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フラワーガーデン(16)



 極東学院大学附属高校のボイコットが全国で報じられた。体罰が横行する学校に対して、生徒たちの怒りが爆発し、抗議の声が上がったという内容だった。傲慢な学校運営に立ち向かう高校生たちの団結は、ネット上で称賛を集めた。当日の朝、保護者宛に一斉メールを送信した。


『本日は通常授業です。生徒をまっすぐ登校させてください』


 保護者たちは高校生のボイコットを支持した。昼過ぎの情報番組でも特集された。子供が極東高校に通っているという保護者インタビュー。保護者は複雑な胸の内を語り、こう言い切った。


 「説明会で納得できるまで、うちの子は学校に行かせません」


 ボイコットが成就した日の午後、再び保護者宛に一斉メールが送られた。臨時保護者会のお知らせだった。ゲンジはアジトでソファーにふんぞり返り、余裕ある笑みから、白い歯をひけらかす。今朝の警固公園。天神の真ん中で、学校を行くふりして、家を出た極東生500人が集って勝利を祝っていた。ゲンジたちはテレビ局のカメラに囲まれ、記者たちからマイクが押し寄せる。ゲンジはその光景を思い出して、いまもなお余韻に酔っていた。


 「これまで生徒会長として、学校を自由にするために、ずっと声を上げ続けてきました。ですが、学校はその声を無視しつづけ、さらに、僕自身に退学を迫ってきました。今回の事件は、起こるべくして起こったんです! 生徒はみんな動揺しています。それでも、学校は変わろうとしません。だから、僕たちはボイコットを決意しました!」


 顔出しで取材を受けた彼の雄弁は、誰かの手で切り取られ、編集され、切り抜き動画として、ネットのタイムラインに上がる。ゲンジは称賛を受け、不祥事続出の学校は、悪者になっていた。ゲンジはネットより先に、彼をヒーローに担ぎ上げた。あるいは、若者のリーダーだったり、代弁者だったり、革命家に仕立てあげた。その熱に、ゲンジは酔いはじめていた。


 極東ヤバすぎ #ボイコット #ハロウィン暴動


 もう1つの疑惑が。学校に追い打ちをかけた。勝利は決定づけられた。新校舎の生徒ホールで撮影された別の動画。ネット上でさらに波紋を呼び、全国ニュースで報じられた。


 速報です。体罰事件で揺れる極東学院大学附属高等学校に新たな疑惑です。体罰があった同日に撮影されたと見られる新たな動画が、SNSを中心に波紋を呼んでおります。動画の中で、抗議活動をしていた生徒と、同じ高校のラグビー部や柔道部、野球部、剣道部の生徒が校舎内で対峙しています。学校は、これら部活動の生徒を動員して、抗議活動を鎮静しようとした疑惑を否定しております。いずれにしても、生徒同士の乱闘につながりかねなかった今回の疑惑。不祥事で揺れる極東高校のさらなる火種になりそうです。当時、現場は一触即発で、生徒同士の衝突になりかねない危険な状況でした———————現場にいあわせた生徒によりますと、当日、文化祭を楽しんでいたところ、生徒ホールに集丸よう、教師に指示されたと証言しています。


 縦長のスマホ画面。ひび割れた歓声と叫喚。ぶるぶる揺れたり、寄ったり引いたりする画面の中で、群集でごった返した4階の生徒ホールが映った。上階から撮られたであろう、生徒ホールの仮装集団がうごめいている。文化祭の日なのは明白。


 「やっば」

 「マジでやばいっしょ」


 陽気な声も混じっている。真ん中でジョーカーが、群衆たちを扇動する。クラッカーを鳴らし、紙吹雪が空中に舞う。パンプキン男が拳を突き上げ、「ハッピーハロウィーン!!」を連呼する。怒号と狂喜。その叫びは、ゆがんだ電子音のノイズを伴って、集音しきれず音割れる。教頭が青ざめた顔で叫んだ。


「解散しろ!」

「従わないと退学にする!」


 画面の中が騒然となる。ずしんずしんと、どこからともなく床の揺れる音がスマホを揺さぶる。ねずみ色の学ラン集団。ジャージ姿、柔道部、剣道部、野球部、ラグビー部————屈強な男たちがぴったり列を組んでゆっくり押し寄せる。スマホカメラのピントが追いつく前に、鍛えあげられた筋肉と無言の圧迫感が伝わってくる。彼らの表情は、編集で後付けされたスタンプで隠されていた。それでも、黒いラグビー部のジャージの黒は際立った。規律と筋肉の圧倒的な無言が、仮装集団を圧迫する。


