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哀と悲

雪乃ゆきの、彼女は言った。

『人間だとよかった』と。

目に、溢れんばかりの涙を浮かべて。

彼女は妖怪、そうとは知らずに、人間として育った。


「待って!行かないでくれっ、なぜ、なぜなんだ!?」

雪乃は、追いすがる自分に『さよなら』と一言、そう言って身を翻した。

冷たい風に遮られて、腕で顔を庇ってやり過ごす。

顔を上げると、そこから、彼女の姿はなくなっていた。

ただ、涼風だけが、そよそよと吹きすぎていた。


人気ひとけのない、薄暮れの公園に佇む一人の少女。

雪乃だ。

「雪乃…これで、よかったのか?」

雪乃の足元に座っている、犬に似た白い獣が、男の声で少女に訊いた。

「一緒にいてはいけないの…あたしは、あの人を死なせてしまう」

雪乃、と呼ばれた少女は、公園のベンチに腰掛け、両手で顔を覆って言った。

「雪乃、お前は優しいな」

白い獣が、雪乃を慰めるように、すりすりと頬寄せる。

きょう…おいで、お前はいい子ね」

雪乃は、皎と呼んだ獣を抱きあげて、そっと呟いた。


雪乃は、自分が妖怪であることを知らずに育ち、人間として生きてきた。

初めは人と変わらず、養い親の女性と暮らしていた。

しかし、10年もしないうちに、養い親は亡くなってしまった。

それは‐‐―‐長い年月が過ぎていたのだ。

雪乃の10年は、人間の世界でいう、100年に相当するものだったのだから。

『おかしい』と思った。

年はとるのに、若い姿のまま、まったく姿が変わらない我が身。

そうして、ついに、雪乃に『迎え』が来た。

それは、ある日‐―‐―‐あまりにも突然に。


 居間で、一人物思っていた雪乃は、かすかな鈴の音を聞いた。

「猫かしら…なにかいる」

出窓を開け、雪乃はなるべく、白い子猫のような獣を脅かさないように近づいていった。

「おいで、猫ちゃん…お腹空いてるかな?」

手を差しだして、撫でようとした瞬間、白い獣は、実に人間くさく、面白そうにニヤリと笑った。

「迎えにきたよ、雪乃」

「ええ!?」

雪乃は、半歩後じさる。

「迎えにきたって、なんの話?でも、どうしてあたしの名前を…猫が喋ってる」

「一気に言われてもなぁ、返事に困るよ。でもまあ、これだけは言える、雪乃…君は妖怪だ、人間じゃない」

獣は、ぐんと伸びをすると、倍の大きさに変化した。

ふっさりとした尻尾を、振りながら言う。

「よーかい?それが、どうしてこんな所に?」

「迷子、だったのさ」

「ねえ、迎えにって、これからどこかへ行くの?」

雪乃は目の前にいる、得体の知れない動物に、おずおずと問いかけてみた。

「どこにも行かないさぁ、君に『チカラ』が備わっているかどうか見に来た。丁度いい頃だったからね。俺はきょう、これからは一緒にここで暮らすのさ」

「なにを、するの?」

「そうだな、そこら辺にいる雑鬼オニでも使って遊ぶか」

言った途端、いつからそこにいたのかも分からない雑鬼たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

雑鬼というのは、グロテスクな虫類に似ている。

しかし、それでも命を奪うのは躊躇われた。

「こ、殺すの?イヤよ、そんなの、可哀相よ」

「まあ、仕方ないと思ってね」

皎は、雑鬼の尻尾をつまんで、くるくると弄んだ。

抓まれた雑鬼が、キイ、と泣きわめく。

「イヤ、イヤよ…殺すなんて!」

「そう言わずにさ…ほら!」

そう言うと、皎は雪乃の手を素早くひっかいた。

「痛い!なにするのよっ、えっ、ええ?なにこれ!」

