003.装甲馬車の内装
リリアーナは山のような弁当箱を運ぶコックのもとへ小走りで向かった。
置き場を指定し、個数を確認して受取の署名をする。手慣れた事務処理だ。
配るのをグスタフに手伝ってもらおうかと思ったが、彼は何やらアントンと楽しげに話し込んでいる。
「……ま、いいわ。私もアントンさんにご挨拶したいところだけど、まずはお腹すかせた皆が優先ね」
彼女は両手にお弁当箱を抱え、黙々と作業を続けるゴブリン族たちのもとへ歩み寄ると、ひとつずつ丁寧に手渡していった。
「いつもありがとうございます。休憩の際にお召し上がりください」
「おお、こいつはすまねえ、お嬢さん!」
「今後ともよろしくお願いしますね」
「あいよ!」
ゴブリン族はこの世界の銀行や公証役場を担う重要な種族だ。
共通通貨を発行し、契約魔術や遺物の鑑定も彼らの技術なくしては成り立たない。
リリアーナが彼らに敬意を払うのは当然だった。
「メシー! やっとメシだ!」
ポッケは弁当を受け取るなり蓋を開け、中身を確認もせずに口にかき込んだ。
「なんだこれ……うんめぇええぇ!」
わなわなと震えながら「みんなこんなうめえもん毎日食ってんのかよ」と大騒ぎするポッケ。
その微笑ましい光景を眺めながら、リリアーナはグスタフにも弁当を手渡し、自身も昼食をとることにした。
「……ほんとだ。たしかに美味しい」
口に入れた瞬間、濃厚な旨味が広がる。
リリアーナは咀嚼しながら首を傾げた。
(この肉は……なんの肉だろう? 鶏のような弾力だけど、味はもっと野生的……。添え物のキノコも見たことがない)
王宮の最高級料理人たちが何か特別な食材を使ってくれているのだろう。
そう納得していた時だった。
「ん……? なんだか昔食べたことのあるような、ないような……」
隣でグスタフが首を捻っている。
一口食べるごとに彼の脳裏にはかつての過酷な遠征、泥にまみれた野営の記憶がフラッシュバックしていた。
彼は恐る恐る、優雅に微笑む老紳士に視線を向けた。
「あの、アントン殿。こ、これ、もしかして……」
「さすがですな」
アントンは涼しい顔で肯定した。
「お察しの通り。周辺の森に生息する魔物のフェアラットと危険指定された麻痺茸でございます」
「やはり! 以前、食料が尽きた際に仕方なく食べた経験があったのですが……まさか、あれがこんなにも美味しくなるとは!」
驚愕する騎士とは対照的に、リリアーナは穏やかに笑みを深めた。
「ふふっ、よかった」
彼女は毒々しい色のキノコを愛おしそうに見つめる。
「そっか……陛下も、宰相も、ちゃんと考えてくれていたんだ……」
どんな環境でも食料を現地調達し、それを安全に調理できる能力。
それが長期遠征において、なによりも重要であることを彼らはリリアーナと同じレベルで理解していたのだ。
そして何より――魔物の肉ならば、原価はタダ同然である。
「お久しぶりです、アントンさん。それで……」
リリアーナは、アントンの後ろに控える二人の若い料理人を見て尋ねた。
「この旅に同行してくださる方は、どちらなのでしょうか」
すると、アントンはその場にいる全員を見渡し、ゆっくりと言った。
「リリアーナ様」
彼は、己の胸に静かに手を当てた。
「このアントンが、参ります」
「えっ」
「なんと! アントン殿が来てくれるなら、これ以上の贅沢はありませんな!」
「私は世界を旅し、あらゆる料理と食材を知っております。危険な魔物や有毒な植物の調理にも心得がございます」
そして何より、とアントンは続ける。
「この国の、陛下の想いに応えられる料理人は、私以外におりません」
「嘘でしょ……陛下専属の貴方が……」
王国の切り札と呼ばれるフィオナと、陛下自慢の宮廷料理長が揃う。
