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求婚

 そうして迎えた夜会の前夜。夜会、と言うからには夜に開かれるものだが、女性の身支度にはとかく時間がかかる。


 特に明日は、このマイルウェル邸で開かれる夜会だから、料理や会場の準備にも人手を割く必要があり、屋敷は朝からてんてこ舞いな筈だ。


 そんな訳で、本来は明日に備えて早く寝るべきイザベラ。しかしどうしても気にかかることがあるイザベラは、ゆったりとした部屋着の上からショールを羽織り、東向きのサンルームで1人月明かりを浴びていた。


 おずおずと「眠れない……」と零したイザベラに、彼女付きの侍女アンナは気を悪くする風でもなく、


「心配事を抱えたままでは眠れませんわよね。よくわかりますわ」


 とほんの少しからかい混じりの笑顔で答え、彼女をサンルームへと連れてきてくれた。そんな彼女は温かい牛乳を用意してくれるらしく、席を外しており、今この部屋にはイザベラ一人きりだ。


 東の空からの朝日を目一杯取り込むように設計されたサンルームは、主に朝食を摂る部屋として使われている。


 朝食のためだけの部屋がある、ということに最初はがく然としたものだが、この贅沢な暮らしの裏には重い責任が乗っかかかっていることも、この数ヶ月で理解できてきた。そうして明日の夜会の後からはイザベラも貴族社会を生きる1人として見られるのだ。


 その事実の重さに押しつぶされそうになるのは、もはや仕方のないことだった。


 ガラス越しの月をぼうっと見ていると、突然どこからかバタバタと使用人たちが慌てだす音がして、イザベラはハッとする。もちろん飲み物を用意するだけでこんな騒ぎになるはずはない。「もしかすると……」という淡い予感にイザベラの鼓動が早くなりだす、とサンルームの扉が柔らかく叩かれた。


「どうぞ……っ……エドワード様!」

「ただいま、イザベラ嬢。遅くなって悪かった」

「お、おかえりなさいませ! ですがお帰りは明日の朝と……」


 イザベラの声に呼応して開かれたドアから入ってきたのは、まだフロックコートすら脱いでいないエドワードだった。


 密かに期待していたとはいえ、最後に届いた手紙では明日の朝一番の汽車で戻る予定だったはず。少し不思議そうなイザベラにエドワードは甘く微笑んだ。


「思っていたよりも早く港に入ることができてね。王都への最終の汽車へ間に合ったんだ。席がまだあって良かった」

「そうだったのですね! 少しでも早くお顔が見れて嬉しいです……が、ということは港について息をつく暇もなく汽車に乗られたのですよね。お疲れでは?」

「イザベラ嬢の可愛い顔を見れば、疲れなんて吹き飛んでしまったよ」

「……っ! もうっ! エドワード様、私は本気で心配しているのですよ」

「悪い悪い。ーーけど本心だよ」


 そう言ってさらに笑みを深くしたエドワード。そんな彼に鼓動を早鐘のようにしつつ、イザベラはさっきまで座っていたソファの隣を勧めた。アンナを呼び、飲み物の数を増やしてもらおうとしたイザベラだが、それにはエドワードが「待った」をかけた。


「いやーーそこまではしなくて良いよ。時間も遅いしすぐに部屋に戻る。本来ならば未婚の女性と2人で会って良い時間じゃないしね」


 その言葉にイザベラはパッと顔を赤くする。その上、今の自分がゆったりとしたラインとはいえ、コルセットも入っていない部屋着だ、っという事実に今更思い至り、更に顔を上気させた。


「もちろん誓って不埒な真似はしない。母上にも紳士的に振る舞う、という条件付きで10分なら、とイザベラとここで会うことを認めてもらっているからねーー約束を破ったら結婚を延期されかねない」

「それは……大変ですわね」


 少しおどけて言うエドワードにイザベラもようやく落ち着きを取り戻しクスリと笑う。しかし時間制限が10分なら、エドワードと話せる時間はあとほんの僅かだろう。そのことに思い至ったイザベラはまず伝えておきたいことを伝えることにした。


「そうでした、エドワード様。ドレスーー無事届きましたわ。とっても素敵でした、明日が楽しみですわ」

「そうか……喜んでもらえて良かった。私も明日、あのドレスを着たイザベラ嬢を見るのが楽しみだ」

「フフフ、ご期待下さいませ。それにダンスも踊るのですわよね? 約束しましたでしょう?」

「ああ、もちろん。美しく着飾ったイザベラ嬢とファーストダンスを踊れる時間を楽しみにしている。ーーところでイザベラ嬢? もう一つお願いごとをしても良いかな?」

「お願いごとですか?」

「ああ、そうだ。願い事だ」


 そう言うと、エドワードはおもむろにソファを立ち、フロックコートの裾を捌いてイザベラの前に跪く。その手にはいつの間にか小さな箱が現れていた。


「イザベラ。どうか私の求婚を受けて欲しい。あなたを心から愛している。死が2人を分かつ遠い未来まで、私の傍にいて欲しい」


 箱に入っていたのはダイヤモンドが輝く美しい指輪だ。もちろんそれが何かはイザベラにも分かる。思わず息を呑むイザベラの瞳を見つめながら、エドワードは求婚の言葉を口にする。


 イザベラは瞳を潤ませ、最初はゆっくりと、それからコクコクと何度も頷いた。


「はい……はい! エドワード様! 私も愛しています。お受けしますわ!」


 その言葉に弾けるような、キラキラとした甘い笑みを浮かべたエドワードは、そっとイザベラの左手を取り、薬指に指輪をゆっくりと通す。


 イザベラは左手を月明かりに掲げ、「ほうっ」と息を吐いた。


「素敵……とっても素敵ですわ。これで明日の夜になれば名実ともに未来の花嫁ですね」

「ああそうだなーー結婚式が待ち切れないよ、イザベラ嬢」

「私もですわ! エドワード様」


 その言葉に何かがプツリと切れたように、エドワードの右手がイザベラへ伸び、おとがいを掴まれる。その意図を察して、イザベラは緊張でドキドキしつつもそっと目を瞑る。


 眼の前でエドワードが息を呑む音が聞こえ……しかし、そこで右手は一度イザベラのもとを離れ、口づけが落ちたのは、もう一度そっとすくい上げられた左手の薬指だった。


「……約束は守らないとな。せめて正式な婚約の発表までは」

「フフッ、それもそうですわね」

「ああーーそろそろ時間だな。じゃあまた明日。きっと緊張していると思うが、できるだけきちんと眠るようにな、イザベラ嬢、おやすみ」

「はい、おやすみなさいませ。エドワード様」


 将来を約束したばかりの2人の逢瀬はほんの僅かな時間で終わる。


 明日の夜会を迎えるにあたっての緊張や不安は吹き飛んだが、別の意味で鼓動が収まらず、果たして今夜眠れるのか気になりだしたイザベラだった。

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