明らかになる悪巧み
侯爵の視線を軽く流しつつ、殿下はカツカツと音を立ててグレンシャー伯爵夫妻に近づく。そして夫人の前に立つと、怖いほどに美しい笑みを浮かべた。
「グレンシャー伯爵、それに夫人。あなた方はグレンシャー伯爵領を他国へ売り払おうとしていましたね?」
殿下の口からもたらされる情報に、王太子登場で一旦静まり返った大広間がざわめき出す。そんな声を尻目に今度はエドワードが厳しい声を出した。
「王室と我が侯爵家は、あなた方がアルメイル家と結んだ婚約の覚書を入手しました。そこにはご息女が持参する品として、グレンシャー領の港、鉱山、工場といったものが列挙されておりました。何故かマイルウェル領内のものまで入ってましたねーー価値として100万ガレル程。そしてその見返りとして、同規模の金銭援助がアルメイル家からなされるとか……」
その言葉に、人々はついに堰を切ったように囁き合いだす。100万ガレル、といえば下位の貴族であれば全財産に相当する金額。それを持参金とはいえ他国へ渡す、と聞いて多くの人は顔を大きく顰めた。
王太子とエドワードの2人に詰め寄られ、伯爵はすでに顔色をなくしている。しかし伯爵夫人はまだまだ気丈なようで、大広間の人々を一瞥すると、キッと睨みつけるように2人と対峙した。
「まあ! 殿下ともあろう方が臣下のことを秘密裏に調べるなど浅ましいーーそれに100万ガレルはあくまでも娘の持参金です。良くあることでしょう?」
そう凄む伯爵夫人。一方エドワードも負けずに強い視線を返す。そして、ゆっくりと口を開いた。
「確かに高位貴族の倫理としていかがか? というものは置いておいて……まあ、よくあることです。しかし問題はここにある財産の価値が水増しされている、ということです。もちろんアルメイル家もご存知。いえ、ご存知だから婚約が破棄されそうなのですよね?」
その言葉に伯爵夫人はギリリと奥歯を噛み締めた。
「ああ、言い訳は不要。すでに向こうの王室から抗議を受けている。アルメイル家は随分お怒りのようでな……グレンシャー家に違約金を請求しようとしているとかーーどうやって払う気だ!」
「いや……その、それは」
「おい! 伯爵、その手をどこにやる気だ。こんな場所で私を殺そうとはいい度胸だな、いやーー撃つつもりだったのは自分か?」
王太子の一喝に目を泳がせた伯爵はとっさにジャケットの胸に手を差し入れ、その場で王太子の護衛隊に取り押さえられる。場馴れした護衛達はさっと伯爵が取り出そうとした拳銃を奪い去った。
「心配するな。歴史ある伯爵家が詐欺まがいの行為で他国の貴族に訴えられるなど、我が国始まって以来の恥だ。王室同士の話し合いで解決してある。ーーまあその過程で随分向こうに譲歩することになったがな。外交部などカンカンで、今すぐグレンシャー伯爵家は取り潰すべきだと」
「そ、そんな!」
「今後の処遇は、陛下と貴族院の決定に委ねられる。だがとりあえず、そなた達が我が国に与えた損害は償ってもらうことになるだろう……少なく見積もって10万ガレル以上ーーそなた達の私有財産は吹き飛ぶだろうな」
「そんな……殿下……」
「全てそなた達の身から出た錆だ。観念しろ」
そう言って王太子は護衛たちに視線で合図を送る。発泡せずとも、王太子のいる場で拳銃を抜くなど、その時点で大罪だ。伯爵夫妻は護衛たちに引っ立てられて会場を後にしたのだった。
彼らを見送ってから、王太子はゆっくりとイザベラとエドワードの2人に近づいた。
「イザベラ嬢。折角の婚約披露の場がこんなことになってすまなかった」
「そんな! 殿下は悪いことなどなにも」
「だが、この場を断罪に使ったのは私だ、その点は潔く謝ろう。ーーそれはそうと婚約おめでとうイザベラ嬢、エドワード。王家を代表してあなた方の婚約を祝福する」
「「光栄にございます、殿下」」
イザベラに謝った後、2人を祝福する言葉を述べる王太子に、イザベラとエドワードは深い礼で答える。その様子に3度大広間がざわめき出した。
イザベラが何者であろうと、王太子にこうして認められれば、誰も彼らを引き離せない。だが王太子はさらなる一手を打ってきた。
「ところでエドワード? 確かにイザベラ嬢は聡明なレディだ。だが、それはそれとして、縁者が誰もいない状態で貴族社会に入る、というのもなかなか酷な気がするが……どうだい?」
「……おっしゃる通りかと、殿下」
王太子の言葉にエドワードは神妙に頭を下げた。
「ここは一つ、有力な貴族に彼女の後見をしてもらう、というのも手だと思うのだが……そうだなーーレーゼリア公爵、いかがかな?」
そう言って王太子はいつの間にか騒動をすぐ近くで見守っていたレーゼリア公爵に視線を向ける。突然話を降られた形の公爵だが、彼はさっと折り目正しく腰を折った。
「大変光栄なお話にございます。殿下の信頼に恥じぬよう、イザベラ嬢を守る盾となる所存にございます」
「だ、そうだが? マイルウェル侯爵?」
