scene 34 明星の記憶 act 2
「あなた方がルシフェル様がおっしゃってたセレーネとセラフィムかね?」
通路をひた走ると再び大きな部屋に出る。そこには腰が曲がり、身長がおおよそセラフィムの半分しかない。不健康な緑色の肌にとがった耳、ぼろぼろの法衣を身に纏った悪魔が二人の行く手を阻む。
「初めまして、わしはベルフェゴール。しがない学者をしとる」
満面の笑みで自己紹介をする、アスモデウスやアシュタロトのような敵意は全く無いが、それがセレーネとセラフィムに不気味な印象を与えた。
こうやって立ちはだかると言う事は、この悪魔もセレーネやセラフィムを素直に通さないである事は明白である。二人は笑顔の自己紹介に対して剣を持ち構える事で答えた。
「あまり面倒な事はしたくないもんでな、手短に言うよ。セレーネの体が実に気になる。体をわしに譲ってくれるならば快くここを通そう。ああ、別に今すぐではなくてもよいよ、ごたごたが終わったら来てくれて良い。最悪死体でも構わないよ、ああ……でも天使は死体を残さないのだったかねえ」
ベルフェゴールは独り言を交えつつ、交渉の条件を提示してくるが、当然そんな要求が受け入れられるわけもない、勿論セレーネも受け入れるはずもない。
交渉決裂を示すかのようにセレーネは大きく踏み込んだ後、真っ直ぐ突進しベルフェゴールを銀の十字架で突こうとする。
「駄目だよ、絶対に突破されないんよ」
表情一つ変えずに言葉を放った後、甲高い金属音と同時にセレーネの動きが止まる。銀の十字架の先端はベルフェゴールの目の前で止まっている。何か見えない壁で阻まれたかのように見える。
「わしの絶対障壁アブソーブミラーウォール、いかなる攻撃も反射、吸収する無敵の防御」
銀の十字架が止まった場所をよく見ると、薄暗くて解らなかったが透明の何か結晶のような物質が厚い壁となってベルフェゴールを守っているのが解った。
一旦セレーネは後ろへ跳躍し、この怪しげな壁と間合いをあける。
「しかし弱点があっての、何とこちらの攻撃も通さないんよ。乱戦にはまるで使えない。でもここで足止めするには十分すぎる性能なんよ」
たとえ突破できない壁があったとしても、それを突き破って進まねばならない。
セラフィムは手の平に光の力を集約させる。
「滅亡の破光、カタストロフィ!」
結晶の障壁に自身最高の天空術を放つ。着弾した瞬間、眩い閃光と大きい地響きがあたりに広がっていく、手ごたえはあった、セラフィムは壁の破壊を確信していた。
だがしかし、眩い光が収まると何事も無かったかのようにベルフェゴールは立っている、当然結晶の障壁は傷ひとつついていない。
「言っただろう? いかなる攻撃も効かないって、物分りの悪い奴は嫌いなんだが……」
ベルフェゴールは多少呆れつつセラフィムに言い放つ。確かにカタストロフィが一切通じないのであらば、この壁を突破する事は私やセレーネでは不可能であろうと悟った。
ではどうするか、撤退するのか?
