フラワーガーデン(20)前半
極東学院大学ラグビー場。準決勝戦。
藍色の快晴。藍と、ちょっとばかり元気がない木々の青葉。ラグビー場はひらかれ、空も果てしなく、その場に立つと胸がスッと晴れた。さすがに、アキトはプロだ。応援に来たうちなんか気にもかけない。フィールドを見すえ、パス練習をして、肩あてをして、スタートダッシュにステップの練習を、小気味よくリズミカルにやってのける。
アキトは『頼む』と言って、しなやかな右足を萌映に委ねた。彼女はなにも言わず、肌色のうすいテープをハサミで切って、素早くも慎重に慣れた手つきで、灼けたアキトの膝頭をテーピングした。
「サンキュ」
ニカっと笑ってふり返り、フィールドにおどり出るアキトは、その青空までも背負っているようで尊かった。ついこの前まで、この人と天神を歩いていたのが、幻想なんじゃないかってくらい。
キックオフ前のみんなの円陣。まん中で、マネージャーの萌映はタブレットをかざし、ゆっくり、360度のパノラマで回転させる。ビデオ通話は、猛とつながっていた。肩を組むアキトたちは『猛』と叫びながら、とびっきりの笑顔と、ありったけの顔芸をタブレットのカメラにすり寄せた。
チームTシャツの背中に『猛』と、毛筆で猛々しくプリントされている。もちろん、それは、猪突猛進の「猛」だし、勇猛果敢の「猛」でもあり、何より血のにじむようなリハビリをしているキャプテンのことだ。
アキトの変顔に笑ってしまった。今更、アキトの表情が豊かなことに気づいた。猛が、画面越しに、しびれた左手をかかげてそれに応える。それから、ラガーマンたちは、目をつむり数秒の沈黙の果て、のどがやけるほどくり返した。
『猛のために』
その檄は、今までの漠然とした不安をからめとり、秋空をつき上げた。
『いっぱい動ける俺たちが、頑張らんわけないやろ。猛にも、相手にも、学校をもみくちゃにする奴らにも。俺たちが勝てば、みんな、応援してくれるけん。生徒も先生たちも、みんな応援して、応援しているうちに一つになるやろ。ピンチはチャンスやけん』
キックオフの笛。両サイドの雄たけび。
『マイボ、マイボ、マイボール』
『ゴー、ゴー』
極東のパス、ヒット、モール、またパス、ステップ、モール。1つ1つのプレイがまさに、予め練られた動きの連続だった。タックルされてはフォワードがフォロー。つぎのアタック。ヒットからのラック。果てしなくつづく。
細身なアキトだけが場ちがいに思える。キックオフのあとの骨格度外視のぶつかり合い。ナイーブでかけがえのないガラス器のように思えて目が痛くなる。あたかも、アキトの脚が、自分自身以上に尊くなる。そんなこと、乃愛に口を滑らせたら、ダサってまじめにドン引かれるし、萌映は冷ややかに「気持ち悪」って笑われる。でも、本当のことだから「やめよ」って気にはならない。
マイボールが佑太の手に渡った。佑太は迷わず、低いキックを仕掛ける。ボールは敵の足もとを舐めるように転がった。その転がる先を最初から知っていたかのように、佑太は狼狽する敵中をかけ抜ける。ラインアウトすれすれ、体を投げ出すようにしてボールを掬いあげた。ホイッスルは鳴らない。レフリーが宣言した。
プレーオン
ライン上を疾走する佑太に、敵ディフェンスが体あたりで襲いかかる。その刹那、佑太はボールを宙に放った。ラグビーボールはタッチライン上で宙に浮いた。まるで、風に乗る羽根のように。時が止まったように。その瀬戸際を突然、アキトが駆け抜けた。相手ディフェンスは、ライン上を綱渡りのように駆けるアキトに、慌てて腰を向ける。
相手はハッとした。アキトの手は何もなかった。フェイントだった。佑太は意表をついて、フィールドの内側へ走る。攻撃は外側から内側へ、横から縦へ鋭く移り変わった。
トライ。ホイッスルが快晴の彼方へ鳴りあがる。チームメイトが手を叩く。佑太のヘッドキャップを叩いた。すかさず、佑太がゴールを決めた。開始5分は、互角に見えた。それからのボールの支配率は、極東学院が圧倒した。筑紫学園はディフェンスに徹するうちに息を切らしはじめて、なんだか小さくなり、かけ声は鳴りを顰めた。
