scene 40 孤独の記憶
あれからどのくらいの日が昇り、夜が更けただろうか。
かつてセラフィムが壊した村には毎日止む事のない雨が降り続いている。全てを失い、孤独となってしまったセラフィムはただその雨を無抵抗に受け続けるだけであった。
雨粒か涙か解らないが目から暖かい何かが溢れる。自身の罪を深く後悔する。
今までの都合が良すぎたのかもしれない、セレーネの親を殺しておいて自分が母親の様に振舞っていたのだから。あの時、素直に罪を受け入れていればこの様な事にはならなかっただろう。
後悔の次にセラフィムの脳内を支配したのは真実を知った時のセレーネの表情であった。
彼女は怒っていなかった、復讐心も無かっただろう、ただ悲しそうな表情をしていた。泣きそうな表情とはまた違う、哀れむような表情だった。
何を思ってあの顔をしたのだろうか、今更考えても何も解決しないし何も戻らないが。
セラフィムは最後の決断をしていた、そしてその覚悟に合わせるかのようにルシフェルが現れる。
「お前は、何をしているのだ?」
ルシフェルはただ雨に打たれ自身の過ちに悔いているセラフィムに問いかけるが、セラフィムはその問いかけを無視し両手を広げ、目を閉じ天を仰いだ。
「……何のつもりだ」
ルシフェルはセラフィムの行為を理解した、だが理解した瞬間情けなさと憤りがこみ上げてきたのである。
「殺しはしない、全て自分は死ねば終わるとでも思っているのか?」
冷たく放たれた言葉はあまりにも現実的で、所謂痛い部分を突いた一言でもあった。
「お願い……、もう生きるのも辛いの……、だから殺してお願い……」
セラフィムはその場で崩れるように倒れ、泣きながら懇願した、何もかもを失い今後どうすればよいのか見えなかった、多少は考えたけれど、セレーネの居ない生活なんて有り得ないのである。
あれだけ一緒に居たいと願った、それでもその願いは叶わなかった。過去の罪によって未来すらも黒く塗りつぶされてしまった、セラフィムはそう考えてたのである。
「何故私が名も無き下位天使の願いを叶えなければならないのだ? お前は何か勘違いしている。どんなに泣いても誰もお前を助けない、自分を救うのは自分だけだ」
我ながら何を柄にも無い事を言っているのだろうか、今までなかった自身の気持ちにすら腹立たしくなってきて、ため息を一つつく。
一度頭を冷やして冷静に、かつ論理的に考えようではないか。今は感情に流され感傷に浸っている場合ではない。ルシフェルは少し目を閉じた後、震えているセラフィムにゆっくりと話しかける。
「私は真実を知りたい、今まで他の大天使達は自身の考えを偽っていた者ばかりだ、お前も例外ではないが……。黒い服のお前が見せた幻は全てではないと、私は思っている。……どうなのだ?」
その言葉にセラフィムの体の震えが止まる。しかし声は出ず、雨音だけが周囲に響く。しばらく待ってみるが話す気配を感じなかった為、ルシフェルは話を切り替える事にした。
「セレーネの居場所は既に突き止めてある。あの場所でお前は何も言わずに去っていった、何らかしら話をする必要があるのではないのか? そこでセレーネに斬り捨てられるならば是非もない。そして黒い服のお前、あれを止めなければ天界、地上は勿論だが魔界すらも破壊しかねない。世界なんてどうでもよいが、私はセラフィムの仇をとらせて貰う」
セラフィムはゆっくりと立ち上がり顔を上げる、瞳に宿した絶望と失望の色はまだ濃いが、自身の答えを出していた。
セレーネに会って今まで隠してきた事を全て話す事、そしてもう一人の自分を止める事。どちらも叶わないかもしれないが、自身が犯した罪を償う為になさねばならない。
「……ついてこい」
セラフィムとルシフェルはセレーネに居る場所へ行く、道中二人は言葉を交わさずただ黙々と空を飛んで目的地へと向かうのであった。
