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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

悪魔の子

作者: ヒガツキ


 「腕がないようだが」

 

 不衛生な檻の中で首輪に繋がれた、イヌかヒトかよく分からない汚物の前で、その男は足を止めた。キツネのようなミミもシッポを生えてない、壮年過ぎたおじさん。いわゆる普通の奴。奴隷商以外では初めて見る人間の姿だった。

 

 「あーその少年は少し、粗相をやらかしましてね」

 

 ウワサをすれば奴隷商。その男の後ろを、ゴマをスリながら歩いている。こうやって客にだけ媚びへつらう姿を何度見てきたことか。もう吐き捨てるツバも出ない。

 

 「まあどの道、廃棄処分するつもりでここに置いてたんで、もー旦那にだけ特別に話しちゃいますと、その子『悪魔の子』なんです」

 

 またそれか。処分だの売れ残りだの同情を煽っても無駄だ。特別感を演出した所で客は両腕のない奴隷なんて求めない。

 こんな仮説テントの端も端の暗がりに案内されるような客はそもそも買いもせず物珍しさから何度も訪れる迷惑客だと、ここに移動になる前、商人たちの会話を盗み聞きして知った。つまり最初から奴隷商は俺を売る気が全く無い。処分される日も近い。

 

 「悪魔の子?」

 

 面倒なことに、おじさんは食いついた。無駄話が始まる。

 

 「あららご存知ありません? 親兄弟の皆殺しに始まり、二年前のガレオン船連続破壊事件。一年前のタナルカ村消滅事件の犯人とされてる人物ですよ」

 

 こっそり耳打ちするように言ったあと、奴隷商はオーバーなリアクションをしながら続ける。俺が如何に残忍だったかを。

 

 「その価値は本物だったんですがねぇ、うちのスタッフが二名も殺されちゃいましてね。こりゃまずいとその両手をやむなく切断したワケです。いやぁ特別な力なだけに、勿体なかったなぁ……」

 

 おじさんと目が合う。おじさんは俺と同じ活力のない目をしていた。それでも風変わりな鎧と剣を帯刀する、どこかの戦士の見た目をしていた。

 

 「買おう。いくらだ」

 「え、正気ですか旦那」

 

 俺も驚いた、こんな泥キツネを。

 普段ならこの辺で檻から無理やり出されたり、その特別な力とやらの詳細を奴隷商が語り出すところだけど、そのおじさんは身の上話だけ聞いて買うと決めたのだ。こんなメリットのない奴隷のどこが気に入ったのか。

 

 「そ、その、幾つか病気を患ってるんですが……それでもよろしいので?」

 「なぜ隠した?」

 

 問い詰められると奴隷商は分かりやすくドギマギした。

 

 「その分安くつくのか」

 「いや〜勿論ですぅ! 処分代を考えたら売れただけでも儲けもんですから。では早速契約を」

 

 丸めた一枚の契約書を奴隷商が満面の笑みで広げると、おじさんは血の出る親指を押し当て契約を完了させる。その直後、俺の首から鎖骨にかけてまきつく鎖形のアザが赤く光を放ちだした。

 よく見る奴隷成立の印。命令に背くと激しい痛みに襲われるのだとか。

 

 「勇者の旦那! アンタならきっと世界を救えると信じてますから。今後ともご贔屓に!」

 

 別れ際、奴隷商がそんなことを言う。俺はミミもシッポも生えてない勇者とかいうヤツに買われたらしい。

 

 

 ☆

 

 

 俺のいた市場はサーカス団のように定期的に場所を移動する。拠点は主に田舎を回るため、脱走を計った奴隷はけもの道で魔物に食い殺されるのがオチだ。こうやって数秒歩くだけですぐ畑や森に囲まれてしまう。久方ぶりの夜道を裸足で歩きながら、ふとその背中に聞いてみた。

 

 「どうして僕を、こんなやつを買ったんですか……。俺が狐人種(フォーン)だからですか?」

 

 首輪に繋がれた鎖を持ったまま、おじさんが振り返る。

 

 「そんな趣味はねぇから安心しろ。つっても慈善活動できるほど暇じゃねぇ。お前の出来ることを聞かせろ」

 「出来ること……?」

 

 おじさんは近付いてきて、おもむろに首輪を外した。締め付けられていたモノが消え、久々にたくさん空気が吸えた。

 

 「能力だ。何をした」

 「今さら教えたところで、何か変わるワケじゃ……」

 

 歯切れの悪い俺に、おじさんは鋭く目を合わせる。

 

 「気付いてんだろ? 手足を切り落とされたぐらいじゃ、能力が消えたりしねぇってことくらい」

 