後半、アキトと祐太が退場した。アキトはヘッドキャップを脱ぎすて、萌映から濡れたタオルとドリンクをもらい、リラックスしたムードで残りの試合を見守る。スターティングメンバーは温存され、背番号2ケタの選手が投入される。体力のありあまる彼らが、広く、縦深攻撃をくり返す。
ラスト10分、モールのこぼれ玉を、筑紫学園がひろいあげ、アタックディフェンスが入れかわった。筑紫学園側から歓声が息をふき返す。けれど、その反撃の狼煙も、一瞬で霞んだ。腰がひけた敵はプレッシャーに圧されて極東のタックルに狼狽え、横へ横へときわどいボールをつなげるしかなかった。フォワード同士のボールの争奪戦のなか、相手は『オフサイド』の反則をとられた。再び、極東ボールになる。
「試合見に来てくれてありがとうね」アキトが話しかけに来てくれた。声の調子で、彼がとてもリラックスしているのがわかる。
「なんですか」
「さっきから、猫背やん」
アキトの肩からぬるい湯気を感じた。揮発したアドレナリンと、汗のにおいを蒸気ににじませる。漆黒のユニフォームは第2の皮膚のように、体に密着させたタイプで、彼の肉の鎧を締めあげ、輪郭をきわ立たせ、生温かい汗でしっとり濡れていた。
「勝ったけん」
「まだ終わっとらん。油断しとったら、いまに逆転されちゃう」
「ありえん」アキトの顔は心地のいい疲労感を感じているようだった。その眼差しは、闘争心の面影を残している。
極東学院 105 ― 9 筑紫学園
ノーサイドのホイッスルが鳴った。筑紫学園のメンバーが崩れた。崩れおちた相手校は、ほかの仲間たちに支えられ、敗残兵の足取りで集合する。満身創痍の涙を飲んで、肩をはたき合って、ラグビーづくしの3年間を称え合った。極東学院は、粛々とミーティングをはじめる。虎衛門は「一事が万事」と言って、オープン攻撃からの2対1が、完成形になっていないと言った。
「できなかった部分をピックアップして、これから1週間、重点的に練習する。どうしてできなかったのかをみんなで考えよう。解散後、各自まっすぐ帰りなさい。しっかり休息を取るように」
虎衛門が締めくくったあと、萌映はタブレットを抱え、画面から淡い光を放った。ビデオ通話がはじまった。相手は猛だった。アキトは画面越しの猛に呼びかけた。
「どうやった?」
「サイコーやけん」画面に映る猛は豪傑に笑った。佑太も、タブレットの画面に身を乗り出して、顔をこすりつけるくらいだった。
「やろ? 俺のフェイントと、アキトの30メートル独走。どっちが良かった?」
「前半ラストのキックは反省せんとやけど、今回は佑太やね」
佑太は、派手によっしゃとガッツを決めた。子供の自然で素直な喜びが、そのまま声になった感じだ。萌映は、せっせと片付けをしていた。右手に重ねられたプラスチックカップ。もう左手にウォータージャグを洗い場へ運んでいた。
「持つね」静香は、そっとジャグを支えてあげた。すでに涼しくてジャグの中のポカリはたっぷり残っていた。
「飲んでいい?」静香は残り物のポカリをもらった。まかないポカリと、萌映は健気に笑う。
「いいね。ポカリ濃くて」
「2年間やってきたけん」
「おかわり」
その一杯は冷たく、ひやりとして、喉越しが良かった。花園の冬を迎える。これからもっと冷たく、辛辣な寒さがやってくるだろう。萌映は思い出した。
「乃愛来んかったね」
「あんだけ『にわか』になりたくないけんって、熱心にラグビーのルール動画を観とったのにね。1分で飽きとったけど」
「萌映知っとう? おとといからライン来んっちゃん。既読もつかん」
「ボイコット生活で夜行性になっとうちゃない」
「それな」萌映はジャグを水洗いしながら、ありえると笑う。
「あ、いた。静香!」
佑太はヘッドキャップに蒸され、潰れた髪の毛1本1本をつまむように立てて、整えている。お腹のおへそを出し、そこに汗拭きシートをあてた。自分の6つに割れた腹筋と、ボクサーパンツのウエストゴムのひけらかす。
「乃愛来とう?」
「ううん」
「マジか。最近ラインの反応ないっちゃん。なんかで怒らせちゃったとかなって」
「うちもそう」
「やろ?」祐太は半ば共感し、半ば安堵の表情を見せた。
