なことをする生徒はいないだろう。


「まぁ、異性に飢えすぎて男に手を出す生徒もいるかもしれないけどね」


「……食欲無くすようなこと言うなよ」


「おいおい、そんなとこで食べるのかよ」


「誰のせいだと思ってやがる」


 時間が経つと冷めてしまいそうだからここで食べるしかないのだ。

 まったく、座りながらゆっくり食べたかったぜ。

 俺はしゃがみ込み、ホットケーキのトレー取り出し膝に置いた。


「ホットケーキだなんて、相変わらずお子ちゃまな味覚だね」


 無視。という訳で、場所はどうであれ朝食タイムだ。

 トレーの蓋を開けると、ホットケーキの甘い匂いが広がる。

 そこに付属のバターを付けて、上からメープルシロップをかる。溶けたバターと混じったメープルシロップがホットケーキを伝い底いっぱいに広がる。んぉ~うまそう~。

 プラスチックのフォークとナイフで大きめに切り取り、一気に口へ放り込む。

 ……うん、美味い!! 柔らかい生地に染みたメープルシロップの甘みと、ほんのり香るバターの風味がたまらん。


「……美味そうじゃんか、一口くれよ」


「やだよ」


「ちっ、ケチだなぁ……」


「まぁ、変わりにこれやるよ」


 俺は一緒に買っていたコーヒーを差し出す。

 買ったはいいが、結局飲みたいとも思わないので、なんならコーヒーが好きな瑛介にあげた方が有意義だろう。


「おお、コーヒーじゃないか。まさか僕の為に……」


「んな訳あるか」


「じゃあどうして買っ……あ、そっか、ホットケーキだけじゃ恥ずかしくて一緒に買ったな?」


「…………」


 当てるな。


「さては正解だな……それじゃ、僕もお腹空いてきたし朝食にしますか」


 瑛介もバックからコンビニの袋を取り出し、そこから菓子パンを取り出す。


「あんぱんとコーヒーだなんて、まるで刑事の張り込みみたいだね」


 勝手に喋ってる奴を放置し、空腹という穴を埋めるようにホットケーキを次々口へ運ぶ。

 こうして校舎裏での朝食タイムを終え、ゴミををまとめ始めたときだった――


「お、来た来た!」


 瑛介の差す先を見ると、そこには一人の男子生徒が来ていた。目測で30mくらい先だろうか。

 その生徒は細身でメガネをしていて、見た目からしてひ弱そうな生徒だ。


「誰だあれ?」


「1年C組の森田君だよ、文空は知らないかもね」


 知らないね。


「……で、何が始まるんだよ」


「それは見てからのお楽しみさ」


 俺的には凄くどうでもいいことなので、さっさと終えてほしいのだが。


 そして数分後、二人の生徒が現れた。

 1年の森田とは相反して、体格のいい生徒だ。運動部にでも所属しているのだろうか。


「あの二人は2年生の先輩の人だね。陸上部の先輩後輩の関係だそうだ。かなり強そうだね」


 強そうだと?

 屈強な先輩二人が、ひ弱な後輩に詰め寄る。この展開まさか、


「カツアゲでもすんのか?」


「そうだよ」


「おい! 何でそんなもん見せるんだよ」


「まぁまぁ、待ってなさいって」


「はぁ?」


 瑛介は他人の恐喝現場を見て楽しむような趣味の悪い人間ではない……と思う。

 ならば、ここから先に何かあるのだろう、が……うーむ、考えられる展開としては、助っ人が颯爽と登場し、この2人の先輩をなぎ倒す。という王道展開か。仮にそうだったとしてなにが面白いんだ……。