 ナニカに教えて貰った訳じゃないけど、確かに消えたなんて思ってない。体の内側は今もうだるように熱いのだ。ほんの少しバランスが崩れただけで、いますぐ吐き出してしまいそうなくらい負の力がギチギチに詰まって顔を覗かせている。

 

 「心に抱えたストレスがいつか限界を超えて溢れ出した時、その力はまた人を傷つけるぞ。腕がなくても暴走する時はするんだからな」

 「……どうして暴走のことを?」

 

 あの奴隷商が一言も発しなかった言葉を、おじさんは何故か知っていた。

 

 「その前に、今日はこの辺で野営にするぞ。ついて来い」

 

 分かったと、俺はついて行き、出来る限りのことを手伝った。

 

 パキパキ──。

 

 深夜のうっそうと茂る森の中で火を囲む「勇者のおじさん」と「悪魔の子」。

 薪が火の粉を生む音だけが時折こだまする静寂の中、最初に口火を切ったのは「勇者のおじさん」だった。

 

 「オレもかつて、同じような理由でこの腕を切り落とされかけたことがある」

 

 おじさんが袖を捲ると、右腕にオノがくい込んだような深くて大きな傷跡があった。失う痛みを思い出し、思わず顔を歪めてしまう。

 

 「火や水の魔法が一切使えねぇ代わりに、誰もが羨む魔法をオレは使える。使えはするが──、当人の苦悩なんて誰も理解しちゃくれねぇのが、やっぱ辛いとこだよな」

 

 おじさんは話しながら拾った枝を純金のコインに変えてみせた。確かに初めて見る魔法だった。そのコインが薪に焚べられる。

 俺を買ってくれた理由が少しだけ分かった気がする。この人になら話しても良いのかな。

 

 「話してみろ。解決の糸口を見つけてやる」

 

 その手に触れた人間はたちまち腐り、草木は枯れ、鉄はさび、地面は干ばつする。奴隷商や故郷の連中はそんな俺を『悪魔の子』と呼び檻に閉じ込めた──。

 倒れた木の幹に荷物と一緒に腰掛ける俺は、聞かれるままにそんなつまらない話をした。暴走し家族を手にかけたこと、逃げるために乗り込んだ船を沈めたこと、村を消したこと、名前がないこと、自分が嫌いなこと、魔法のこと、全部。全部。

 

 「それは、腐敗の魔法だな。触れたものを腐らせ、分解する強力な負の魔法。……魔法を断って何年になる」

 「ちょうど、一年くらい……」

 「その腕は治ると言ったら?」

 「……。」

 

 驚きと少しの疑心で声が出なかった。おじさんの目は一切真剣さを崩さない。

 

 「だがそのためには、もう一度恐怖と向き合ってもらうことになる。立て」

 「いりません……そんなことは望んでない」

 「今落ち着いてるのは単に自分と向き合う時間が増えたからだ。腕の有無は関係ない。変わるなら今だぞ」

 

 放っておいてもいい方向には転ばない。それは薄々分かっていても変化が怖かった。自分の手を見たら、また暴走するような気がして怖かった。

 

 「さぁ立て。自分を越える時だ」

 「いや、だ……。またあんな思いをするくらいなら、いっそこのままで、僕は構わない……」

 

 自分の膝を寄せ、丸くなる。すぐに周りを拒むのは僕の悪いクセだ。でもそうしなきゃ正気を保てない。

 

 「オレは利益を見越してお前を選んだ。さっきも言ったが、ただ腐ってるだけのヤツを救うほど慈愛に満ちた性格はしてない。また独りになりたいならそうしてろ、一生。もう誰の人生にも関わるなよ」

 

 勇者のおじさんは僕がひどく寂しがり屋なのを知っているようだった。

 まとめた荷物を肩に掛け、闇に消えて行こうとするから必死になって止めた。

 

 「いやだ! 置いてかないで……!」

 

 誰かに見放されるたび、この能力は発動してきた。またここで失えば、内側に溜まる黒い力が爆発する気がした。誰も彼もが僕を忘れ、僕自身が僕が壊して終わる予感がして恐ろしかった。

 

 「じゃあ立て。早くしろ」

 

 立ち上がり、両腕を前ならえの形で突き出すよう言われた俺は、これから起きることの期待より不安に押しつぶされそうで呼吸が整わない。

 