 「殺れ!」

 「やっちまえ!」


 罵声が上がった。仮装集団の闘争心はしぼんだ。最後にカメラは、教頭の蒼白な表情と逃亡していく群衆をとらえる。突然、画面は大きくぶれて、天井ガラスの光が斜めに走ってから、動画は途切れた。



    ************



 教祖が、かつて住んでいた豪邸の煙突から煙が出ていた。それは風に揉まれながら、曇った満月に擦り寄せるまでもなく、薄まりながら立ちのぼる。


 勝利宣言した夕方、メンバーたちがアジトに集った。新参者たちも押しよせた。野次馬、パーティーしたいだけの輩、「じつは影から応援していた」としたり顔の眉唾者など200人あまりが駆けつけた。旧教団施設の道場、治安の悪いどこかのクラブハウスのようになった。旧道場の玉座があったステージには音響機材がもちこまれた。アンプから爆音で、イキったヒップホップが流れる。K K K側に立った軽音部が快く貸してくれたものだった。道場にいたみんなの鼓膜が震えた。


 祝勝会で鶏肉、豚、カルビ、野菜がふる舞われた。すべて国産で、炭火を焚いた豪邸の暖炉の窯で焼かれた。それが吐き出す煙に、豪邸の煙突は細すぎた。煙はだだっ広いリビングにも溢れて、白濁した煙が豪邸じゅうを満たしはじめる。炭火焼きなのか、煤まみれなのかわからない肉の黒い塊を、K K Kたちはお盆に乗せて、豪邸から道場へ入っていく。そのまま、空のお盆を脇に抱え、道場から豪邸へ戻っていく。ゲンジと美山は、道場のステージ上の端っこにあるソファーに、太々しくあぐらをかいて今後のことを話し合っていた。


 「今日の登校者、柔道部、剣道部、野球部、ラグビー部——————あと、帰宅部、十数名に、あと副会長。こいつら、切りくずします?」

 「ほっとけ。どう転んでも、勝利は決まっとうけん」


 臨時保護者会は夜8時からだった。豪邸には、庭とプールがあり、その先に道場がある。プールの底は青く清潔感があった。そこに、透明な水を溜めて、大量の氷を入れ、飲み物を浮かべた。ラムネ、コーラ、カルピス、サイダー、ウーロン茶、レッドブル、モンスター。大小のペットボトルに缶ジュース。付け合わせは窯で焼いた黒い肉。高校生にとって酒池肉林だった。ゲンジが呼びかけた。


「今日は来てくれてありがとう。プールに飲み物があります! 自由にとってください」


 みんな、ライブハウスの旧道場から、豪邸の庭へ殺到した。高校生にとって、夢の世界。豪邸の中はみんな咳きこみ、いぶされていた。それに耐えかね、サッカー部の一人が煙だらけの豪邸から飛び出し、プールに飛び込む。


「氷水じゃん!」


 反射的に這い上がって、ずぶ濡れのまま、『やべえ、タオル持ってねえ』と頭を抱えた。みんな、笑い飛ばした。新参者たちは大きな顔をして、家主のようにくつろぐ。プールの隅っこに目を向けると缶ビールや、ほろよい、レモンサワー、チューハイ缶があった。


 だははは


 カッターシャツの胸元を大きく開けた女子がいる。明るい栗色の髪と、短いスカートを揺さぶり、野次馬のくせに勝利気分に酔いしれている。


「マリア、染めるの早すぎ」

「校則廃止されるっちゃろ? 校長はクビ」


 マリアはとんがったネイルで、猟奇的なピースを咲かせた。片手には白い《ほろよい》の缶を持っていた。


「みんな来て。早く、ヒーローと写真を撮ろ」


 マリアたちはゲンジを囲み、女子たちと自撮りをはじめた。はじめ、ゲンジは勝利に酔いしれがらも、冷ややかに、クラブハウスのなりゆきを見守っていた。けれど、ヒーローのように、みんなから喝采を受け、ゲンジコールで煽られると、彼はすっかり赤らんだ表情を破顔させた。サッカー部も加わり、みんな、片手にラムネだの、コーラだの、モンスターだの、チューハイを持って、セルフィーのシャッターを下ろす。ダメな部活動と癒着する女子グループのテンプレだった。


