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フラワーガーデン(15)



 次のニュースです。先週土曜日。ネットに投稿されたある動画が、ネット上で波紋を呼んでいます。教師数人が生徒を押さえつけて、バリカンでその頭髪を刈っています。いま、流されている映像は、福岡市内の私立高校・極東学院大学附属高等学校の体育館で、文化祭中に撮影されたものです。かなりショッキングな体罰をとらえたこの映像に、ネットでは非難の声が相次いでいます。



 その朝、極東生がこの街から消えた。



 いつもなら、薬院駅の乗り換えるとき、灰色の背中が連なっている。誰もいない教室で机と椅子だけが並んでいる。いるのは静香と吉川さんだけだった。萌映の机だけ、ラグビー部の黒いエナメルバックが置かれている。無人の教室もあった。新校舎に吹きぬけのガラス天井から、秋の気配をまとった日差しがそそぐ。沈黙に耐えかねて、吉川さんに話しかけた。いつもマスクをしている子だった。もの静かな彼女はタブレットを開いて、今日、発表予定だった英コミのプレゼンの原稿を目で追って、そらんじている。


 「吉川さんも来てたんだ」

 「うん、あと山中さんも」

 「萌映ね、そんなん?」

 「視聴覚室でミーティングしてる、ラグビー部の」

 「じゃあ、3人か」

 「そうだね」

 「そういえば、当選おめでとう。生徒会長やろ?」

 「ありがとう——————でも、たったの52票でちゃけど」くすっと笑う声が、マスク越しにくぐもって聞こえた。


 「うちは、吉川さんに入れたけん」

 「そうなん」


 マスクで表情は乏しい。けれど、吉川さんは、半開きだった目を少しだけ大きくして、はじめてこちらを見た。


 「生徒会長、頑張ってね」

 「ありがとね。さっそく洗礼やけど——————」

 「あら、静香ちゃんも来てくれた!」


 ミゾヱ先生が現れた。カーディガンの肩にしわが寄っていた。その声は無理やり明るく、こじつけで張り上げている感があった。けれど、その声音の裏に、ひび割れた硝子のような音が混じっている。ミゾヱの片手に出席簿を持っていたけど、それを開くことはなかった。


 「今日の1限の論理国語、教科書は進まず、別のことでもしようか、たとえば、自分たちで詩を作ってみるとか————」


 その時、校内放送が流れた。人がいないぶん、はっきりと響き渡った。


 「——————先生方に連絡です。いまから、臨時打ち合わせを行います。至急、職員室にお戻りください」


 足音がした。数学、英語、保健体育、地理歴史、生物、化学。先生たちが廊下を駆けぬける。みんな表情をひきつらせて、焦燥感のにじむ足取りだった。ミゾヱは、「すぐに戻ってくるね」と笑顔を残して去っていった。虚しく床をこすりつけたような足音が、変に耳に残った。その踵を引きずる音だけがミゾヱの心の内を明かしている。ミゾヱ、眠ってないなって思った。そのあと、校内放送がまた流れた。


 「生徒はしばらく、自習にしてください」


 嘘つきと、力なくひとり笑った。だけど、憎む心はない。可哀想と思った。センセイの空元気の相手も心が抉れるなって思った。そっと、スマホに手を伸ばすと、猛からメッセージが届いていた。


 『学校どうなっとうと?』


 ——————猛先輩に会いに行こう。そう思ったときには、すでに立ち上がっていた。仮病を使って早退しよう。廊下に出ると、校舎全体がひどく間延びしたように静まり返っていて、自分のローファーの足音だけが、あけすけに反響する。人気のない階段を駆け下り、職員室前にたどり着いた。


 そこに、アキトがいた。


 朝の光を受けながら、彼はまるで銅像のように、じっと立ち尽くしていた。アキトに話しかけようとしたとき、職員室からミゾヱの金切り声が飛び出た。男のどなり声がかぶさった。定年間際の落ち着きを払った声も聞こえた。