 「深呼吸しろ。上手く行けば二度と暴走しない。してもオレが止めるから安心しろ」

 「でも、どうやって」

 「魔法はしばらく使わないでいると反転することがある。火の魔法しか使えない者は一ヶ月魔法を封印することで、一時的に性能が大幅に増大した氷の魔法が使えるようになる。闇なら光。加速なら減速。その逆もまた然り。オレたちはその反転作用を、氷点下の魔法(サブゼロ)と呼んでいる」

 「サブゼロ……」

 

 聞き慣れない単語に息を飲む。

 

 「一年以上のブランクと、有り余る不安と恐怖。それと信じ貫く心の力。それだけの負荷と歳月があれば充分こと足りる。てめぇの腕は、てめぇで治せ」

 「ぁぐ!」

 

 おじさんは突然、剣を振り下ろしたかと思うと、俺の腕の先端の肉を斬り落とした。骨が露出し、剥き出しの筋繊維からじんわり血が滲んで激しく痛む。飛びそうな意識を必死に戻す。

 

 「イメージしろ。腐敗の概念、その全てがひっくり返る魔法を」

 

 もうやるしかなかった。腹に力を込め、存在しない拳をギュッと握りしめる。すると、淡い緑の光が薄くぼんやりと手の輪郭を形取った。

 

 「あぁ、……くぅ、ぅうあ!」

 「手当り次第になんでも腐らせてきたお前の手は、人生をむちゃくちゃにぶっ壊したその両手は、ヒトを救うことの出来る希望の光になる」

 

 耐え難い苦痛が僕の中に流れる。なのに暖かい。……これはなんだ?

 

 「過去を捨てる必要はない、何も失いたくないなら握り締める両手を持てばいい。たった今お前の前にあるそれが、誰のためでもないお前のための──再生の魔法だ」

 

 ただぼやけていた輪郭が、大嫌いだったその両手が、今ここに産まれ還る。嘘じゃない──。現実に僕の手が戻ってきた瞬間だった。

 

 「……うぅ……ぅ」

 

 たくさんの希望とたくさんの命を奪ってきたその手を、おじさんは希望の光だと言ってくれた。それが容赦なく僕の心に染みわたり、目から溢れ出る感情が止まらない。今ならそれも、自分の両手でたくさん拭うことが出来るのが嬉しかった。奪わなくて済むと思うと嬉しかった。

 

 「奪ってきたものはどうやっても戻って来やしない。けどな、それ以上に多くの命を救うことはこれからだって出来んだ」

 「あ、あ……ぁあ……ぅ」

 

 両手はちゃんとあるはずのに、視界がずっと濡れて前が見えない。それがなんだか可笑しくて、また泣けてきた。

 

 「お前はもう奴隷なんかじゃない。悪魔の子改め、奇蹟の子つってな!」

 「そのネーミングセンスはどうかと思いますが……」

 「言うじゃねぇか。その感じなら大丈夫そうだな」

 

 そう言って勇者のおじさんが僕と肩を組むと、赤く光っていた奴隷の証がただのアザに戻った。

 

 「え、どうして……? 消えないハズなのに」

 「秘密だ!」

 

 おじさんはいたずらっぽく笑うとすんなり離れた。

 

 「勇者の旅はちと厳しいが、手っ取り早く大勢救えるぜ? オレと一緒に来る気はねぇか相棒」

 

 それは願ってもないお誘いだった。奴隷としてではなく、ひとりの個人としての僕を尊重し、勧誘してくれてる。それが何より嬉しくて、断る理由などどこにもなかった。

 

 「ぼ、僕でよければ……! ふつつか者ですがどうぞよろしくお願い致します!」

 「かしこまり過ぎだ。嫁に行く気かオマエは」

 

 勇者様が目を細めて睨んでくる。やり過ぎた。

 

 「精一杯頑張ります! 怪我をした時は遠慮なく僕に……あ、あれ……?」

 

 安心したら、立っていられなくなった。それに目眩もする……。勇者が僕を介抱してくれている……。僅かにだけど声が、聞こえる……。

 

 「お前はオレにとっての財宝になった。まぁ今日はゆっくり休めよ。──キンカ」

 

 僕の名前はキンカ。「奇蹟の子」キンカ。自分より価値のある者であって欲しい。そう願う勇者ギントに名付けられた名前。

 

 俺の目的は大勢の人を癒すこと。そして大切な人を癒し続けること。

 長いようで短い旅路の果てに、僕は世界を救う勇者の偉業を見届けた。

 

 誰より幸せだった僕の冒険は終わりを告げる。これから先どう生きるかはまだ、決まっていない。

 

 ──まあ間違いなく言えるのは、同じような境遇のヤツを見つけたら、そいつが次の相棒になるってことぐらいだ。

 

 

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