scene 5 堕落の記憶 act 3
買い物の最中に偶然出会い、レナに連れられてセレーネが着いた場所は、大通りから外れた裏道の一角だった。
そこは表通りの様な賑わいもなく人も少ない。昼間でも夜のように暗く肌寒い。
ところどころ干してある洗濯物と湿っぽい臭いと真っ白な格好をしていても特に無関心な町人達が生活観を漂わせている。
レナは周囲に軽く見回し、話を聞かれていても問題無い事を確認した後、いつもよりも恐い顔をして、セレーネをじっと見ながら話し始める。
それはまるで未知の存在を警戒しながら接するようだった。
「はっきり言うわ。あなたは何者なの?」
腕を組み、セレーネに精神的な圧迫感を与える様にやや強く言い寄る、明らかに疑いをかけている事は幼いセレーネにも十分伝わった、そしてセレーネは疑われる理由を考えてみる。
前の悪魔の戦いで天使の力を使ったからかなあ?
何も無い場所に一人いたからかなあ?
うーん、わからないよう。
でもレナすんごいおこってう……、ぶるぶる。
「ふぇ……?」
セレーネは考えつつもレナの態度に少し戸惑っていた。そもそも何故今聞くのだろうか。わざわざ呼び出して二人になるタイミングを待っていたから……?。
「あの時の戦闘、私達だけじゃ絶対に勝てなかったわ。でも、あなたは光の魔法で悪魔を倒した」
レナは身長の低いセレーネを見下ろすように見つめる。
「魔法じゃないもん、天空術だもん」
その姿に少し怯えながらも、うつむきながら小声で答えた。強く言い寄られているせいですっかり弱気になっていた。
「天空術! じゃあ、あなたはやっぱり天使なの?」
「私、天使じゃないもん……」
支離滅裂な回答にレナの苛立ちは限界を超えて爆発し、結果セレーネへさらにきつく当たる様になる。
「はぁ? 私は訳のわからないあなたと旅が出来ないだけ! 不安なのよ! これからもあんな悪魔達と対峙して、戦い、そして勝っていけるか。レインは意気揚々として村を飛び出したわ、けど私とゴードはレインを止める為に一緒にいるの。それなのにあなたが来てからレインは……」
レナは怒っていた、しかし同時に不安だった。
セレーネと出会った直後に現れた悪魔、セレーネが居なければ私たちは確実に殺されていただろう。セレーネのお陰、と言う考えも無くはないが、不思議な力を使って撃退した、セレーネの得体の知れなさによる恐怖と不安の方が強かった。
レナがさらにセレーネを追い詰めようとしたその時、領主の家の方から爆発と同時に表路地からの絶叫と悲鳴が響く。
「大変だ! 町が何者かに襲撃された!」
「みんな! 逃げろ!」
「……この話はまた今度ね」
レナは一つ大きな溜め息をつき、完全に畏縮しているセレーネの手を引いた。目にはうっすらと涙が見える。
レナとセレーネが表路地に出ると、そこは地獄にも似た光景が広がっていた。
我先に逃げようと子供を押し倒す大人、混乱し右往左往する老人、その場で泣きじゃくる子供、それら人々の悲痛な叫び。そして赤く燃える家、崩れていく街。
平和で活気があった街は、今まさに地獄と化していた。
「レインとゴードを早めに探そう、何か大変な事が起きている」
レナは心の中の形容しがたい不安が漏れる事を防ぐ様に、胸を手に当てて何とか自身を落ち着かせようとする。
魔法使いに必要なものは、精神集中と動揺しない心……。おちついて、おちついて私……。
レナは再びセレーネの手を無理矢理引っぱり、いち早く合流する為、急ぎ足で宿屋へと向かった。
「ぎゃあ!」
悲痛な叫び声は町中に響く。
「た、たすけて……、うわぁ!」
平和な町を瞬時に地獄に変えた堕天使と悪魔達は表情を全く変えず、無差別に人々を殺していく。
「ひぃ!」
二人が虐殺している時、リリスが一人の街人にそっと言い寄った。
目の前の悪魔に恐怖と脅威を感じて街人は震え腰を抜かし逃げられなかったのである。
「ねーえ、宿屋ってどこにあるの?」
そんな街人に関係なくあまえたしぐさで聞く。リリスにしては、この恐怖している平凡な人間の言動すら愛らしく見えるのであろう。
「た、助けてくれ! 殺さないでくれ!」
「別に私達はあなた達の命なんてどうでもいいの。でもね探し物があるの」
「こ、ここからまっすぐ行って三階建ての建物……」
まるで命乞いをしているかのように、情報を教えた代わりに命を救って欲しいと言わんばかりに全身を震わせながら宿屋の場所を教えた。
「ありがと……」
リリスはふるえている街人に微笑みながら、頭を優しく撫ででお礼を言う。