 「ボイコットを認めるんですか!」

 「生徒は先生の言うことを聞かなくなり、生徒指導は破綻します」

 「若い熱狂が暴走するかもしれません。収拾がつかなくなります! 生徒たちの要求を呑むということは教育とは言えません。迎合です!」

「しかし、我々は自分たちの過ちを認めなければならない! 社会も生徒側に立っている。すでに全国的に取り上げられている」校長の声もする。窓のブラインドは閉じられ、わずかな陽が射し込み、教師たちの曇った表情を縞模様に照らした。

「信頼回復と、収束に努める。それしかない。生徒から信頼してもらえる学校に。それを見届け、私は辞職します」


 冷たい水が撒かれたように、職員室にしばし静寂が訪れた。それも束の間、女性教師が身を乗り出し、静寂を裂いた。声も唇も震えていた。


「いかにも身を切ったかのようにおっしゃていますが、要するに自分だけが生徒たちにいい顔して、学校は去るから、その後はよろしくってことですよね!」

「違います!」

「トップ校の校則は自由です。そこにはしっかりとした『文化』が根付いています。わが校はどうでしょう? 先生方もご存じでしょう。そのレベルじゃないのです!」保健体育の先生が立ち上がって、怒気を孕んだ声でつめ寄った。


「校長先生。この反抗はもともと、ほんの一部によるものでした。ほとんどの生徒は興味すらもたなかった。しかし、姑息な手口で、生徒たちに漬けこみ、伝統校を揺るがす事態になったんです。未然に防ぐチャンスはいくらでもあったはずです。業務妨害として被害届を出して、警察と連携して、例の生徒たちを進路変更に持ち込めば、こんなことにはならなかった。しかし、あなたは、変な眼鏡をかけてかばった。いや、問題を放置した!」


 教頭までも声をあらげていた。ミゾヱはそれに噛みついた。


 「それは違うと思います! やっかいな生徒は、みんな進路変更に追い立てれば、あの丸刈り事件は起こらなかったとでも言いたいんですか! 教育者として冷たすぎませんか? 世の中は変わってきているんです。それに我々は、適応できなかった! だから、全国ニュースで騒がれてるんです! 変わる必要があったんです!」


 ミゾヱは泣いていた。青い血管が浮き出た手から、出席簿がすべり落ちた。乾いた音が響いた。空気が限界まで張りつめ、緊張は飽和していた。どこかで聞いた疲れた女性の叫びだ。


 「昔の話です——————」


 古典の老教師は、穏やかに語りだした。


 「私がまだ新人だったころ、あなたもそうですが、当時の先輩教師からある話を聞いたことがある。いまから、50年前、学生運動が激しかった頃、2人の極東生が上京し、学生運動に参加していたことが発覚した事件がありました。当時の4代目校長は、ふたりを退学処分にしました。あまりに厳しい処分で可哀想だと思いました。いま思えば、先輩方は、こうなることを——————」


 沈黙がまた戻ってきた。誰も、その初老の声に、言葉を継げなかった。


「——————職員会議を終わります」


 校長は、苦しまぎれに言った。校長は亡霊のように、やつれ果てて出てきた。会うたびに、校長は白く透けて、疲れた亡霊になっていく。まぶたは浮腫み、目もとは落ちくぼむ。


「逃げるんですか」


 ため息まじりの声が聞こえた。すれちがう校長に見むきもせず、アキトたちは職員室に入って行った。彼らは、悲痛そうに声をうわずらせて「虎衛門先生」と呼んだ。ミゾヱは、出席簿を胸に抱えたまま、静香にうなだれる。髪は結ばれている。その中で、白髪が際立っていた。いたたまれない気持ちになった。うちが、早退すれば、吉川さんがひとりぼっちになってしまう。でも、仕方ないと思った。このときばかりは、自分の気持ちを優先したいと思った。静香は保健室に行って、保健室の先生に、早退届を書いてもうらうことにした。


       ********

 


 「静香、暇すぎやろ、中間考査近いやろうが」


 猛の見舞いに行った。彼は、ベッドのリクライニングを上げた。太くすわった首筋に、丸刈りの頭。表情はにこやかだった。怒っているのか笑っているのか、複雑な陰をともなっている。それでも、はなんだかんだ嬉しそうな笑顔のほうが勝る。


