エピローグ
喫茶店に入った時、既に待ち合わせ相手の遠山亜紀さんがいて、こちらに向けて手を振ってきた。僕は足早にそちらへ行くと、頭を下げた。
「亜紀さん、遅れてすいません」
「別に私も着いたばかりだよ。でも、喫茶店でバイトしているのに、別の喫茶店に入るなんて、裏切り行為になるんじゃないかな?」
亜紀さんは冗談を言うような口調で、そんなことを言ってきた。
「しょうがないじゃないですか。あまり他の人に聞かれたくないんです」
「じゃあ、お兄さんを差し置いて、私に相談することは大丈夫なのかな? それこそ裏切り行為になると思うよ?」
その言葉は、少々耳が痛くなるものだった。
兄と亜紀さんは、オカルト関係のコラムなどを中心に書いている、オカルトライターだ。普段から怪異について調べているそうだし、「フュージョンラジオ」に関する相談をするには、うってつけの相手だと思った。
ただ、そこで兄に相談するという選択はできなかった。だから、「アッキー」というハンドルネームで活動している、亜紀さんに相談することにした。
「前に話しましたけど、両親が怪異とか一切信じていなくて、兄は勘当されているんです」
「それは知っているけど、定期的に月一ぐらいで、こっそり会っているんでしょ?」
「何で知っているんですか?」
「何でって、本人が嬉しそうに話していたよ? この前は一緒に映画を見たなんて話していて、本当に弟好きなんだね」
そんな話を兄から聞いているなんて思わなかった。それより、代わりの言い訳を考えていなくて、何を言おうか迷ってしまった。
「まあ、今回の件は、君の好きな人の話にもなるし、お兄さんに相談したくなかったっていうのが答えかな?」
不意にそう言われ、僕はただただ戸惑ってしまった。そんな僕を見て、亜紀さんは笑みを浮かべた。
「図星で困っている顔だね。別に、お兄さんなら君の好きな人とか知りたいだろうし、これを機に相談すれば良かったんじゃない?」
「いえ、別にそんなんじゃ……」
「なんて話をしている場合じゃなかったね。飲み物だけ注文して、早速本題に入るよ」
亜紀さんは急に真面目な顔でそんなことを言ってきた。あまりにも切り替えが早く、僕は少しだけ戸惑った。
それから飲み物だけ注文すると、亜紀さんはボイスレコーダーをテーブルに置いた。
「録音してもいい?」
「あ、はい、その……自分も録音していいですか?」
そして、僕もボイスレコーダーをバッグから出し、テーブルに置いた。
「それが、お兄さんからもらったボイスレコーダーなのかな?」
「はい、誕生日にもらって……そんなことまで兄は話しているんですか?」
「会うと、君の話ばかりだよ……って、本題に入るんだったね。録音は自由にして構わないよ」
そう言ってもらえたので、僕はボイスレコーダーの録音ボタンを押した。
「君から送ってもらった『フュージョンラジオ』は読ませてもらったよ。色々と興味深いと感じたし、言いたいことは色々あるけど、最初に結論を言うと、この小説に書かれていることは基本的にフィクション……つまり、現実に起こったことじゃないよ」
「え?」
いきなり予想外のことを言われて、僕は理解が追いつかなかった。
その時、注文した飲み物が来た。僕が注文したのはコーラで、亜紀さんはアイスコーヒーだった。とりあえず、僕は一口だけコーラを飲んで、頭を整理した。
「全部フィクションってことですか?」
「そうは言っていないよ。現実に起こったことと、現実に起こっていないことをごちゃ混ぜにした……それこそ融合した話と言えばいいかな? だから、一部は現実に起こったことだけど、基本的にフィクションだっていうのが、私の見解だよ」
亜紀さんの表現は独特で、理解するのがなかなか難しかった。
「そのうえで、色々と気になる点を言っていくけど、まずは怪異の正体とされている『虎島白』という名前について話そうか」
「はい、僕もそれについて話したかったんです。ただ、どう話せばいいか……虎島という名字、比較的珍しいじゃないですか? でも、身近にこの名字の人がいることは、亜紀さんも知っていますよね?」
「うん、君が片思いしている相手でしょ?」
「いや、だからそれは……一先ず置いてください。でも、彼女の名前は白じゃなくて、純じゃないですか? それについて、亜紀さんはどう思いますか?」
僕がアルバイトをしている喫茶店で、同じくアルバイトをしている人の名前は「虎島純」だ。大学は違うけど、同い年で何かと話が合うだけでなく、純の方がアルバイトを始めた時期が早いため、普段から色々と教えてもらうことがあるなど、やり取りする機会は多くあった。そして、亜紀さんは察している様子だけど、僕は純に片思いしている。
純は今も普通に生きているし、怪異なんてものには絶対になっていない。それなのに、作中では自殺してしまったかのように書かれていて、これが悪戯だとしたら、かなり悪質だと感じた。
「このこと、純ちゃんには話したのかな?」
