85、ガメイ村 〜細長い芋
「バンシー、馳走って何? いま、忙しいんだ。邪魔しないでくれる?」
僕は、国王様が口を開く前に、お客さんに聞こえない小声でそう呟いた。名持ち妖精バンシーは、国王様が支配する闇の妖精だ。だけど、彼はイマイチ操れていない。馳走ってことは……ここにエサがあるということか。
『歩くラフレア、うるさいよ。馳走は馳走さ。悪意がここに近寄ってきているじゃないかい。楽しみだねぇ〜』
あー、そうか。悪意から放たれる負の感情が、彼女のエネルギー源になるんだっけ。
「ヴァン、コイツは、予知のような警告をするときに現れるんだ。消えろと言っても……」
「言うことを聞かないんですね。自分のエサを優先するのは、まぁ、ありがちです」
「あぁ、死人が出るようなことを警告してきたときは、こうなる。今すぐというわけじゃない。おそらく閉店後、深夜だろうな」
僕達のコソコソ話に、フロリスちゃんも耳を傾けている。彼女にも、バンシーの声は聞こえているみたいだな。姿は光にしか見えないだろうけど、どこに浮かんでいるかも、わかっているようだ。
「ヴァン、私、パンケーキの説明をしてくるよっ」
フロリスちゃんは、そう言うと、飾り付けたパンケーキの皿を持ち、ソロソロと歩いていく。あぶなっかしいな。店内で転んだら、笑い事ではすまないよ。
「おい、フロリス、待てよ」
僕が動くよりも先に、国王様が彼女から皿を取り上げた。
「ちょっと、フリック! 私が飾ったんだからねっ」
「大皿をちんまい奴が運んでると、大惨事になる」
「なっ? 私は大人なんだからねっ!」
二人とも、お客さんがいるのを忘れてないか?
僕の目の前で、逆さに浮かんでいるバンシーと目が合った。国王様が主人なのに、完全に無視してるよね。
これまでの僕なら、こんな状況になると戸惑っていたと思う。だけど、今はもう、ジョブの印に陥没の兆しはない。スキルの発動にも何の制約もないもんね。バンシーが何かを企んでいるなら、様々な方法で排除できる。
ただ、ジョブの印は、光が消えるまでは安心できないけど……。
「バンシー、いつまで居るつもり?」
『ふん、歩くラフレアには関係ないことだろ。それとも何かい? 私に……』
バンシーは、突然、僕から離れて天井付近へと移動した。何かを察知したみたいだな。だけど、消えるつもりはないらしい。うーん、何か悪さをしたら追い払うけど、それまでは放置でいいかな。
◇◇◇
忙しい開店初日は、やっと閉店の時間になった。マルクがドルチェ商会の人達を連れてきてくれなかったら、乗り切れなかったと思う。マルクに感謝だ。しかし僕は、いったい何人分の料理を作ったのだろう?
「ありがとうございました! また、お待ちしていますっ」
フロリスちゃんは店長として、帰る客にはキチンと挨拶をしている。人見知りも、今日は忙しいためか吹き飛んでいるようだ。こういう仕事は、彼女に合ってるかもしれない。
「店長さん、すごく美味しかったよ。店長さんのデザートも、かわいかった」
「ぼく、てんちょさんのこと、すきっ」
小さな男の子に告白されているフロリスちゃん。
「ありがとうございます。ふふっ、もっと素敵な食堂になるよう頑張ります」
ぺこりと頭を下げるフロリスちゃんを真似て、小さな男の子も頭を下げた。顔をあげたときにフロリスちゃんと目が合ったのか、恥ずかしそうに母親らしき女性の背に隠れてしまった。ふふっ、彼の初恋かもしれないね。
帰り際に、お客さんが次々とかけてくれる声は、どれも好意的なものだった。とりあえず、初日は成功かな。
ファシルド家の狙いとしては、ガメイ村の治安維持だ。食堂で儲けようという気はないと思う。でも、商人貴族の店だと、誤解させておきたいらしい。商人貴族は狙われやすいから、好都合なのだそうだ。盗賊を取り締まりたいんだろうな。
「あの焼いてあった甘い芋は、この村の細長い芋かい? あんなに甘いのは、何かの蜜を使ってあるのかい?」
他の店から偵察に来たらしき男性にも、フロリスちゃんは笑顔だ。彼は、ほとんどの客が帰るのを待っていたようだな。なんだか嫌な予感がする。
「あれは、皮を厚く剥いて、蒸してから焼いたものです。リースリング村にある貴族の屋敷では、そういう食べ方が流行っているそうです」
へぇ、国王様の料理の手順を覚えてるんだな。フロリスちゃんは、記憶力がいいとは思っていたけど、僕の予想をはるかに超えている。
「なぜ、皮を厚く剥いて蒸すのかな? 皮を別の料理に使うのかい?」
「えっ? えーっと……料理長っ!」
誰? 料理長って?
フロリスちゃんの視線は、国王様に向いている。料理長と呼ばれても気づいてない。あっ、バンシーが声をかけに行った。
「ちょ、俺は料理長じゃねぇんだけど」
そう言いつつ、嬉しそうな国王様。酒屋のカフスさんも近寄ってきた。また、三角関係じゃないか。
「おや、オワリーの旦那さん。視察ですかー?」
酒屋のカフスさんにそう呼ばれて、芋料理の質問をしていた男性は、苦笑いだ。オワリーって、この商業通りにある大きな食堂だよな。
「チッ、別の酒屋と取引しているからって、バラすことねぇだろ、坊や」
坊やと言われて、カフスさんは少し表情を歪めた。未成年だから、坊やでも仕方ないと思うけど……難しい年頃だよな。
国王様は、チラッと僕に視線を移した。ん? 何?
「オワリーの旦那さん? あの細長い芋の皮は、当然、捨てるぜ」
「ちょっと、フリック! 言葉遣いっ!」
フロリスちゃんに叱られても、国王様は知らんぷりだ。
「なぜ、捨てるのだ? もったいないじゃないか。リースリング村が何をしてるのかは知らんが、皮ごと炒めて食べるのが、この村の一般的な調理方法だぞ」
「ふぅん、あんたは商人だから、それで良いんだよ。だがな、あの芋の皮には、妖精の感知ができなくなる毒が含まれてるんだ。だから、妖精の声を聞いて農業をするリースリング村では、皮は食わないんだぜ」
さっきの視線は、これを暴露するという意味か。そして、僕にフォローをしろってことだよね。
「は? 何を言っている。そんなわけないだろ」
国王様が、僕に視線を向けた。でも、大きな食堂の旦那さんが理解してくれたら、ぶどうの妖精の声が聞こえない農家が救われる。
でも、どうしようかな。話し方が難しい。商人が相手だもんな……貴族が相手なら、慣れてるんだけど。
僕は無意識に、マルクに救いを求める目線を送っていた。
「ちょっと失礼しますよ。オワリーさん」
僕の目線に気づいたマルクが、話に入ってきてくれた。