 すると、瑛介はスマホを取り出し、何か操作を始めたかと思えば、


『やあやあ森田君。例のアレは持ってきてくれたかな?』


『俺達の為に頑張ってくれたんだよなぁ?』


 そのスマホから汚い音声が流れる。


「なに盗聴してんだよ」


 今見ている光景と瑛介のスマホから流れる音声は見事にマッチしている。それに森田と言ってたし間違いないだろう。


「盗撮ではないさ。しっかり許可を取ってるさ」


「許可済みだと? 録音でもして学校に突き出すのか?」


「そんな無粋な真似はしないさ。悪を働らきゃ、正に当たるってね。これから始まるのはヒーローショーさ」


「ヒーローショー?」


 今の言葉を咀嚼すると、予め瑛介は森田に相談を受けていたということか。

 で、様子から察するに、無事打開策を練ることができて、今からそれを俺に見せたいと。


『は……はい』


 力弱い声が流れる。これは森田だろう。

 胸元のポケットから、金が入ってるであろう封筒を取り出し、


『お前みたいな、出来損ないを見てやってんだから、これくらい当たり前だよなぁ』


『冬休みを費やしたとなれば、ボーナスを付けてくれてもいいんだぜ』


 先輩AとBは、いかにも小悪党な台詞を飛ばしその封筒を受け取る。

 これからどんな展開が待っているというのか。ヒーローショーというからには、やはり助っ人が来るのだろうが、一体誰が登場するのだろうか。

 無難に教師を呼ぶか。それとも、あの先輩らよりも更に強そうな生徒という可能性もある。

 けど、それだと何か、面白みに欠けるというか……瑛介らしくないな。


『どれどれ、ちっと薄い気がするが……っておい、何だこの紙は!』


 先輩Bが封筒の中身を確認するが、どうやら封筒に入っていたのは、金ではなく別のものだったようだ。

 その紙は二つ折りにされていたようで、その紙を広げると、


『何か書いてあるな……今、王の御旗の元、断罪の刻来たり――だと!?』


『おいおい、これはどういうつもりだ、森田君よぉ?』


 どうやら、メッセージを書いてあったようだ。

 王の御旗の元……って、ん、王だと!?

 すると……コツン、コツンと足音が響く。誰かが近付いきているのだろう。

 その足音は徐々に大きくなっていき、その人物は姿を現す――

 赤いマントを羽織り、黄金に輝く王冠を被っていて、我こそが王だと主張せんばかりの格好をしている。

 何の王。それはアイドル科の王、そう、藍坂ななみだ。

 どうしてアイドルである彼女がこんなところに、しかも一人で。


「おい、瑛介これはどういうことだ?」


「うるさい。音声が聞こえなくなるから黙っててくれ」


「いや、うるさいじゃなくてよ……」


 瑛介は音声を聞くのに集中したいのか返事はない。アイドルが来るなりこれだ。

 こいつが見せたかったものはこれのことだったのか。

 だが、ここからの展開が予想できん……話し合いでもするんだろうか。けれど、藍坂は他人と和解とかするようなタイプには見えないしな。

 ならば他にもどこかで喧嘩強い奴が待機していて、アイドルであることを活かし、適当に免罪でもこじつけて、それが成立した瞬間、正当防衛を謳って暴力で解決するとか。いや、これも現実的じゃないな……。