「いえ、怪異の名前に虎島と付けられているわけですし、何かの呪いかもしれないと思って、純には話していないです」
「さすがオカルトライターの弟だね。純ちゃんには話さなくて正解だと思うよ」
それから、亜紀さんは少しだけ間を空けた後、何だか複雑な表情を見せた。
「この話は『フュージョンラジオ』という名前のとおり、ちらほら出てくる『融合』が目的のように感じるんだよね。そのうえで、純ちゃんの名字である『虎島』を怪異の正体の名前に付けたこと。『純』という名前をラジオのパーソナリティーの名前にしたこと。ついでに、主人公の『マナミ』って名前も、純と同じだからね」
「どういうことですか?」
「作中で『d¥』と『シロ』が、入力方法の違いで、キーボードの同じキーに割り当てられているって話があったでしょ? 同じように『jun』と『マナミ』も、同じキーに割り当てられているんだよね」
普段、日本語入力なんて使わないので、僕は一切気付かなかった。
「この話、純ちゃんへの呪いじゃないかって考えは、私も持っているよ。それこそ、怪異の名前にすら使うぐらいだし、純ちゃんと怪異を融合しようとする意図すら感じるかな」
「怪異を融合するって、どういうことですか?」
「怪異を憑りつかせるとか、怪異そのものにしてしまう。そんな表現の方がわかりやすいかな?」
そう言われて、純に今後何かあるんじゃないかと、大きな不安が生まれた。
「そういえば、今までしていなかったけど、そもそもの話で、君は怪異を信じているのかな?」
不意にそんなことを聞かれて、僕は答えに迷った。
「両親からそんなものないと言われて育ったんですけど、兄の話を聞いていると、そういうものもあるかもしれないとは思っています」
「私は霊感がないし、実際に怪異が存在しているかどうかを確認できないんだよね。でも、私は怪異を信じたいし、信じているよ。というのも、怪異がどんなものかって考えを私は持っていて、今のところ、そんな私の考えを否定するものがないの」
「えっと、亜紀さんの考える怪異って、何なんですか?」
そう質問すると、亜紀さんは少しだけ間を空けてから口を開いた。
「実際に存在するかどうかすらわからないのに、多くの人が存在すると信じて、わかった気になる。そうして生まれたものが、私の考える怪異の正体だよ」
その話を聞いて、どこかで見た話だと感じた。そして、それが「フュージョンラジオ」の中にあった話だと気付いた。
「それ、この小説の中にもありましたよね?」
「うん、この辺が気持ち悪くて、丁度チェーンメールについてコラムを書いてほしいって依頼があって、色々と書いていたところだったんだよ。そしたら、私の書こうと思っていたことが、君からもらった小説の中にあったんだよね」
「亜紀さんのコラムを参考に書いたってことですか?」
「まだ公開していないどころか、下書きを書いているところだから違うよ。これだけでなく、他にも思い当たる話がいくつかあるんだよね。例えば、『絶対に行ってはいけない場所』の話があったけど、この場所、私は行ったことがある気がするんだよね。でも、いつ行ったのか覚えていないの」
「僕も気になっていることがあって、『それは嘘か現実か』って話、純と関係ありますよね? 純の父親、社長をやっているって聞いたことありますし、共通点が多い気がしたんです」
「私も同感だよ。というか、実をいうと純ちゃん本人から、この話と同じ相談を受けたことがあるんだよね」
「え?」
あまりにも驚いてしまい、僕は言葉を失ってしまった。
「ごめん、純ちゃんから誰にも言わないでほしいってお願いされたうえで話を聞いたの。頭がおかしくなったんじゃないかって思われたくなかったみたいだよ」
「そんな話がこの小説に書かれているの、おかしくないですか? 亜紀さんの書こうとしていたことが書かれていることもそうですけど、これって何なんですか?」
僕は混乱してしまい、上手く頭を整理できなかった。
「最終的な結論は……わからない。そうなるのが怪異なんだよ」
そんな亜紀さんの言葉が、何だか胸に響いた。わからないものはわからない。そんな諦めに近い考えが、怪異に対しては最も適しているのかもしれない。そんな風にも思ったし、亜紀さんは怪異に対してそんなスタンスでいるように感じた。
「それより、フュージョンラジオと、この小説のURLを教えてくれないかな? 大きな声じゃ言えないけど、ハッキングみたいなことをして、これを書いた人を追えるかもしれないんだよね」
「……はい、少し待ってください」
サラッと驚くことを言っていたけど、僕は無視してスマホを操作した。そして、不思議なことに気付いた。
「すいません、ブックマークとか入れていたはずなんですけど……」
「……最初の相談について、何も聞いていなかったね。行方不明になった人は、何て名前で、どんな人だったのかな?」
急にそんな質問をされて、僕は意味がわからなかった。
「何の話ですか?」
