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001.騎士団長を脅す

 「……それで、グスタフさん?」


 銀の板金鎧に身を包んだ騎士が肩を震わせる。


「はい、リリアーナ殿……」

「申請いただいた王都騎士慰労会の経費ですが、この領収書……」


 机の上の領収書を彼がよく見えるように持ち上げ、有無を言わせぬ響きを込めて口を開いた。


「『■■■コース120分』と書かれているのですが……。私の知らない、なにか新しい訓練でしょうか?」


 口元に淡い笑みを浮かべながら、強烈な皮肉を込めて真っ直ぐな瞳でグスタフを見つめる。

「まさか騎士団長が遊びを経費で落とすわけないですよね?」とでも言うように。


「……そ、その、リリアーナ殿! それは誤解でして、私の個人的な……ッ!」

「個人的な? 日頃から『騎士の誇りにかけて!』とおっしゃっていますが、この『プレイ』は、騎士の誇りを高めるために?」


 さらに踏み込む私の言葉に顔面蒼白どころではない。もはや幽鬼のような表情になった。


「うぐ……っ、そ、それはっ……! い、いえ! これは、その……心の鍛錬で……」

「はあ、心の鍛錬ですか。120分も。どれほど効果があったか騎士団の皆に聞いてみるとしましょう」

「ひぃいッ! ど、どどど、どうかお許しを……!」


 椅子から立ち上がった私に縋る姿を見ると、なんだか少し可哀想になってきた。

 でも、私の野望には貴方の力が必要なんです。


 「こ、このグスタフ、いかなる願いも……、臣下の如く従います……」


 もはや蚊の鳴くような弱々しい声。

 私はその様子を一瞥すると、表情をふっと緩ませて領収書を鞄に収める。


「ご協力感謝します。間違って申請された領収書については私が処分しておきましょう」

「は、はい……」


 彼は返事をする気力も失せ、力なく頷くばかりだった。


「その代わり、明日の魔王討伐会議で一つ重要な役割をお願いしたいのですが……。って、聞いてますか?」


 私は領収書を鞄からチラっと出してみせた。


「はっ! 我が主の御為とあらば、このグスタフ、我が身命の全てを捧げる所存!」

「我が主はやめて。身命も捧げないで。貴方には明日の会議で……」


 騎士団長の協力を得られた。これでまたひとつ私の筋書き通りになる。

 私は、父が間違いじゃなかったことを証明するためなら手段を選ばない。



 * * *



 私は鏡の前に立ち、震える手で長い髪を後ろでひとつ結びにしながらひとり呟いた。


「あの遺物さえ手に入れば……」

 

 過去三回の魔王討伐の失敗。原因は勇者の実力不足なんかじゃない。

 戦士は空腹では剣を振れないし、不眠不休で奇跡を起こせる聖女なんていない。

 彼らが英雄であり続けるための兵站と、管理能力の致命的な欠如。ただ、それだけ。


 安定した資金、万全の休息と食事、明確な報酬、途切れない物資、適切な欲求の管理。

 これら全てを解決する唯一無二の答えこそ、城の地下に眠るあの遺物に他ならない。


「お父様は絶対に間違ってなどいなかった」


 束ねた髪をあげ、母の形見であるリボンを巻きつける。

 化粧はあえて薄く。眉は頼りなげに。

 あの老獪な重臣たちが侮る『小娘』を作り上げる。


 「大丈夫。私ならやれる」


 今日の会議は、あの頑固な重臣たちとの戦いに他ならない。

 彼らにまず「ありえない要求」を突きつけ、反発させ、侮らせる。

 陛下や宰相が理性的であろうとしても、必ず誰かが感情的になる。

 彼らが私を「愚かな小娘」だと見下し、油断した瞬間。



「――私の勝ちだ」



 強く握った手は、もう震えてなどいなかった。



 * * *



 王宮会議室。

 

 リリアーナが淡々と過去三回の失敗分析を終えると、重臣たちの間には「確かにその通りだが……」という重苦しい納得感が漂っている。

 その空気を切り裂いたのは、彼女が次に提示した『第四期魔王討伐計画』だった。


 描かれていたのは城壁のごとき装甲を持ち、内部に居住区画、厨房、工房まで備えた『移動要塞の新規製造案』。

 そして、そこに記されたおよそ現実的とは呼べない数字が並んだ予算。


「ふざけるなッ!!」


  怒りで顔を真っ赤にした財務大臣が唇を震わせて叫んだ。


「国家予算の三年分!? 正気か貴様!」

「移動要塞の装甲にミスリル銀を使うなど、国中の鉱山を掘り尽くしても足りんわ!」


 その怒号を聞くやいなや、数字に疎い将軍も鼻で笑う。


 「過去の失敗を分析したのは結構だが、その答えが『金で殴れ』とは。狂気の沙汰だな」


 手に握りしめた紙を「バサッ」と乾いた音を立てて机に放った。

 まるでこれ以上触れたくもないとでも言うように。


 「これほどの巨体でどの道を通るのだ!? 机上の空論にもほどがある!」

 「魔王城にたどり着く前までもなく鉄屑になるわい!」


 非難の嵐。

 重臣たちの怒号が彼女の非現実的な要求を容赦なく打ち据えた。


 リリアーナは冷ややかに重臣たちの罵声を見守っている。

 その瞳の奥で、好機が熟す、その瞬間だけを狙って。


 口元にかすかな笑みを刻み。




 ――――勝利を確信した。




(……今です)



