フラワーガーデン(7)
事件
ぬくもりと滲む汗。それで衣裳の裏地が肌にへばりつく。呼吸をくり返すたびに、貼りついた衣裳が波打つ。汗に溶けたファンデーションが前髪を重たくして、静香のおでこにへばりつく。ステージにあがってみると、身体が大衆の前に、そして宙へ放りだされたようで頭まっ白に浮足だった。そのまま、浮揚してどこか遠くへ、現実とは異なる場所へ飛んで行きそうだった。すべてが終わったとき、震える足はやっと地についた。いままで、住んでいた世界とは違った地上に舞いおりたようだった。アンプの残響が消えて、体育館の天井に吸い込まれていったとき、一瞬、静寂に包まれた。湧き上がる拍手と歓声が、嵐のように彼女たちの身体を包み込んだ。
「たけなわですが、最後のバンドにいきます」
司会が告げたとき、大ブーイングが起こった。ちょうど、武道場のダンス部公演も終わった観客たちもが流れてきた。興奮した聴衆はくどいほど叫んだ。
「乃愛出せ」
「静香!」
「アンコール!」
静香と乃愛、萌映の3人は、なにも言葉を交わさずに抱き合った。汗で濡れた肩と肩がぶつかり、胸の奥から抑えようのないものが込みあげる。乃愛は「ありがとう」としか言葉にできず、泣き出す。スマホストラップの十字架をずっと握りしめている。
「宗教かよ」って笑う静香にも、感情の波が連鎖し、頬にも涙が伝い落ちる。顔はくしゃくしゃで鼻も赤く、でも、笑っている。ステージ照明が、彼女たちの姿を真っ白に浮かび上がらせる。あまりに眩しくて、観る側も観られる側も眼が焼ける。その光の中で彼女たちは儚く、光の中に溶けた。舞台袖から歓声の陰で、男の言い争う声が聞こえた。気持ちが昂っていた静香さえも我にかえった。権藤先輩の叫びだった。
「やめとけ」
彼は、森シンの無断ライブを止めに来たらしい。森シンは金髪だった。しかも、パーマまでしている。
「静香が温めてくれたけん、最後、俺がぶちかます」森シン先輩は、高飛車だった。
「やめろ」
ゴンさんは説得している。そんな彼も、なぜか女装していた。化粧が変に巧みでファンデーションにアイライン、口紅も決まっている。さっきはお化け屋敷の暗闇で見えなかった。変な格好なのに本人は妙に真剣で、それが可笑しかった。森シン先輩も笑っている。ゴンさんが怒鳴った。
「鼻血出てんじゃん」森シン先輩は笑っていた。「静香に興奮した?」
「お化け屋敷の仕掛けでケガした」
「ウケる」森シンは、軽口を叩いた。
「さっさとやめろよ。マジで退学やけん。ゲンジといっしょやん。なんで、意地を張るん?」ゴンさんは真面目に怒っている。
「そうやね」森シンは朗らかに笑った。権藤の怒りは、最高潮に達した。
「笑ってる場合やないやろ!」
「実は、俺、今月付で退学するっちゃん————」突然の告白だった。森シンは、唾を飲んで唇をきっと結んだ。
「—————」
「やけん、最後は華々しく」
ステージのアナウンスが轟いた。
『ラストは『デステニーランド』です!つまらなかった学校生活。なじめなかった校風。わかり合えなかった教師。青春の怒りをエアロスミスで昇華させます。今月かぎりで自主退学。3年10組 森田真弘!』
森シンがおどり出た。ソロギターは早瀬のようでそれに繊細だった。彼は叫んだ。さっきまで、この直前までの彼とはまるで別人だった。
「デステニーランドです。極東生としての最後である今日、暴走をやらかしたいのでみなさん、一曲つきあってください! エアロスミスの『ドリームオン』」
古い選曲。だけど、悪くない選曲。伴奏がまじわり、はじめは騒音でしかなかった。半狂乱な叫び。だけど、重層な旋律にまとまっている。潮の満ちひきのように、高い技巧によって軽妙に、人々の歓心が押しだされたり、呼び戻されたりする。50年前のこの曲も歌手も知らないZ世代なのに、今年のレコード大賞のように、観客は異口同音に叫んだ。静香のバンドは、前座にすぎなくなった。
「ドリームオン! ドリームオン!」
体育館が沸いたとき、突然停電がおこった。体育館の窓に夕日の残光が、かつてのスタジオ照明の名残りとして差しこむ。音も消えた。小粋な演出かと思った。薄明りと薄闇が交錯し、観客の息づかいが聞こえる。
