scene 47 罪と正義の狭間に揺れて act 1
セレーネが招かれたシェムハザ達の隠れ家は、山間の洞窟の中にあった。
そこには、シェムハザやアザゼル、大人になったセレーネと同様に白金の髪色と琥珀色の瞳を持つ天使達が数十人ほど潜んでいた。
「おかえりなさい! シェムハザ様!」
「今帰りました、迎えありがとうございます」
一人の小さな少女の天使がシェムハザの帰りを笑顔で迎える。勿論、その少女も例外なく超越天使である。
「この人が女神様?」
少女は唐突にセレーネを指差してシェムハザに問いかける。セレーネは少し驚き、シェムハザの方を向くが、何も答えは得られずただ笑顔を返された。女神とは一体何なのだろうか?
「こちらです」
天使達の視線を一身に受けながら、セレーネは奥の部屋へと案内される。
「女神ってどう言う事なの?」
先ほどの少女のやり取りが気になっていたセレーネは、シェムハザに聞いてみた。するとシェムハザの今までの笑顔は消え、真剣な面持ちへと変わる。
「あなた様はまだ未完全。これよりある試練を受けていただきます。この試練を乗り越える事が出来れば、我々と同じ力を手に入れる事が出来るでしょう。その時、あなたは女神となるのです」
「……もしも失敗したらどうなるの?」
「消滅、すなわち死ですね」
死という重い現実とは裏腹に、シェムハザはまるで何気ない日常の出来事であるかの様に答えた。
こんな所で死なない。私はセフィリア様を救うんだ。
セレーネもシェムハザと同様に真剣な顔つきへと変わった。
「このまま、真っ直ぐお進み下さい。そして、絶対に否定しない事。全てを受け入れる事」
奥の部屋の扉が開かれると、そこは吸い込まれそうな闇が広がっていた。
元々、洞窟内はさほど明るくはないが、扉の奥はそれすら軽く凌ぐ、まさに漆黒なのである。その重々しい雰囲気にセレーネは戸惑うが、意を決して進んで行く。
真っ暗な中をセレーネは進み続ける。今どのあたりに居るのだろうか?
ここはどこだろうか?
光も音も無い、自身の体が闇に溶けてしまい無くなってしまったような感覚すら覚える。
ある程度進むと、セレーネを中心に真っ赤な道が七本伸びており、その先には暗くてよく解らないが、黒紫色の何か、大きさはばらばらだが人型の物から自分の身長の半分も無いようなものまであった。
「七本の道の先にある物体に触ってください。最初は小さいものから触るとよいでしょう」
どこからともなくシェムハザの声が聞こえてくる、セレーネはその声に従い、一番小さい物体がある道を進んだ。
「暴食を受け入れよ……」
シェムハザ以外の声がした、その声はセレーネが琥珀色の知恵の実をその身に取り込んだ時にした声と同じであった。
声が収まると、黒紫色の物体はセレーネに触れられると消滅してしまった。
セレーネは良く解らないまま戸惑ってしまうが、タイミングを見計らう様にシェムハザの声が再び聞こえてくる。
「やはり暴食はありませんでしたか……、まあ良いでしょう。では次にお進み下さい」
セレーネ自身、あまり理解は出来ていなかった、暴食?一体何の事なのだろうか。そしてこれに何の意味があるのだろうか。
疑問を持ちつつも、来た道を戻り、次に小さな黒紫色の何かがある道を進み、同じ様に触れる。
「怠惰を受け入れよ……」
再び謎の声が聞こえると、黒紫色の塊はゆっくりと形を変え、昔の幼い頃のセレーネへと姿を変える。
気がつけば漆黒の闇だった周囲は、かつてセフィリアと旅した時に宿泊した部屋へと変わっていた。
「どういう事なの……?」
穏やかな眠りについている幼き自身に触れようと手を伸ばそうとした時、寝ていたセレーネは急に目を見開きこちらを凝視する。
「ホントウハ、ラクシタインダヨネ」
まるで、人形が口を動かしている様な、無機質な感覚だった。セレーネはその言動に一歩下がって身構える。
一体どういう意味なのだろうか?
私が楽したい?
と言う事は、今までが苦痛で苦労で嫌だったと言う事なの……?