街人もそれに少し安心したのだろうか?強張りながらも笑顔を見せ、体の震えを必死で止めようとする。
「じゃあ、いい子にはご褒美あげなきゃね」
優しい微笑みは、すぐに悪魔の妖しい微笑となる。リリスはおもむろに街人と自分の体をくっつける、その距離はお互いの呼吸がかかるほどだ。
急に迫られた街人は何がなんだかわけが解らずしどろもどろしている。
「ご・ほ・う・び」
吐息交じりの言葉を四つ、街人の目を見て静かに言うと、自分のくちびると街人のくちびるを合わせた。
合わさった瞬間、街人は目を見開いて大きく震える。
「ふふ……」
そして、その見開いた目から光がどんどん失われていく。
数秒ほどの深い口づけの後、くちびるを離すとその街人は力なく横に倒れてしまった。
もう二度と目覚める事は無いだろう体になってしまったのである……。
「さあ、いきましょ」
リリスにつれられ、アズモデウスとルシフェルは逃げまとう人々を殺しながら進んでいく。
街が悲惨な状況の最中、宿屋では既にレインが待っていた。
セレーネとはぐれ、一人ではする事が無かったのだろうか、ベッドの上でうとうととしていたのである。
レインがまどろんでいる時、外の悲鳴と轟音で、慌てて外にでる支度していた最中、ゴードが部屋に勢いよく入り、青ざめた表情でレインに言い放った。
「おい、レイン! 逃げろ!」
「外が騒がしいが、どうかしたのか?」
普段は寡黙な奴なのにここまで焦っている。逃げる様に言って来たし、何か俺にやばい事でもあるのか?
「天使と悪魔が俺らをさがしている! このままじゃ殺される!」
その緊迫した態度と言葉から、レインは今起きている事の重大さに気づいた。
天使と悪魔が?
一体何の目的で?
もしかして、あの時セレーネが倒した使い魔の復讐で来たのか?
それなら俺よりセレーネの方がやばいじゃないか!
確かにレナもいたな……。二人を探さないと……。
「……レナとセレーネは?」
状況とこうなった経緯をある程度予想しつつ、なるべく焦らない様に落ち着いてる風を装い、冷静にゴードから話を聞こうとする。
「あいつら、宿屋の裏にいたと思って行って見たがいなかった!」
するとゴードは、レインと荷物を担いで宿屋の裏口から逃げようとする。
「おい! あいつらほっといていいのか!」
レインの言葉に耳を貸さず、ゴードは自身の汗を拭う事もせず一目散に走った。
仲間を放っておく気か?
俺は見殺しになんてしたくないぞ!
くそっ、馬鹿力め。ふりほどけん……。
だが、ここまで必死になっていると言う事は……。
宿屋をすぐに出て、裏口から町を抜け、人気の少ない林道を通っていった。
この道ならば人目にもつかずに町から出られる、レナとセレーネを見捨てる事になってしまったがこのまま合流を待つなんて悠長な事を考てでは全員迫りくる脅威の前になす術も無く屈してしまう。
ゴードは無我夢中で走り続けた。だがしかし、目の前に三つの影が見えると歩みを止める。
そこには異様に冷たい眼差しの天使と、悪魔が二人居ることを目視した。
ゴードは感じた。この集団が俺らを追っていた奴らだろう。そして、過去に出会った悪魔とはまるで桁違いの力を持っている。例えセレーネが居たとしても……。
ここで、死ぬのか俺ら?
「待て、私達から逃げようとしても無駄だ」
ゴードは担いでいたレインをそっと降ろし、静かに喋りかける。
「レイン、逃げろ。あいつらの狙いは終末を呼ぶ剣だ」
小声で悪魔達に聞こえないように話しかけつつ、斧を両手に持って腰を落とし構える。
ある程度の予想はゴードもしていた、そしてその予想が一番正解に近かった。
終末の剣、レインの親父さんから聞いた話では凄い一振りらしい、そんな強力な武器なら天使や悪魔が喉から手が出るほど欲しい訳だ。
セレーネが倒した悪魔は所謂つかいっぱしりなのだろうが、こいつらは違う。
寒気が止まらねえ、鳥肌も立ちっぱなしだ……、変な汗もずっと出ている。
どうせ死ぬならば、何やっても勝てないならば、せめてレインを守り抜いて、こいつらの目的を失敗させてやろうか。
「……それで聞こえないつもりか? 悪いが、逃がさん」
小声で言ったはずなのにレインを逃がす指示を聞かれてしまった。ゴードは悔しそうに歯を食いしばる。
アズモデウスは腰に下げてある剣を持ち構えた。夜の闇の中でも鈍く輝く剣、何か魔法の力が付与されているのだろうか。
何とかレインだけでも逃がせられないだろうか、自分は、どうなってもいい。やぶれかぶれだ!
