scene 37 真実の記憶
天界にいる天使達は皆恐怖し、身動き一つ取れなかった。
目の前には最高位だった天使が二人、どうあがいても止める事の出来ない。ただし一部の天使達はそうではなかった。
まるで三人の天使がここに来る事を解っていたかのように、天界中央の広間で待っていたのである。そして、治療の天使ラファエルが十字架に貼り付けられている姿があった。
「裏切り者共が全員来ましたな」
ケルビムの両端にはかつてセレーネの事を良く思っていなかった天使の急先鋒であるツァドキエル、天界裁判の長として法と秩序を司るアラリムが一人の天使に無言のまま跪いている。
高位天使たちに崇められ、天界の主となった天使ケルビムには傲慢や驕りを超えた、強者としての圧倒的な余裕があった。それを表すかのようにルシフェルやセラフィムを目の前にしてもまるで動じず、それどころか許しを請えばこのまま罪を免れそうな感覚すらあった。
「ケルビムよ、どこまで罪を重ねればよいのだ」
「罪? 私が何をしたと言うのかね? 私こそが絶対であるのです、私の意志が全て正しい」
ルシフェルの問いかけも無駄であった。ミカエルから力を奪い、ラファエルを処刑しようとし、そして自らを主と名乗る。それらがまるで自身に許された特権であるかのようにケルビムは振舞う。
「セラフィム様や私を苦しめたあなたを許さない……!」
「元人間が立派な事を言う様になりましたな、さあ私の意志に目覚めなさい。そうすれば今までの罪を許しましょう」
「あなたは、狂っている……」
セレーネの怒りもケルビムにとっては取るに足らない小さな出来事の一つでしかなかった。そしてレナの時の様に天使化に成功したセレーネを取り込もうと画策するほどである。
「私は天界を抜けて良かったと思っています、いたらどんな恐ろしい目にあったか……」
「それは違いますぞセラフィム、抜けずにいればこの上ない至福な時を過ごせたのに実に先見の目が無い」
セラフィムは今の状況を見て畏怖していた、あのまま天界に残っていればミカエルの二の舞になっているか、少なくとも私が私で無くなっているような、そう考えると全身に寒気が走る。
「過った道を進んだ者達に懲罰と、正しき道を示すのが主の役割」
かつてのケルビムとは違う、白銀の眩い光に包まれ背中には六枚の翼が猛々しく羽ばたいている。他者を圧倒する光の波動を全身から常に発しており、周囲に居た天使は高位天使とセレーネを残して全員吹き飛ばされてしまった。
ミカエルの力を取り込んだケルビムは、疑いようも無く天使の中では最高の実力者である、自身の言うとおり天界の主と対峙しているような圧迫感を感じ、今までに無いほど恐ろしい相手に刃を向けなければならない事を覚悟した。
「無限の光矢、堕落した者を討ち滅ぼさん、破邪の神光インフィニティバニッシュ」
天空術を詠唱し終わったケルビムの翼から、無数の光の矢が三人の天使に降り注ぐ。全員は持っている武器で矢を弾き、素早い動きで回避しなんとか難を逃れる。
……そのはずだが、ルシフェルも、セラフィムも、セレーネも全員ぼろぼろになっていた。
唯一、光の速さと同等の動きがセレーネは軽症だった。
しかし、他二人は致命傷こそ辛うじて避けたがそれ以外に攻撃を受けた痕が残っている。
この一回の攻撃で三人全員は全く勝ち目がない事を確信してしまった。あまりに力の差がありすぎる、戦略や戦術を無視したまさに圧倒の一言に尽きる。
そしてその考えはケルビムにも余裕で伝わっていた、自分の力が既に天使では到底敵わない事を改めて確認出来たのである。
ケルビムは堪えていたが耐え切れず大声で笑った。そして気分が自分でも驚くほどに高揚した。
ついに天界の主となった、その事をかつての最高位天使、しかも複数を相手にする事で確信し実感したのだ、念願が望みどおりになった、これで全ては私のものに!
「主の名で命ずる、セレーネよ、セラフィムを討て」
本来ならばありえない聞き入れられる訳が無い命令であったが、まるでセレーネの意思とは関係なしに体が勝手に動き、銀の十字架を大切な存在めがけて突こうとする。
「体が……、セラフィム様!逃げて!」
攻撃は立て続けにセラフィムの急所を捉えようとする、セラフィムもセレーネが攻撃してきた事に戸惑いを感じながら寸でのところで回避した。
「意外……、なんて思わない欲しいですな、私は天界の主なのです。主の僕であり、手足である天使を自在に操る事など造作も無い」
ケルビムの顔は完全なる目的達成と勝利によって満たされていた。この裏切り者達を処罰すれば目的は完遂される、ここまで嬉しかった事があっただろうか!
