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005.月光絹の里

 グスタフがハウンドの群れに槍を投げ放つと、森の方から小さな笛の音が風に乗った。


 それを合図にハウンドの一匹が身を翻し、残りの三匹もそれに続いた。

 唸り声ひとつ上げず、互いの進路を妨げることもなく、流れるような撤退。


 それは野生動物の逃走ではなく、高度に訓練された部隊の転進だった。


「……お怪我はありませんか!」


 グスタフが声をかけると、御者台の男は一言も喋らずゆっくりと頷く。

 腰が抜けたのか座り込んでいた。

 もう一人の身なりの良い男は震える手で馬をなだめていた。


「いやはや、助かりました……。私はモルガン商会の長、モルガンと申します」


 モルガン商会。

 リリアーナはその名に聞き覚えがあった。


 一部の好事家が愛してやまない、月明かりのような光沢を放つ織物――月光絹(ムーンシルク)

 この地方特産のそれを専門に扱う、実直な中堅商会だ。


「積荷の被害状況は?」

「ご覧の通りです。……今月に入って、これで二度目だ」


 リリアーナが馬車に近づき荷台を覗き込むと、砕けた横長の木箱が散乱していた。


「今日の積荷、まさか月光絹(ムーンシルク)ではないですよね?」

「そのまさかです。今年はもう在庫もなく……」

「……それは災難でしたね。お気持ち、お察しします」


 リリアーナは同情的な言葉を選びながら、淡々と散乱した木箱の破片を拾い上げては顔に近づけた。

 鼻をかすめるのは、木の香りと微かな獣臭。


 (……何か事情がありそうね)


