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フラワーガーデン(1)

挿絵(By みてみん)


Flower Garden 




いまや 終りが近づき

最後のカーテンが下りようとしている

友よ そこで君に

ぜひ言っておきたいことがある


充実した人生だった

いろんな旅をしてきた

とにかくやってきた

自分なりに




プロローグ




中学生のとき、アキトは北九州に住んでいた。中学2年のとき、捜査員たちが家に押しかけた。見せつけた令状はトイレットペッパーのように薄かった。玄関は、脱ぎちらかされた捜査員の革靴でごった返す。母は泣きくずれ、妹はリビングの隅でかたまっていた。捜査員が歩きまわり、大きな家は狭くなる。アキトは父を探しに家を出た。外の空気を吸いたくなった。


父の会社がある駅前ビルに行って、堅牢な扉を叩いた。右手が痺れてやっと、ドアは開き、若い男がこちらを睨む。その隙間へもぐり込んで、つかみかかる子弟の腕をふり払った。土足であがり、父の執務室につきあたる。不動産と焼肉店をしていたはずの父は、黒い椅子にもたれて息子に言った。


「アキト、ここに来るなと言ったやろ」


佇まいで父の職業を知った。悪びれることもなく、ふんぞり返っていた。


あごを使って舎弟に、アキトを追い出そうとした。その腕をふり払おうとしたが、敵わなかった。まだ、健気でいたいけな喉の叫びは女々しかった。父の事務所にも、警察がやって来た。事務所の入口で小ぜり合いがおこったがあっさり、警察は中に入っていく。父もまた、法に女々しかった。


父が撃たれたのは翌日だった。空一面に、雨雲が塗りこめられた梅雨の日。街全体が、半透明の黒ずんだ排水に沈んで、どんよりとしていた。


 電話が鳴った。誰も出なかった。リビングはうす暗く、何もない食卓をかこんだ母も妹も昨日の家宅捜索で疲れきっていた。電話の音はつづく。父はジョギングに出かけていた。沈黙にひき立つ電話の音に痺れをきらし、アキトが出た。「事務所の者」と名乗る男は、うわずった声で言った。


 「事務所が襲撃された。親父が危ない」


母から「なに?」と訊かれた。返事に困ってしまい、アキトはその日も外に出た。どしゃ降りのなか、アキトは八幡の街を駆けた。六十を過ぎた父は豪雨のさなか、日課のジョギングに出ていた。


アキトのフォームはあべこべになる。梅雨はむさくるしかった。打ちつける雨は生ぬるく、汗をながさず、皮膚にねばったく染まった。ほてった体の内側で、怒りとか悲しみとか、羞恥心とか、雨水とかがないまぜになり、雨に濡れているのか、自分が汗っかきなのか分からなくなった。シューズはなかまで濡れて、足がむくむ不快がこみ上げた。靴ひもは解けて、右足が左足のひもを踏んづけ、派手にこけた。


そのとき、銃声が聞こえた。聞こえた方向に恐る恐る歩いた。ジャージ姿の父は、あお向けになっていた。住宅街のT路地は、十字架のようだった。父はあたかも、それに打ちつけられたようだった。だけど、表情は撃たれたというより、うっかり転んで寝そべり、天をあおいで、温かい雨を受けているように恍惚としていた。


 「アキト」


血抜きされた父は、消えいりそうな白い顔で言った。


「しっかり、男の死に様も見せんと」


雨のしずくが一粒落ちても、まばたき一つしない父の瞳は、半値で買いたたかれた鮮魚のように生気なくだんだん霞む。


「クソ野郎」


もはや、アキトには街灯の照らす世界はモノクロに映った。アキトの目玉は濡れた。その表面張力では、耐えきれなくなり涙のしずくが落ちた。宙で、雨が涙と一緒くたになり、しなびた父に降りそそぐ。父の突き出たお腹から墨汁のような血は、アスファルトを流れる雨水にくらべて、ずいぶん悠長に流れた。