「みんな、学校きてなかったもん、やけん、うちもいいかなって思って」

「お前まで加担すんな」猛は笑った。

「重いもん。職員会議しとったけど、ミゾヱは泣くし、校長はいまにも倒れそうやし。それに校長も、『校長をやめる』って言っとった」

「そうなん——————」

「学校もどったら校長センセイ、説得してね。うち、校長好きっちゃん」

「お前、校長好き過ぎやろ」

「その、マスコットキャラ的に好きってこと、マスコットやったやん。毎朝、正門に立ってさ!こんちわー、コンチわーって、あれが好きやった」

「あーね。まかせろ。車いすの俺にお願いされて、それでも断ったら、校長、サイコパスやけん」


 静香は、今日一番に笑った。今朝のどんよりした世界線が嘘のようだった。

  

「あら、可愛い子がいると思ったら」


 猛のママが立っていた。猛の母の化粧の粗さ、がっしりした肩幅、それに似つかわしくない、うつむくように曲がった背中。丸く膨れたレジ袋が、猛ママの重心になっている。身体の軸は傾いていることにもどかしさを覚えた。あの日怒られてから、ずいぶん、年月が経った。


「この前はごめんね」

「何がですか?」


 わざとボケた。即興の演技が入る。


「ひどいこと言ったじゃない、静香ちゃんに」

「—————なんでしたっけ? ぜんぜん、大丈夫です」


 あの日の猛ママの顔は、脳裏にしっかり焼きついている。介護疲れで、神経をすり減らして眉骨が突きでた分、その下の影が濃くて、眼球を失ったかのように落ち凹んでいる。影のかかった瞳をよく見ると、乾いた涙の名残のように、何度も指で擦ったように赤くなっている。猛ママは笑っていた。声も柔らかく、頬にも、かすかな血色を取り戻している。だけど、顔のまぶたの縁、頬骨の下、唇の下のわずかな陰り—————それらの形や大きさ、そして数は、さっきの職員会議のミゾヱのそれと似ていた。


「いつも、来てくれてありがとね」

「暇なんで」

「学校大変やそうやね。ボイコットのニュース観たよ」


 静香はレジ袋を見た。パック詰めされた精肉や、キャベツ一玉が透けて見えた。


「ごはん作るんですか?」

「チューブを卒業して、嚥下訓練を始めて、やっと流動食を食べれるようになったの。でも、いっつも、減塩の病院食ばっかやけん。週一くらいはなんか、ミキサーにした美味しいの作ってあげんとかわいそうやん。ホントは、毎日作ってやりたいけどね、でも、塩分摂りすぎで血圧を上げるのもいかん。難しいね」

「うちも手伝っていいですか?」

「大丈夫やけん! 静香は客やん」


 ベッドから、猛が照れくさそうに口を挟んだ。


「猛、嬉しいの。こうやって、友だちが来てくれるの」

 

 入所者用のキッチンで、猛のママは囁いた。一瞬だけ力が抜けた。疲れがどっと湧いて、重力と、気圧の重さに抗えられなくなってしまったように給湯室のシンクに手をつき、蛍光灯の冷たい光の下でため息をこぼした。


「これからも来ます」

「静香ちゃん—————強制しとるわけやないけん。気がむいた時でいいから。そんな、うちの子に、気いかけんでもいいけん。静香ちゃんは、静香ちゃんの高校生活があるやろ?」

「————」

「猛、親にさえ言うの。私がね、不意にね、悲しそうな気持ちになっちゃうと、あの子ホント鋭いの。いつも、私の前ではまっすぐなの。『ラグビーを始めたこと、後悔しとらん』ってキッパリ—————ダメやね、あの子が一番、大変なのに、私が悲しい顔をしちゃ」


 猛のママは、涙ぐんだ。言葉の端々ににじんだ感情は、ついに堰を切った。目元がゆるみ、涙でにじむ。静香は、可哀想な背中に寄り添った。少し丸まった肩が、細かく震えている。静香は、自分の体温が、少しでも彼女の疲れた背に伝わればと、ゆっくりと背中に手を当てた。