 馬や人には目もくれず、一直線に積荷だけを狙った躊躇いのなさ。

 まるで、中身が何であるかを知っていたかのような壊し方だ。


「なあ、リリ姉。人にも馬にも怪我なかったんだし、良かったじゃん」


 空気を読まないポッケの声。

 選定の剣を肩に担ぎあっけらかんと言い放つ。


「こら。大切な商品がダメになった方を目の前にして、そういうことを言わないの」

「いえ……そちらの少年の言うとおり、命があってよかった。本当にありがとうございます」


 モルガンは深々と頭を下げる。

 その姿は自らの損害よりも命の無事を喜ぶ、人格者そのものに見えた。

 だが、彼の背後でポッケがリリアーナに向かって選定の剣を指差している。


 『人助け! 飯!』と、口をパクパクさせて必死に訴えていた。

 リリアーナは小さく溜息をつき、苦笑いを添えて頷く。


「モルガンさん。まだ近くに群れがいるかもしれません。お近くまで私達の馬車で護衛します」

「なんと、助けていただいた上にそこまで……。では、せめてものお礼に里の食事を振る舞わせてください」


 ちょうどアントンが操る装甲馬車が近づいてきた。

 荒野にそぐわぬ黒鉄の巨躯。

 だが、その走りは滑るように滑らかだ。

 モルガンはその威容を見て目を丸くする。


「こ、これは……見事な装甲馬車ですな。これほどの物は初めて見ました」

「ええ。自慢の馬車です」


 リリアーナは誇らしげに微笑む。

 グスタフは再度の襲撃を警戒し、護衛のためにモルガンの馬車に同乗すると申し出た。


「それでは、我々の里へご案内します」


 モルガン商会の馬車を先導役に、一行は森の道を進む。

 窓越しにグスタフを眺めていたポッケが独り言のように呟いた。


「……リリ姉」

「どうしたの?」

「騎士ってすげえんだな。おっさんがあんなに強いとは思わなかった」

「そうよ。腐っても騎士団長なんだから、もう少し敬ってあげなさい」

「でもさ、不思議なんだよな」


 ポッケは窓に映る自分の顔を見つめながら首を傾げる。


 「なんで騎士団みんなで、魔王を倒しに行かねえんだ? おっさんみたいに強いのが何人もいるなら魔王なんて楽勝だろ?」


 その問いに、琥珀色の液体を口元へ運んでいたリリアーナの手が空中でピタリと止まる。

 立ち上る湯気の向こうで、彼女はわずかに目を細め――やがて、音もなくカップをソーサーに戻した。


 操舵席のアントンも、ちらりとポッケを見やる。


 単純だが核心を突いたポッケの問いに驚く二人。


「……良い所に気づくわね、ポッケ。貴方は魔大陸についてどこまで知っているの?」

「え? 魔王がいる場所だろ? 空気が悪いとかなんとか」


 少しムッとしたように答えるポッケに、リリアーナは説明を続けた。


「その空気こそが問題なの。魔大陸に充満する大気は、人間にとって猛毒……私達はそれを『瘴気』と呼んでいるわ」

「瘴気? 吸ったら死ぬのか?」

「いいえ、もっと質が悪いわ。死ぬのではなく、狂うの」


 リリアーナの声のトーンが、一段低くなる。


「かつて、初代勇者が大規模な軍勢を率いて魔大陸へ侵攻した。けれど、彼らは魔王と戦う前に壊滅した。……何が起きたと思う?」

「え……?」

「異常な乾きと飢え。そして幻覚よ。記録によれば、正気を失った騎士たちは、隣にいる戦友を魔物だと錯覚し……互いに喰らい合ったそうよ」


 リリアーナの淡々とした説明が、かえって想像力を刺激する。

 ポッケは「まじかよ……」と顔をしかめた。


「信じられないような話だけれど、これは確かな事実よ。……なぜなら、軍が崩壊していく中、死を悟った初代勇者はその惨状と対策を手記として残したの。地獄の中で、最後の瞬間まで『勇者』であり続けたのよ」


 リリアーナは敬意を込めて語る。


「選定の剣には瘴気を浄化する作用があること。そして、人々の信じる心が剣の輝きになること。瘴気さえ浄化するほどにね」

「この剣で浄化できんの?」

「ええ。剣が放つ輝きだけが周囲の瘴気を浄化し、人が息のできる領域を作れる。ただ、剣の加護が届く範囲は大軍を覆い尽くせるほどではない。騎士団による侵攻が不可能な理由がここね」


 初代勇者は魔王に辿り着けなかった。

 だが、「次に繋げ」という言葉と共に託された兵士が、勇者の手記と選定の剣という希望を国へ届けた。


 その偉大な功績があったからこそ、リリアーナ達は戦い方を知ることができている。

 未来へ続く希望だけは守り抜いたのだ。


 ポッケは膝の上に置いた剣を見下ろした。

 輝きを失った鉄の塊。

 これが、地獄のような場所での唯一の生命線。


「じゃあ、この剣って……初代の勇者様が持ってたのと同じ剣なのか?」

「そうよ。二代目と三代目の勇者が亡くなった際にも、剣はどういうわけか王都近くの川や湖に流れ着いた……」


 リリアーナは少し憂いを帯びた目で剣を見つめた。

 問題は、今のその剣にかつてのような浄化の力があるかどうかだ。

 

「……幸いと言いますか」


 重い空気を破るように操舵席に座ったアントンが話す。


「近年の研究では、我々人間が住む大陸の清浄な空気も、魔族にとって猛毒になることが判明しております」

「じゃあ、あっちも大軍で攻め込んでこないってこと?」

「そういうことになりますな」


 均衡は保たれているはずだった。


「……そうね」


 リリアーナは窓の外、鬱蒼と茂る森へと視線を戻した。


「魔大陸から遠く離れたこんな場所で、ハウンドのような魔物が群れを成しているなんて……」


 それは見えない侵食がこの大陸の中枢にまで及びつつあることを意味していた。


(……里でゆっくり人助けなんてできそうにないわね)


 リリアーナは手元の地図に記された目的地『商業都市リューン』を指でなぞる。

  