「故に、こう言う事も可能なのです」
ケルビムは目の前の約束された勝利を目前に気が緩んだ、その緩みから生まれた取り返しのつかない局面。彼の次の一言が全てを分かつ一言になるとは誰も知らない。
「主の名で命ずる、セラフィムよ、己が全てを解き放ちセレーネを討て」
言葉の内容としては同士討ちを誘い自身の手を汚さず、全ての決着をつけるものであった。だがしかし、そこにはセラフィムにしか知らない恐ろしい秘密を解く鍵となっていたのである。
「そ、それは駄目……、うあああああ!」
まるで増水し濁流となった川の水が堤防を突き破るような、凄まじい光のエネルギーがセラフィムから迸る。悲鳴をあげ、力の解放を必死に抑えようとするがもう止まらない。
「これは……、どういうことです?」
「一体何がおきてるのだ……」
かつての高位天使であったケルビムもルシフェルも、主と同等かそれ以上の力の解放に驚きを隠せなかった、そして理解できなかった。
「お願い! みんな離れて! 私を見ないで!」
その様子にただ呆然と圧倒されてしまった天使達にここから離そうと必死の呼びかけももはや無意味であった。
光の暴走はたちまち周囲を白く染めていき、あたりは何も見えなくなってしまった。
光が収まるのにどのくらい時間を要したのか解らない。
セラフィムの力に飲まれると同時に意識を失っていたようだ、一部の例外も無く。
意識を取り戻し、ようやくその場に居る天使達が目覚めた時……。
「セラフィム様が……、ふたり……?」
言葉を発したのはセレーネが最初であったが、全員が同じ感情と思いを抱いていた。
目の前にセラフィムが二人いるのである。
見た目は同じであったが印象はまるで裏表であった、片方は白いドレスに漆黒の翼を背負い、もう片方は黒いドレスに純白の翼を背負っていた。
白いドレスのセラフィムはその場でうずくおり、震えながら泣いている。一方黒いドレスのセラフィムは手にサンクトゥスとはまた違う、青く禍々しい光を放つ剣を携えうすら笑んでいた。
絶望の渦中にいて、全てが終わったかのような面持ちと万物全てを見下すかのような面持ち。
「誰です? お前の様な天使を私は知らない……」
「当然よ、誰にも言ってないもの」
暖かいセラフィムの声とは違う、聞いただけで恐怖してしまう冷たい感情を持つものの声。主となったケルビムの前でも一切の表情を変えずに淡々と答えていく。
「た、たとえ裏切り者が増えたところで私の勝利に揺るぎは無いっ! 聖なる意思集いし時全ての邪悪は威光によって灰塵と化す、爆発の神光ディバイニティフレア!」
未知の存在にケルビムは明らかに動揺していた、何者か追究せずただ排除する事だけを考えた、その結果自身の力によって黒いドレスのセラフィムは無数の光の爆発に包まれて行く。
「や、やったか……?」
今のケルビムの力であればこの術によって大抵の存在を粉微塵に出来るであろう、しかし黒いドレスのセラフィムはごく僅かな一部例外の一つであった。
「これで主を気取っていたの?」
まるで何事も無かったかのように黒いドレスのセラフィムは立っていた。傷一つ、衣装の綻び一つすらない、防いだのか回避したのかすら周囲に居た天使には理解できなかったが、ケルビムの攻撃が全く通じていなかった事だけは理解した。
「ツァドキエル! アラリム! 我に力を!」
「御意」
「仰せのままに」
ケルビムは二人の従順な天使から力を奪い、自身の力に加えていく。天使達はケルビムの身勝手な行動に何の疑問も不問も持たずただ従っているところから、先ほどセレーネやセラフィムに使用した天使を操る力を使ってるのであろう。
「涼しい顔をしていられるのも今のうちですぞ……」
ケルビムは大きく息を吸った後、手を広げ目を見開く。落雷のような瞬間的な輝きを周囲に一度満たした後、手の平と六枚の翼に輝かしい力が集まり収束していった。
「主の光、万物の魂に轟け、光満ちる世界へ! 唯一なる巨光ロードオブディヴァイン!」
光は無数の線状の帯となって黒い服のセラフィムを貫いていく、一瞬と言う表現ですら遅いまさに神速の出来事。次々の体を貫かれるが気づかないのか防ぎきれないのか、抵抗するそぶりは一切無くただケルビムの攻撃を受け続けた。
攻撃は命中した、本来なら勝ちを確信してもいい。しかしケルビムは恐怖していた。
当たったはずなのにまるで手ごたえが無い。まるで幻を攻撃しているような、見た目は確かに被弾しているが先ほどと同様に一切の損傷がないのである、さきほどから一切表情を変えていない。
これほど不気味な事があっただろうか、そしてケルビムの脳裏に一つの結果がよぎる。
「あ、主が敗れるのか……? この私がここで朽ちてしまうのか……?」
約束された勝利はまるでコインの裏表をひっくり返したかのように負け確定の敗北戦となった事を、ここで悟ったが既に遅かった。
「私が本物の力を教えてあげる、代償はあなたの命……」
黒い服のセラフィムはケルビムと同様に両手を広げると、たちまち辺りを虹色の光が照らし包んでいく。
ひと時の静寂を経た刹那、禍々しく輝く閃光に主となったケルビムと力を与えた天使達は飲み込まれてしまった。
「過ち犯す傲慢な罪深き者を処断する光、ジェノサイド・ビッグバンと言ったとこかしら。ふふ、あなた程度では全然たらない……」
跡形も無くなり、元々ケルビムがいた場所を冷たく見つめる。黒い服のセラフィムは顔を横に振り、呆れ返っていた。
「さてと……、全員殺すのは簡単だけども」
巨大な肉食獣が餌である草食動物を狩る時の様に、得物を見定めるような眼差しを残った天使に向ける。主となったケルビムを一瞬で消せるほどの力を持つ天使、ここにいる他の天使達では到底敵うわけがないのである。
「いい物、見せてあげる」
無邪気な笑顔を白いドレスのセラフィムに向ける、黒いドレスのセラフィムの二番目の標的となったのだろうか?
黒いドレスのセラフィムは再び両手を広げ、辺りを光で満たしていく。全員苦痛は無かったが、そこには驚くべき光景が繰り広げられる。
それは、誰にも知られたくなかった、誰もが欲した真実の片鱗。