「懐かしくない?」


 サッカー部の一人がラムネの栓のラベルを剥がして、プラスチックの飲み口をひねろうとしたが、栓は固かった。


「ださ—————懐かしいとか言って、開け方知らんやん」

「懐かしすぎて忘れた」


 はやし立てる笑い声に紛れ、べつのサッカー部が、したり顔で『玉押し』を拾い上げ、ラムネの飲み口に押しあてた。水滴をまとった瓶の中で、ガラス玉がことりと落ちた。ガラス玉は無数の泡をまとい、炭酸は細かく弾けつづけ、月の光を受けてきらめく。


 「いいね」神秘性を見いだし、取り巻き女子たちは、ラムネを片手に得意げなポーズを気取るサッカー部にスマホをかざす。けれど、ひとりマリアは拒絶反応を示した。


「————ラムネ嫌い。アキトを思い出す」

「文化祭のとき、お化け屋敷に並んどってさ、あいつ、新しい彼女がいちゃついとった。間接キスも————————」


 空気の中で薄い氷の膜が覆う。さっきまでのラムネに対する崇拝が手のひら返しで途切れた。マリアの好き嫌いで女子たちの「空気」が変わる。グールプの中でたぶん君臨している。ニンマリしていたサッカー部も、マリアを察してラムネの半分だけ残し、ほかの仲間に瓶をまわした。それでも炭酸の泡は健気に、細くはじけ続けている。


 プールサイドのガーデンチェアに腰を沈め、僕も夜風を受ける。青白い月が、水面に揺れる小さなナイトプール。その向こうの宴会場からの笑い声が、プールの水面を撫でる風になって届く。宴会場からの明かりを背中に受けた来客たちはかがみ込み、プールに浮いた缶やペットボトルを拾いあげる。


 いのっちは、前かがみに座って丸っこく太った拳を膝のうえに置き、水面のかすかな波に映る月のゆらめくプールを眺めている。彼の前に、紙皿に黒い焼肉と割り箸を置いた。道場や豪邸からの明かりは、ガーデンチェアに座っているこちらまで届かなかった。暗がりの中で焼肉はいっそう黒く見えた。いのっちは、箸を取ろうとしない。合宿の夕食や、昼の学食でさえ、食い意地を張るのに。いのっちは、灼けた丸っこい手をもじもじさせている。


「食えよ」

「———————」

「楽しくなさそうじゃん」

「—————ゴン、俺は帰る」

「不満? 」

「虎衛門先生が、監督辞めるかもしれん。今日のニュースのことで。俺たちで詰めかけて、『やめないでください』って訴えた。アキトは半分泣いとった」

「あんな事態を招いたわけやけんな。あの時、お前らを使って危険な目に晒した」

「虎衛門は指示をしてない。俺たちで考えて、自分たちで行動した。あの動画だってネットで晒したのゴンやろ」

「俺じゃない」

「これ以上、ラグビー部をめちゃくちゃにせんでよ」

「いいがかりはよせ。俺は、お前らを守ったんやぞ。感謝しろ。動画をそのまま晒すって言うゲンジに、お前らの顔は隠せって言ってやったのは俺やけん。なんで、そんなに奴をかばう?」

「監督やろ!」

「お前は、あいつからラグビーを直接教わったことがあんのか? 」


 いのっちは押し黙った。


「あいつは1軍の監督で俺らの監督じゃない」

「ゴン、俺はもう帰る」

「逃げんな! 」


 いのっちは立ち上がった。ガーデンチェアの脚が石畳を引き摺る音がする。静けさの中でそれはくっきり響いた。その音はお互いの声を断ち切り、お互いを隔てた。


「明日練習があるけん」

「なんのために?」

「花園のためやろ」

「どうせ試合には出れん」

「全力を尽くす」

「無理やろ—————登録メンバーはもう決まった。お前はベンチ入りすらできん。部員は150人。登録メンバーはたったの30人—————現実見ろ」


 いのっちは、俺の平べったい胸をつかんでいた。俺はその手をふり払っていた。いのっちは俺を真正面から睨んだ。


「俺はラグビーをやる。最後まで」

「その先に何がある?」

「仲間と絆」

「仲間、絆———————お前は洗脳されている」陳腐すぎた言葉に、俺は嘲笑した。

「去年の冬だった。福岡西と、俺たちBチームの練習試合のときの、あいつらの態度覚えとうやろうが。芝生の上で胡座かいてスマホをいじって———応援じゃなかった。冷やかしやった—————絆なんてあんのか。ノーサイドのあと、あいつらに何を言われたか覚えとうや!」