 森を抜けると、視界が一気に開けた。

 そこに広がっていた光景にリリアーナは思わず目を細めた。


 森からの風は心地よく、空気は澄んでいる。

 モルガン商会が管理するその里は、奇妙なほど静かで清潔だった。


 道は隅々まで掃き清められ、家々の壁は真新しく修繕されている。

 村人たちの衣服こそ質素だが、その表情は明るく肌艶も良い。

 貧困や荒廃といった、野盗被害に喘ぐ村特有の悲壮感は微塵もなかった。


「……なんだか思ってた里のイメージと一致しないわね」


 リリアーナが違和感を覚えている間に、先導していた馬車の御者は、里に入った瞬間に音もなく姿を消していた。

 おそらく、夕食の手配をしに行ったのだろう。寡黙だが、あまりに慣れた無駄のない動きだ。


「モルガン様! 襲撃されたと聞きましたが、お怪我はありませんでしたか!?」


 農作業をしていた村人たちが駆け寄ってくる。

 その声色は領主に対する追従ではなく、家族を案じるような温かさに満ちていた。


「ご心配をおかけしました。ですが、この方達のおかげで無事ですよ」

「よかったあ……。モルガン様になにかあったら、私達もうどうすればいいか……」

「何を言ってるんですか。まったく、大げさな」


 モルガンは困ったように笑うが、まんざらでもない様子だ。

 そこに嘘偽りのない、長きにわたる強固な信頼関係があることは、誰の目にも明らかだった。


「……素晴らしい信頼関係ですな」


 アントンが、感心したように呟いた。


「さて、私は馬車に戻ります。眠り姫のフィオナ様がお目覚めになったとき、お腹を空かせたままにできません」

「ありがとう、アントンさん。お願いします」


 アントンが装甲馬車へと戻っていくのを見送ると、モルガンが改めてリリアーナたちに向き直った。


「改めまして、皆様。命を救っていただき、本当にありがとうございました」


 彼は深々と頭を下げ、里の中央にある大きな建物を指し示した。


「商会が経営している宿を用意させました。旅の疲れもあるでしょう。粗末なものですが、ぜひ召し上がりください」

「いやったあ! 飯だ!」


 ポッケが飛び跳ねながら歓声を上げる。

 リリアーナも笑顔で頷いたが、その瞳は鋭く里の様子を観察していた。

 温かい歓迎だった。

 

 だが、モルガンにはなにか事情がある。リリアーナの直感がそう告げていた。 


 * * *


 夜も更けた宿屋。

 二階の客室からは雷鳴のような二重奏のいびきが響いてくる。

 満腹になったグスタフとポッケが、同じ部屋で泥のように眠っている音だ。


 そんな平和な騒音を背に、リリアーナは一階の厨房へと降りた。

 そこでは宿の女主人が湯気を立てる鍋と格闘していた。

 バスケットには山盛りのサンドイッチと、温かいスープが用意されている。


「ずいぶんと多いですね。明日の朝食の作り置きですか?」

「いんや。これから工場に届けなきゃなんないのさ」


 女主人は額の汗を拭いながら笑う。


「今は繁忙期だからね。みんな夜なべして働いてるんだよ」

「素晴らしい勤勉さですね。……よければ、見学させていただけません?」


 リリアーナは目を輝かせた。


「好事家がこぞって買い求める最高級品の現場を、一度見ておきたいのです」

「ええ? 今からかい? でも……」


 女主人は困ったように眉を下げた。

 だが、相手は商会長の命の恩人だ。無下にはできなかった。


 リリアーナが案内された製糸工場は、熱気と機械の音に包まれていた。

 数十人の村人たちが真剣な眼差しで繭を茹で、糸を紡いでいる。

 そこには労働させられているような様子はない。あるのは、職人としての静かな誇りだけだ。


「おや? 誰の孫だい?」

「ばか、モルガン様の恩人だってよ」


 ちょこまかと歩くリリアーナを見て、村人たちが破顔する。

 警戒心など微塵もない。

 リリアーナがぺこりとお辞儀をすると、彼らは「これを見てくれ」と言わんばかりに、紡ぎたての糸を差し出してくれた。


「綺麗ですね……。本当に。素晴らしいお仕事です」

「そうだろうそうだろう。この桐箱を作ったのはうちの息子なんだよ」


 リリアーナは純粋に感嘆し、そして工場の最奥へと視線を向けた。

 そこには、他の作業場とは隔離された重厚な扉があった。


「あの部屋は?」

「ああ! あそこは絶対触っちゃダメだよ。恩人を怪我させるわけにはいかないからね」


 リリアーナが近づこうとすると、女主人が慌てて制した。

 扉には強力な結界が張られていた。


「やっぱり……。月光絹(ムーンシルク)ともなると、厳重に保管されているんですね」

「当たり前さ! 村の宝だからね。完璧な温度と湿度管理下じゃなきゃ、あの輝きは維持できないのさ」


 女主人の誇らしげな言葉。

 リリアーナは心の中で頷く。


 本当に強盗に奪われて在庫がないのなら、空っぽの部屋の温湿度管理を徹底する必要などない。

 あの中には間違いなく、出荷を待つばかりの絹が眠っている。


「皆さん、ありがとうございます。……良い仕事を見せていただきました」


 リリアーナは何食わぬ顔で微笑み、工場を後にした。

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