「中止」
生徒指導の三好が、舞台袖から現れた。いつも赤らんだ鼻頭は血の逆流で、皮下細胞が血に満たされたように紅潮している。その目は怒りに燃え、静けさの中に、存在感があった。
「中止」
教頭は、舞台にゆっくりと歩み寄って、静かながら重みのある声で改めて宣告した。
「何をしとうとや!」森シンはつっかかった。
「許可していない」三好は充血した眼球をむきだしにさせた。
「ざけんな!」森シンの金髪は毛先まで、電流がほとばしったように逆立った。重厚なステージの深くて赤い幕がゆっくり降りはじめる。
「ライブは中止です。来場の皆さんには、退場をお願いします」
教頭の呼びかけにブーイングに沸いた。静香は震えた。舞台裏にいる自分こそ、いりみだれた劇を観せられている。
「この服、なんなの?」
静香の背後で、ヒステリックな声がした。静香たちの担任のミゾヱ先生だ。年増の国語教師のつりあがったフレーム眼鏡は、ミゾヱの血眼さえもつりあげる。「登場人物の心情を読め」が口癖のベテラン教師。
「あんたたち制服じゃないの! なんなのその格好!」
ミゾヱは静香たちが、提出されたバンド公演企画書をするどい爪で突いていた。ステージ上では三好が、3億円事件を犯してしまったかのように憤慨する。
「自分のやっとうことがわかっとうとや? 」
「ギターを置け」
森シンは拒んだ。まるで、武器を置くことが降伏であり、それを拒む兵隊みたいだった。
「早く、おけ!」
森シンは、エレクトリックギターをステージに叩きつけた。破裂音がした。みんなの心臓が止まった。電子機器が砕け、鉄の糸が弛んだり、歪んだりして、たくさんの金具がステージの隅っこまで飛び散った。ギターにつながれたアンプが、その歪んだ衝撃音を電子的に増幅させて、金属を裂けたような不協和音が、体育館じゅうに炸裂した。
「やってられっか!」
愛用ギターのネックは2つにへし折られた。6本の弦は切れたり、折れ曲がったり、放物線を描いて飛び出したりする。森シンは自暴自棄になって、エレキギターの胴体も蹴りつけようとした。教師たち5、6人で暴れる森シンを押さえつけた。彼は、死期にあらがう家畜のように暴れ、唾を吐いた。
「別のとこに行きましょう」ミゾヱは畳みかける。
「暴れんな!」
「離せ!」
森シンは乱れた前髪のすき間から、敵意をにじませた上目づかいで、大人たちをにらみつける。
「いっしょに床屋に行こう。学校で整えないかんけん」
森シンの担任が、うわべだけの優しさを繕って、語りかけた。森シンを落ち着かせることはなかった。野獣の断絶魔を、最後に森シンはステージ舞台袖に連行された。
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無心になってミサンガを編んだ。単純作業はすればするほど、すさんだ気持ちが穏やかになる。白、赤、オレンジ、緑の4色。それぞれ、健康、勝利、希望、癒しという意味。4つの願いをこめた、欲ばりかなって思ってしまう。静香のクラスは、ミサンガをやっていたけど、ライブを言い訳にずっと、クラス企画をすっぽかしていた。いまさら、糸と糸を編んでいる。永遠にやれると思った。どこかの織物職人の弟子になろうかなって思った。
さっきのステージで味わった拍手喝采がまるで、嘘か幻みたいだった。その舞台から、奈落へ引きずり下ろされた気分。いまいる部室は、音も光も抜け落ちた空間。萌映はくしゃくしゃになったアルミホイルにくるんだ焼鳥をくれた。
「アキトさんも観とったよ」
「そうなん?」
3本すべて平らげた。皮はこげて苦く、舌の上でざらつく。中身は冷たく生焼けだった。濃いタレだけ美味しい。タレの旨みだけで、静香のむしゃくしゃした気持ちはほどけていく。本番へのプレッシャーでなにも喉を通らなくて、気づけば昼食抜きだった。
「ライブの動画送ったら、猛さんから返信があった。『すげー』って! うちらのライブで元気もらった人もいるけん」
「そうなん」
事故の知らせを聞いたあの夏。沈むような重さを思い出す。一時期、音楽を自粛しようとさえ思った。だけど、猛は「観たい」とまっすぐ言った。『誰に対しての自粛なん』って、逆に問われた。その返事に窮屈になって「そうやね」とだけ、ポツリ呟いた。