「スマホを無くしたとか」
「乃愛、スマホを無くしたら発狂するっちゃない?」
「確かにね。スマホがないと動悸息切れを起こす」
「あーね」
みんな同感した。あーねの声がはもって、みんな笑う。動悸息切れって「クスリ」かよって、萌映が突っ込んで、みんなますます笑った。スマホは乃愛を繋ぎとめるインフラなのはみんな知っている。静香はのびた指をうすい唇の下にあてた。
「トーク見せて」
祐太はスマホを見せてくれた。それでもやっぱり恥ずかしいのか、佑太ははにかみながら、後頭部の髪を一本一本摘んでねじ上げる。
「練習後とかに『お疲れ』って来るんよ、嬉しいけん。なんか、力が湧くっていうかさ。やっぱ、彼女の存在はデカイわ」
「なんそれ、一人前のこと言って」
萌映が小突いた。佑太と乃愛のトークを見た。どれも、月並みの会話だった
10月22日(水曜)
ノア『練習お疲れさま〜』19:32 既読
ゆうた『ありがとな』19:43 既読
ノア 『ボイコットせんと?』22:21 既読
ゆうた『やらんけん 』22:23 既読
ノア 『学校の肩もつんや』22:24 既読
ゆうた『暇人やない。お前こそ何しとるん』22:28 既読
ノア 『寝て、食って、ネットフリックス』22:35 既読
ゆうた『引きこもりやん』22:36 既読
ノア 『体重5キロ増えた』22:36 既読
ゆうた『最悪すぎ』22:40 既読
ノア 『デリカシーな 』22:41 既読
ゆうた『ボイコットやなくてハンガーストライキ
やればいいやん』22:42 既読
10月23日(木曜)
ゆうた『土曜、試合来やけん来て』12:05 既読
ゆうた『今、練習終わったわ』15:03 既読
ゆうた『どした?』16:32 既読
ゆうた『おーい、生きてる?笑』17:02 既読
ゆうた『大丈夫?』18:12 既読
ゆうた『怒ってる?』18:13 既読
ゆうた『ハンガーストライキがいけんかった?』18:14 既読
ゆうた『その件はあやまる, すまん』20:08 既読
ノア『ううん。そうじゃないけん』
『世界がくずれただけやけん』20:44 既読
ゆうた『どゆこと?』20:53 既読
ケンカっぽい。でも、もしそうだったら、乃愛から、愚痴のラインが1つや2つあるはず。くだらなければ、くだらないほど。うちを味方にしようと、やっきになるはず。でも、変だ。うちのとおんなじだ。昨夜、うちもラインした。準決勝行くの?って。でも、返信はない。
「迷宮入りやん」佑太は困り果てた。
「佑太」アキトがストイックな横槍を入れてきた。とっくのとうに制服に着替えていた。「来週に集中しろ。つぎは筑南やけんな。彼女のことはいいけん、マネの片付けでも手伝ってあげろ」
祐太は、萌映を追った。2人きりになってアキトはささやいた。
「静香、行こ」静香はドギマギした。
「どこに? 」
「天神」アキトはささやく。「前のことも謝らんと」
「何ってるんですか? 後輩に片づけさせといて。ラグビーに集中してください」
「じゃあ、待っとくわ。正門でね」
「今日は大丈夫です」
気づいたときには、アキトはもう声の届かない場所を歩いていた。勝手だなと思った。忘れないうちにと思って乃愛にラインを送った。
「はよ、返信しい。ゆうた心配しとう」
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人のことを聞かず、立ち去ったことを責めようって思った。けど、デート先はリハビリセンターだった。はじめからそう言えばいいのに、なんで言葉が足りないんだろうって思った。彼の心には猛がいる。アキトの行動規範も、彼に拠っている。西鉄バスの手すりにしがみつき、祐太はヘッドキャップで固められた髪をかき交ぜた。
「俺、キックの件、詰められるんじゃね? 」
前半ラスト、相手側10メートルラインで祐太は、挑戦的で慢心なキックをした。敵にブロックされ、こぼれ玉を奪われ、相手トライの起点になった。虎衛門からも、「なぜそうしたか考えろ」と言われていた。説教を喰らうんじゃないかって、佑太は内心ヒヤヒヤしていた。