 光景が蘇ってくる。俺たちの侮蔑の入り混じったあの顔の、あの輪郭が浮かびあがる。地上は冷たく、それでも空は晴れ渡ったあの日。漆黒のユニフォームのアキトは胡坐をかいて、まっ白なユニフォームの俺たちを見下ろす。


「辞めろって言ってきた。奴は見て見ぬふりしとった。虎衛門にとって登録メンバーの30人以外、価値なんてない。差別しやがる。競争原理をチームに持ちこんであいつは煽っとった。極東の黒ジャージはAチームしか許されん。あんな糞チーム、こっちから願い下げやろうが! あの事故だって起こって当然やった!」


 俺の正論が、冴えわたる秋の夜に淀みなく響く。いのっちの怒気は、潮の満ちひきのように失せた。


 「ゴン、言ってたやん。最後までがんばろうって。レギュラーなろうって」

 「なにが報われる?」


 心の白濁した感情を、羞恥といっしょに洗いざらいぶちまけた。


「俺は報われとう」いのっちは言い張る。「光栄に思っとう。それに—————猛は立てんくなった。けど、ラグビーを諦めとらん。やけん、俺だって、ラグビーを諦めるわけにはいかん。立てる足もある。タックルできる体もある。猛の分も、ラグビーをせんといかん」

「猛はな———」


 喉仏がグッと鳴った。今朝のことが喉もとまで込み上げた。それを、間髪いれず飲み下した。打ち明けられなかった。これは、二人だけの秘密。


 猛はもう歩けない。走れない。ぶつかれない。

 俺たちは、走れる。だから代わりに—————

 

 みんな、その論理で、誤魔化そうとしている。猛の寝たきりの生活を、排泄できない矛盾を、自尊心が打ち砕かれる現実を美化している。猛の本心に見向きもしない。この秘密を打ち明けるわけにはいかない。



「酒あるやん」

「飲んでいいの?」

「誰が買ったん?」


 小さなプールを隔てた、あちら側で輩たちは騒いでいた。口に咥えたビールは痰のように吐き捨てた。プールの氷水に浮かぶ缶ビールやカクテルに半分困惑、半分うれしそうな顔をする。みんな、まわりに通りいっぺん尋ねて首を傾げる。誰かが投げやりに呟いた。


「まあいいか」プシュっと、小気味よくはじける音がつづいた。

「何しとうとや」


 いのっちは、突き動かされたように椅子から立った。いのっちの実家は酒屋だった。


「今日、聞かれた。お酒、売ってくれって」

「あれ、お前んちの商品?」

「なわけ無いやろ。俺は断った!」


 荷造りをはじめた。飲酒の場に同席したらチームに迷惑かける。教科書、ジャージ、パンツ、ソックス。ぱんぱんに膨らんだエナメルバックを肩に背負う。かつて毎日のように背負っていた黒いバッグのずっしりとした重さを思い出した。俺は忘れていた。


「じゃあな———」

「ラグビーに命をかけてきたけど無駄だった。でも、見渡してみろ」


 道場と豪邸の明かりがプールの水面に揺れる。旧道場のスタジオからB G Mの音色が、夜気の中で浮遊している。


「たった1つの思いつきでここまでやってきた」暗がりに溶けていく丸い背中を見送る。それは決してふり返ることはなかった。背中を向けて、俺は投げかけた。


「またな」つぎは無いんだろうなって、直感で分かった。腹の奥がざわついていた。


————猛は「終わり」を口にしていた。その真実を、誰にも言えない自分がいる。


 「にが!」


 プールサイドの輩たちは缶ビールを地面に叩きつけていた。


「こっちは、いける!」


 甘いカクテルだけは、高校生の味覚に合っているようで「ほろよい」や「ストロングゼロ」は売り切れた。しばらくすると、顔が怪しくほてった生徒の表情が、月明かりや豪邸や道場の灯りに照らされた。


「結局、ラムネがうまい!」


 輩たちはソフトドリンクに回帰する。中でもラムネは人気だった。


「ゴン———こいつなんとかして」


 僕のいる暗がりを嗅ぎつけ、ゲンジたちがやって来た。派手な男女を連れている。お酒の匂いをまとい、ゲンジは舌足らずな声で俺に絡みつく。


「マリアがヒーローインタビューを聞きたいって。知ってる?」

「一番のヒーローはゲンジやん」俺は絡まれたくなかった。

「ダハハハ」鼻につく笑い方だった。その場、その場の享楽をむさぼり、ただ、それだけを求めて、動物的にさまよう存在。人生など考えず、その日その日の欲求で生きている存在。


