フラワーガーデン(19)後半
2度目のボイコットから1週間。博多駅前のカラオケの個室で歌わないカラオケパーティーが開かれた。個室はまるでお通夜のように沈んでいた。モニターには、福岡のご当地アイドルグループが手を振っている。切り貼りされた白々しい無邪気な笑顔。くり返される宣伝文句。そんなニューシングルの番宣が、無限ループのように循環している。耳障りな高い声と、チカチカするモニターの目に刺さる明かりが、密室の沈黙を押しのけるどころか、俺たちの思いつめた苦悩をこすっている。
「ちょ、なんとかしてくれん」
ゲンジの苛立ちを受けて、美山が音を消した。モニターは消せなかった。モニターまでは消せなかった。目を刺すような白い光だけが残り、それだけがやけに目障りだった。無音になると、今度は、身動きできない重たい空気が沸いた。苦悩する俺たちの身動きを奪った。ゲンジがリーダー、美山はサブリーダーで広報担当。俺は、どっちかというとアドバイザーでゲンジのスピーチライター。この布陣で、滑り出しは完璧なはずだった。けれど、旋風は急速に下火になっていく。
「要するに、これのせい」
ゲンジはスマホを手に取って、闇の中で白く光った動画を掲げた。
『ボイコット最高!』
動画から女のひき攣った笑い声がした。マリアの声だった。授業ボイコットが成功したはずだった。みんなが団結して、登校しなかった。その夜に、みんなで宴をした。そして、一部の人間がアルコールに手をつけた。スマホから流れるマリアの声がカラオケルームの闇の中で沈んだメンバーの神経を逆撫でにする。動画の中で、サッカー部もいる。美山もちょっと映っている。ゲンジも缶ビールを持っている。ほかのメンバーもいる。マリアも、彼らも『ほろよい』をもっている。あの日の馬鹿騒ぎ。自分たちの軽さと甘さがすべてを台無しにした。
取り返しのつかない過ちを呪って、誰もが奥歯を噛んだ。誰が悪いという探り合いするほどでもないくらい、馬鹿げた過ちだった。あの日、ここでこのメンバーでこじんまりカラオケしとけば—————あのとき、あんなに人を呼ばず、小規模にはしゃいでいたら————運命は違っていた。みんな目を合わせず、おのおのの白く光ったスマホを弄った。スマホをいじったところで何の救いもないし、何の慰みにもならないのは、暗い顔に書いてある。
あの夜のパーティーの断面。たった15秒の動画。あの日、野次馬ではしゃいでいた誰かがそれを鍵アカのストーリーズに上げた。誰かがスクショを撮り、切り取られた画像や動画は、一夜で拡散した。
「俺たちは無敵やった。マスコミも、ネットもみんな味方やった。これが、でまわってから、俺たちはいわくつきになったし、報道にされんくなった」
ゲンジは、スマホを床に叩きつけた。
「あの夜まで完璧やった」
怒りが頂点に達した。裏返ったスマホの画面に弾痕のような亀裂が走った。白状するように美山が、きれいでまっすぐな涙を流した。頬を伝う一筋が、無音モニターのチカチカした白光りを照り返す。俺は窓の外の、間近にある雑居ビルの外壁を見ながらゲンジを諫めた。
「しゃーない。すべて罠やった」
「まじで許さん!」
ゲンジはテーブルを叩いた。何度も強く。氷が溶けて空になったり、半分、ぬるいサイダーが残ったりするプラスチックコップが、軒並み倒れた。テーブルからドリンクが滴り落ちて、床が甘ったるく、ベタベタに濡れた。
「あのメガネ! いつか群衆の前に引きずり出してボコボコにして、公衆の面前で晒し者してやるけんな」
怒りを吐けば吐くほど、憎しみは燃え、呪詛へ変わった。呪詛はさらなる呪いを呼び、出口を失った感情の渦は、濁流となってゲンジを飲み込んだ。副会長への平手打ち事件のあった昼下がり。ゲンジ自身も「もはやこれまで」と自覚し、2度目のボイコットへ踏み切った。みんなを巻き込んで一斉下校することにした。
それからボイコットの膠着状態の中、折れたのはゲンジの母だった。過激化したり、未成年飲酒に走った息子が、素顔を社会に晒し、ネットの玩具にされていくのが辛いらしい。平手打ち事件の被害生徒が、警察に被害届を出したことを告げられると、ゲンジに相談することもなく、先生たちが提示した定時制への「進路変更」を渋々受け入れた。保護者と教師たちの二者面談は、ゲンジの存在を空気のように扱うものだった。