「元気だしいよ。うち、これから部活行くけん」
萌映は、軽音部の部室にふわりと、微笑みを置いていった。静香は、微かな、だけど温かみのある光の刺激を受けた。瞑った瞼の裏の視覚体験のように、残像はいつまでも残った。その笑顔の残像と、窓の外で、小さくなっていく萌映の背中を重ねて、目を細めた。見送るこっちの心に火が灯った。思わず、呟いてしまった。
「たくましいね」
過ぎ去っていくラグビー部のウィンドブレーカの衣擦れ音。風を磨くようにキビキビしていて、心地よかった。
部室の窓から一まつの風がきた。風上のほうを眺めた。第一グラウンド。ラグビー部が、スクラムをくり返していた。1ヶ月前まで、猛はスクラムのなかで挟まれた太い首をもたげたり、摩擦で赤くなった首の皮を撫で、ふたたびスクラムを組んだりしていた。そこには、もう猛はいない。アキトは、ラグビーボールを小脇に抱え、風をまとって疾走していた。また、風がやってきた。髪が揺れた。静香は、立ち上がった。
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ラグビー部の練習は15分ごとに区切られていた。6フェーズ、それをくり返す。区切られて、はりつめた練習は、2時間もかからない。15分のウォーミングアップとシャトルラン。15分の1対1のアタックディフェンス。そこから、1対2、3対4、6対6へ拡張。15分間のまわりこんでラインを超え、タックルバックへのヒット。ダイヤモンドの陣形でパスしながらのヒット。さらに、サポーターがオーバーに入って、つぎへつなげるトレーニング。紐につながれた銀色のホイッスル。その紐を手のひらに、巻きつけたり、解いたり、弄びながら、人工芝で屹立する虎衛門先生の檄がとんだ。
『最初の15分で決まるぞ。苦しい試合か、いい試合か』
『ヒットは深い位置から。乗りこえる気持ちで、ラインを越えろ』
『役割のない人間はラックからすぐ離れろ』
『とにかく、声。自分が何をするのか、常にまわりに伝えろ』
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「どうしたん?」萌映が薄い舌先をひけらかし、意外そうな顔をする。
「前向きになりたいなって思って」
宙でピアノ弾くそぶりをする。その手をピアノの鍵盤にそえたら、モーツアルトでも流れるんだろうか。
「祐太ね、丸刈りやろ」
「うん」
「キャプテンとおなじ髪型にしている。猛ひとりが手術で、丸坊主になるのは心もとないって」
佑太はボールを持って、青いタックルバックにぶつかる。タックルバックはせんべいのようにぺしゃんこになった。タックルバックと佑太に挟まれたラグビーボール。フォワードがそれに食らいつき、マイボールは人から人へ渡って、スクラムハーフに託された。そのまま、つぎのフェーズへ展開される。フェーズが重なるほど、アタックのスタミナはなくなり、相手ボールのペナルティを取られやすくなる。虎衛門は叫んだ。
『フェーズは3回。意識しろ』
さっきまで、すぐに調子に乗るような、こすっからくて、うるさい佑太は、どこにもいなかった。目の形が鋭くなった。それに、目の色も変わった。モテる理由がわかる。
「祐太、凛々しくなったけん。いまなら、乃愛に推せる」 萌咲が推している。静香はぷっと吹いた。
「まあね」
「なんか、アキトさん、お化け屋敷でキレたらしいやん」
「べつに」
「ごまかさんでいいけん。ぜんぶ、お見通しやけん。なんて言われたん?」
「気安く泣くなって。見舞いも行ったことないくせにって」
「めっちゃ失礼やん」
萌映は、肩を揺らして笑った。逆に、こんな厳粛な場所で、そんな笑っていいの?と危なかしく思えた。陽が傾きはじめている。グランドに立っている人たちの影も、濃く長くなってきた。
「アキトさんも病院で泣いとった」
「そうなん?」
