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最悪の顔合わせ

 それからイザベラの勉強に明け暮れる日々がまた始まった。歴史、文学、芸術など貴族であれば当然身につけているべき、とされる教養から語学、さらには礼儀作法まで覚えなければならないことは多岐にわたり、まさに朝から晩まで入れ替わり立ち替わり家庭教師が付く。


 疲れを感じない、といえば嘘になるが、とはいえ侯爵夫妻が呼んでくれた家庭教師達は皆、わかりやすく丁寧に教えてくれたし、伯爵家にいた時のようにムチで打つような罰を与えられることもない。おかげでイザベラは安心して勉強に打ち込むことができた。


 侯爵夫妻は領地経営に積極的らしく日々忙しそうに動き回っていたが、それでも食事はできるだけ一緒に取るようにしてくれる侯爵夫人は暇を見つけてはイザベラの勉強を見に来たり、時には礼儀作法の勉強の実践、と銘打ってお茶に誘ったりしてくれた。


『とっても素敵なお茶ですね。……その』

「このお茶は香りが特徴的ですからね、例えばそこを褒めるには?」

「えーっと『爽やかな香りがして素敵ですわ?』」

「そうですね、本当はもう少し詩的な表現を求めたいのですが……」


 開け放った窓から入る初夏の風が気持ち良い昼下がり。イザベラは50手前程のふくよかな婦人と向かい合ってカップを手にしている。ぱっと見はお茶会にしか見えないがこれはれっきとした外国語の授業。


 礼儀作法に気を付けながら別の勉強を進めていると頭が混乱してくる。特に語学が苦手なのは伯爵家にいるときから変わっていない。それでもなんとか笑顔を貼り付け、習ったばかりのフォートテイル語を思い出していると突然ドアをノックする音が聞こえた。


 アンナが開けたドアから入ってきたのは珍しく少し焦った表情の侯爵夫人だった。


「授業中失礼します、ドーシェルさん。急ではございますが息子が帰宅しましたので、今日の授業はここまでにしていただきたいのですが」

「あら、ご子息が? それは大変! 婚約者との初顔合わせですものね。もちろん結構にございますよ」

「ありがとうございます。次回の授業はまた予定通りに。イザベラさん、玄関へ向かいますよ」

「はい! 侯爵夫人」






 侯爵夫人が告げたのは外遊をしていたエドワードーー夫妻の一人息子であり、イザベラの婚約者ーーが帰宅したという知らせだった。


「予定が早まったのですね。夫人」

「ええ、そのようですね。船旅ですからそういうこともあるかとは思ってましたが……」


 そんな話をしつつ、少しだけ急いで玄関へ向かうとすでに使用人たちも集まっている。そこへやや小ぶりの馬車が来て、彼らの前で止まった。


「お迎え有難うございます。ただ今戻りました」


 足元も身軽に地面に降り立ったのは灰色がかった銀色の髪に整った顔立ち、スラリとした体躯をイブニングコートに包んだ美青年。


「おかえり、エドワード」

「無事の帰りで何よりだ」


 そう声をかける夫妻と軽く抱擁を交わしたエドワードはほんの少しだけ好奇の色を瞳に乗せ、夫妻の隣に立つイザベラの前に立つ。そんな彼にイザベラはこれまでの授業を思い出しつつゆっくりと膝を折り、お辞儀をする。


「おかえりなさいませ、エドワード様。訳合ってこちらのお世話になっております。グレンシャー伯爵が娘、イザベルにございます」

「手紙で伝えた通り、あなたと婚約する予定の方。とっても素敵なレディよ」


 なんとか定型文の挨拶をするイザベラをメアリーが紹介する。

 今回の外遊は比較的長期間だったらしく、まだこの婚約についてエドワードは手紙でしか知らない、と夫妻からは説明されていた。

 いくら手紙で伝えられていたとはいえ、突然婚約者になる、という女性が家にいれば、困惑されるだろうか? と心配していたイザベラだが、エドワードはそんな素振りも見せず少し気取った様子でイザベラの手を取り、白い手袋にほんの軽く口付けた