「今頃、あいつはほくそ笑んどうけん。ほかの生徒に、ボイコットやめて学校に戻ってください、って呼びかけとう。ビンタごときで泣きべそかいて、職員室で喚き散らした挙句、たいそうに被害届まで出しやがって」
この高校には、極東学院大への内部推薦枠が150あまりあり、ピンキリだけど私大の指定校枠が山ほど用意されている。
「最初は九十人しか登校せんかったのに、昨日は二百に膨れあがっとう! 3学年の三分の一やぞ!」
ゲンジは暴れ馬のように身をよじり、蹴りつけるように足踏みして、怒りの壁を殴った。殴りたい怒りを封じた拳は細かく震えていた。
「いっそ、あいつに喰らわせればよかった」
俺にとって血管の浮き出しは魅力的に映った。静脈注射にもってこいだった。健気に思いながら俺は言った。
「進路のことになると、みんなシビアになるし————いまどき、年内受験でケリをつけたいって人も多い。推薦を考えている人からするとボイコットを続けるわけにいかん」
「3年が崩れたら、ほかの生徒たちだって雪崩れるけん! そしたら俺たち終わりやん」思いつめた男の、壁にぶつかった怒声の残響がしばらく残った。
「2年のモチベはまだ高いです」美山は声を張った。俺は、冷ややかに言った。
「2年だって、昨日けっこう学校に来とったやろ。来年の推薦のことになると、みんな利口になる」
「どうしてくれるん!」
ゲンジははり裂けそうな声をあげた。俺は、不可抗力だと言った。
「ストーリーにあげる馬鹿がいるとか、夢にもおもわかった。それに、盛大にパーティーしようとか、あそこの暖炉で炭火にしよって言ったのゲンジやろ。そんで外野とか、輩とか、サッカー部を見栄はって呼んだわけやん」
ゲンジは、俺の胸ぐらをつかんだ。テーブルが音を立てて、大いにズレた。
「善後策、考えましょ」美山が泣きじゃくった鼻声を立てた。「ケンカしても、どうしようもないです」
「2つある」
俺の放った一言で、カラオケ個室の阿鼻叫喚は、絨毯をかぶせられたように鎮まった。
「なんや」ゲンジは悪態をついた。けれど、犬のように耳をたてる。
「和解」俺は、指をぴんと立てた。
「飲酒動画が出まわった時点でみんな離れた。親たちもバックにつかんくなった。俺たちは負けた。このままボイコット続けても、いずれ、ほとんどの親は、子供たちに投稿させる。そうなれば、ボイコットは崩れて、俺たちだけになる。そんで、長欠で、出席日数が足りなくなって、学校を去ることになる。やけん、もう降参するしかない。ゲンジの首だけさしあげて、残りは土下座すれば、謹慎で許してくれる。ゲンジは去ることになるけど、まだ傷は浅い」
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昨夜、保護者会があった。K K Kの未成年飲酒の動画流出を受けて、学校は鬼の首でもとったように誇らしげだった。
これまで、ボイコットを呼びかける生徒グループによる飲酒、警察に対する傷害、他の生徒に対する恐喝に、暴行がありました。ボイコットの中心メンバーによるものです。本校はやりたい放題の「自由」など認めません。校則の見直しは行いますが一部にとどめます。『自由』を履きちがいさせないルールも必要なのです。これからも、ボイコットに賛同して欠席する場合、教務規定どおり「欠席」扱いにしなければなりません。学校がなければ、生徒たちは街にあぶれます。そうすれば、また、第2の騒動だってあり得ます。彼らにとって学校は必要なのです。出席日数を満たさなければ、学期欠になって成績もつきません。そうなれば、進級も卒業もできなくなります。3年生は、進路に影響を及します。共通テストまで3ヶ月しかないんです。3年生が安心して受験し、卒業するためにもこの混乱を収拾させなければなりません。だからこそ、生徒たちには登校を促してください。