「ごめんね、せっかく来てくれたのに、おばちゃんの涙なんか見せちゃって—————」


 涙がこぼれ落ちないように仰ぐ目に光が宿った。その奥に深い疲れと耐えがたい悲しみが溶け込む。


「いいですよ。どうせ、今日も学校、重かったんで。ボイコットで生徒全然来てなくて担任先生も泣いていました」

「学校も大変ね。大変なんだろうけど——————こっちもこっちでね。どうも、なんだか感覚も麻痺しとってね」

「猛さんの姿に、みんな勇気をもらってるんです。アキト先輩も、佑太も、みんなで一つになれると思います。それで、予選勝ち進んで花園出場できれば、学校の暗い空気だって—————」

「そう言ってくれて、嬉しいわ。お母さんもがんばれる」


 猛の母は微笑ましそうになった。これまでの負の感情を断ちきるように、レジ袋からキャベツを取り出し、キャベツの芯をくり抜いた。キャベツの芯に刃が通る。刃先がまな板を叩く。その音が心地よかった。


 「なにを作るんですか?」尋ねると、猛ママは笑顔で言った。

 「ロールキャベツよ」

 「え、私好きなんです!」


 見え透いた嘘。自分でもおかしくなる。だけど、その時ばかりはマヨネーズがなくてもいけると思った。


 病室から古っぽいメロディーが聞こえてきた。有名な曲なんだろうか? 聴いたことがるような、ないような、なんだか懐かしいメロディーだった。


「また、あの曲」キャベツの芯を生ごみ入れに置きながら、猛ママはつぶやいた。「あの子、だいぶ気に入ったみたい」


「猛さんが流してるんですか?」

「ラグビーばっかだったあの子には珍しいけど、ゴンくんが教えてくれたの。ちょうど、今朝よ。ふらっと、見舞いに来て——————」


 二人はつながっていた。あんな、言いあっていたのに。真の友情ってやつなのか。


 猛ママは慣れたように、鍋に水をはって火をつけた。小さな音を立てながら、水面が揺れはじめる。緑色のキャベツの葉を一枚一枚はがして、丁寧に広げた。ぐつぐつ煮たったお湯にキャベツの葉っぱをくぐらせた。念には念をと猛の葉っぱは、ながく湯掻いて、ミキサーの中に入れた。芯に近い白い葉っぱは、細切りにして、ひき肉と混ぜてこねる。そこにブラックペッパーとナツメグ、細切りの玉ねぎとにんじんを混ぜて、静香は、拳サイズに丸めた。


「もっと小さくていいよ」


 猛のママは、そっと微笑みながら手本を見せてくれた。うちのママがやっている拳サイズが恥ずかしいくらい、ひとまわり小さく、円すいで細長く、いかにも上品で整ったロールキャベツって形にして、緑色のキャベツの葉っぱに巻きつけた。


 鍋に大きめなバターの塊を入れて、溶かした。底からバターは溶けていく。そこに塩をひとつまみ加えて、よだれをそそる芳醇な匂いがひき立った。湯気が暖かく、静香の顔をやさしくして撫でる。静香は、目を薄く細めた。


「いい匂いでしょ」


 猛のママは微笑む。静香は、神様というものを憎んだ。なんでこの人の、最もかけがえのない大切なものを、傷つけたんだろう。優しくて、はたからみて微笑ましい父と母の子どもを。才能に恵まれて、それでいて謙虚で、人の心の痛みがわかる先輩だった。災難を受けるべき、悪人なんて、ほかに吐き捨てるほどいるはずなのに。ミキサーにバターで炒めたひき肉を入れながら、猛ママはふと思い出したように声を張った。


「あらいけない。猛にコンソメ味がいいか、トマト味がいいか、聞いてもらっていい?」


 猛の部屋から音楽が聞こえた。男性の、抑圧され、低く渋く、ゆったりとした歌声だった。ベッドのリクライニングを起こし、窓から覗ける、玄界灘の景色を見ていた。枕もとに水筒型のブルートゥースのスピーカーがあった。猛は、恍惚そうに目をほそめ、瞑想してるようだった。そこに入るのは、なんだか気がひけた。