「君から来たメールは、これだよ? 同じ喫茶店でバイトしている人が行方不明になった。その人が配信していたのが『フュージョンラジオ』で、行方不明になる直前の配信に小説のURLが貼られていた。全部、君から来たメールの内容だよ」
そう言われても、僕は意味がわからなかった。同時に、僕の中で記憶がメチャクチャになっていることに気付いた。
「やっぱり、そういう怪異なんだね」
「え?」
「存在するはずのものが存在しない。存在しないはずのものが存在する。そんな錯覚を与える怪異なんだよ。君がバイトしている喫茶店で行方不明になった人なんて存在しないけど、君は存在すると思った。当然、その人の配信なんてものも、私がいくら調べても見つからなかった、つまり存在しないものだけど、君は存在すると思った。そうなれば、行方不明になった人の小説なんて存在しないはずだけど、何故か存在している。それが怪異なんだよ」
ますます混乱してきて、頭がどうにかなりそうだった。
「混乱させてごめんね。この『フュージョンラジオ』という小説そのものが怪異なんだよ。だから、君は今すぐテキストにコピーしたものを全部消すべきだし、この件について調べるのも止めるべきだよ。はっきり言って、この怪異には近付くべきじゃない。私はそう思うよ」
普段、亜紀さんは何でも知りたいといった感じで、深入りしていくような性格だ。そんな亜紀さんがこう言うということは、本当に近付くべきじゃないのだろうと思わせた。
「ただ、ラジオというのが厄介だね」
「どうしてですか?」
「音というか聴覚って結構曖昧で、空耳なんて言葉もあるぐらいだし、気付くか気付かないかの違いはあるけど、普段から存在しないものを音として聞いてしまっているんだよね。例えば、実際にはいないのに、蚊の羽音が聞こえたとか、そんな経験は結構あるんじゃないかな?」
「確かに、ありますね」
「それと、文章を読む時に頭の中で朗読する人がいて、そういった人は文章を読みながら、ほとんど聞いているのと変わらない状態になるの。今回は『聞こえる?』という問いかけが繰り返し聞こえるというものだけど、この『聞こえる?』という文字をたくさん見て、本当に聞こえたように感じる人はいるんじゃないかな?」
亜紀さんの言うとおりというか、僕自身がそう感じたということを自覚した。
「あと、ラジオとか配信なんて、今は誰でもできるからね。そうして、本来は存在することすら知らなかった人と簡単に繋がってしまう。それは、実際に存在しない怪異と繋がることと、あまり変わらないと思うんだけど、そんなことを考えずに、みんな誰かと繋がりたがるからね。私の目から見たこの世界は、存在しないもの――怪異が溢れた世界だよ」
そんな亜紀さんの言葉を、僕は理解できなかったし、理解しようとも思わなかった。ただ、亜紀さんから見たこの世界は、僕の見る世界とは違うとだけ理解した。
「とりあえず、この件は基本的に離れる。そういう方針で君も私もいいんじゃないかな?」
「……コラムなどにはしないということですか?」
「純ちゃんの目に入ってもあれだし、そもそもコラムにできるほど情報があるわけじゃないからね。仮に、これをコラムにするとしたら……」
亜紀さんは少しだけ間を空けた後、笑顔を見せた。
「うん、『オカルトライターアッキーの雑話』なんて名前を付けて、ちょっとしたコラムにするぐらいかな」
そう言われた瞬間、不意に寒気を感じた。ただ、そんな寒気を感じた理由はわからなかった。
その時、スマホが鳴ったため、亜紀さんはそれを手に取った。
「ごめん、もう少し話したいんだけど、急用が入っちゃって、もう行くね。会計は私がしておくから」
「あ、ありがとうございます」
「とりあえず、繰り返し言うけど、今回の件は近付かない方がいいよ。そのうえで、何か起こった時は、いつでも連絡して」
「はい、わかりました」
「それじゃあ、もう行くね」
亜紀さんは慌てた様子で、会計を済ませた後、外へ出ていった。
僕は、あまり飲んでいなかったコーラを飲みながら、ボイスレコーダーの録音を止めた後、イヤホンを着けてから再生ボタンを押した。
しかし、何か設定が間違っていたのか、まったく音が聞こえなかった。そう思っていたら、かすかに右から声が聞こえることに気付いて、それに耳を傾けた。その声は少しずつ大きくなり、何を言っているのか、はっきりとわかった。
「聞こえる? 聞こえる? 聞こえる? 聞こえる? 聞こえる? 聞こえる? 聞こえる? 聞こえる? 聞こえる? 聞こえる? 聞こえる? 聞こえる? 聞こえる?」
僕と亜紀さんの会話を録音したはずなのに、何故こんな声が録音されたのか。そう思いつつ、聞いていられなくて、僕は停止ボタンを押した。
それなのに、「聞こえる?」という声は消えなかった。
僕は停止ボタンや電源ボタンを何度も押したけど、声は止まらなかった。だから、とにかくイヤホンを外した。
そして、僕は気付いた。
この「聞こえる?」という声は、イヤホンからでなく、僕のすぐ近く――右耳から、今も途切れることなく、聞こえ続けていた。