「うおおおおおお!」
ゴードの雄たけびを上げてアズモデウスに突進し、斧を大きく振り下ろした。
「ふっ……、無謀だな」
鼻で笑いながらアズモデウスは姿を消してしまう。
「どこだ?」
ゴードがあたりを見回す、さっきまでいたはずなのに、まるで影も形もない。
後ろかと思い振り向くがいない。周囲を見渡すが天使と悪魔の女性が戦いを眺めているだけだ。
一体、どこへ行った?
「さらばだ、愚かな人間よ」
アズモデウスの声が聞こえたと同時に、ゴードの脳天が剣で貫かれた。
一瞬だった、常人ではほぼ認知、回避不能だろう。
そんな悪魔の攻撃が無慈悲にもゴードの命を奪い去ったのだ。
ゴードは頭から大量の血を流して数回痙攣した後、倒れてしまった。
「やはり人間……、この程度か」
アズモデウスは物足りなさを感じたのか、不満そうな顔をしている。
剣を一振りし、付着したゴードの血を払う。
あっけない、人一人が終わるには余りにも不本意かつ僅かな最後だった。
レインは倒れてしまったゴードにかけ寄り、ゴードの名前を大声で呼ぶ、ゴードは倒れてからしばらく体を痙攣させて後、全く動かなくなってしまった。
う、うそだろ?
ずっと旅してきて、どんなにやばい時でも生きて帰ってきたじゃないか!
それが……、こんな……。
こんな事があってたまるかよおお!
「くそおおおおおお! ゴードの仇いいい!」
腰に下げてある自身の剣を鞘から抜き、アズモデウスに斬りかかる。
冷静に取り繕おうとしていたが、もうその粗雑な仮面は剥がれ、レインは感情をむき出しにした、怒り、悲しみ、そして恐怖が混合された攻撃を繰り出すが、全て難なくかわされてしまった。
「そんな剣撃では、私を捉えることは不可能だな」
レインの攻撃の隙を突いてアズモデウスが反撃しようとした。その時、後ろに控えていたリリスが間に入ってお互いの動きを制止する。
「アズモデウス、私に任して」
「ほう、気に入ったのか。まあよい」
アズモデウスは攻撃をやめ、剣をおさめて腕を組んで様子を見ている。
リリスがレインに妖しく微笑みながら近寄ってきた。しかし、レインは剣を構え、攻撃態勢を崩さない。
俺はこんな所で、死にたくない!
絶対に生きてやる!
そしてゴードのかたきを!
くそっ……、か、からだが……。
「フフ、素敵な坊や……」
リリスは、レインの目を見ながらゆっくりとゆらゆらしながら迫ってくる。
レインは迫るリリスを警戒するだけで、全く何もしなかった。
否、しないのではなく出来なかったのである。
「う、動けない、ちくしょう……」
リリスと目があった時からレインの体は指先から口、生きていく上で必要最低限の呼吸器官以外全てがまるで石になったかのように固り、自分の意思では動かせなかった。
どんなに強く念じても、祈っても、自分の体では無くなってしまったかの様だった。
やがて二人は体がぶつかるくらいの距離まで詰め寄る。そして、リリスはレインの耳元で囁き出した。
「あなたは私の可愛い奴隷となるの。愚かなるアダムとイヴの子よ、私に跪きなさい。そして私を欲しなさい。あなたの命尽きるまで、その身が壊れるまで……」
な、なんだこの言葉は?
何を言っているんだ?