ある保護者の母は、元生徒会長のゲンジについて尋ねた。その子は、学校の不手際によってそうせざるおえなかったのではないか。卒業するまで面倒見るのが、教育者としての筋ではないのか。その声は、穏やかな拍手を呼んだ。だけど、校長は目を伏せたままだった。
生徒個人のことに関して詳細はお答えできません。しかし、彼は、自分の意にならない他の生徒に対して、攻撃的になっていた事実があります。この前の食堂内の暴行事件については、警察に被害届が出されています。それだけではありません、200人ほどの生徒を巻き込んで、私有地に立ち入り、飲酒や喫煙、騒音、そして、警察騒ぎがありました。その動画が、ネットで拡散してしまいました。一部の生徒の顔もくっきり映っていまい、それが今もネット空間に残っている状況です——————いけないことはいけないこととして、学校として指導し、これからのことを含めて、当該生徒、それに、保護者と膝を打って話し合うつもりです。被害届—————父母たちは口をつぐんだ。
「ただ、この一連の混乱は、先生方にも原因があることを忘れないでください」
ある母の一声を最後に、ゲンジの話は終わった。
被害届
その言葉に力があった。これ以降、ゲンジの話をするのはその場でタブーになった。これですべての問題は、終いになった。ほとんどの親は「受験」という暗黙の了解により、不信感をもちつつ、黙った。これ以上、説明会が荒れることはなかった。飲酒によってゲンジへの熱狂は冷めた。ゲンジたちが築き上げた若者の神話は、飲酒によって崩れた。
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ふざくんな!
怨嗟が爆ぜた。ゲンジはテーブルを叩いた。鼓膜をつき破り、頭蓋が揺さぶれらたような高い耳鳴りが残った。
「魂を売ったあのメガネが医学部を勝ちとって、なんで、心血注いできた俺は退学なん!」
「退学になったとしても、僕たちだってゲンジさんのあと追います!」
美山も涙ぐむ。ほかの仲間たちも「俺も」と詰めよった。個室はたちまち、集団ヒステリックになった。美山の軟弱な肩をもって、ゲンジは男泣きにむせながら、決意を新たにした。側から見て、俺は安っぽく感じた。
「最後の1人になっても、俺は闘う。この腐った学校を生まれ変わらせるけん。なんでもいいけん。動画アップしようぜ! 俺が、あの憎い顔晒して、あいつの陰謀を洗いざらい暴露するけん!」出まかせを言うゲンジに、俺は手厳しく咎めた。
「お前は、缶ビール持ってピースするとか、食堂で奴をビンタしているお前の動画がネットでまわっとう。いま、感情に任せて、暴露とかなんだか動画をアップしたところでろくなことがない。何か、目にみえる証拠とかないと」
「なんで俺だけがこんな目に」
「今の時代、手を出したのが悪い」
ゲンジの肖像がネットに拡散されている。ネットの世界では未成年でも容赦しない。まだ、生徒会長になってから間もない頃。学校のホームページに載せられた生徒会長あいさつ。そこから拾われたゲンジの顔写真と名前が晒されている。顔写真と実名が「飲酒」、「喫煙」の文字。それに彼の意にそぐわない生徒——————副会長への暴力・いじめという短文と一緒に並べられている。すでに一生モノのデジタルタトゥー。ゲンジもこれには応えてた。ゲンジは歯ぎしりしながら言った。
「あいつをさらって拷問にかける」
トラップを仕掛けた副会長が、のうのうと被害者ズラしていることを、ゲンジは八つ裂きにしたいほど憎んだ。
「拉致、監禁、暴行——————犯罪やん」
「奴らが酒を買った証拠がないの? 領収書とか、防犯カメラの映像をおえるとか」
「そんなの警察しかできん。奴が、酒をアジトに持ち込んだことを証明したところで、まんまと乗せられて、はしゃいでSNSで自爆した俺らの無能ぶりを世間知らしめるだけやん。酒に手を出した俺たちが悪い」
俺は、穏やかにべつの策を持ちかけた。打ち明ける口調に細心の注意を払った。
「小西乃愛に頭を下げるしかない」
