41.203Hz ジューンブライド
冷蔵庫からビールを持って戻ってくると、画面には「ジューンブライド」と表示されていた。
単に雑談をするだけだと、特に映像を出さないで配信する人もいるけど、純は一応文字を画面に表示するようにしている。とはいえ、かなり簡素なものなので、何か絵などを追加したらいいのではないかと様々な人がアドバイスしているが、未だに改善されていない。
「遅れてしまったけど、六月はジューンブライド! なので、結婚式にまつわるエピソードや恋バナなどを募集していました。そちらを紹介する前に自分の話をしたいんだけど、何を話そうかな……」
こんな時、いつも純は実体験を話すことが多く、それによって特定されないかと心配になる。今日はコメントに対する反応も少ないし、注意しても聞いてくれないのではないかと、さらに心配だった。
「えっと、私も結婚していないから、知り合いの話になるけど、結婚式で新婦と父親がバージンロードを歩くシーンってあるでしょ? えっと、知らない人とかもいるのかな? 先に新郎が入って、それから新婦と父親が一緒にバージンロードを歩いて、新婦を新郎に渡すみたいな感じなの。まあ、この辺はドラマとか見て知っているよね?」
純はいつも説明が下手だ。ただ、今日は久しぶりの配信だからか、いつも以上に説明が下手なように感じた。
「あの時の歩き方って結構特殊で、例えば右足が先の場合は、まず右足を前に出す。左足を右足に揃える。次は左足を前に出す。右足を左足に揃えるって感じで、慣れないと難しいんだよね」
一応、私も女として、いつかバージンロードを歩きたいと思っている一人なので、バージンロードの歩き方は何かの機会で見た。その際、純の言うとおり、理解するのが少し難しいと確かに感じた。
「それを新婦の父親も一緒にやるんだけど、男の人は尚更練習なんてしないでしょ? だから、ヨタヨタしていたり、前に出す足が三回ぐらい連続で右足になっていたり、そんなのを見ていたら、思わず笑いそうになっちゃって、我慢するのが大変だったんだよね」
純自身の話はいつもグダグダなものだし、今日もそれは変わりないように感じる。ただ、今日の話は、どこか妙な違和感を覚えた。とはいえ、その違和感の正体はわからなかった。
「えっと、そんな結婚式のエピソードだけでなく、単純に恋バナとか聞かせてもらえると嬉しいです」
そこで、コメントを待つ時間になったけど、私はメールを紹介されるだろうということで、特にコメントしなかった。そうしていると、少しの間、何のコメントもなく、純も何も話さない時間があった。
こうしたことがあった時、純は自分のプライベートを話してしまうことが多くあった。そのため、私は何かコメントで話題を振ることにした。そうして、どんなコメントを打とうか考えていると、コメントが流れた。
●<d¥>: 少し遅れまして、すいませんでした。お久しぶりです。
それは、常連である<d¥>のコメントだった。
時々、読み方がわからないハンドルネームがあり、間違って読んだら相手に失礼だけど、聞くのも失礼かもしれないと悩む時がある。そして、この<d¥>も、何て読むのかわからないで悩むハンドルネームの一つだった。
ただ、これについては純が本人に聞いて、単に「ディーエン」と読むのが正解と確認できている。この<d¥>は私と同じように、純が配信を始めた直後からいる。確か、自称女子大生とのことで、他のリスナーからも人気がある。また、五月にあったオフ会は<d¥>が企画したようで、当然<d¥>もオフ会に参加すると話していた。
●: d¥さん、お久しぶりです!
●: d¥キタ――(゜∀゜)――!!
●: 改めて聞きたいんですけど、オフ会で何かありましたか? 私の友人は、そちらのオフ会に参加した日から行方不明なんです
最後、長文のコメントがあり、私は自然と目が行った。ただ、本当にそんなことがあったのだろうかと、純の返事を待った。
しかし、今日の純は、やはりコメントに対する反応が遅かった。そう感じつつ見ていると、ある変化があった。それは、私が見ていた長文のコメントが突然変わったというものだ。
●削除されたコメントです
思えば、純はオフ会についての話を、ほとんどしていない。それと、最初に何か削除されたコメントがあったのも、改めて気になった。もしかしたら、その削除されたコメントも、同じようなことが書かれていたのかもしれない。そう考えた時、先ほど見たコメントは異質なものだった。
「……ああ、うん。d¥さん、お久しぶりです! 先日のオフ会ではありがとうございました!」
また、今日の純は受け答えが妙だ。久しぶりの配信だからかと思っていたけど、何か別の理由があるように感じてきた。
「今、六月にできなかった、ジューンブライドにちなんだ結婚式のエピソードや恋バナとか聞かせてもらっているんだけど、d¥さんも何かないですか?」
純がそんなことを言っている間にも、匿名でいくつかコメントがあった。その中で、いくつか目に留まるコメントがあった。
●: 僕はいつも結婚式で余興をお願いされるんですけど、メチャクチャ緊張します
●: 友人の結婚式で遅刻した人がいて、心配してたら、いつの間にかシレーっと後ろの席に座ってて、笑いを堪えるのが大変だった思い出ならある
●<d¥>: 私は今特に好きな人もいませんし、結婚式に参加したこともないので、特に話はないですね。すいません。
●: 私は今、片思い中なんですけど、今度2人で遊ぼうと誘ってもらえて、これって脈ありかな?