さすがのリリアーナも、王国の本気度を見誤っていたことに気づき、絶句した。
すぐ後ろで小躍りしながらアントンの参戦を喜ぶ騎士団長のことなど、意識にも入らないほどに。
この国は、今回の魔王討伐ですべてのリソースを出し切るつもりなのだ。
* * *
さらに一週間が経過した。
大規模改修を終えた装甲馬車が、その真の姿を現した。
外見は無骨だが流麗。
しかし、以前とは比べ物にならないほどの魔力のオーラを放っている。
「わあ……」
「すげえ……」
「すごいですね……」
リリアーナ、ポッケ、グスタフの三人は、その完成度に息を呑んだ。
知的な雰囲気のゴブリン族の技師長が、リリアーナに分厚いマニュアルを手渡しながら説明を始める。
「さささっ、どうぞ中へ。 外から見ると、この通りただの大型馬車ですが……」
中に足を踏み入れた三人は、再び驚愕した。
「なっ……広い!?」
外見から想像するより、明らかに内部空間が拡張されているのだ。
「ゴブリン殿、これはどうなっているんだ!?」
「入口の空間座標を内部の基底次元に接続する際、空間そのものを圧縮・最適化しております」
「難しいことはよくわからないけど、人体への影響はないのよね?」
リリアーナの鋭い質問に、横からフィオナが補足した。
「問題ない。私が保証する。安心してくれ」
入ってすぐの場所には広いカウンターテーブルと椅子が並ぶ。
さながら厨房兼食堂のダイニングキッチンだった。
先頭には操舵席があり、厨房の奥に続く通路の両側には合わせて8枚の扉が並んでいる。
「なあ、この扉を開けたらすぐ外じゃないのか?」
ポッケが当然の疑問を口にする。
外見の幅からすれば、廊下の両側に部屋があるなど物理的にあり得ない。
「ぜひ開けてみてください。その先が、リリアーナ様が望まれたこの遺物の真価です」
ポッケが一番近いところにある扉を開けると、そこには簡素だが清潔な寝台のある個室が広がっていた。
「うお、すっげえ! 部屋だ!」
「実際に目にするとこんなに……資料で見ていたよりもすごい……」
リリアーナはその光景に打ち震えていた。
脳の理解が追いつかないが、これこそが彼女の望んだ「快適な旅」の形だ。
「リリアーナ様からの仕様書通り、こちらと同様の大きさの個室を5部屋。あとは風呂とトイレです」
グスタフはトイレの扉を開け、感動のあまり膝をついていた。
「す、水洗式だ……! ゴブリン殿、ここに流したブツは一体どこに行くのです!?」
「全て、我らゴブリン族が管理する中央下水道システムへ、次元転送で直結しております。臭いも残りません」
「なんと……! 野営でのあの屈辱的な穴掘り作業から解放される日が来るとは……! 文明万歳!」
切実すぎる感動に浸る騎士団長をよそに、リリアーナはポッケと共に風呂場へ向かっていた。
ポッケがシャワーの蛇口をひねる。
「うおおお! 水があったけえ! 魔法か!? ゴブリンさんこれ魔法なのか!?」
「はい。風呂場と調理場の水は我々が管理する上水道局より、常に新鮮なものが供給されます」
「まじか! よくわかんねーけどゴブリン族はすげえなあ!」
テンションの上がったポッケはそのまま服を脱いでシャワーを浴び始めてしまった。
リリアーナも、旅先で毎日湯船に浸かれるという王侯貴族並の贅沢に自然と顔がほころぶ。
「以上で7部屋。そして残りひとつは実際に触ってみましょう」
ゴブリン技師長は扉の横にあるダイヤルを回してから扉を開いた。
すると、倉庫だった部屋に繋がる空間が遺物や錬金道具などが詰まった研究室へと切り替わった。
おそらくフィオナが使う部屋だろう。
さらにこのダイヤル部屋は必要に応じて増築することも可能とのこと。
後に仲間が増えるようなことになっても、問題なく対応できる嬉しい設計だった。