『おいおい、どうしてこんなとこにアイドルが……』


『あ、アイドル科の校舎は向こうですぜ……』


 先輩2人は明らかに動揺している。

 しかし妙だな……無難に解決するのであれば、初めから教師だのに相談すればいい話だ。

 でもそれができない。つまり、先輩らには何か強い後ろ盾があるはずだ。

 そこで何故アイドルなのか。この藍坂にそんな状況を打開する術があるからなのだろうが、どんな手を使って解決するのか想像も付かない。

 ……ふむ、少し面白くなってきたな。

 慌てて先輩らは小声で、


『……お、おい森田、どういうつもりだ?』


『お前、部活にいれなくなってもいいのか?』


 部活にいれなくなる。となると退部させられるようなことが脅し材料ということか。

 そんな考察をする俺を見て察したのか、瑛介が補足する。


「あの先輩らは、部の中でも足の速さがトップだそうでね。冬の大会でも期待されているそうだ。で、団体種目のリレーにも出場するのが決まっていてね……後は分かるよね」


「……そういうことか」


 もう少し具体的に言ってくれてもいいんだが、まぁ、大体は把握した。

 もしも、森田がそのことを教師に相談すれば、学校で問題になり、当然、先輩らに処罰が下る。そうなれば先輩らは最悪大会に出場停止になってしまうだろう。

 それも団体種目に出場するとなれば、代わりを埋めなければいけなくなるが、必然的にタイムの低い人間で代用することになってしまう。

 それは輝かしい結果からは遠のくということを意味していて、その原因となった森田は部活内で白い目で見られるようになってしまう。

 それを利用して先輩らは森田を脅していた。そんなところだろう。

 つまり、この問題を解決するには学校側に知られず、個人間で解決しなければならない。

 それが可能なのが藍坂ということか。

 だが、当の藍坂は何も言わず、森田と先輩らの間に入り、腕を組んで何かを待っている。

 これは藍坂のスタンスで、向こうが話し掛けてくるまで決して話さない。こんなときまで面倒な奴だな。


『ご、ごめんなさい。わざわざななみ様の手を煩わせてしまうなんて……』


『……私は忙しいの。だから手短にことを済まさせてもらうわ』


『何をするってんだ!?』


『しっかりと撮れてるでしょうね?』


『は、はい!』


 すると、森田はポケットに忍ばせておいたサウンドレコーダーを取り出し、藍坂はそれを受け取る。

 あれは瑛介のものだろう。あのサウンドレコーダーを瑛介のスマホに繋いでいるのか。


『っ!? そ、それは……』


『もしも今後、この腑抜けに手を出すようなことがあればこれを学校側に提出するわ。分かったわね?』


 腑抜けって……。


『っ……わ、分かったよ』


 即答で藍坂の要求を受け入れる先輩。

 うーむ、それだけじゃ抑止力としては弱くないだろうか。結局その場だけ凌いで、後々森田が痛い目を見せられるだけじゃないだろうか。しかもチクったことにより恐喝はエスカレートする可能性だってある。