同じ人が何度もコメントしているのもあって、他にも色々とコメントがあった。配信していた時、私はこうしてコメントが来ると全部に答えていたし、純も私と同じでいつも全部に答えていた。ただ、さっきのこともあるし、今日は違うかもしれないと、純の反応に注目した。
「d¥さん、まだ若いのにもったいないですよ? まあ、無理に恋をしようとしても上手くいかないので、自分のペースでいいと思うけどね。……ああ、そうだ。このラジオをきっかけに、リスナー同士で恋愛に発展したなんて話もありましたね。私としては羨ましいと思うよ。それこそ嫉妬するぐらいですからね」
このラジオのリスナー同士でカップルができたという話は、よく話題に上がっている。その度、純が嫉妬すると言う流れも同じで、これまで何度も繰り返してきた。
それより、純は<d¥>のコメントにしか反応していないのが気になった。もしかしたら、匿名のコメントが見られない設定になっていて、コメントがあることすら気付いていないのかもしれない。以前、そんな失敗をして、配信途中で申し訳なさそうに謝っているのを見たことがあるし、今回も同じ状態なのだろう。
そう思って、私はキーボードを叩いた。
●<マナミ>: 匿名のコメント、見えていますか?
●: ああ、前にもありましたね
●: 俺達の存在は、消されていた……?
冗談を言うようなコメントも目にしつつ、私は純の反応を待った。しかし、ある程度待っても何の反応もなく、その時点で確実におかしいと感じた。
私は匿名のコメントじゃないから、すぐ目に入るはずだ。それなのに反応しないというのは、どういうことか説明がつかなかった。一応、特定のリスナーのコメントだけ非表示にするといったことができるため、その可能性も考えられるけど、私はそんな非表示という扱いを受けるようなコメントをした覚えがない。
「えっと、ああ、ごめん。ああ、その……うん、マナミさんのコメントは見えてるよ。久しぶりの配信で……そう、コメントを確認するのをいつもと違うとこに配置したのが悪かったね。ちょっと待ってね。ああ、うん。今……色々なウィンドウの配置を調整します」
リスナーとして見ているとわからないものの、配信者側は配信の映像、様々な設定をするソフト、コメントを表示するウィンドウ、その他メモなどを画面に並べて配信をする。人によって、それぞれどこに配置すると見やすいかというのがあり、反対に見にくくなる配置もある。
例えば、私の場合はゲーム画面と重なるように、コメントを表示するウィンドウを配置してしまい、いくつかコメントが読めなかった経験がある。
変に疑ってしまったが、純は新しいパソコンで、久しぶりの配信をしているということをすっかり忘れていた。
「ごめんなさい、これで大丈夫です。マナミさんの言うとおり、コメントを表示する設定も違っていたので、直しました。多分、これで大丈夫です。マナミさん、ありがとうございます」
とりあえず、問題が解決したようで、私はまたキーボードを叩いた。
●<マナミ>: どういたしまして
●<d¥>: さすマナ。
●: さすマナ
●: さすマナ
いくつも流れる「さすマナ」というコメントを久しぶりに見て、私は笑ってしまった。
私は配信経験者だからという理由で、これまでもアドバイスをして、それで問題が解決することが多くあった。すると、誰が最初にコメントしたかは定かでないものの、「さすがマナミ」を略した「さすマナ」というコメントをみんながする流れがいつの間にか完成した。
それを久しぶりに見ることができ、さっきまで色々と違和感を持ったり、疑ったりもしてしまったが、結局ここは何も変わらないと感じた。
「それじゃあ、引き続き、ジューンブライドにちなんだ話をしていきましょう」
そして、私は一安心すると、キーボードから手を離し、ビールを一口飲んだ。