32.703Hz マナミ
二十歳になったらしたいこと。私にとってのそれは、お酒――特にビールを飲むことだった。
私の両親はビールが好きで、晩酌として夕飯を食べながら、いつも美味しそうにビールを飲んでいた。それを見て、私も飲みたいとお願いしても、子供だからダメだといつも止められた。そんな毎日を過ごしているうちに、二十歳――大人になってビールを飲むことが私の夢になった。
一人暮らしを始めた時点で両親と離れたため、いつでもビールを飲める状況にはなった。でも、ビールを買う際に年齢を確認されるそうだし、二十歳までは我慢しようと心に決めた。これは、先輩などから誘われて参加した飲み会でも貫き、周りで未成年の人がお酒を飲んでいるのを見ても変わらなかった。
そうして、二十歳の誕生日を迎えた時、私はコンビニで買った缶ビールを飲んだ。正直なところ、飲み始めてすぐは苦くてまずいと思ったけど、ずっと望んでいたことだからと飲んでいると、いつの間にかビールが好きになった。
それから、私はビールを飲むことがすっかり習慣になった。ただ、少々の問題があり、居酒屋などで飲むビールより、缶ビールを缶のまま飲む方が美味しいと感じてしまい、飲み会などに参加することが億劫になっていった。
これは、別に私の味覚がおかしいわけでなく、両親がいつも缶のままビールを飲んでいたため、思い出補正というものが乗ってしまっているのだと思う。そんなわけで、私は自宅で缶ビールを飲みながら、適当にインターネットを利用して、配信を見たり、動画を見たりする日々を過ごしている。
一応、私は女子大生だし、周りからキラキラしたイメージを持たれることもある。ただ、少なくとも私はそうじゃない。はっきりいって、おっさんのようだと言われても否定のしようがない夜の過ごし方をしていると自覚がある。
「いつもどおり、最初に少し雑談しますね。皆さん、元気に過ごしていますか? 最近は本当に暑いので、熱中症など気を付けてくださいね。夏風邪なんてものもありますけど、とにかく水分補給をしっかりやってください」
今、私はビールを飲んでいるので、水分補給はしっかりできている。当然、水とアルコールは違うので、間違っていることは知っている。
「夏休みということで、バーベキューやキャンプに行く人も多いでしょうね。それと海や川で水遊びをするというのもいいですよね。ただ、怖がらせるようで悪いですけど、水難事故は毎年多くあるので、気を付けてくださいね」
グダグダな感じのトーク。でも、私はこれが好きだ。
私も配信というものに興味を持って、少しだけやっていたことがある。ただ、私は話すことが苦手だし、ゲームをしながら雑談をするという、いわゆるゲーム配信をしていた。
比率でいうと、ゲーム配信者は男性が圧倒的に多く、女性が少ないこと。男性は、よく知らない女性に対して、良くも悪くも好意的に接してくるケースが多いこと。そうしたことが理由なのか、それなりにリスナーも集まり、その人達と雑談しながらゲームをする時間を楽しんでいた。
ただ、ある日家に帰ると、見知らぬ男性が家の前に立っていた。そして、その男性はハアハアと気持ちの悪い呼吸をしながら、近付いてきた。
「マナミさんだよね? リアルでも会いたくて、来ちゃった」
私は怖くなり、何とかこの男性を避けつつ家に入ると、両親に助けを求め、警察を呼んでもらい、すぐに捕まえてもらった。
それから少しして、警察が色々と調べた結果、私の配信が原因でこんなことが起こったとわかった。というのも、私は配信をしながら、身の回りのことなどを普通に話していた。その結果、私がどこの誰なのか特定され、私に好意を持ったリスナーが家にやってきたということだった。
その後、配信はすぐにやめたものの、既に家を特定した人がストーカー行為をしてくることが時々あった。その度に警察へ相談していたが、とうとう両親は激怒すると、長年住んでいた家から引っ越すことを決めた。
そして、仕送りをするからと、私をアパートに一人暮らしさせた。もう配信をしないので、大丈夫だと言ったものの、何が原因でまた家を特定されるかわからないと、私から離れたかったようだ。
一人暮らしをすること自体は憧れていたし、仕送りがあるので、基本的に生活費で困ることもない。ただ、お酒というものは金のかかるもので、親の仕送りだけだと、時々足りなくなる時がある。そのため、私は喫茶店でアルバイトをして、どうにかやりくりしている。
そんな経験があるからだろう。私は、配信に慣れていない人の配信を見るのが好きだ。それだけでなく、好きな配信者が私と同じような経験をしてほしくないと、強く願っている。
その点、この純は家族の話などを頻繁にしていて、心配になることが多い。家族構成も話していて、両親と姉の四人家族で、家族仲はいいということ。この配信も、姉の旦那がITに詳しく、姉経由で頼んで配信できる環境を作ってもらったということ。また、自分と姉の声が似ていて、電話で間違われた経験が昔から頻繁にあるということ。そんな話を配信でしていた。
そこまで話して、誰かが私の時のように家を特定しないか不安になることもあり、お節介と思いつつもメールで注意に近い助言をしたこともある。それについて、快く了解してくれたものの、まだ事の重大さがわかっていないのか、前とあまり変わらないように感じている。そうした心配する思いを持っていることも、こうして配信を頻繁に見る理由になっているのかもしれない。
思えば、五月にオフ会を開くと決まった時も心配した。そのオフ会は、常連さんのほとんどが参加するとのことだったし、私も参加したいとは思った。ただ、ストーカー被害を受けた経験から、オンラインで知り合った人とリアルで会うのは避けるようにしているので、参加しなかった。
そのうえで、オフ会が何の問題もなく無事に終わったという報告をずっと待っていた。それにもかかわらず、急に配信がなくなり、オフ会で何か事件に巻き込まれたんじゃないかと、ずっと心配していた。だから、今回フュージョンラジオが久しぶりにあると聞いて、本当に安心した。
そんなことをコメントしようと思ったが、既に色々な人がオフ会に関するコメントをしていた。
●: オフ会、やったんですよね?