「これは愛らしいレディですね。改めてマイルウェル侯爵が息子、今はヴァーレンシア子爵の名を頂いてますエドワードです。どうぞよろしく」


 絵本に出てくるような絵に書いたような貴公子の、これまた恋愛小説にでも出てくるような完璧な振る舞いにイザベラは顔を赤らめる。


 イザベラが侯爵家にやってくるのに合わせて雇われた、という若い侍女見習いも顔を赤くしており、イザベラは自分の反応が大げさではない、と認識した。


「さて、皆は仕事に戻ってくれて構わないよ。エドワードは報告もあるだろうから……とりあえず居間へ移動しようか」


 キラキラと輝く美丈夫のオーラに動けないイザベラに、ロベルトがそう言って助け舟を出す。そこでようやく自我を取り戻した彼女は、使用人達を従えて移動し始めた一家の後ろを、アンナとともに追いかけるのだった。






 イザベラが侯爵家にやって来た日に通されたのと同じ部屋へ4人はやってきた。周りを気にせず話せるように、ということだろう。先程まであれほどいた使用人はほとんどがそれぞれの仕事に戻り、イザベラの専属侍女となったアンナですら席を外している。だからか、部屋にはリラックスした空気が流れていた。


 フォートテイルへの外遊の成果、向こうで会った王侯貴族の近況等、一通りの報告をエドワードが終えたところで、「ところで」とイザベラへ視線を向ける。その視線は先程玄関で受けたキラキラとしたものとは違い、むしろ剣呑な色を含んでいて、イザベラは少し恐怖を覚えた。


「父上、確かに家のためであれば政略婚でも一向に構わないと常々申し上げてはおりましたが……にしても急すぎるのでは?」

「あぁ、だから先程言った通り事情があってな。愛らしいお嬢さんだろう?」


 その言葉にエドワードはむつり、と唇を引き結び、イザベラに視線を移す。そしてもう一度父親に視線を戻してゆっくりと口を開いた。


「そうですね。お言葉ですが我が屋は歴史ある侯爵家です。仮にもその次期女主人が下町生まれの見習い令嬢というのはあまりにも……」

「エドワード! 言葉を慎み」

「酷いですわ! エドワード様」


 エドワードの暴言に侯爵夫人が叱責をいれるが、それより早くイザベラの抗議の声が飛ぶ。もちろん声を荒げるなどはしたないことだ、とはイザベラもわかっているが、怒りを止めることは出来なかった。


「酷い、と言っても事実ではないかイザベラ嬢。先程の挨拶も重心はぶれているし、動きも洗練されていない。酷いものだったぞ」

「今、まさに勉強中なのです。大体見習い、だなんて私はきちんと王家に認められた伯爵の娘ですわ」

「認められたか否か、と言う問題ではない。令嬢に見えるか否か、という問題だ」

「エドワード! 言葉が過ぎますよ」

「なんですって! 産まれた時から跡取りなあなたに私の苦労が分かってたまるものですか」

「イザベラさんも少し落ち着きなさい!」

「なんだと、それではまるで私が苦労していないような。これまで気楽な下町ぐらしだったあなたに何がわかる」

「わかりませんよ。貴族として敷かれたレールをただ歩いてきたあなたの気持ちなんて」


「ヴァーレンシア子爵。グレンシャー伯爵令嬢。二人共言葉には気を付けなさい」


 と、メアリーが有無を言わさぬ口調で呼びかける。その声に、二人は同時に口を閉じた。


 向かい合って座る二人を交互に見るとメアリーはまずエドワードに視線を向ける。


「エドワード、イザベラさんは今必死に貴族令嬢としての振る舞いや教養を覚えている最中なのです。そのことを慮りもせず、その言動。紳士の行いとは到底思えませんが」

「申し訳ございません母上」

「謝罪すべきは私ではありませんね」

「その……言葉が過ぎた。悪かった、イザベラ嬢」


 それだけ言うと、今度は両親の方に視線を向ける。


「少し頭を冷やして来ます」

「ああ……それが良いだろう」


 エドワードはそう断って席を立ち、部屋を出ていく。その後の部屋には重苦しい空気が漂っていた。


「その……申し訳ございませんでした。ご子息に大変失礼な言葉を……」


 先程の言い合いを思い出し、イザベラがポツリと謝罪の言葉を口にする。しかし隣からかけられたのは優しい声だった。


「あら、失礼なのは息子の方よ。ごめんなさいーーただ、きっとこれからもああいうことを言う人は現れると思うから、いついかなる時も冷静でいれるよう心がけてくれると嬉しいわ」

