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恋愛短編

魔法使いはいらない

作者: 鵜狩三善

 会話が続きません。

 いいえ。

 会話がありません。

 どうしてこうなったのでしょうか。これは逢引(あいびき)であるはずです。

 わたしの不器用極まりない告白──思い返すだけで顔から火が出そうです──を彼は笑って解してくれて、お互いを想い合っているのがちゃんと伝わって、今日の仕儀になったはずです。

 だからこれは、逢引に間違いないはずなのです。

 だというのに、さっきから沈黙が降りたままです。ふたりで並んで歩いていて、なのにひとつも言葉が交わされないなんて、これは異常事態ではないのでしょうか。


 今までにもふたりで行動した事はあります。ですから緊張の所為ではないのです。ええ、それはまったく違います。

 ふたりだけ。ふたりきり。

 それを意識したところで、緊張する理由のひとかけらだって見当たらないのです。ええ、まったく見当たりません。

 だというのにどうしてか、話の接ぎ穂が出てこないのです。

 無理をせずともいつもの通り会話をすればと考えました。けれど平素わたしたちがどんな話をしていたのか、それが少しも出てこないのです。頭が全然回りません。

 こういう時こそリードしてみせるのが、年上の(たしな)みというものはないでしょうか。期待して彼を見るのですが、真っ直ぐ前を向いたまま、わたしには目もくれません。


 なんだか悲しくなってきました。

 今日までの、待ち合わせまでの、高揚した気分がしぼんでいきます。

 何かわたしが無作法をしたのでしょうか。

 けれど、男女七つにして席を同じうせずと言います。そうした通念からすれば、女性は軽々しく男性の誘いに応じるわけにはいきません。

 ですから、わたしに交際の経験がないのも仕方のない事です。些少の不調法は大目に見て欲しいと思うのです。


 とはいえ勿論、わたしとて無為無策でこの日に臨んだわけではありません。

 きちんと友人に師事して予習して、その経験と意見とを参考にしてきたのです。

 一度目はお試しだから。

 彼女はそう言っていました。そしてこうも言いました。


「だからこそ最初が肝心」


 その最初で合わなくて、そのまま別れに至る場合もあるのだとそうなのです。

 なるほど、確かに道理だと思いました。

 男女として将来を考えていくのに足る人物かどうか、それをお互いがお互いに量る前哨戦というわけです。わたしが彼を試し、彼もまたわたしを試す。そういうシステムなのだと得心しました。


 であればこそ、きちんと準備もしてきたのです。

 自分の装いを再確認しました。

 大丈夫、おかしくなんてないはずです。彼に並び立っても問題ない出で立ちのはずです。身長差を考慮して、靴だって踵が高めものを買いました。

 スカートは、少々丈が短いかもしれません。ですがこれもかの友人の薦めですから、わたしの独り決めよりずっと、選択として良いはずです。間違いはないはずです。

 けれどふと、行き交う人々がわたしをちらちらと見返っているのに気がつきました。そんなにおかしかな装いだったでしょうか。

 心細くなっても、会話はやはり途絶えたままです。

 どうしてわたしがこんなに悲しくならなければならないのですか。理不尽です。


「見られているな、やっぱり」


「はい?」


 急な言葉に驚いたのもありますが、出たのは自分でもびっくりするほど細い声でした。彼は足を止めるとこちらを向いて、照れくさそうに微笑みました。


「しばらく自己嫌悪していた。通りすがりが振り返って気にするくらいの美人との道行きだっていうのに、なんで俺はいつもとそう変わらない格好なのかと」


「え? あ、はい。え?」


「最近はかなり一緒だったから、()れて油断していたんだな。悪い。配慮が足りない」


 なんですか。話の流れについていけません。理解が追いつきません。飛躍しすぎです。でもなんとか、彼が不機嫌であったのではないという事だけは把握しました。

 ほっとしたら、いつもの負けん気がむくむくと頭をもたげます。


「……配慮が足りないのは、その思案だけ思いつめていた事こそです。今現在隣にいるわたしを放っておいて、失礼ですよ」


 その通りだ、と彼は首肯して苦笑しました。


「それも含めて最悪だな。やっぱり緊張してるんだろう」


 思わぬ言葉でした。

 誰にでも優しいから、結局誰にも優しくない。誰も彼の特別にはなりえない。そんな印象があるひとです。

 けれど緊張したというのなら、それはわたしが、少しはあなたの特別という事でしょうか。


「遅くなったが言わせて欲しい。先に来ていたお前を見つけて、見惚れた。正直に言うと、気後れもしたよ」


 さらにたっぷり一呼吸考えてから、 


「綺麗だ。可愛らしい。似合っている。……ダメだ、次までにもう少し褒め言葉の数を増やしておこう」


 そうして癖の強い髪を押さえて、照れてそっぽを向きました。おかげでわたしも、紅潮した顔を見られずにすみました。


「何を言ってるんです。あなたの語彙(ごい)が足りないなんて、わたしはとっくに承知です」


 だからそんな事、気に病まなくてもいいのです。

 言わずとも伝わるなんて、不思議な事とは思います。でもあなたの心は、ちゃんとわたしに届いていますから。


「でも、な。勿論ただ口にすればいいというものじゃないとは思う。でも今、こうやって褒めたお陰でお前の幸せそうな笑顔が見れた。俺は、もっと見たいと思ったよ」


 思わず口元を押さえました。笑っていましたか、わたし。知らない間に。

 大体そういうところ、そうやってわたしの欲しい言葉を簡単に見つけてしまうところ、大嫌いですと言ったはずです。

 なのにもう。またしても、です。 

 ああ、もう。

 まったく、もう。


「……?」

「なんですか」

「なんで回ったんだ?」

「気分です」

「そうか」


 また会話が途切れます。でも先刻とは少し違っていて、照れくさいようでむず痒いようでいたたまれないのに、決して居心地は悪くない。ふたりの間の空気は、そうしたものになっていました。

 動き出すタイミングを見失ったわたしたちの横を、子供が駆けて行きました。男の子と女の子。手を繋いで楽しげに笑いながら走っていきました。

 見送った目線が、ふっと重なりました。


「どう思った?」

「全然羨ましくありません」


 わたしは努めて強く首を振りました。

 彼はそうかと頭を掻いて、それでこの話はおしまいになるのかと思ったのですけれど。


「俺は、羨ましかった」


 言って、わたしに手を伸べました。

 その目は、真っ直ぐにわたしを見ていました。

 まなざしはいつもと少し違うようです。まるでわたしの事を、強く、特別に思ってくれているようでした。

 いいえ。

 想ってくれているのが分かりました。

 言葉なしで心が通うのに、何の魔法もいりませんでした。

 おずおずと、わたしの方からも手を伸べます。


「仕方ないですね。仕方なくですからね」


 誰へともなく言い訳をして、そっと手のひらを重ねます。

 ──そうして。

 わたしは彼をつかまえて、彼につかまえられたのでした。

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