それは今までの自分を否定されているような、本来ならば真っ先に否定するべき事であったが、ここに来る前のシェムハザの一言を思い出し踏み止まった。
どういう過程で死んでしまうかは解らないし、今ここで起きている現象の全てを把握しているわけではないが、否定する事はすなわち、死を意味するであろうことは容易に想像出来たのである。
確かに、冷静に落ち着いて考えれば、私だって本当は苦労したくない。出来れば楽していたい。大好きなセフィリア様とずっと穏やかな時を過ごしていたい。
「……楽したい、私は楽をしたい」
幼き自分に自身の思いを伝える。なるべく戸惑わないように、目を背けないようにしながらと……。
すると、幼き自分は黒紫色の物体へと姿を戻し、消滅してしまった。気がつくと、周囲の景色もまた漆黒の闇へと戻ってしまっていた。
何だかよく解らないまま、恐らく二つ目の試練を超えたのであろう。再度、シェムハザの声が聞こえてきた。
「二つ目を手に入れましたね、それでは引き続きお進み下さい」
シェムハザの声が再度聞こえてきた。どうやら二つ目の試練も終わったようだ。しかし、セレーネは相変わらず何も解らないまま、シェムハザと謎の声に翻弄され続けている。
それでも進むしかない、今更引き返す事はありえない。セレーネは来た道を戻り、三本目の道へと進み、同じ様に黒紫色の何かに触れる。
「色欲を受け入れよ……」
同じ様に謎の声が聞こえると、黒紫色の塊は二人の人影へと変化していく。それと同時に辺りの風景も変化していき、その変化が終わった時、セレーネは驚いた。
「サマエル様とルミナお姉ちゃん……? どうしてここに……」
周囲は、かつて潜入したルシフェルの居城の一室へと変化し、そこに立っていたのは過去に戦った赤いドレスに黒翼のサマエルと、ボンテージ姿のルミナであった。
「キモチイイコト、シタインダヨネ」
先ほどと同様に、無機質な感覚を残したまま、サマエルとルミナは謎めいた事を言う。
そして、二人はセレーネに擦り寄り、セレーネに不意の口づけをした後に全身、特に胸や顔や背中を触れるか触れないかぎりぎりの状態を保ちつつ撫で回す。
二人に触られてセレーネは胸の中がもやもやとして、全身に変な寒気が走る。
一体どういう事なのだろうか。言っている意味が理解できない。気持ちいい事?なんの事だろうか……。
具体的には体験していない為想像出来なかったが、言っている意味は解っていた。堕落したサマエル様や、リリスに取り込まれたルミナお姉ちゃんの様に、性の快楽に身を委ねたいと言う事なのだろう。
しかし、セレーネ自身、そんな物は全く望んでいなかった。人間のまま成長していれば、そのような気持ちもあったであろうが、今は天使である。そして、セフィリア様を救出すると言う何よりも優先するべき事がある、そんな物に現を抜かしている場合ではない。
だが、否定すれば待っているのは消滅。それでも、どんなに考えても全く身に覚えが無く、どんなに自身を納得させようとも肯定は出来なかった。
苦悩し迷い、選択を遅らせた時、ある変化が訪れる。
「ウケイレナサイ、アナタノシンジツヲ……」
今までセレーネにまとわりついていたサマエルとルミナが、再び黒紫色のドロドロとした物体となり、セレーネの全身を覆い、包み込んでしまおうとしたのだ。
セレーネは必死に振りほどこうとするが、暴れれば暴れるほど黒紫色の物体は絡みつき、やがてセレーネは包まれてしまう。完全に覆いつくされた時、セレーネの意識は途絶えてしまった。
次に目覚めた時は、七本の道がある場所だった。
最初の位置に戻されたのだろうか、試練に失敗したから最初からやり直しなのだろうか。そして、私の体は無事なのだろうか。
セレーネは自分で自分の体を確認する。腕や手も何とも無い、背中や翼もいつも通り、触られていた胸や首も大丈夫、そして接吻をされた自分の口は……、やはり何も無い。他も外傷は無く、何かをされた痕跡も無い。どういう事なの?
よく解らないまま、再びシェムハザの声が聞こえてきた。
「三つ目を手に入れましたね、流石はセレーネ様です。では引き続きお進みください」
手に入れる?
私は拒絶したはずなのに?
一体どういう事なのだろうか?
訳が解らない……。
戸惑いながらもセレーネは四本目の道へと進もうとした時だった。
「何この感覚……」
セレーネは胸に手を当てて歩みを止める。
何だろうこの気持ち。
自然と息づかいは荒く、体が熱くなっていく。
もやもやとするような、よく解らないけどいらいらするような……、頭の中が蒸気で一杯になる様な、集中が乱されていく、何かに支配されていくような。
駄目だ、今は試練をこなす事に専念せねば。
首を何度か振り、不快な感覚を払おうとしつつ、再び前だけを見つめて進んでいく。
そして今までと同様に、黒紫色の塊に触れた。
「憤怒を受け入れよ……」
今までと同じく、謎の声が聞こえた後、黒紫色の塊は変化していく。そして風景と共に変わったその姿を見て、セレーネは酷く敵意をむき出しにして怒った。
それは、かつて私の大事な存在を奪った相手、もう一人のセレーネと、セフィリアを奪われたあの場所であった。
「ニククッテ、ユルセナインダヨネ」
姿は違えど、やはり喋り方に無機質さはあったが、セレーネにはそんな事などどうでもよかった。
「あなたは許せない! 絶対に、必ずセフィリア様を取り返す!」
大人になり、容姿や表情に落ち着きや憂いを残すようになってきたが、この時だけは少女の頃と同じ、感情をむき出しにする、怒っている事が目に見えて解るほど険しい表情へと変わっていた。
怒りを露にし、もう一人のセレーネにぶつけた時、もう一人のセレーネは少し微笑むと、黒紫色の何かへと戻り、消滅してしまった。
気持ちを静め、頭が冷えた時、周囲は既に漆黒の闇に戻っていた。
「そろそろお気づきとお思いです、この試練の真意を……」
シェムハザの声が聞こえる、そしてシェムハザの言葉と同じ考えを、セレーネは考えていたのであった。
七つの罪と呼ばれる、自身の潜在思念、意識、内なる願望と対峙し、それを受け入れる。あるいは打ち勝てば自身の力となり、全ての試練を超えれば真の力を手に入れる事が出来る。
今まで四つの罪と対峙した、暴食はよく解らないままだが怠惰、憤怒は受け入れることが出来た、色欲は受け入れることが出来なかった。しかし、この試練に拒否や拒絶は有り得ない。自身は嫌だろうがなんだろうが、結果として受け入れる事となる。その結果、精神や身体に良からぬ影響を及ぼし、最悪死に至るのであろう。
セレーネの体は無事で、多少の胸のもやもやは残るが生死を決めるほどのものではない。つまり、成功したのであろう。
残るは後三つ、傲慢、強欲、嫉妬だ。
ここまでは無事にいけた。残り三つもいける……!
手に入れて、必ずセフィリア様を助けるんだ!




