トライ、トライ、
「……何? 今、僕は満ち足りてるんだ。邪魔しないでよ」
トライはジト目で何か言いたそうに見下ろす神崎を見た。
「……トライ……今から僕が街へ駆けつけてもどれだけ被害を減らせるか分からない。頼む、約束を守ってくれないか?」
それは一度破られたはずの約束。
トライを倒すことが出来たら、魔物たちを引かせる。
「……敵との約束なんて信用するなって言ったろ」
トライは小さな溜息を溢す。
どこまで底抜けにお人好しなんだ。
そんな生物はこの世界では最初の肥やしだ。
しかし、それでも、神崎は信じたかった。
信じようと決めた。
「………………」
神崎はちゃちな決め台詞も胡散臭い正義の言葉も口にしなかった。
ただ、トライの目だけを真っ直ぐに見据えた。
それはどんな言葉よりも重く、覚悟を示す為だった。
再びトライは小さな溜息をついた。
「ふぅ、はいはい、わかったよ。運よく今の僕はとっても暇だからね。街の方にいる蟲大蛇と会話したい気分だ。なんなら、ついでにこっちに呼び戻したりもしてね」
神崎と、傍にいたイチの表情が明るくなる。
「ありがとう」
「言っとくけどさ、毎回敵が僕みたいに甘い奴ばっかなんて思わない方がいいよ。敵との口約束なんてなんとも思わないやつの方が多いんだから」
「それでも僕は誰とでも口約束でも紙約束でも視線で交わした約束だって、最後まで信じてみたいんだ」
「あー、喉痛い。君みたいな奴が案外、今の魔王を倒しちゃったりしてね」
神崎はカッコよく笑う。
「そのつもりだよ。僕はなんたって主人公だからね」
「楽観視出来る奴は大物になるか、野垂れ死ぬかの二択だよ」
トライが大きく息を吸い込むと、またあの奇妙な奇声をあげた。
しばし、静観していた神崎とイチだったが、突如トライが声をあげて笑い出した。
「アハハッ、なんだそりゃ、馬鹿みたい、今日の僕はとことん間抜けだね」
「どうしたの?」
神崎が恐る恐る尋ねた。
もしかしたら、もう街の方は……、そんな不安がよぎったからだ。
「心配しなくていい、どうやら魔物たちはみんな駆除されちゃったみたいだ。いやー、人間がこんなに強いなんてね。あいつらには悪い事をしちゃったよ」
あいつらとは魔物の事を指しているのだろうか。
神崎はニニがやったのかと見当違いな予想を立てながら、トライに気になっていた質問をした。
「君と魔物はどういう関係なんだい?」
「ん? 別に僕は魔物の言葉が分かって、あいつらは僕に半分脅されてついてきただけだよ。友達でもあり、主人の様でもあるって感じ」
「それは、どんな獣族でも出来る事なの?」
ルークからは、獣族は特殊な力はなく、パワーとスピード、とにかく身体能力に長けた魔族と聞いていたので、トライが魔物と意思疎通をしていたのが気になったのだ。
「んや、出来ないね。これは僕の発達した声帯があってこそだよ。これが僕みたいな自由人なのに四老獣に抜擢された理由でもあるしね」
「さっきから、ってかずっと気になってたんだけど、四老獣ってのは何?」
「……は? 知らないの? それじゃ、カッコつけて名乗ってた僕が馬鹿みたいじゃん。お前、本当にこの世界の人間?」
(恥ずかしながら、違うんだよね)
一応、ルークにべらべら喋るなと言われているので、黙っておいた。
「はぁ、僕の口から言わせないでよ、そこのお嬢ちゃん説明してあげて」
急にイチに出番が回って来た。
「え? いや、私も奴隷時代が長かったので、あまり外の知識がないんで、すいません」
「…………わかったよ、恥ずかしいなあ」
トライはバツが悪そうに、獣族についての話をし始めた。
「一口に獣族といってもね、君たち人間と違って見た目は大きく違う。君たちは肌の色や瞳の色程度の違いかもしれないけど、こっちは尻尾の長さが違うとか、毛深いとか、変な生態があるとか、差別に諍いが絶えなかったわけ」