 『抗争やん。銃で撃たれた』


銃声を聞きつけた住民らは、近寄ろうとしなかった。誰も助けようとはしなかった。


『近づかんどき、巻き込まれる』


父は、最期のプライドをあてつけ、動かなくなった。警察が来るまで、アキトはずっと立ちつくした。父を軽蔑した。最期の言葉は、死の世界に片足踏みいれた人間の言葉だった。なんとなく聖なる気がした。





事故




 吾妻山のふもと、菅平ラグビー場。


 太陽はギラつき、天然芝は太陽をまるごと照りかえす。地上はきらめき、目が眩む。地上は光の海になった。7月半ば、長野県の菅平高原で、7人制ラグビー(セブンズ)の全国大会が行われた。3日間の激戦の末、極東学院は予選リーグ2位で終わった。けれど、敗戦に沈む暇はない。


 フィジカルと戦略が、複雑に絡むラグビーの花形。15人制ラグビー(ユニオン)のための合宿がここから始まる。メンバーはみんな心を入れ替える。大会後のミーティングで、メンバーたちで敗因を語らう。うなだれる者はいない。語気を強める者もいない。ただ冷静に、己の足りなかった点を口にする。


 判断しつづける体力が足りない

 ボールを持たない選手の遅い1秒の動きが、ボールを持っている味方を孤立させている。

 コンタクト後の素早い立ち上がり。そこからの判断と展開が遅い


 アキトは、接点が連続する密集のユニオンに、セブンズのスピードと展開力をどう落とし込むべきか、考えあぐねいていた。


 高地の涼しさと引きかえに酸素は薄い。パスにスクラム、タックルの基礎練習。練習試合が続き、脱水と給水のくり返しで、五臓六腑はヘトヘトになる。弱った胃に、毎食3合の白米をかき込めば、吐くに吐けなくなる。走りこめば、吐き気は引っこむ。けれど、夕食のときに、むかつきはぶり返す。合宿の最終日、地上へ降りるバスに乗って「うち帰ったら、一日中寝るわ」と、みんな笑っているに違いない。それが毎年恒例の合宿。満身創痍の彼らは、すばらしくタフになっている。この日の午後、極東学院は、東蔭学園と一戦を交えていた。東蔭は、7人制ラグビーで優勝した強豪。


18-23


 後半20分、極東の追いあげトライで、東蔭との点差は5。極東学院のキャプテン3年剛田猛をまん中に、黒ずくめの選手たちは肩をよせあった。


「タックルされまくってるなら、こっちもしまくれ。あと、ワントライ」


 昨日は、東西大学暁星高校との激闘を1点差で制した。7人制ラグビーの大会からの、連日のハードスケジュール。プレイヤーの肉体に疲労が常に、執拗にまとわりつく。


 フルバック2年 野比佑太は、助走の歩幅をたしかめる。心で決めた芝の生えぎわを、スパイクで触れる。ラグビーボールを立てて、ひと夏、茶色に染めた髪を、横へたなびかせる。祈るように空に仰ぐ。ひと息つけ、目が見ひらき、ボールにせまった。


 蹴り手の心に描いたとおり、ボールは美しい弧をなぞった。副審が、旗をはためかせた。キック成功のホイッスル。2点加わった。


 点差は3。長いホイッスルで、再びキックオフ。佑太が蹴りあげた楕円の影は、ぎらつく陽射しへ吸いこまれ、まぶしい残像のうちになくなり、グラウンドに落下する。敵のフォワードがキャッチし、猛へ向かう。はりつめた音とともに、杭が打たれたように止まった2つの巨体。


 「ストレート!」

「みぎ、右!」「左!」


 声が、飛び交う。ディフェンスとオフェンスが殺到し、両極から力をかけられ、2つの巨体は浮いた。穂先はスパイクに斬られ、芝は削られ、根こそぎえぐられ、土が舞う。いりみだれた塊は停滞する。


 死守されたボールが敵のスタンドに投げ込まれた。ラグビーボールが、東蔭のバックスたちの手から手へ渡り、敵のセンターがおどり出た。極東センターが低いタックルをする。その肩が、敵の腰を掠めた。つまずいた東蔭センターは一瞬、平衡感覚を失った。左ウィング3年のアキトは、その隙をつき、間合いをとって迷いなく飛び出た。