「なんて、曲ですか?」静香は聞いた。

「マイウェイ」猛は笑った。

「ゴンが教えてくれた。アップルミュージックにあるっちゃん。暇で死にそうでさ。俺の知ってる曲だけじゃあ、飽きてきてさ」

「ゴンさん、多趣味ですね」

「あいつは、なんでも知ってる。ピアノもできた。ラグビーバカの俺とは違うな」

「————————」

「リクライニング落としてくれん? キツイわ」


 猛は、顔をゆがませて、顔色が目に見えて、青ざめた。やはり、めまいがするらしい。枕元のボタンを押して、背もたれをゆっくり倒した。あお向けなると、起立性低血圧の症状は和らいだ。


「しんどいけん。貧血とか、無縁やったのに。小学の集会のとき、貧血で倒れる奴いてさ。ずっと軟弱って、思ってたのに。そうやって、馬鹿にしとったけん、俺に返ってきたんやろな」


 猛は白い歯をのぞかせ、ほがらかに笑った。運動不足で頬の肉はたゆみ、顎の輪郭はぼやけている。薬の副作用で、唇はひび割れ、めくれ上がって白く乾いていた。


「焦らんでいいけん。あせって、倒れたりでもしたら、そっちこそ大変やん」

「うん。ごめんな。心配かけて」猛はしみったれた顔を見せた。

「何を謝ってるんですか」

「そうだな。じゃあ、もう一回、流してくれん。 ゴン、あいつ、選曲センスあるわ」

「オッケーです」


 静香は、猛のスマホにやさしく触れた。また、あの曲が流れた。何かを失った人のひび割れした心を、羽毛のようにそっとさするバラード。瞳を閉じた。音に導かれ、まぶたの裏で、メロディーが織りなす情景を自分なりに心の中で描いた。誰かが夕焼けを背に、我が人生を振り返っているような光景を。



 And now, the end is near

 And so I face the final curtain

 My friend, I'll say it clear

 I'll state my case, of which I'm certain

 I've lived a life that's full



 耳を疑った。反射的に、静香は猛のスマホに手をかけた。音楽が止まった。風のない静寂が病室を丸めこんだ。無音の中で、静香は問いただした。


「この人、なんて言ってるの?」


 猛はバツ悪そうに唇をすぼめ、目はどこか恍惚としていた。


「いい曲やない?」


 静香には、かすかに聞きとれた。大それたリスニング力はない。だけど、往年の男性歌手の発する単語と単語を並べてみるとなんとかくわかる気がする。この男は「終幕」を歌っている。あるニュアンスを感じた。静香は、恐る恐る静かに問いただした。


「メロディーはいいんやない? けどさ」


 仰向けの猛は、天井を見上げていた。目に映るのは、無機質な天井やカーテンレールではなく、いかにも、春か秋のすみきった、やさしい青空を見上げるかのように、すばらしく眩しそうだった。


「英語わかるん?」

「————少し」

「そっか。俺は、さっぱりやけん」猛は軽やかに笑った。

「やめてね———————」

「何を?」


 ただ、メロディーをすき好んでいるだけなのか分からない。それとも、曲の意味を知って惚けているのか? けど、猛は言い切った。


「俺、このメロディーが好きっちゃん。歌詞はよくわからん。俺の英語の成績知っとうやろ? まじ、絶望的やけん」


 いけない。疑う行為そのものが無遠慮な気がする。猛は戦っている。みんなにまた会うために。ラグビーのために。猛がそんな気を起こすなんて、ありえない。この曲を聴くだけで拡大解釈しちゃううちこそ。どこかで「もし——————」を考えるうちこそ、陰険だし、いやらしい。


「みんな、俺が戻ってくるのを待ってるけん。俺、ガチ頑張るけん」猛は、闊達に笑うだけだった。


「ほーら、できたわよ」猛のママが皿を持ってきた。

「何話してたの、もう。コンソメ味にしちゃったのよ」


 猛ママの笑い声が、湯気の向こうで揺れた。幸せな親子の日常を垣間見た。そんなわけない。静香はかぶりを振った。この親子に、そんなことがあるわけがない。猛のロールキャベツは、しっかりミキサーにかけられて、形を失っていた。けれど、キャベツとひき肉と、隠し味のコンソメが余すことなく滲み合っている。形あるロールキャベツよりも、猛の皿の方が、ずっと美味しそうに見えた。


 湯気の向こうに、

 三人だけの、かすかな幸福が立ち上っていた。



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