美山は、指の関節が白くなるほど拳を握っていた。個室をいっそう無音にさせたその言葉。何を意味するのか、この場にいた誰もが知っていた。みんな、脳裏にしまいこんでいた。それがいま、テーブルの上に置かれている。ゲンジでさえ、黙りこんでしまった。肘をテーブルについたまま、身じろぎひとつしない。美山は、神妙に言った。
「本人は『やめて』って言ってます。無理ですよ。これ以上揺すっても、あの子が泣くだけです。ゴンさんもあの場にいましたよね。あのヒステリックな感じ、気の毒ってレベルじゃないですよ」
「もう一度、土下座する。真実を話してくれって」
ミドコロは、極東学院たった一人の音楽教師。ピアノができる人は、数学もできるらしい。筑紫女子高校で、講師を2年間務めて極東学院にやってきた。音楽室でマリアは、ミドコロから数学を教えてもらっていた。小西乃愛もそうだ。かわいい女の子限定でミドコロは数学を教えている。音楽選択している美山が言った。
「あの先生評判悪いっす。男子から」
「なぜなん?」
「女子への贔屓が半端ないです。女の子しか興味がない。お気に入りの子とは、めっちゃ長く話します。2時間も、3時間も。あの音楽準備室にこもって」
パーティーの摘発の日。逃亡先の夜の児童公園。ブランコに腰かけたマリアは、真実を隠して愉しんでいるような笑みを浮かべた。俺と美山に、見てはいけないものを見てしまった話をした。
めっちゃ数学できるんよ。なんで音楽の先生なのって聞いたらさ、学校でひとり部屋がほしかったって言うもん。職員室が嫌っていうけん。ごみごみしとるし、うるさいし、うざい先生もいるって。音楽のセンセイって、どの学校も一人やけん。誰からも干渉されない部屋があるから助かるって
彼女はうすい下唇を舐めながら、驚いたり、心配したり、怯えりする。彼女の笑顔に、一瞬、笑みでできた皺の影が揺れる。
ことし2月やけど—————学年末1週間前やった。強豪以外の部活が休みになるテスト1週間ね。うち、数Ⅱが危なくてさ。このままやと留年やけん、特訓してもらおって思ってさ。その日も、音楽室行ったんよ。そしたらね、誰もおらんかったちゃん。ミドコロの音楽準備室も—————べつに、のぞき見やないよ。侵入したわけでもない。音楽室、自由に入れるもん。でさ、その準備室、誰もおらんかった。ただ、ソファーにカッターシャツがあったちゃん。ぬくもりが残ってそうで、脱ぎ捨てられた感じ。微かだけど匂いですぐ分かった。女子だって。なぜか、スカートはなかった。
笑いと一致しないマリアの眼ざしは鋭く、聞き手の顔つきの機微をつぶさに観察する。あまりに演技がかっていて、俺にはウソだと思った。
それに、カバン。ピンクのくまのキーホルダーがあってさ。でさ、部屋の奥の倉庫から、その子の泣き声が聞こえた。あのギターとか楽器がいっぱいある倉庫ね。ミドコロがその子を泣かせとうのかなって——————はじめそう思っとった。でも、しばらく耳をすましたらさ、なかで何が起こっているのか悟るより先に寒気がした。本能っていうやつ。で聞こえた。「ねえ撮らないで」って確かに。間違いなく2年の小西乃愛って子。
俺たちも半信半疑だった。だけど、匿名からのメッセージがあってから、マリアの信ぴょう性が一気に高まった。初めてのボイコットのとき、KKKが極東学院の不正について、情報提供を呼びかけると、5件寄せられた。ほとんど、理不尽に怒られたといった類の月並みな話ばかり。その中の、たった1件の匿名からの情報。それも外部からだった。
筑紫女子高校の卒業生です。2年前に卒業しました。御所先生と関係がありました。高2のとき、数学を教えてもらっているうちに、好きになって告白しました。私が十八歳になったとき、はじめて関係をもちました。御所先生の家とか、音楽準備室とかです。ビデオで撮れたこともありました。こういうの、たぶん私だけじゃないと思います。
直接会って話がしたい。
メッセージを送ると、すぐ匿名女性から快諾を得た。近いうちに会うつもりだった。あいにく、あの飲酒動画が広まったせいで、彼女からの連絡はあえなく途絶えた。
「ミドコロは、乃愛っていう子の動画を持っている」
