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奴隷の一歩、勇気

 ホイホイは人間の統治する土地の中では比較的自然が豊かな方だった。

 ホイホイ国王のニアリスの住んでいる国の中心部にも、城の裏手には森や川が広がっていて、人々が生活に必要な薪や売り物になる食材、住居に使用する木材など、様々なものがとれる。


 二人の少女は、その日は仕事で森に来ていた。

 名前はイチとニー、ルークの奴隷解放宣言により、奴隷から解放された二人の少女だ。


「ニー、こっちにも落ちてるわよ」


 イチとニーはこの時期、旬の栗を拾っていた。

 ある程度まとまった量なら、買い取ってくれるところがあるのだ。

 また、二人は現在パン屋で住み込みで働いているため、そこの主人から少量でいいので、持って帰って欲しいと頼まれごとでもあった。

 イチは二ーに栗の取れるポイントを教えようと、声を掛けたが、反応が返ってこなかった。


「ニー?」


 イチは振り返って、ニーの姿を探すが、どこにも見当たらなかった。

 イチの顔から血の気が引いて、慌ててニーの捜索に乗り出す。


「ニー! ニー! どこ? 返事をして!」


 少しずつ森の奥の方まで歩みを進めるイチ。

 その時、茂みから物音が聞こえた。


「ニー? ニーなの?」


 その茂みから顔を出したのは、彼女の妹であるニー。


「ニー!」


 イチは一瞬表情を明るくするが、すぐに恐怖の色へと変わる。

ニーに駆け寄ろうとした足を止める。


「お姉さん、誰ですか?」


 ニーは状況をあまり呑み込めていないのか、イチに手を振り、能天気な顔をしているが、イチは心臓が止まりそうだった。

 ニーの背後には付き添うようにもう一人いた。


「お姉さん? 僕の事?」


 僕と一人称で話したのは、真っ白な短髪に黒の縞の入った中性的な顔立ちの人物。

 黒い革の手袋、上はオフショルダーの黒いインナー、下はダボダボのズボンを履いていて、胸部こそ薄いもののラインがはっきりと女性的であったが、その人物はこう言った。


「僕は男だよ」


 そう、あくまで女性的ラインという理屈が通るのは、人間、人族での話だ。

 彼の耳にはついていた。

 イチを恐怖させる獣族の証、獣の耳が。

 いくつかの特徴はあるが、獣族を見分けるのに一番手っ取り早いのは、その耳だ。

 明らかに人族のそれとは違う、神崎の世界で言う猫耳。

 この場に神崎がいれば「猫耳の男の娘って詰め込み過ぎ」と呟くかもしれない。


 しかし、萌え文化などないこの世界の人間からすれば獣族は人族を奴隷とし、最悪食料にさえされる恐怖の対象でしかない生き物だ。

 人の村や町の近くで人攫いなどがあり、


 イチは震える声を振り絞って彼と会話をする。


「あの、ニーをどうするつもりですか。どうしてもさらったり、食料にするのなら、私にしてください」


 不勉強でまだ獣族についてよく知らないニーは「イチ姉ちゃん?」と首を傾げる。

 そのニーの頭を彼はポンと手を置き、抑える。


「君に選択肢はあるのかな? 君に選択肢をあげるほど、僕も暇じゃないよ」


 イチの顔は底なし沼にゆっくりと沈むように恐怖を刻んでいく。


「……お願いします」


 イチは頭を下げた。

圧倒的力の差がある彼女には懇願することしか出来ない。

 しかし、彼は獲物でいたぶって遊ぶような嗜虐的な目をするだけだった。


「僕は暇じゃないから、駄目だと言ったら?」


 イチは下げた頭を上げ、目の前の獣族の男を見据える。

 以前の奴隷の頃の彼女だったら、どんな理不尽も不条理も全てを受け入れただろう。

 以前の彼女ならここで言う言葉は決まっていた。せいぜい『せめて私も連れていってください』だ。

 しかし、今の彼女たちは自由を手に入れた。

 今だって奴隷の頃と大差ない馬小屋の様な寝床だが、それでも明日を待ち遠しいと感じることが出来る。

 奴隷解放によって生まれた彼女の感情。

ルークの意図したことではない。

 でも、確かに彼女には、ルークと同じ望むことの為に動く力が備わっていた。


「……戦います」


 獣族の男の顔から笑いが消えた。

 心の底からの疑問が湧いてしまったからだ。

 理解不能だと言う感情。


「君、人間だよね?」

「はい」

「人間の暇そうなガキが僕ら獣族に戦いを挑むの?」

「はい」

「君、実は超強いとか?」

「弱いです」

「そうなんだ。じゃあ、馬鹿だ」

「馬鹿じゃありません。その子を放してください」


 獣族の男は、イチの足元を長い指先で差した。


「そこから一歩でも前進すれば、君を八つ裂きにする。引けば、そうだね……この子は開放しないけど、君を見逃してあげる。君を追う程僕も暇じゃないしね。どうする?」


―ザッ


 イチは前進した。

 一瞬の迷いもなかった。

 非力な小さな拳を丸く握った。


 すると、獣族の男はニーの頭から手を放し、大笑いしだした。


「ハハハハッ、ハハッ、マジで前進した、ハハ、馬鹿だろ、あー、苦しい」


 獣族の男は、笑い過ぎて零れる涙を拭う為に、目尻を抑える。


「冗談だよ、冗談。僕もそこまで暇じゃない。君たちを少しからかっただけだ」


 獣族の男は踵を返し、森の奥の方へ足を向けた。

 そして、顔だけをイチの方に向けると、一言だけ置いて行った。


「弱者の勇気は全て本物だ。今のはちょっと良かったよ」


 強い者は、何にでも踏み出せる力を持っている。

 だって、彼らは強いのだから。

 踏み出すに足りる根拠がある。

 しかし、弱者にはそれがない。

 それでも踏み出すものがいたとしたら、それは紛れもない本物の勇気だ。


 搾りカスのようなものかもしれない。

 けれど、本物。


 獣族の男は森の奥へ手を振りながら消えていった。

 しばらくの間、とてつもないプレッシャーから解放されたイチはその場から動けなかった。


「イチ姉ちゃん?」


 ニーは状況をいまいち飲み込めていないみたいだった。

 ただ、キョトンとした顔をして、イチに近寄るだけだったが、それが何よりもイチを安堵させた。




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