プロローグ
いつも思うのだが、日本人は勤勉すぎると思う。
毎朝毎朝学校へ通い勉学をこなし、時に受験という大きな壁を越え、そんな苦痛の集大成とも言える就職活動を終えて尚、社会に身を委ね労働をしていきながら人生の大半を浪費する。
色々な形があれど、殆どの人間はその一つの道をぎゅうぎゅうに詰めて歩るいている。
それを眺めながら、俺はふと、呟く。
『どうして、そんなに頑張れるのだろう?』
――と。決して皮肉を言っているのではない。
皆が当たり前のように全うするその過程も、自分からすれば、それは多大な苦痛でしかなく、とても同じようにはできない。
そう、俺はそんな人達より劣っているのだ。故にその道を外れてしまった。
俺が今いる場所は、そうだな……下層、アンダーグラウンドとでも言っておこう。
別に下層とは言うものの、そこは決して悪い場所ではない。俺にとっては。
そこで下から景色を見るようになった。それからは、こんな世界でも上手く生きていけるようになった。それは他人から見れば楽をしている、と見られるような生き方だ。
ただ身の丈に合った生き方をしているだけなんだが、傍から見ればそう解釈されてしまうのだ。
仕方のないことだ。住む場所が違うのだから文化に差異があるのは当然のこと。気にするだけ無駄なこと。
以上のことから分かるのは、俺は来たるべくして、このアンダーグラウンドに辿り着いたということだ。
人は先天的なモノによって住処が決まるのだ。生まれ持ったモノだけで勝手にな。
別に他の住処へ行ってはいけない決まりはない。ただその住処だけが心地よく生きられる場所なんだ。なのに、その決められた場所から出ようとする者は後を絶たない。身の丈に合わない場所へ行こうとしても、文化の違いに苦労するし息苦しいだけなのに。
人はその行動を夢と呼ぶ。人々はその夢というものをまるで星のように綺麗なものと認識し眺めている。が、現実は違う。
確かに夢を叶える人間は実在する。だがそんな人間はごく僅か。運が良かった。実は才能があった。とか、そんなしょうもない理由だ。
で、残された大半の人間はというと、現実を知り己の住処へと帰還するのだ。
その気付きが早ければいい。早い段階から自分に合った蓄積ができるのからな。
だが、気付きが遅くれてしまえば。自分に合った住処といえど蓄えがない分、ハンディギャップを背負う人生を送らされるのだ。
それを綺麗なものと言えるだろうか? 俺は決してそうは思えない。
たったの極少数に惑わされ、大切な1度きりの人生を棒に振る。その行為が綺麗な筈がない。
俺は現在高校1年生にしてその気付きを得た。俺の今までの境遇、情報社会の発展には感謝しかない。
だが同時に虚しさもある。別に夢を追うことは悪い事ばかりではないだろうから。運良く叶うかもしれないし、もう少し遅い気付きでも良かったんじゃないか、と思う事もある。
でも俺は知っている。人は心の奥底で叶えられないと認識したことを夢と言うのだと。
そう夢と認識してしまった時点でもう終わってるのだ。
――ふむ。やはり登校時間は8時20分に尽きる。