俺はそう踏んだ。ゲンジは諌めた。
「断定できん」
「マリアの話もある。それに、あのとき、ミドコロってキーワードを出したとき、彼女の表情。あの怯えは普通じゃなかった。絶対、なんかある。絶対」
「この証言とマリアさんの話を暴露しましょう。それだけで、十分だと思います」
美山は荒い鼻息を立て、鼻腔のなかの鼻クソのカケラが飛んだ。
「現物がない。憶測で騒いでも、未成年飲酒した俺たちの声なんて誰も信じない」
俺は、酸のぬけたコーラをあおった。
「生徒は信じます」
美山は、突撃しか脳がない戦術家のように、テーブルを叩いた。たぶん、カーキー色の軍服に丸メガネ、腰には軍刀がお似合いだと思う。
「たぶん、その調査とか捜査とかを考えたら、相当時間がかかる。俺らには時間がない。捜査が進んで、ミドコロが罰せられたとしても、その頃には、俺たちは学校を去っとう。それに、小西乃愛っていう子が認めん以上、難しいやろ。そもそも、匿名の証言だけで騒いだら、ミドコロは隠ぺいに走る。もし、その動画があれば、俺たちは挽回できる」
「動画をどうするん?」
「手に入れられれば、形勢逆転やろ」
「——————まさか」美山はしおらしく青ざめ、口もとを手のひらで隠した。
「俺たちの風が吹く、ばら撒けば」
「乃愛が映っとうやろ? アカンやん」ゲンジは、目を見開いた。美山も顔を顰めた。
「倫理的にダメです」
「モザイクで、その子の顔を隠せばいい」
「そういう問題じゃない」
「いいの? 世の中もっとエグいことやっている奴がいるのに、俺たちだけデジタルタトゥーの一生もんの傷モノになって」
沈黙がにわかに吹き起こった。俺はもうひと押しした。悔しくないのかって。沈黙の中、美山が口火を切った。念のためですが、と前置きというか、保険をかけた。
「どうやって、その動画をゲットするんですか?」
「奴のスマホなんだと思う?」
「さあ、アイフォーン?」
「そう」
「ロックされとうやろ? ハッキングできる奴なんていません」
「ミドコロのスマホ、ちょっと古いモデルなんよ」
「まさか、指紋認証?」ゲンジは鋭かった。
「そう」俺は、指をぽきっと鳴らした。
「どうやってやるん? 指紋なんて取れんやろ。ミドコロの指でもつめるん?」
「眠ってるときを狙う」
「夜、忍ぶの?」
俺はおもむろにポッケから、ジップ付きの袋に入った錠剤を見せつけた。合わせて4粒入っていた。暗がりの中、異様なほど純粋な白さが浮かびあがった。
「なんなん?」
ゲンジは身を乗りだし、暗がりのなかでその正体を確かめた。
「医者の処方じゃないと買えん。健常者はすぐに寝る。最近の睡眠薬は、溶かすと青くなったり、苦くなるらしいけど、これは溶かしても何も起こらない。コーヒーだとなおさら」
「どうやって手に入れたん?」
「1組の後藤って子からもらった」
「知ってるわ。2年のときから、マリアにいじめられとった奴やろ。たしか、3年もマリアとおなじクラスやった。学校は、女の子同士の陰湿ないじめに鈍いけんね」
「その子。今月転学する」
「まじ、今更?」
「そう。出席日数が足りんくなったらしい。そもそも、ひどい不眠症らしくてさ、学校どころじゃなかった。それで、この薬を服用してた。その薬分けて欲しいって言ったら、使い道を聞かれた。俺は、正直に話した。彼女、喜んでくれたよ。面白そうじゃんって。いままでこの学校は面白くなかったって」
ゲンジは困惑している。良識を叫ぶ彼の声は、その白い錠剤を拒絶している。けれど、彼の煌めく瞳は、揺れるたびに瞬きする。ゲンジの心の中で、理性と本能が相反している。
「奴の日課、知っとう?」
「コーヒーやろ? 音楽準備室にめっちゃいいコーヒーメーカーがある。奴は毎日コーヒーを淹れとう」
「どうやって?」
「奴のコーヒーカップはいつも決まってる。クロネコと鍵盤のやつ」
ゲンジは立ち上がった。ドアを威勢よくあけて、ロビーのドリンクバーに行った。そして、湯気の立ったホットコーヒーを持って戻って来た。彼は言った。
「とりま、その効果確かめてみるわ。やるかどうかはそっから決める」