 追撃タックルで敵は、天地がひっくりかえったように倒れた。 アキトはすぐ立ちあがって、ボールに手を伸ばすが、フォローの敵フォワードに吹き飛ばされた。その刹那、極東フォワードも遅れて、敵フォワードに正面からぶつかった。ターンオーバーは未遂に終わった。監督の虎衛門は、中学陸上で名を馳せたアキトを、高校ラグビー日本代表に育てた。アキトはフィジカルを強化し、10キロ増量し、コンタクトとパスを磨き、ラグビーの技を身体化させてきた。


 チャンスボールはたち消えた。東蔭フォワードが押しこんで、敵スタンドオフに展開した。敵は広く走った。仁王立ちの極東の鬼監督は、眼光をチラつかせた。指導者特有の切りたった頬と、平行してきり立つ鋭い鼻筋。


 アキトは、太ももや二の腕の筋肉痛に苛立った。蓄積された疲れと痛みの感覚。自分の肉体とは、別個に存在しているような感覚。


 敵センターは、パスとステップの機動力で、極東のディフェンスラインをつき破った。ゴールラインまで22メートルでフルバックの佑太が食い止めた。ゴールラインを背にして、あとがない極東学院。濁流のように押し寄せ、トライを貪ろうとする東蔭。ゴールライン手前の肉薄した死闘。モールの密集戦からボールをまわして攻める。極東が寸止めするタックル。再び、密集戦。


 アキトは苛立った。その感情のうねりをプレーにうまく昇華できない。セミの耳鳴り、脂汗のぬめり、太陽の横溢、筋肉痛。すべてを棄てて走ればいいのに。かぶっているヘッドキャップは、すでに汗を吸いとって、それ以上は行き場を失い、アキトのとがった顎へ伝って落ちる。汗は、皮脂をにじんでいる。まるで、真夏にオイルをまとった感覚。密集戦からのアタック。それを受け止めるタックルからの密集戦。敵は、眼窩に火花をちらつかせ、肉弾戦に挑む。その8フェーズ目、敵フッカーにラグビーボールが託された。ゴールライン上で、猛は低くタックルした。


 骨のうずく音が聞こえた。


 二人は倒れた。その境界線上に、敵味方がぶつかった。両極のふんばる力がたがえた。塊は崩れて、人の山ができた。レフリーのホイッスルを鳴らして、時は止まった。頭や足先、手首ないまぜの山は、一人また一人とめくれた。敵フォワードが膝をついて立った。猛は、打ちあげられたように横たわっていた。メディカルホイッスルが鳴った。


 「キャプテン、君のポジションは?」


 コーチたちが問いかけても、キャプテンは唇をゆがませるだけだった。脳震盪だと思った。むっくりした瞼を開けると、瞳がまつ毛の生えた下瞼の縁へ沈む、クリーミーな目をしていた。ドクターは呼吸とリンパ、太い手首をにぎりって、脈をしらべた。猛の表情はあっけらかんとしていた。キャプテンは、担架で運びだされ、大人たちが駆けまわる。


 チームは動揺していた。アキトは「集中」と一喝した。猛の分まで燃えないと、また不運を呼んでしまう気がした。猛がそ知らぬ表情でもどってきたら、俺たちがうろたえたことを笑うだろう。


「パイルアップ!」


 東蔭ボールのスクラム。レフリーがスクラムからの再開を告げた。双方のフォワードが肩と肩を組む。弔い合戦になってなかろうか。アキトは目をつぶって、ばちあたりな邪念を封じた。


「バインド、タッチ、セット!」


 2つのフォワードが1つになる。スクラムを組んだ16人の、極限まで締めつけられたうめき。スクラムのせめぎ合い。敵は、全力をつくす礼節を最後まで果たそうとする。敵ナンバーエイトが、正面突破を挑む。極東フォワードが受け止め、密集戦がはじまる。東蔭フォワードが濁流のように押し寄せ、極東は堤防のように食い止める。双方のフォワードがないまぜになり、塊はトライゾーンすれすれで停滞する。