「そういう、謙遜はいいけん。聞いたよ、体罰動画を激写したのも、ボイコットを思いついたのもゴンドーって」


 長くとがった爪でホワイトソーダ味のほろよいを持ち、もう片手でスマホを握っている。本来、マリアのくだらないランク付のなかで、俺は眼中にもない存在のはずなのに。


「俺のこと知っとうと?」

「有名やん。アキトをぶん殴ったって————因縁あったちゃろ」

  「まあ」

「知っとうやろ? うちとアキトが別れたって、ちなみにゴンドーくんは、どんな因縁?」


 そんな下界の話、どうでもいい。俺は、違った次元で悩んでいる。そこで、俺は、ある男の「終わり」について苦悩している。誰にも言えない秘密を抱えている。


「うち、捨てられたっちゃん。ラグビー部でキャプテンが障害を負ってからさ、アキト、めっちゃ気難しくなってさ。うちが頑張って励ましてやったのにさ。『将来、ipS細胞がなんとかしれくるよ』って——————そしたら、キレだしてさ、意味わからんくない? 器小さい。口実かもやけど————でさ、あいつ、年下の女作って、うちを棄てた。ひどくない? 雪原静香っていう2年。まじ、死ね。アキトも若い子がいいっちゃん。ロリコンやろ」


 俺は、短く吐き捨てた。


「ヘドが出る」


 アキトは論外。しょーもない痴話を、まるで親を殺されたかのように憎悪をたぎらせて話すマリアの悲劇のハードルの低さに、思わず胸焼け感を覚える。


「だははは」


 アキトは反吐がでる。そう聞こえたらしい。マリアは思いの外、満足したようだ。


「ゴンドくんさ、学校の闇を暴いてさ—————かっこいい」


 勝ち馬のにおいに敏感に群がるタイプ。そして、気に食わない存在には全方位的に陰口を叩くタイプ。こうなる以前は、俺のことなんて意識の片隅にもなかったに違いない。ボイコット以前、マリアたちは、ゲンジのことを陰で「障害」とか、「病気」とか、「A D H D」って、揶揄していたことは知っている。


「偶然やろ」

「謙遜せんでいいって。うちも負けんくらい、でかい暴露ネタがあるんよ。なんと思う?」


 マリアは勿体ぶった。すでにその小芝居がしんどかった。短い丈のスカートを小刻みに揺らし、足もとの空気を弄ぶ。マリアのくだらない秘密を一つ一つ解体していくのに、途方もなく思えた。


 陶器のように、のっぺりとしたファンデーション。尖った眉毛の先っぽと、まつ毛は憎しみに逆立ち、口紅は、血肉を噛みちぎった直後のように赤黒く濡れている。カラーコンタクトと、瞳が相いれないのか、虚栄と承認欲求、カレを奪われた怨嗟が、彼女の毛細血管の一本一本に満ち満ち、眼球を血走らせる。


「内輪やろ」

「なんで、そんな塩対応なん。ツラ。違うけん」

「なんなん?」

「小西乃愛って2年。雪原静香とよくつるんどう。そうやん。まず、あいつの周りからまず潰そうかな。わりと面白いかもやん。自分が傷つくより、あいつに近い人間が傷つく方がけっこう効くっちゃない? 知っとう? 小西乃愛とミドコロの話—————」


 理性を失った動物のように、カラコンの瞳は点になった。


「噂やろ?」


 ゲンジは足を組みなおし、スマホをいじりながら遮った。「あいにく、そんなゴシップに頼らなくたって、俺たちは十分勝てる。マリアの話は、たぶん、私怨とか誇張があるやろうし」

「は? うちのこと信じんと?」


 マリアはキレた。すこぶる不機嫌になった。それとうって変わり、欲望をくすぐる噂話の匂いに、周囲の人影が群がった。マリアはその中心で、すべてを支配する女王のように、わざとらしく肩をすくめた。


「えー、教えてよ」


 月は高い。空には雲一つなく、蒸し暑い夜気の中で、月光が降り注ぐ。その光はマリアのカラコンや、集まった者たちの頬や額を、青白く照らす。お酒がまわっているのか、月明かりでも、鼻先にほんのり赤みがさしている。アルコールの酔いと、噂話への好奇心がないまぜになった熱気。渦のまん中で、マリアは秘密を小出しにして弄ぶ。



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