雪乃の姿は、皎と同じ白い獣に変わっていたのだ。

「なに、どういうこと?!」

「雪乃の本性さ、俺たちは白狐キツネだ」

うろたえる雪乃に、皎は嬉しそうに言った。

「イヤよ!元に戻してっ」

「そうはいかない、『あれ』を捕まえたいだろ?きっとそう思っているはずだ」

狐になった雪乃の体は、低く構え始め、皎の放した雑鬼に、狙いを定めている。

「やだっ、か、体が勝手にっ、いやあぁ‐‐―‐―‐‐!」

悲鳴と、鮮血が、空間を鋭く切り裂いた。


あの頃は本当に、まだ何も知らなかった。


 「雪乃、もう平気か?変な顔してたぞ?」

皎が、心配そうに擦り寄ってくる。

「大丈夫、帰ろうか…」

「そーだな、ホントに平気か?」

「もう、いいの、なにも…言わないで」

二人は、家路を辿り始める。

黄昏たそがれの道を行く二人に、影はない。


玄関先で、雪乃の足が止まる。

階段下に佇む影が、ゆらりと動き、雪乃を呼んだからだった。

「雪乃…」

「ゆ、裕一さ、ん…帰って、お願い、もう会わないって」

「お前が人間じゃないから?俺は、それでもいいと、言っただろ?」

苦しげに喘ぎながら、搾りだすように彼は言う。

違う、違う!

自分が言いたいのは、そんな事じゃないのに…。

あたしから、離れて、近寄らないで。

あたしは…。

「あなたを…死なせてしまうっ」

雪乃の目からは、ポロポロと、大粒の涙が落ちていく。

「お前がしなくても、いずれ死んでいく…だからっ」

「だめよ!生きる時間が違いすぎるのよっ」

「それでもいいっ!ぐっ、げほっ、げほ」

裕一は、ひどく咳き込む。

口を押さえた掌には、べっとりと血糊がついていた。

「なんで…こんな無茶を!病院に戻りましょっ?」

雪乃は、慌ててよろけた裕一を支える。

「い、やだ…せいぜい、持って2年だ。好きにさせてくれ…」

そう言って、また咳き込み。

ついに裕一は、意識を手放した。

「裕一さん…裕一さんっ、しっかりして!ううっ…お、重いっ」

雪乃は、必死に裕一を背負おうとしてもがく。

華奢な雪乃に、大柄な裕一が背負えるはずもなく、雪乃は血が滲むほど、唇をかみしめた。

「ったく、しょうがねぇな…人間ってのは」

傍で見ていた皎は、くるりと宙返りをして、男の姿に変化し、裕一を抱え上げた。

「皎…!行ってくれるのね?お願い、病院に急いでっ」


彼は、重病で大学を休学していて、やっと復学した矢先のことだった。


 「まだ落ちついてないから、長話はダメよ?」

点滴を調整していた看護婦が、気遣わしげに雪乃に目配せして、病室を出て行く。

「はい」

「…雪乃?来て、くれたのか」

目を閉じたまま、裕一は、傍にいる雪乃に手を伸ばした。

「ええ、早く…少しでもよくなって」

雪乃は、伸ばされた手を強く、しかしやんわりと握りしめた。

「心配、してくれるんだな…雪乃」

「当たり前よ」

憤慨した雪乃の声にしばらく間をおいて、裕一はゆっくりと目を開く。

「傍に、いてくれないか…頼むよ」

裕一は、表情を和らげて、雪乃の手をそっと包みながら言った。

「あたしはどこにも行かない、あなたの傍にいる」

「…ありがとな」

大きく見開かれた裕一の瞳から、幾筋も、涙が伝いおちていった。

「そろそろ行くわね、3時半で面会は終わりだから…」

「ああ」

雪乃は、静かに病室のドアを閉めた。


あたしには分かった。

2年どころか、彼が半年も生きられない、ということが…。

「雪乃…本当に、優しいな」

影の中から、するりと現れた人型の皎が、気遣う様に、雪乃の頭を撫でた。

「皎…人って、可哀相ね」


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