 彼女はあえて隅に控える騎士団長グスタフに、すっと視線を送った。

 その視線を受けグスタフの背筋が鋼のように強張る。

 彼はリリアーナに一度だけ短く頷くと、一歩前に出た。


「ここはお遊戯の場ではないのだぞ! リリアーナ殿!」


 騎士団長の腹の底から絞り出されたような声が、空気をビリビリと震わせた。

 まるで床を揺らすかのように槍の柄を地面に突き立て、リリアーナを指差す。


 「あなたの要求は理想論に過ぎん!『移動式要塞』だと? そのような夢物語……」


 待ってましたとばかりに「そうだ! 寝言は寝て言え!」と膝を打つ財務大臣。

 グスタフは構わず、さらに声を張り上げる。


「まるで、先代陛下がゴブリン族から賜ったという御伽話の遺物、『黒鉄色の装甲馬車』でも使えというようなものだ!」


 将軍も「そんなものが実在してたまるか!」と、机を叩いて笑い飛ばす。

 会議の間は「現実を見ろ、小娘」という嘲笑の嵐に包まれ、その空気はリリアーナを完全に圧していた。


 その耳をつんざくような嘲笑は、


「…………グスタフよ」


 たった一言。


 低く、静かだが、全ての音を圧し潰す声によって一瞬で止む。

 声の主は、国王だった。


「それは御伽話ではない」


「……へ?」


 グスタフ本人を含む、その場にいた重臣たちの間の抜けた声が漏れた。

 国王はその言葉を遮るように静かに続ける。


「確かに、ある。王城の地下、忘れられた『第二宝物庫』に。先代がゴブリン族から和平の証として賜った、"それ"がな」


 将軍と財務大臣は信じられないもの聞いたというように、言葉を失ったまま国王とリリアーナを交互に見つめている。

 

「……ワシが幼き頃、一度だけ乗せてもらったきりだ。王都から出向くこともなくなり、今の世代の者たちは見たことがないのも無理はない。金庫番の娘よ、そなたは知っておったのだろう」

「ご明察、痛み入ります陛下」


 リリアーナは先ほどの『新規製造案』をゆっくりと丸めると、鞄から古びた羊皮紙『王家資産台帳』を取り出した。


 「皆様にはまず現実的な問題点を認識していただくため、新規製造に伴う莫大な予算を提示致しました」


 凛としたリリアーナの声が響く。


 「私が要求いたしますのは、王家の地下で埃をかぶっている和平の証『黒鉄色の装甲馬車』の運用権限。そして……」


 誰もが息を詰めてリリアーナの次の言葉を待つ。


 「あの遺物を魔王討伐の移動拠点として完璧に機能させるための、修繕改築費を含めた今後の運用費でございます」


 リリアーナがそう言って差し出した二枚目の予算要求書。

 その金額は依然として莫大ではあったが、先ほどの狂気的な製造予算に比べれば、明らかに現実的な数字だった。


 財務大臣と将軍は恐る恐るその数字を覗き込み、顔を見合わせた。


「……おお、これなら……可能、な範囲、か?」


 将軍は隣の財務大臣の顔色を不安げに伺うばかりだ。

 

「うってかわって現実的な……いや、それでも相当な額だが、さっきの無謀な計画に比べれば!」

「既にあるとされている地下の遺物を修繕し、運用するだけならば、確かに……」


 リリアーナが引いた土俵の上でしか思考できなくなっている重臣たちは気づかない。

 「新規製造の是非」から、「遺物運用の是非」という議論の土台へと鮮やかにすり替えられていることに。


 大臣たちがゴクリと唾を飲み込み、リリアーナの顔と二枚目の予算書を交互に見る。

 誰もが固唾を飲んで見守る中、リリアーナは決定的な一言を付け加えた。


「ご懸念には及びません。魔王討伐の成功はもちろん、その道程で確保すべき諸々の権益……それら全てを含め、今回の投資額とは比較にならぬほどの国益がもたらされます。それもまた、このリリアーナの計画の内とご承知おきください」


 その言葉が、最後の決め手となった。

 国王は重い責務から解放されたかのように大きく息をつくと、はっきりと宣言した。


 「…………わかった。認めよう。だが、ひとつ条件がある」


 王がわずかに顎をしゃくる。

 意図を汲んだ宰相が、懐から王家の紋章が刻まれた銀の首飾りを取り出し、リリアーナの前へと歩み寄った。


「王家の威光だ。必要に応じて使え」


 宰相はリリアーナの手を取り、その掌に冷たい金属を押し付けるように握らせた。

 まるで、その重みこそが権力の代償だと教えるかのように。


「……ただの通行手形、というわけではなさそうですね」


 リリアーナの言葉に、王は再び言葉を紡いだ。


「魔王軍との戦いが長引くにつれ、地方の規律が乱れ、私腹を肥やす者が横行しておるのは知っておるな」

「はい、存じております」

「道中にある街を監査し、王国の膿を出し切って進め。もはやこの国の病には生半可な良薬など効かぬ。そなたという劇薬を国中にばら撒いてこい」


 リリアーナは首飾りを胸に当て、恭しく一礼する。


「お任せください。陛下が期待される以上の成果をご覧に入れてみせましょう」


 リリアーナは踵を返し、迷いのない足取りで歩き出す。

 カツン、カツンと。硬質な靴音が響き渡る。


 少女の背中は小さく、華奢だ。

 だが、傍らに控える騎士団長グスタフの目にはその姿が頼もしく映っていた。

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