ルシフェルに連れられて来た場所は豪邸の中庭であった。二人は木陰に隠れていると、やがて一人の少女が現れる。
レースの日傘を差し、控えめなデザインだが光沢のある高級そうなドレスを身に纏い、召使であろう人間を数人従えて優雅に散歩をしている少女は、かつてセラフィムと数々の死線を共に潜り抜け、自身の命の恩人であり、そしてセラフィムが手をかけた人間の子供、セレーネであった。
「どうやらセレーネの両親は人間社会で言う開拓者のようだ」
開拓者とは、地上のまだ見ぬ土地へと冒険し人々が住めそうな場所があればそこを開墾していく。豊かになった土地を人々が購入し、そこが新たな村や町になって行く。
夢があり、当たれば莫大な資産を築く事が出来る反面、未開の地で誰の助けも無く原生生物の餌となったり、天使と悪魔の小競り合いに巻き込まれたり、原因が解らず行方を眩ました者も多い危険な仕事である。
あの忌まわしき事件の後、発見した土地を大商人が購入した為貧家だったセレーネの家は一挙に富豪の仲間入りとなったのである。その遺産は現在、セレーネの父方の祖父と祖母によって運用されている。
この切迫した時代、ここまで贅沢な生活が出来るのは稀である。物質的になんら不自由がない生活、恐らくセレーネが一生ここに居たとしても生活水準が落ちる事はないであろう。
「む、何も言わなくてよいのか?」
その様子を見たセラフィムは少し微笑むと、背を向け庭から出て行こうとする。ルシフェルはその動作を制止しようとするが、そっと首を横に振る
「あの子が幸せで、人として幸福であれば良いのです。ありがとうルシフェル、少し安心出来ました」
もう会うことはないだろう、このまま今までの事を忘れて穏やかな日々を過ごして欲しい。そう願い、セラフィムは去って行った。
「本当にそれでいいの?」
セラフィムの目の前にはいつの間にかセレーネが居た。
「セラフィム様は、本当にそれでいいの?」
セレーネは胸に手を当て、物憂げな表情をしていた。それはあの時と同じだった。
「あなたは人間としての幸せを全うなさい、もう私の事や天使と悪魔の争いにあなたが巻き込まれる事はないの」
「じゃあ、私と一緒に居たいって思いは嘘なの?」
セラフィムは真っ直ぐな眼差しで見るセレーネから目を背ける。
「私は……、あなたの幸せを考えて……」
「いつまでも格好つけないで! 本当の事を聞かせて……、自分のしたい事、言えばいいじゃない……」
セラフィムの言葉を遮りセレーネの心の叫びにも似た言葉を放つ、その時セレーネは静かに涙を流していた。その表情を見たセラフィムは、自身の中で何かがはじける音がした。
自分を偽り、思いを隠して続けてきたセラフィムの胸の中何かがあふれ出すような感覚の後、それに合わせるかのように目から大量の涙があふれ出る。
「セレーネと……、ずっと一緒にいたいの!」
セラフィムはまるで子供の様に泣き崩れた、目から溢れる涙を拭う事もしなかった。ずっと一緒に居たかった、それだけは変わらない思いだった。
でも現実は違う、セラフィムはセレーネの親を殺害した。セレーネが本来送るであろう地上での人としての生を滅茶苦茶にしてしまったのだ。到底そんな事が許されるわけも無い。
しかし予想していた返答とは違う答えをセレーネは解き放つ。
「約束して欲しいの、もう一人で抱えないで、何も隠さないで、私を信じて頼って欲しい。……私だってもう子供じゃないんだから、大丈夫なんだからねっ!」
セレーネは声を震わせ泣きながら、それでも何とか笑顔を見せようとしていた。それは彼女なりの心遣いと精一杯のおとぼけだった。
結局自分達を取り巻く環境は変わってしまったが、個々それぞれの思いや感情は何ら変わりなんて無いのである。今度こそ全てを打ち明けて、素直に自分の思いに答えなければならない。
「セレーネ、ありがとう……」
二人は抱き合い、笑顔で泣きあった。