「わかりました、夫人。肝に命じます」


 そう表情を引き締めて口にするイザベラに今度は向かいのロベルトが声をかける。


「エドワードには私からも後で厳しく言っておくよ。きっと彼も色々と抱えているのだろうが、だからといって先程の言葉は無礼に過ぎるからね」


 そう苦々しく言うロベルトだが、それ以上にイザベラの彼の一言が気になった。


「抱えているもの? ですか?」

「ああ、そうだね。イザベラさんには伝えておいた方が良いだろう。我が家は一度大きく傾いている」

「侯爵家がですか?」

「そうだ、おそらく伯爵家にいる時に『古いだけのマイルウェル』という言葉を聞いたことがあるだろう?』

「えーと……はい、夫人がそういった言葉を」


 明らかに悪口とわかる言葉にイザベラは控えめにそう答える。


「その言葉は別に伯爵夫人だけが言っているわけではないよ。世の中が進歩して、その速度についていけなかった我が家は父の代で大きく凋落した。仮にも王家に連なる家だからね、援助はしてもらえたが、その利子すら払えない始末。周囲からはマイルウェルだけ特別扱いしている、と冷ややかな目も受けた」

「そんな……」

「ただ私はうまくやれば侯爵家はもち直せる、と思っていてね。早々と父には隠居してもらい、爵位を譲り受けた私は早速領地改革に着手した。土壌改良だったり農具の近代化だったり、あとは作物の流通ルートの開拓なんかも。まあ、私の専門は農学だったから、領地経営に明るかった妻に随分世話になっったが」

「私はあの頃にしては珍しく大学に進学したの。それで私の能力を買ってくれたのがロベルト。私達の出会いよ」

「そうだったのですね!」

「幸運なことに私達の改革は上手くいき、マイルウェル侯爵領は再び国有数の穀倉地帯に返り咲いた。同時に誘致した商業や観光も概ね上手くいった、とはいえ……」

「とはいえ?」

「数世代続けて反映して初めて貴族の家、というのは評価されるものだ。幼い頃に我が家が散々に言われているのも、そこから私達が必死にこの家を建て直したのも見ているエドワードは、おそらく相当なプレッシャーを感じている。その上彼の座を狙う者も多いしな」

「彼の座、ということは次期侯爵様のことですか」

「そうよ、我が家の分家の中にはまだ旧態依然としたままで経営がうまく言っていない家も多い。そういった者にとって我が家の後継者の地位はとても魅力的だわ。跡継ぎに何らかの問題があって分家の者が本家を継ぐ、なんていうのはよくあることだしね」

「まあ、だからといってイザベラさんに無礼を働く理由にはならないのだが……、できれば愛想をつかさず、もう一度チャンスを与えてくれると嬉しい」


 そう言ってロベルトはイザベラに微笑みかけた。その柔らかな視線を受けて、イザベラは先程から頭に浮かんでいた考えを口にする。


「でしたら……でしたらこれからもう一度エドワード様をお茶にお誘いしてもよろしいですか? 結局お茶もお菓子もほとんど手をつけずに部屋に戻られてしまいましたし」


 さっきまでエドワードが座っていたあたりを見ながら吹っ切れたように言うイザベラの言葉に夫妻は目を白黒させる。


「私達は構わないが、別にそこまで急がなくとも……」

「そうよ、イザベラさん。無理に今、エドワードと交流する必要はないわ」

「いえ、私はエドワード様の婚約者ですもの。なのでーー私に上流社会でのお茶の誘い方を教えてくださいませ」


 そうはっきりと言いきったイザベラに夫妻は少し顔を見合わせそれから微笑み合った。


「わかったわ、イザベラさん。ではお勉強の時間ね。まずはエドワードの予定を確認しなくてわ。アンナを呼んでちょうだい」

「わかりました! 夫人」


 そう答えたイザベラはその勢いそのままに使用人を呼ぶためのベルに手を伸ばした。

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