その言葉が、沈みかけた夕日と同じくらい静香の中で沈んだ。グランドに面した部室棟の前に、最新のトレーニングバイクが整然と並んでいる。今年春から導入された艶やか黒いメカニックは、細長いオレンジ色の光を帯びて異彩を放つ。ギアをかけて重たく回転するペダルに、選手たちは全力で漕ぐ。
「越えろ! 自分の中の白線を越える気持ちで!」
密集戦の狭いスペースでも、加速できる脚の爆発力を鍛え上げるフィジカルトレーニング。額の汗の雫は、顎から滴り落ちて、凄まじい馬力で高速回転する車輪へ吸い込まれ、それは一瞬のうちに粉々に砕ける。ラガーマンたちの表情はどれも、歯を食いしばっていて、こめかみに血管が微かに浮き出るくらい、顔は真っ赤だった。人間の限界と機械の精度が擦れあった車輪のうねり。残り時間と心拍の数値。それだけが存在する現実との格闘。各々の悲壮と迷いを削ぎ落とし、目の前のグランドに対して、心をむき出しにするハードワーク。
「ラスト10秒!」
乃愛のかけ声で、みんなのペダルがいっそう早くなった。共有された地獄のなかで交わされる無言の連帯。心の中の白線を越えた瞬間、選手たちは、トレーニングバイクに乗りながらうなだれ、肩で呼吸した。ハンドルにもたれたり、サドルに跨ったまま、のけぞったり。裾を巻きあげた太い肩から、白い湯気が立ちのぼる。
「キャプテンのリハビリを見て。と言っても、そんな立って歩くようなたいそうなものじゃない。ベッドからカラダを起こすだけのリハビリ—————」
「—————そうなんや」
「自発呼吸で会話ができるようになっても、カラダは動かんっちゃん。自分で起きあがることもできんとよ。いくら、踏んばって、大汗をかいても身体は浮くどころか、ぜんぜん動かん。すぐ、ぐったりする。首から下が動かもん。猛さんの大きな体が、猛さんの重荷になっとう。それでも、『立ち上がらせてください』ってトレーナーに泣きながら、何度も頼むむっちゃん。『俺はキャプテンです。みんなが待ってます。花園までには間に合わせたいんです—————』って。アキトはそれ観て、猛のいないところで泣いてた。そんでね—————今月に入って、医者が猛さんに宣告したっちゃん。もうラグビーができません。これから、車いすに乗るためのリハビリを始めますって」
萌咲の一重の瞳からすみきった涙が滴る。静香は何も言えなかった。卑怯だけど、萌映を抱くしかなかった。グランドの片隅でしみったれた感じになる。
「おい、こら」
アキトが割りこんできた。唇がとんがっている。ラグビーボールを片手に持って、萌映のおでこに、ちょっとだけ小突いた。会話は筒抜けだった。
「お前が泣いてどうすると? お通夜じゃないけん。これから集合やけん、涙拭け」
アキト先輩は、トイレットペーパーを無骨に渡し、ひょいと、うちらに背を向けた。わかっている。アキト先輩も泣いている。萌映がさっき、途切れつつも話してくれたこと。それが、アキトさんの背中に宿っている。ラグビー部は集合した。ここにいるみんな、たぶん泣いている。だけど、眩い夕日を睨みつける勢いで、前を向くしかない。ラグビーをするしかない。彼らの影が、グランドの地面に長く伸び、交差する。影は濃かった。それだけ、彼らの存在も確かだった。彼らの背中はフィルム越しに映る、ある夕日の憧憬のようで、言葉では言い表せない素敵な気持ちになった。
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部室に乃愛がやってきた。なぜか、すっぴんだった。静香はミサンガを編んでいた。
「聞いてよ———ミゾヱに捕まった。ミゾヱ、化粧落としシート常備しとってさ。メイク、根こそぎ落とされたあ。『あなたは若いの。私とちがって、隠すシワもたるみもない』とか言ってさ」乃愛も違う意味で、目を赤くしていた。
「校則、校則って、クソやろ。マジ、法律みたい」
乃愛はラムネ瓶を口にあて、炭酸をあおって、込みあげてくる炭酸の空気をなんとか、お腹の底で堪え、しゃっくりした。酒かよって思った。