「出せ!」


 東蔭学園のスタンドオフが叫んだ。フルバックの佑太は、聞き逃さなかった。膨らみすぎて、停滞した塊の奥から、ラグビーボールを引きはがし、バッククスラインへ解き放たれた。スタンドオフ、センター、そして、ウィングへとラグビーボールは渡っていく。東蔭の展開された軌道のはざまに、黒い人影が割り込んだ。佑太にとってその軌道はあまりに律儀だった。計算ではなく、直感でその軌道の狭間に飛び込んだ。


 空気をつき破る加速。センターからウィングへ、パスされたはずのラグビーボール。それが消えた。東蔭のセンターとウィングのあいだを走り抜けた佑太がボールを横取った。風を切る音が、あとからやってくる。その頃には、佑太は離れたところを疾走していた。インターセプトが決まった。攻守が鮮やかに変わった。


 東蔭のフルバックが立ちはだかって、佑太を掴みかかる。佑太はためらうことなく、ボールを放った。そのとき、追い風が吹いた。


 アキトが佑太から託されたラグビーボールを右腕に抱えた。最後の砦である敵フルバックを突き放す。短距離走の感覚。それが蘇る。アキトは風になった。すべて置き去りに、トライゾーンへ滑走し、飛んだ。青空のどこへでも飛んでいけそうだった。


「トライ」


 長いホイッスルが鳴った。不吉な予感はさし置かれ、希望がみなぎった。すぐに立ち上がり、キッカーの佑太にラグビーボールを託した。佑太は大きく息を吸ってコンバージョンキックの準備に取りかかる。いつものように、芝生の感触をスパイクで確かめる。その矢先、突然ホイッスルが鳴った。


「ノーサイド、ゲーム中断!」


 アキトも佑太も、唖然としていた。アキトの抗議に、レフリーは意を介さなかった。視線は、場外に向けられた。


 虎衛門は、そのプレイを観ていなかった。それで事情を悟った。東蔭の監督も、場外に運ばれた猛につきっきりだった。マネージャー2年の萌咲が、アイシングのための氷を持って猛に駆け寄ったけど、「どいて!」と駆けつけたドクターに、押しのけられた。アキトは不完全なノーサイドを忘れ、やりきった気持ちをすべて猛にかけた。ヘッドキャップを捨てて、猛のもとへ急ぐ。


 「十七歳男子高校生。ラグビーの試合中に、数人の下敷き。重傷。意識あり」


 ドクターが119番をしていた。猛を囲むベンチメンバー、Bチーム、他校の選手やコーチらの空気感は、どんよりしている。


「猛!」


 トレーナーがスパイクを脱がされた足の指をつまむ。キャプテンは煮えきらそうに訊いた。


「足ありますか?」


 ヘリのエンジン音が轟いた。ドクターヘリが旋風であたりの砂を巻きあげ、グラウンドに降りたった。ヘリから降りてきた救命医は、轟音にめげず、現場にいた大人たちに怒鳴った。顎に、ギブスをはめられた猛の眼ざしは、日光に眩惑し、ぼやけている。唇はあんぐりしている。


「信州大救急センターへ搬送します」


 ドクターヘリの中で、救急科の看護師は猛の頭をバリカンで刈った。キャプテンは、手際よくスキンヘッドになっていく。ますます、ことの重大性を悟った。


 ヘリは飛び立った。カチカチな太陽の残像と重なり、ヘリは青空へ吸いこまれた。さっきまでのキャプテンは戻ってこないんじゃ。アキトはかぶりを振って、そらおそろしい邪念をふり祓う。


『過去とかいいけん。ラグビーに過去とか関係ない』


 風で、草木がこすりあってさざめく。地上が宇宙に面しているような星空。一年のころ、アキトが、自分の北九州のあの夜のことを語ったとき、猛はたじろがずに言った。それが、言い残されたコトバに成りさがっている。アキトは両手をにぎり、猛にも、神にも、運命にも、有象無象に願った。


「たのむ」




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