「ほんっとに想像以上ね……これ……」
「さてと、次が最後の説明になりますが」
技師長が装甲馬車の屋根に続くハッチを開けると、そこには眩い光を放つ紋様が刻まれた特殊なガラス板が張り巡らされていた。
皆が困惑する中、フィオナが前に出て愛おしそうにガラス板を撫でた。
「私の持つ遺物……『太陽光魔力変換パネル』をゴブリン技術で組み込んでもらった。太陽が出ている場所を移動する限り、燃料は不要だ」
「フィオナ様が国宝級の遺物をご提供くださったので、仮にスッカラカンになっても、晴天が続けば一週間で満タンまで充填できます」
リリアーナは口をあんぐりと開けたまま数秒静止した。
そして、自分の帳簿を慌ててめくり、計算機を弾く。
「そ、それじゃあ……運用費の実に七割を占めていた動力費と維持費が……ほとんど、タダに!?」
カチャリ、と計算機を取り落とす。
感動のあまりその場に崩れ落ちそうになったリリアーナを、フィオナが支えた。
「長い付き合いになるんだ。これくらいはさせてほしい」
「フィオナさん……! この恩は必ず返します!」
リリアーナは感極まってフィオナの手を握りしめた。
最高級の移動要塞を手に入れた一行。
その時、大広間の入り口が静まり返る。
完成した馬車を見に、一人の男が現れたのだ。
国王陛下だった。
* * *
国王陛下は生まれ変わった黒鉄の巨躯を無言で見上げている。
革手袋に包まれた指先が装甲の冷たい表面をなぞる。
まるで、長く会っていなかった友人の顔に触れるかのように、ゆっくりと。愛おしむように。
「……見事だ」
広間の冷たい空気に溶ける声。
「ゴブリン族の技術とフィオナの知識。まさかあの錆びついた鉄塊が、これほどの脈動を取り戻すとはな」
傍らに控えるグスタフの喉が緊張で鳴る音が聞こえた気がした。
無理もない。国の頂点に立つ者がこんな埃っぽい現場で、子供のように目を細めているのだから。
王はふと、その視線をリリアーナに向けた。
「リリアーナよ」
「はい」
「入っても良いか」
予想外の言葉にリリアーナは一瞬、思考を止めた。
だが、その瞳に宿る光を見て彼女は即座に理解した。
これは「再会」なのだと。
「……もちろんです。どうぞ、あるがままをご覧ください」
「うむ。失礼するよ」
王はマントを翻し、タラップを踏みしめて内部へと消えた。
その背中をリリアーナも追う。
内部に入ってすぐに王の足が止まった。
かつての記憶とは違う洗練された空間。
王は椅子に手を置き、目を閉じた。
「…………」
王は無言だった。
ただ、その肩がわずかに震え、深く息を吸い込む。
その横顔は遥か彼方の記憶を見つめているようだった。
王は椅子に深く腰掛けリリアーナを真っ直ぐに見つめた。
その瞳の奥には王としての威厳と、一人の人間としての弱さが同居している。
王が独り言のように漏らす。
「そなたが啖呵を切ったあの日……久方ぶりに夢を見たのだ」
「夢、ですか?」
「うむ。幼き日の私が父上の膝の上で、この窓から広大な世界を眺める夢だ。……目が覚めた時、思った。この国は守りに入りすぎていたのではないか、とな」
王は自嘲気味に口角を上げる。
「城壁の中に閉じこもり、ただ腐っていくのを待つ……。それが今の王国の姿だ」
王はどこか憂いを帯びた瞳で窓の外にいる少年に視線を向けた。
「あの少年、ポッケと言ったか。……宰相から報告は受けている。『女神の祝福』を持つ特異体質だそうだな」
「はい。司祭様曰く、幸運に包まれているとおっしゃっていました」
「ふむ。しかしあれは剣術も知らぬ孤児だ。確かに選定の剣を抜いたそうだが、本当に彼でよかったのか?」
それは純粋な懸念。
リリアーナは迷わず答える。