「先生はみんな、外面ばっか気にしてさ、生徒の裏とか見とらん。やけん、表には出ん、いじめを見過ごしとう。うちら、めっちゃがんばって、リスクを背負って、バンドして、そんで感動的なフィナーレやったのにさ。終わってすぐ『あなたのせいで、来年の体育館ライブは中止かもしれない』ってさ。まじ、ガン萎えやん。そうやって、生徒のモチベをそぎ落とすっちゃん。うちら、サイコーに終わってサイコーのまま、残りの文化祭を満喫しとったのに」
「そうやね」
それは、静香が適当にあしらうときの口癖。それを見透かした乃愛は、作りかけのミサンガをくすねた。
「だれに作っとーと?」
乃愛はミサンガを手首に巻きつけた。静香はそれをとり返そうとしたけど、乃愛のながい腕に阻まれる。
「だるいけん」
「色から推理しないといけんね。白は『癒し』、赤が『ファイト』やったかったんや。わかった。まず、うちやろ。それにアキト。ありがとね。これ、大事に使うけん」
乃愛はこすっからそうな顔で、静香の表情の機微をうかがう。
「いーから、返して」
「うちのじゃないん? ショックやん」
「乃愛も、自分で作とったやん」
「それは、佑太のためのやつやけん」
ふと、静香は根本的なことを思い出した。
「そういえば、乃愛—————ミドコロはどうしたん?」
「おととい別れた、で、佑太とよりを戻す」
いきなりのカミングアウト。破局の前後を聞こうとしたけど、乃愛はぎこちなく、だけど意味深な苦笑いを浮かべて、ポツリと呟いた。
「—————3流の学校には、3流の教師しかおらんっちゃん」
いつもなら全力で号泣して、まわりを巻き込んで同情を乞うのに。乃愛も、ラグビー部が抱えているキャプテンの存在に配慮しているだろうか? だとしたら、乃愛も大人になったなって思った。グラウンドで、萌映が自分にすがっているのを見ていたのかもしれない。
「まあ、いつものじゃれ合いも置いといてさ」
「うざ」
乃愛は、なんの前触れもなくこれまでの話を遮断した。多動そのもの。話のネタがあっちへ行ったり、こっちへ来たり。乃愛は指先で、ミサンガを弄びながら、静香の手のひらに返した。
「大スクープ」
乃愛の声が細くなった。エクボつきの笑みを浮かべ、下唇を舐める。下らないダル絡みが前振りの下世話トーク。だと思って、静香は受け流すように尋ねた。
「なに?」
「さっきね。学校に警察が来とった。救急車も」
「警察?」
「事務室に用があったちゃん。奨学金の申込みをしたくてさ」
「奨学金?」
「うちの家、お金ないけん。いや、そんなことよりさ、事務室いたらさ、いきなり、校長室の廊下から人がいっぱい出て来てさ。センセイもおったけど、見たこともない人もおった。作業着っぽい格好やったけど、たぶん、先生じゃない。その人たちが一人の男の子を囲みながら、連れて行っとった。隙間もないくらいびっしり。ただごとじゃなかったね。うちが見たのは一瞬やけど」
「だれ?」
「森シン」
乃愛は、無関係な仕草を織りまぜて、静香を焦らそうとする。ラムネがわずかに残った瓶を指先でくるくる回す。びんの底は何もないのに、じっと見入いって、埋まらないエクボを隠そうとする。
「めっちゃ早歩きでさ。外でたら、すぐ車に乗せされて大通りを出た。パトカーもついて行っとった」
「なんの罪?」
「なんだと思う?」
「謎解きやないけん」
唇の端っこを意味ありげに吊り上げ、エクボの影を濃くして笑う。笑いに声がなかった。ただただ、乃愛のエクボがうるさい。
「無断でライブした罪?」
「ぎゃははは、そんなんで、警察来んやろ」
乃愛は、高笑いをして手を叩く。唾が飛び散った。でも、それが気にならないくらい、静香は森シン先輩のことが気になった。小出しにしては、静香の表情の機微を窺っていた。乃愛はまた、下唇をほんの少し、ピンク色の舌で湿らせた。
「そのあと、時間差で誰かが出てきました。誰でしょう?」
「知らん」
「静香は当てれんやろうな」
「もったいぶるのやめて。そういう話で、遊ぶのホント良くない」
静香の胸に、濁った水が溜まる。ミサンガを指に挟んでいた手が、いつの間にか、硬く握られた拳になっている。乃愛は、秘密を転がして遊んでいる。
「三好が出てきた。右目あたりをタオルで押さえつけて、俯いとった。あんな姿初めてみた。いつのも、服装指導の感じじゃなかったね。警察じゃなくて、救急隊員が三好を付き添っとった」