事前にどうしても展開がまずい場合は有無を言わずにルシフェル救出は諦めると念を押した上でここに来ている。だから、今撤退してもいいのではないのだろうか。アシュタロトを負かし、アズモデウスを倒した、全く成果が無かったというわけでもないのである。
セラフィムはセレーネの横顔を見た、幼さが多少残る顔つきだが青い瞳に強い光を宿している。これはアスモデウスの時と同じく、まだ諦めていない証である。
セレーネが成長していくにつれ、セラフィムがセレーネに教えられる事が多くなった気がする。昔なら諦めて撤退していただろう。この逆境の中、セレーネが人間としての心を成長させている事が嬉しかった。
そしてその姿を見たセラフィムは自身の考えを改め、この状況の打破を模索する。
セレーネはセラフィムの予想通り、諦めずに考察していた。あの壁はどんな性質、原理で存在するのか、元々あの壁は無かった、ベルフェゴールの手によって作られたのであらば、必ず突破できる術がある。
この世界に完全な物なんてありはしないのだから。完全と言われている物は、弱点が少ないあるいは限りなく解りにくいから完全っぽく見えるだけである。
セレーネは自身の攻撃とセラフィムの天空術を繰り出した結果からある程度の結論は出していた。あの壁は単純な力押しではまず破壊出来ないであろう事、解除できるのはベルフェゴールだけである事。
「長期戦がお望みかね、わしは座らせてもらうんよ。足腰が痛くて仕方ない」
二人の天使の長考に待ちかねたアスモデウスはその場で腰を下ろし、うろうとと眠ってしまった。
目の前に自分を殺そうとしている敵がいるのに、休むどころか寝るとはよほどの余裕と自信があるのだろうか……。
「ああ、一つヒントをあげるよ。この部屋から城の出口までは自由に行き来できる、しかし他の通路や部屋へは同じ様に壁を張ったから、他の場所から行くなんて考えは捨てたほうがよいよ」
これでこの場を回避して別の場所からルシフェルのいる王座の間へと行く事は不可能となった。もはやどうする事も出来ないのであろうか。
セレーネもセラフィムもこの壁に対抗する術を見出せず無為に時間を費やしていく、こうしている間にも大悪魔達の離反とその後に来る主への反逆行為によって生じる最悪の結末は近づいている。
セレーネは苦悩していた。そして自身にも疑問が湧いてきている。何故、私やセラフィム様を苦しめた相手をここまで必死になって助ける必要があるのだろうか。情報なんて何も引き出せず徒労に終わってしまうだけなのかもしれない。ここで私やセラフィム様の命を代えてでも得たい事とはなんなのだろうか。
この時ふと、セレーネは感じた。自身の苦悩が、この壁を突破する鍵となっていた事に気づいたのである。
「ベルフェゴール、いいわ、私の体をあげる」
「セレーネ! 何を言っているの!?」
突然セレーネは大悪魔の要求に応じる様、寝ているベルフェゴールにも届かせるためいつもより大きな声で話しかける。それを聞いたセラフィムの顔色は悪く、セレーネの肩を掴んで離すまいとするがそれを振りほどく。
「やっと折れたか、契約成立。よいな」
重い腰を上げ、ゆっくりと立ち上がり聞き慣れない呪文を口ずさむと、壁は氷の様にみるみる解けて跡形も無くなっていった。
「貫通の神光、ピアシングオブディバイニティ!」
壁の溶解を確認したセレーネは、契約の呪文を唱えようとしたベルフェゴールに光の速度で攻撃を繰り出した。
セレーネの狙いとはこの瞬間である。絶対無敵の防壁の内側からは相手も手が出ない、契約をする時に必ず隙が生じる、その僅かな時を狙ったのだ。
リミットは壁が無くなってから契約の呪文を唱え終えるまで、速ければ再び障壁が築かれて二度と突破は不可能になるし、遅ければ私の体は悪魔の物になってしまう。
だが、今のセレーネには十分な時間だった。光の速度であっという間に近づき、ベルフェゴールの喉元に銀の十字架を突きたてる事に成功したのだ。
「……こんな事だろうと思ってたんよ。わしは別にルシフェルや天界の野心家どもがどうなろうと知らん、わしの知りたい事を追求するだけなんよ」
セレーネの攻撃を受け、撃破したと思われたベルフェゴールの体はまるで霧のように散ってどこかへ消えてしまった。今まで相手をしていたのは幻だったと二人は理解した。
「気が向いたらわしを呼ぶとよい、お前さんの体は諦めてないからの」
遠くから声が聞こえた後、ベルフェゴールの気配は消えて無くなった。ま
るで今までもそこにいなかったかのように、あるいはセレーネとセラフィムは何かに化かされてたかのようにも感じた。
二人は気を取り直し、奥へと進む。もう障害となる存在はないはず、目指すはルシフェルのいる部屋。
一際飾りつけが豪華な扉を開いた先に、セレーネもセラフィムも予想しなかった光景が繰り広げられていた。