「彼だからこそ、選びました」
「ほう?」
「目的地に辿り着くまで、あらゆる不確定要素の中で生き残る必要があります」
リリアーナは窓の外で楽しげに木箱の上ではしゃぐポッケを見つめる。
乗っていた木箱が崩れ落ちたが、ポッケは近くにいたゴブリン族達に抱えられていた。
「彼は生き残ります」
「……なるほどな」
王は小さく息を吐き、ポッケから目を逸らした。
その瞳に隠しきれない疲労と深い悲哀の色が浮かぶ。
「これで、四度目か」
「…………」
「これまで三度見送った。皆、優秀で、気高く……そして、誰も帰ってこなかった」
王にとって、命を生贄に捧げる儀式に等しかったのだろう。
「あのような幼い子供まで戦場に送らねばならんとは。……民の言うとおり無能な王だな」
自嘲する王。
「もし、この賭けに敗れ、王国が傾くようなことになればその責めは全てワシが負う。民への申し開きも歴史からの批判も、全て引き受けよう。この首ひとつで済むのであれば安いものよ」
「陛下……」
「後の世で『三度失敗した無能な王』と嘲られてもよい。だがな、こう続けさせてやりたいのだ」
王は一度言葉を切ると、今度はリリアーナの目を見て優しい声色で続けた。
「されど、人を見る目だけは確かであった。だからこそ四度目にして遂に魔王を討ち果たす、史上最も優秀な家臣たちに支えられた幸せな王であった、と」
王は、心の底からの願いを込めて言った。
「……この願い、叶えてくれるか」
王が顔を上げる。リリアーナは直立し、静かな瞳で王を見据えていた。
「陛下」
「ふむ?」
「最後です。今回で終わらせます」
リリアーナは「魔王を必ず倒す」とも「世界を救う」とも言わなかった。
ただ、終わらせると断言した。
その言葉の裏にある底知れない覚悟と勝算。
王は数秒ほどリリアーナを見つめ――やがて、憑き物が落ちたように笑った。
「……ふっ、ふはは! そうか、最後か!」
王は立ち上がり、リリアーナの肩に手を置いた。
「頼んだぞ、リリアーナ」
リリアーナは短く頷く。
王にとって、それだけで十分だった。
◇ ◇ ◇
そして、出発の時。
明け方。王城の裏門が音もなく開かれる。
見送りには数名の騎士のみ。
歓声もファンファーレもない出立だ。
操舵席にはグスタフが座っている。
彼は手綱を握ったまま、石像のように微動だにしない。
ただ、全身の鎧がガシャガシャと小刻みな振動音を立てているだけだ。
「大丈夫ですか、グスタフさん」
リリアーナが声をかけると、彼は正面を向いたまま強張った声で答えた。
「……リリアーナ殿。私が握っているこの革紐は本当にただの手綱なのですか?」
「ええ。ただの手綱です」
「……ならいいのですが、なぜかその、私の本能が警鐘を鳴らしています」
「考えすぎです。ただの馬車だと思ってください。馬はいませんが」
「それが一番怖いのだが」
「仕方ないじゃないですか。フィオナさんが起きてこないのですから」
フィオナは作業終了後すぐに「休ませてくれ」と言ったきり、自室から出てこなかった。
目の隈の酷さから寝ずに作業をしてくれていたのだろう。
操舵席に震える騎士に向かって、厨房の方にいるポッケとアントンから声援が届く。
グスタフは深く息を吐き、覚悟を決めたように両の手を握り直した。
リリアーナは懐から懐中時計を取り出す。
「まもなく日の出です。行きましょう」
「……女神様、どうかご加護を」
グスタフが手綱を振るう。
魔導エンジンが静かに唸りを上げ、巨大な車輪が回転を始めた。
黒鉄の装甲馬車は動き出す。
ここから北へ十日の距離にある商業都市リューンに向けて。
そこには魔王の脅威よりも先に解決すべき人間の「膿」がある。
リリアーナは地図を広げ、その都市の名に静かに印をつけた。