う、うああ……。
意識が……、記……憶が……。
頭の中が……ぼんやりと……して……。
何も、わからなく……、なってしま……。
リリスの呪文とも魔法とも言いがたい発言の後、レインの体からは力が抜け、意識が飛んでしまい、持っている剣を落ちてしまう。
「私を受け入れなさい。永遠の快楽をあなたに……」
レインの警戒心は解けてしまい、虚ろな表情で呆然と立ち尽くしている。
そしてうわ言に様に、リリスの発言に呼応するかのように口を動かしはじめた。
「はい……、親愛なるご主人様。私の全てを捧げましょう。この命、果てるその時まで」
「ふふ、かわいい坊や」
リリスはレインを強く抱きしめ、深い口付けをしようとした時、雷鳴と閃光が周囲に轟く。
「うちの仲間たぶらかしてんじゃないわよ! サンダーボルト!」
レナは仲間の危機とリリスの態度に怒りを覚え、惜しみない一撃を繰り出す。
それはまるでレナの怒りが具現化したような攻撃だった。
天から落ちてくる稲妻が、リリスの頭上に降り注いぐ。
「きゃあ!」
降り注いだ稲妻の一筋はリリスに直撃し、悲鳴と共に吹っ飛んでしまった。そして近くにいたレインも同様に吹き飛ばされてしまった。
「レナぁ……、レインがー」
衝撃で吹っ飛んだレインを見て、セレーネは心配するがレナは全く警戒心を解こうとせず、レインとリリスの距離を保ったまま様子を見ている。
確かに私の魔法は直撃した、吹き飛ばしてレインとの距離も開けた。けれど全く手ごたえが無い。大悪魔相手に私程度の魔法が通じるとも思えなかったけれど、ここまで明確な差があるなんて……。
「よくも私に、許さない……、お前は、許さないいいい!」
怒ったリリスは鬼のような形相でレナをにらみ、立ち上がると手のひらをレナに向けると暗黒の塊を放った。
「来る……!」
迫り来る暗黒の塊の動きをしっかり捉え、杖を暗黒の塊の方向へ向けた。
「まだ未完成の魔法だったけど。我、風の精霊に命ずる、迫り来る黒き力を退けたまえ」
詠唱が終わり一呼吸置くとセレーネとレナの周りに強い風が吹き荒れだした。
レナは風の盾を精製すると、次は休みなく攻撃魔法を何度も放った。
「フレイムスピア!」
炎が槍状になり、暗黒の塊の方向へ次々と飛んで行く。
レナは無理をしていた、酷い倦怠感と頭痛が襲い掛かる。不慣れな魔法を使った事が原因である事は十分に解っていたが、これを使わなければこの危機的状況を打破出来ない。
例え使ったとしても、殺されるかもしれない。
その不安は的中し、槍状の炎は暗黒の塊に衝突すると、中心に飲み込まれて消滅してしまった。
「……やっぱ駄目だったね」
暗黒の塊はその勢いを留めることなくレナに迫ってくる。
「逃げて、セレーネ! せめてあなただけは!」
両手で持っていた自身の杖を投げ捨て、レナはその手で力一杯セレーネを突き飛ばした。
何故だろう、あれだけセレーネの事を警戒していたのに、あれだけ素性が知れないからって攻めてたのに、どうして助けたんだろう?
セレーネとの距離を離すのに成功した事を確認した瞬間、暗黒の塊はレナの体に直撃する。
「レナ!」
そんな様子を見たセレーネが大声で叫ぶ。
直撃した衝撃で暗黒の塊は炸裂し、砂埃を巻き上げた。
やがて砂埃がおさまった時、血まみれで倒れているレナがいた。
持てる全ての力を尽くしても攻撃を避ける事が出来なかった。苦痛を感じる時間も、悲鳴を上げる暇もレナにはなかった。
そして、この圧倒的で残酷な現実の前にセレーネも声が出なかった。
ただ目と口を開き、小刻みに震えている事しか出来なかったのである。
意識の無いレインと、血まみれのレナとゴード、三人の冒険者の成れの果てはセレーネを絶望と恐怖のどん底へ突き落とすのに十分だった。
「私はこの坊やを連れて先に帰っているわ」
けだるい表情をして冷たい態度でリリスはレインを連れ、まるで煙のようにその場から消えてしまった。
「ああ……、みんなぁ……」
あまりの衝撃的な光景に、なすすべの無いセレーネの目からはたくさんの涙が流れた。
一緒に居れるはずだった仲間も、大好きなセラフィムも、そこにはいない。
このまま、誰にも見取られる事も無く、無意味に殺されてしまう。
認められない自分の最後を自覚し、その場に力が抜けたように座り込んでしまった。
「ふえ~ん!」
セレーネはついに号泣してしまった。
枯れるほどの大声をあげ、流れる涙を拭う事もせずただ泣き続ける。
「どうしますか? ルシフェル様?」
「……お前に任せる」
そんなセレーネを見ても、ルシフェルは無表情だった。
堕落した天使だから、力の強い大悪魔だからではなく、天使や悪魔にとって人間の命とは価値が限りなく無いに等しいのである。
それは、人間が小さな昆虫を踏みつけて殺しても何も気にとめない様に。
幼き少女に引導を渡すべく、アズモデウスはセレーネにゆっくりと迫る。
「子供だろうが、死んでもらうぞ」
セレーネの頭を掴もうとし、無力な少女の命を奪おうとしたその時だった。