「それで、争いばっかしてると、当然そこを亜人族に狙われるわけだ。それは面白くない。だから、代表を立てて色んな奴らの意見を反映させてやったわけ、でもわがままを言い過ぎるのもいるから他の獣族より強い事も条件だよ」
「で、その代表が四老獣、獣族の平均寿命百歳の二倍以上生きてて実力者であることが最低条件だよ」
「「え?」」
神崎とイチは思わず話を遮ってしまった。
「なに?」
「……あのー、トライは何歳なの?」
「三百五歳だよ、四老獣のなかじゃ、割と古参なほうだよ」
(けも耳、男の娘、見た目詐欺老人)
神崎は心の中で詰め込み過ぎだと思った。
「いい、話し続けるよ?」
「とにかく、四老獣ってのは、獣族の中でも超凄い四人なわけ」
「今、僕たち四老獣が中心となって獣族の多く住む森、ハクアと亜人族の住んでいる発展都市エアとの戦争の真っ最中ってわけ」
「獣族と亜人族は今の魔王就任時から小競り合いをしてたんだけど、最近特にひどくなってね。今僕たちは亜人族をぎゃふんと決定打を探し回っているところ。で、僕サボりの口実が欲しくて人間の調査って名目でこっちに来たの」
トライが何故、ここに攻めてきたのかと言う理由まではっきりとした。
正直、迷惑も甚だしいが、分からないよりマシだ。
神崎の隣ではイチが「……そんな理由でルーク様の作ってくれた私たちの居場所を」と目元に陰を作ってブツブツと呟いているが、神崎は聞こえないふりをした。
「で、つまり獣族の中では君たちが一番偉いわけ?」
「あー、いや、割と最近までそうだったんだけどねー」
「何? 何かあったの?」
「今ね、新たに僕らの王となる器のお方が誕生したの。僕はあんまり好きじゃないけどね」
「ふーん、そいつの情報を話してくれたりしない?」
「流石に勘弁して、これでも僕結構偉いから」
話は一段落を迎えた。
命を削り合った相手とは思えないほど、スムーズに会話が出来た。
それは神崎の持つ、一つの強みかもしれない。
「そう言えば、えーっと、君は?」
「イチです。ホイホイのパン屋で働いています。ルーク様のおかげで元奴隷の身から解放させていただきました」
「なるほど、今日は助かったけど、二度とこんな危ない事をしちゃ駄目だよ」
「すいません、この国が無くなってしまうのではないかと怖くて」
「怖くて、あんなことが出来るって凄い度胸だなあ」
神崎は呆れながらも、イチの芯の強さに感心する。
「はい、一瞬気を逸らすことが出来れば、後はルーク様の下僕である貴方がどうにかしてくれるのではあないかと思いまして」
「ははっ、下僕ね」
神崎は年上なので、ぐっとこらえた。
「それより気になってた事を聞いてもいいかな?」
「はい、私に答えられる範囲でしたら」
「最後、君は蟲大蛇になんて声を掛けたの?」
あの最後に見せた蟲大蛇の表情。
神崎はそれがどうしても気になっていた。
イチは一瞬神妙そうなタメを作って、笑顔で返した。
「知りません」
神崎はガクリと肩を落とす。
「えっ、知らないの?」
「私のスキルは鳴き声を真似るだけで、意味まで分かるわけではありませんから」
最低のEランクスキルに位置する物真似芸人に当然だが、そんな便利な機能はなかった。
でも、神崎は気になっていた。
あの蟲大蛇の最後に見せたどこか悲し気な表情に。
『おかえり』
イチと神崎はその声の主、トライに目を落とす。
それは生きるエリアの違う魔物が意味も分からずに最後に命尽きるまで暴れていた時にかけられた言葉。
「『おかえり』って言ってたよ。あいつらには悪いことをしたな。僕はもう戦争の道具に魔物を使うのは無理かもしれないな」
トライはそういって、意識を落とした。
神崎は人型でなくとも、言葉は通じずとも、命を奪った重みを噛みしめた。




