99、ガメイ村 〜常連客ラフール・ドルチェ
「フランちゃ〜ん! ヴァンが、ルージュとケンカしてるよっ」
僕が、娘ルージュにきらいと言われて、呆然と立ちつくしていると、それに気づいたフロリスちゃんが、妻フラン様を呼んでくれた。その声で、やっとハッと我にかえる。
「フロリス様、ケンカではなくてですね……」
「主人が、ルージュにごちゃごちゃとうるさいことを言うからだよっ。ルージュは悪くないよ」
神獣テンウッドは、フロリスちゃんに、また変なことを言っている。ルージュの味方をしてくれることはありがたいけど、あまりにも甘やかしすぎだ。
「テンちゃ、でもこの状況は、ルージュちゃんがやんちゃしたんじゃないの? テーブルクロスを引っ張ったから、お料理が床にぶちまけられてるんじゃないの?」
「たぶん、移動するときに引っかかってしまったんだよ」
神獣テンウッドは、嘘をつくようになったのか。統制の神獣が、それでいいのか? 僕がそう考えていると、青い髪の少女は目が泳いでいる。だが、ルージュをかばう気持ちに変わりはないらしい。
フロリスちゃんは、小さなため息をついた。たぶん、ルージュがテーブルクロスを引っ張ったところを見てたんだよな。
「あらあら、ルージュは親子喧嘩ができるほど成長したのね。テンちゃ、今の話は事実かしら?」
フラン様が近寄ってくると、青い髪の少女は聞こえないフリをしている。たぶん神獣テンウッドは、娘ルージュの真似をしている。人間らしい仕草は、ルージュから学んでいるようだ。
一方で、ルージュはマズイと感じたのか、しょんぼりとうなだれている。こんな姿を見ると、これ以上叱れなくなるよね。
すると、僕に声をかけた常連さんが、驚きの表情で口を開く。
「貴女は、ドゥ教会の神官様? えっ、ということは、ソムリエさんは、ドゥ教会のヴァンさんなのですか」
あちゃ、バレたか。だけど、まだごまかせ……。
「ええ、フラン・ドゥ・アウスレーゼです。彼は私の伴侶のヴァンですわ。そして、ジュースまみれになっている子が、私達の娘ルージュです。お騒がせしております」
フラン様は、綺麗な所作で頭を下げた。彼女がこんな風に上品に振る舞うのは、気を許していないということだ。
「ほう! まさかとは思いましたが、そうでしたか。神官様、私は、ラフール・ドルチェと申します。貴女に取り継いでもらえる縁を探しておりました。お会いできて光栄です」
えっ? ドルチェ? ドルチェ家? 開店当初から頻繁に来てくれている常連さんだよ? 見た目も言動にも貴族っぽさはない。いつも穏やかなお客さんだ。
「ラフールさんといえば、今のドルチェ家当主の……」
「はい、後継争いに敗れた現当主の弟ですよ。各地を放浪していましたが、ちょっとした縁から、影の世界の住人を保護するようになりましてね。数年前に、ガメイ村に屋敷を建てたのですよ」
影の世界の住人を保護? 僕は、なんだか嫌な予感がしていた。後継争いに敗れたということは……現当主を恨んでいるなら……。
僕は、多くの未成年の子が殺されたポスネルクの件を思い出した。冒険者ギルドからも、あの件はもう片付いたと聞いている。店が忙しくなってからは、すっかり忘れかけていたことだ。
そういえば、ドルチェ商会の配達員が殺された件は、その後どうなったか聞いていない。愚蟲に取り憑かれた商人貴族の件も、暗殺貴族クリスティさんが中心となって動いたことで、ほぼ解決したそうだ。蟲に眷属化されたほとんどの人達にも、スキルが戻ったと聞いている。
ただ、数年前から、このガメイ村に盗賊が急に増えた理由や、畑への様々な被害が増えた原因が、まだ解明されていないという。
有力商人貴族ドルチェ家の当主争いをしていた人なら、相当な人脈もあるだろう。すべての元凶が彼だとすると、ストンと納得できる。
僕の店が忙しいからということで、ドルチェ商会からは毎日交代で2人の店員さんが手伝いに来てくれている。これは、もしかするとマルクが、ラフール・ドルチェさんの来店に気づいたからじゃないのか?
「……ヴァン? ちょっと、聞いてる?」
フラン様の声でハッと顔をあげると、僕にたくさんの視線が集まっていた。マルクも話が聞こえる距離にいる。
床に散らばっていた料理や割れた皿は、既に綺麗に片付けられている。全然、気づかなかった。
「すみません、何でしたっけ?」
「ヴァンってば、ルージュちゃんに嫌いって言われたダメージから、まだ回復できてないみたいねっ。どこから聞いてなかったのっ?」
フロリスちゃんは、両手を腰に当てて仁王立ちだ。なぜか、ぷんすかしているようにも見える。
「えーっと……フラン様が、常連さんと話し始めたあたりから……」
「あはは、小さな娘に嫌いと言われた父親のダメージは、そう簡単には癒えませんからな」
常連さん……ラフール・ドルチェさんは、いつものように穏やかだ。
「ええ、泣きそうですよ、僕」
思わず、そう呟いてから、しまったと思った。お客さんに、しかも警戒すべき相手に、こんな弱みを……。
「ラフールさんが、長老制度についての相談をしたいとおっしゃっているの。ヴァン、貴方が行ってきてくれない?」
フラン様が何を言っているのか、僕には理解できなかった。突然、なぜ長老制度なんだ? いや、その話を僕は聞き逃していたのか。
「フラン様、えーっと、長老制度のことは、僕はわからないですよ?」
そう答えると、彼女の片眉が上がった。久々に見たな、この癖。彼女の眉は、様々な感情を表す。これは……呆れてるね。
「長老制度自体についての説明に行け、と言っているのではないわ」
軽くため息まじりに、フラン様はそう言った。うん、やはり呆れられている。
「じゃあ、僕は、何を?」
「ラフールさんの屋敷には、影の世界の住人が多く暮らしているそうよ。影の世界の人の王が、こちらの世界と同じく長老制度を、影の世界の住人にも適用したいそうなの」
グリンフォードさんが?
「へ? は、はぁ」
「だから、貴方がドゥ教会の者として、行ってきてくれないかしら。私が行くよりも、ヴァンの方が適任だもの」
ドゥ教会として? 何? 布教活動? いや、長老制度か。うん?
「フランちゃん、ヴァンだけでは頼りないから、私も行くよっ。安心してっ」
「だけど、フロリスには店があるでしょう? 店長じゃない」
「大丈夫だよっ。1週間くらいお休みにしても」
「まぁ、そうね。ずっと無休だったから、たまには長期の休みがあってもいいかもね」
ちょ、1週間もかかる用事?
「あの、ラフールさんの屋敷に行くだけなら、昼間の空き時間でも……」
「ヴァン、それは無理よ」
「そんなに長い時間のかかる相談なんですか?」
「ええ、影の世界に行って、長老制度を開始するところまでを依頼されているのよ? 同じ場所から頻繁に行き来すると、二つの世界の境界が崩れてしまうわ」
「へ? 影の世界?」
「ええ、影の世界でも、神の声を聞く技能のある神官などでなければ、新たな制度は始められないわ。だから、私よりもヴァンの方が適任でしょう? 歩くラフレアなんだもの」
次回は、3月1日(水)に更新予定です。
ひえっ? もう3月?
よ、よろしくお願いします。