●: 報告がないから聞くけど、オフ会、楽しかった?
●: オフ会、自分も行きたかったんですけど、行けなかったんですよね。次こそは行きます!
全部、匿名のコメントだけど、みんな私と同じように気になっていたようだ。ただ、そうしたコメントがいくつもあるのに、純は特にオフ会の話をしなかった。というより、久しぶりで自分の話をとにかくしたいのか、コメントに対する反応がいつもより少ないように今更ながら感じた。
「私は暑いのが苦手で、匂いが気になるけどニンニク料理を食べたり、高いけど鰻を食べたり、食でどうにか乗り越えようとしているんだけど、みんなは暑さ対策とか、どうしているのかな?」
むしろ、とにかく自分が用意した話題を話そうとしている様子だった。久しぶりだから、話したいことや聞きたいことが多くあるのかもしれないけど、純は自分の話をするより、とにかくコメントに答えるのを優先する人だから、違和感を覚えた。
ただ、コメント全部に反応して答えることについて、私は否定的な考えを持っているし、純に対しても全部のコメントに答えなくていいと助言したことがある。というのも、私がストーカー被害にあった原因の一つとして、いつもコメントに答えてくれる=この人なら自分を受け入れてくれると考えてしまった人がいたからだ。
配信をする人は、承認欲求の強い人が多いといった意見がある。とにかく自分を認めてほしい。評価してほしい。そんな風に考える人が多いというものだ。ただ、私は配信でコメントをする人も承認欲求が強いと思っている。それは、私自身が承認欲求を強く持っているからだ。
承認欲求があるから、私は配信をした。身の回りのことを話すと、コメントで色々な質問が来たから、それに私は答えた。みんなが私のことを知ろうとしてくれている。それが嬉しくて、コメントに対して正直に答え続けたのが私だ。それが間違いだったことを、私は嫌というほど理解した。
そして、コメントをすることも、私にとっては承認欲求の表れだ。純は、お互いに存在することすら知らない人というのは、それぞれの世界に存在していないも同然と言っていて、私も同じ考えを持っている。だから、私がここにいると示すため、コメントをしている。他の人がそんな風に考えているか……そんな風に自覚しているかわからないけど、少なくとも私はそんな考えだ。
そんな承認欲求を持った者達がお互いに集まれば、リアルだろうがオンラインだろうが関係ない。何か問題が発生して当然だ。
今の私はそんな考えを持つようになり、配信者が全部のコメントに答えるのは危険だと思っている。そして、今の純も同じ考えを持ってくれたのか、それこそコメントを無視しているようにすら感じた。
こうした、配信者が自分の考えを少なからず理解してくれて、そのとおりにしてくれる。それは、子供の成長を見守る母親のような気分で、嬉しかった。
こんな気持ちを持っていることも、私が配信を見る理由なのかもしれない。
「それじゃあ、雑談も終わりで、ここから今日のテーマの話をしますね」
変な考え事をしていて、あまり純の話を聞けなかった。というのは建前で、テーマに入る前の雑談はグダグダなもので、ビールを飲みつつダラダラと聞くぐらいでいいと最初から聞く気がなかった。
「今日は久しぶりということで、少しいつもと違います。まず、六月はジューンブライドにちなんで、結婚式にまつわるエピソードや恋バナをしようと事前に告知していました。そちらは開催できなかったものの、一応メールをもらっています。なので、少し遅れたものの、ジューンブライドに関する話を少しだけしたいと思います」
送る直前まで迷ったものの、六月に私はメールを送った。それが紹介されるかもしれないということで、少し緊張してきた。
「そして、こちらは直前の告知になったんですけど、夏といえばホラーということで、今夜はホラーナイトとして、みん……皆さんの怖い話を紹介します。すいません、久しぶりでグダグダしていますけど、皆さん、改めて楽しんでくださいね!」
私はホラーも好きだから、ある意味こちらの方を楽しみにしている。ただ、私は心霊体験などをした経験がないため、特にメールは送らなかった。
それより、素人があまり準備もせずに世界へ向けて配信をする。そのため、何が起こるかわからない。それがむしろホラーじゃないかとすら思っていて、失礼ながら私は何か起こるんじゃないかと期待しながら配信を見るのが、本当に好きだ。
「じゃあ、ここから本当の意味で始まりだよ!」
久しぶりとなる、今夜のフュージョンラジオは絶対必見だ。改めてそう思うと、私は追加のビールを取りに、冷蔵庫へ向かった。