 そもそも、サウンドレコーダー1つで解決するようなことであれば元よりアイドルを呼ぶ必要もない。

 ――まだ何かあるな。


『それじゃあもう一つ。今までこの腑抜けから奪ってきた金を全て返還しなさい。今ここで』


 今まで奪ってきた、ということは過去にも幾度か金を取られていたのか。


『はい? 何のことか分からねぇな……なぁ、お前も知らないよな?』


 と、先輩Aは先輩Bに相槌を送る。


『そ、そうだよ。そんなことした証拠でもあるのかよ?』


 そうきたか。確かに今回の件に関しては録音という手を取って証拠を残したが、過去の証拠は存在しないみたいだな。だから強気ですっとぼけられる。

 例え森田がどう供述しようと、証拠がなければどうしようもない。


『そう……ならしょうがないわね。言っても無駄なら、力で奪うまで』


『は、はぁ!? 他にも誰かいんのかよ』


 先輩らは辺りを見渡す。

 他に誰かがいると思ったのだろう。だが、そのような人物は一向に現れる様子もない。


『安心しなさい、他には誰も呼んでないから。それに、ここには人目も防犯カメラも存在しない。だから、ここでは“何をしても”許される』


 Yシャツのボタンを一つ外す藍坂。

 すると、胸の露出が増えたからか、先輩らの視線はそこに釘付けとなる。

 瑛介も慌てて小型の望遠鏡を取り出し、それを覗きこんでいた。気持ち悪い。

 しかし、こんな人気もない、何をしても許されるような場において、相手を誘惑するようなことをして平気なのだろうか。

 もし、藍坂の言葉をそのまま鵜呑みにすると、先輩らから力づくで金を奪う。と取れるが、そんな漫画やアニメのような展開がこれから起こるとでもいうのだろうか。


『……そちらから来てくれると楽なのだけれど――』


 藍坂は軽く息を吐くと、胸ポケットに入れていたチーフを上空へと投げた。

 そのチーフはヒラヒラと宙を舞い、やがて重力に従い落下を始め、丁度先輩の顔の高さへ重なった時だった。

 目にも止まらぬ速さで、藍坂の右ストレートがチーフごと先輩Aの顔面に打ち込まれる。

 先輩Aはそのまま、後方に尻餅を付き、その後も何をされたのか分からず、ただ殴られた頬を摩っていた。

 無理もない。まさかアイドルがボクサー顔負けなストレートを放つなんて思いもしないだろう。一体どうなってんだこの学園のアイドルは……。

 先輩Aは現状を飲み込めたのか、


『――お、おい、こんなことしてタダで済むと思ってるのか! この怪我を証拠に学校にチクればそっちだって罰を受けることになるぞ』


 まったく、どの口が言うんだか。


『……言ったでしょ。ここは何をしても許されるって』


『け、けどよ……』


『それに、誰が信じるのかしらそんなこと。流創学園ここがどこか分かってるの? アイドルに暴行を受けた、なんて誰も信じないどころか、アイドルの供述が例え冤罪だろうが100%通ってしまうこの学園で、下衆共の発言が聞き入れられる訳ないでしょ』