「公爵閣下のお心遣いに心より感謝し、イザベラ嬢の後見をお願いしたく存じます」
一層深く腰を折るマイルウェル侯爵に合わせて、メアリー、エドワード、イザベラも深い礼で感謝を示す。
大広間の貴族たちはあれよあれよと整う話に思わず息を失うが、当のマイルウェル家とレーゼリア家の面々は冷静だった。それもそのはず、これは仕組まれたことだったからだ。
遡ること数日、イザベラが婚約披露の日に着るドレスを見つめていた日。彼女を尋ねてきた客人とはレーゼリア公爵のことだった。
客間に向かうと、侯爵が悠々とした様子でソファに腰掛け、その反対側にはマイルウェル侯爵夫妻も揃っている。
「何事か!?」
と内心は焦りつつも。イザベラは深く腰を落とす礼をしつつ、微笑んだ。
「ああ、急に済まないね、イザベラ。あなたも座りなさい」
そう侯爵に言われ、イザベラは示された侯爵夫人の隣の席にゆっくりと座る。それから一呼吸置いて、侯爵が軽く咳払いした。
「さて……実は、あなたに少し酷なことを知らせなければならないのだが……」
「酷なことーーですか?」
やや言いづらそうに話すマイルウェル侯爵にイザベラはキョトンとする。
酷なこと……。
まさか婚約破棄とかーーそんな不安にかられつつ、イザベラはゴクンとつばを飲み
「分かりました。お話ください」
と先を促した。
「分かった。実はだな……我が家が調査したところによると、イザベラ嬢はグレンシャー伯爵の子ではない、ということが分かった」
「え!? ごめんなさいーーでもそれはどういう」
「いや、驚くのも無理はない。そもそも勝手に身辺を調査したことを謝らなければならないのだが……こちらにも事情があってな……。調べた結果イザベラの母君がグレンシャー伯爵と関係を持っていた、というのは嘘だということが分かった。君の父親はおそらくーーブレーズという名の当時の伯爵家の執事だ」
「グレンシャー伯爵家の執事ですか?」
突然もたらされた情報にイザベラは目を見開いた。
「ああそうだ。執事と女性使用人の恋愛、というのはよくある話だ。まあ……母君があなたを身ごもった途端、ブレーズは姿をくらませたそうだが。彼もグレンシャー伯爵に負けず劣らないクズだったようだ」
「そんな……」
「使用人の監督は女主人の仕事だ。当時のことを覚えていたグレンシャー伯爵夫人は、2つの家から婚約話をもらった時にあなたの存在を利用することを思いついたらしい」
マイルウェル侯爵の言葉にイザベラは愕然としつつ、グレンシャー伯爵が父親でなかったことには少しホッとしていた。
「ーーそれでだ、実はグレンシャー伯爵家については取り潰しの話が出ている。長女の婚約に関連して、詐欺まがいのことをしたようだからな。相手の家が怒り狂っていて、王家が対応に苦慮している。無論、イザベラのことは我々が守るつもりだが、最初っから血縁がなかったと認められれば、話はスムーズだ。なのでイザベラ? この件を公にしても構わないかい?」
「はい。むしろなにからなにまでありがとうございます。ただ……」
イザベラはそこで言葉に詰まった。グレンシャー伯爵家には正直なんの恩も感じていないが、伯爵家との縁が切れる、ということは自分がマイルウェル家に嫁ぐ理由がなくなるということだ。つまり……
やはり婚約が破棄される。その事実にイザベラは眼の前が真っ暗になる錯覚を覚えた。
「イザベラ……イザベラ!? 大丈夫か? いや、すまない、話の進め方が悪かった。あなたが心配しているのはおそらくエドワードとの婚約のことだろう? その件な心配ない」
「はい、実をいうと……っーー心配ない? のですか?」
だんだん意識が遠のくような心地の中で侯爵の言葉を反芻しーーその言葉の意味を理解して、イザベラの意識は覚醒した。
「ああ、もちろん。今さらエドワードとの関係を裂こう、なんてことはしない」
「本当ですか!? ……でも私では身分が……」
「その問題を解決してくれるのが、レーゼリア公爵だ」
そう言って侯爵は向かいに座る公爵に視線を向ける。公爵は「待ってました」と言わんばかりにイザベラに微笑んだ。
「ああそうだ。イザベラ嬢さえ良ければ、私があなたの後見人になろうと思うのだが……いかがかな?」
「そんな!? よ、よろしいのですか?」
「もちろん! あなたのような素敵なレディの後見が出来るなら長生きした甲斐がある。それにこれには政略的な意味もあるんだ。古参貴族同士を繋げる、というね」
その言葉にイザベラの表情がパッと明るくなった。
「で、では……私、エドワード様と別れなくても」
「えぇ、もちろんよ。あなたと出会ってエドワードは随分丸くなったの。捨てられたら困るわ」
そう言ってマイルウェル侯爵夫人が笑い、マイルウェル侯爵とレーゼリア侯爵も「その通り」と頷きあう。
イザベラは、スッと立ち上がると、
「ありがとうございます! 公爵閣下、よろしくお願いします」
と言って、深く深く腰を落とすのだった。