『それは……』


 とんでもない発言だが全くその通りだ。この学園でのアイドルの待遇に比べれば、一般生徒の権威なんざ数ミクロン程度のものだろう。目に見えないレベルだ。

 だから、アイドルに殴られたなんて供述はまず学園側は受理しないどころか、もし少しでも証拠が残っていたら、面前に出る前にその証拠を全力で揉み消しにいくだろう。


『分かったならさっさと掛かって来なさい。この証拠を奪えば、あなた達の罪は白になるわよ、私を突破できればの話だけど』


 藍坂の挑発行為に対し、まだ理性が残っているのか踏みとどまる先輩ら。

 この期に及んで、まだこの状況を切り抜ける手段を模索しているのだろうか。


『まぁ、怖気づくのも無理ないわ……なんせ、こんな一発程度で尻餅を付いてしまう程の軟弱な足腰をしているのだもの。もう少し下半身を鍛えてみては?』


『チッ。喧嘩売ってきたのはお前の方だからな!』


 いい煽りだ。下半身を重点的に鍛えている陸上部の人間に対して、その挑発は効くだろう。

 しかも、女に殴られ尻餅をつかせれた情けない状態にさせられ、プライドにも傷が付いたことだろうしな。

 ああいったチンピラは沸点が低そうだし、沸騰させるには十分な熱を与えられたろう。

 先輩Aは吹っ切れたようで、迷いなく藍坂に対し蹴りを放つ。足腰をコケにされたことが気に障ったのだろう。

 藍坂はそれを読んでいたかのように、同じく先輩Aの蹴りに対し蹴りを重ねた。

 力比べをしたかったのだろうか、足を鍛えている者に対して足で応戦するなんて愚策のように思えるが……。

 だが、少しの間を置き、地面に膝を付いたのは先輩Aの方だった。


『……がっかりね。陸上部と聞くからには、少しは張り合ってくれると思ったのだけれど』


 痛みに顔を歪め足を抱える先輩Aに対し、藍坂は顔色一つ変えずにそう言い放つ。

 本来なら先程の蹴りは避けるべきだったのだろう。正面から受ければ、いくら鍛えていようとダメージはあるはずだ。

 だが、藍坂はあえてそれを正面から受けてたった。

 相手の得意とする土俵にあえて自分から立ち、そして勝利する。自分よりも相手の力が勝っていることを顕示してこそ真の勝利。

 藍坂の頂点に対する執着は凄まじいものだな。


『ほら、そっちの方も早く来なさい。ちなみに、逃げようとしたところで、すぐに追い付いてとっ捕まえるだけだから無駄よ』


 またしても陸上部の自慢である部分を煽る藍坂。

 だが、先輩Bは先程の先輩Aとのやり取りを間近で見ているので、その挑発には乗らなかった。


『……こ、これでいいんですよね?』


 先輩Bはへーこらと財布を差し出す。懸命な選択だろう。

 そんな情けない先輩Bに藍坂は心底失望したのか、大きなため息をつき、先輩Bの脇腹に渾身の蹴りを入れた。

 それがかなり効いたようで、先輩Bは地面にのたうち回る。わー痛そう。

 更にそのついでか、膝を付き手頃な高さにあった先輩Aの顔面に蹴り飛ばした。

 その後藍坂は地面で伸びる惨めな2人から財布を掠め取り、そこから札だけ抜き出し、空となった財布を草むらへ放り投げた。悪魔だ。


『これだけしか入ってなかったわ。足りない分はまた――』


『いいえ、もうこれで大丈夫です』


 なんだ折角金を取り戻せるというのに。後々の復讐が怖いのだろうか。


『遠慮する必要はないわ。また何かあれば私が必ず解決するから心配無用よ』


『いえ、なんかこう……ななみ様を見ていたら、お金なんかがちっぽけに見えるくらい大切なものを貰ったと言いますか。勇気が沸いてきたんです』


『意味不明ね。ま、本人が要らないと言うならいいけれど。なら、私はこれで失礼するわ』


『……あ、あの……最後に。どうして僕なんかの為にそこまでしてくれたんですか?』


 立ち去ろうとする藍坂に森田は問う。

 それは俺も気になっていた。何を交渉材料にしたのだろうか。金か、それとも票か……藍坂は振り返らずに言う。


『――あなたが私を王と呼んだからよ』


 自分を王と呼んだから。家来の危機に自らが出向く。それが王である藍坂の義務か。

 金だの票だの考えていた自分の器の小ささを思い知る。

 この言葉がどう響いたのかは分からないが、森田は何も言わず立ち去っていく藍坂を見送っていた。


「一件落着だね」


 藍坂がいなくなったからか、また喋りだす瑛介。


「これで、あの先輩らは止まるのか?」


 これだけしようが、二度と誰にも相談できない程の過激な脅しをする可能性もある。


「君はさっき何を見てたんだい? この学園でアイドルを敵に回す意味くらい分かってるだろう。しかも、それがななみちゃ……様となればね」


「そうだったな」


 この学園でのアイドルの権威。しかも、藍坂となればさらに武力まで付いてくるのだから、そんなのを敵に回すだなんて、たまったものではないだろう。

 森田はそんな最強の後ろ盾を手に入れた。ということか。


「んで、どうだった文空?」


「どうだったって……まぁ凄かったな」


「なんだよそれ。もっと色々あるだろ」


 確かに、様々なことを感じたのは確かだが、別に誰かと共有することでもない。


「まぁ、文空にまともな回答を求めた――」


『……それにしても、王の御旗の元って。センスを微塵も感じないわね』


「「っ!?」」


 急な音声に驚く俺達。藍坂はまだレコーダーの電源を切っていなかったようだ。独り言でも言ってるのだろうか。


『あ、そうそう。さっき校舎の隅に野良犬が2匹侵入していたことを伝えておかなきゃいけないわね』


 うむ。完全にバレていたようだ。しかも俺の存在まで。その後、プツッと電源を切る音がした。

 先程の言葉が俺達に向けたものとなると、あの紙のセリフは瑛介が考えたのか。通りでセンスない訳だ。

 そのことを馬鹿にしようと思ったが、瑛介は顔色を悪くしていた。


「まさかだが、藍坂に何も言ってないのか?」


「いや、ななみちゃんに相談したのは僕さ。けど覗き見することまでは言ってなくて……」


 成程。そういうことか。

 瑛介はアイドルとの信頼関係を大切にしているので、こっそり覗き見していたことがバレたとなると、その関係に亀裂が走りかねないな。ドンマイ。


「にしても、どうしてこんなもん俺に見せたかったんだ?」


「……いや、そりゃ……なんか一人だと怖いし、こうやってバレたら責任も半分こできるだろ」


「おい、テメェ! 全てお前の責任じゃいボケ」


「まぁまぁ、その話は置いといて」


「置いとかねーよ」


 こいつ誤魔化せると思ってるのか?


「ほら、今日は文空のマネージャーデビューが控えてるじゃないか。楽しみだね。はははっ」


「あっ……そういやそうだった」


 完全に忘れていた。


「おいおい……」


 どうやら今日も壮絶な1日になりそうだ。

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