8、商業の街スピカ 〜ファシルド家の当主からの……
「ヴァンの名前を出したか?」
旦那様が、戻ってきた黒服に尋ねた。
「いえ、エリン様を連れてきた黒服、と言ってあります。私が訪ねたとき、お嬢様は、あの人は本当に薬師だったのねー、などと話されていたので、名前は伏せさせていただきました」
この黒服の対応力は、すごいな。そういえば、バトラーさんも僕の名前は出していない。目が合ってもスルーされたし。
「そうか、だからそんなことを言ったのだな。やはり黒服だけでなくメイドも料理人も、最近入れ替わりがあった所は、すべてだな」
旦那様は、深いため息をついている。何? どういうこと?
「ヴァン、次の契約は決まっているのか?」
旦那様が唐突に、話を変えた。
「派遣執事のことでしょうか?」
「あぁ、そうだ」
「まだ決めていません。フロリス様の成人の儀が無事に終わらないと、落ち着かないですし」
そう答えると、旦那様はニヤリと笑った。
「ヴァン、今、この屋敷で何が起こっているか、気になるか?」
「まぁ、はい。酷すぎる後継者争いですからね」
「フロリスも、現れるジョブによっては、成人の儀の後の方が危険になるかもしれんな。女性であったとしても、ジョブ『ナイト』である可能性は……」
「旦那様、フロリス様は、ジョブ『ナイト』ではありませんよ。天兎は、ナイトには仕えませんから」
フロリスちゃんが育てた天兎は、神の導きのジョブを与えられた者にしか仕えないと言われている。ナイトは、それには当たらない。
天兎は、幼体の頃は、小さくてふわふわとした丸っこい兎だ。ほとんどが幼体のまま繁殖して死んでいく。しかし、条件が整うと、成体へと成長する。天兎の成体には、いろいろな種類がいるようだ。空に映る天使も、天兎の成体のひとつらしい。
「ヴァン、それならフロリスは、狙われることもないな。それなのに、次の仕事は決めてないのだな?」
旦那様は、フロリスちゃんのジョブは、おそらく貴重なジョブだと気づいたらしい。嬉しそうだな。父親というより、ファシルド家の当主として期待しているように見える。
「僕は用心深いんですよ。何かあるといけませんからね。フロリス様は、僕の妻と血の繋がりのあるお嬢様ですから、僕としても家族だと思っています」
フロリスちゃんが神矢ハンターのジョブを得たら、嫁には出されないだろうな。旦那様なら、ジョブ『ナイト』の貴族を婿入りさせようと考えると思う。
だから、フロリスちゃんが安全とは言えない。ファシルド家に残るということは、いろいろな意味で争いに巻き込まれる。
「じゃあ、ヴァン、しばらく継続で頼む」
「はい? しばらくとは?」
旦那様は、急に表情を引き締めた。さっきまでとは作戦を変えたのだろうか。
「しばらくと言えば、しばらくだ。そうすれば、今、屋敷で起きていることを話せる」
答えになってないな。だが旦那様が、僕に助けを求めていることはわかる。
貴族家としては、むやみに誰かを頼ることはできない。有力貴族のファシルド家の格が落ちる。それなのに話すということは、もうどうにもできない状況なのか。
「わかりました。ですが僕は、ジョブ『ソムリエ』ですよ? 派遣執事を継続するには、それなりの理由が必要です」
僕がそう返答すると、旦那様はバトラーさんに助けを求める視線を送っている。バトラーさんは少し上を見上げ、必死に何かを考えているようだ。
「旦那様、来月の顔合わせ会は、レストランではなく屋敷で行うのは、いかがでしょう? 苦しい案ですが、それ以外に思い浮かびません」
顔合わせ会?
「おぉ! それは良い。ヴァンがいれば、より一層集まってくるだろう。屋敷で開催するならソムリエが必要だ。他の奴らは、ヴァンを参加させるために、屋敷でやることにしたと考えるだろうからな」
僕は、何かの客寄せか?
「では、レストランをキャンセルして参ります」
バトラーさんは、そう言うと、すぐさま部屋から出て行った。忙しい人だもんな。退出する理由ができて、喜んでいる気がする。
扉が閉まり、魔道具の稼働音を確認した後、旦那様は口を開く。
「ヴァン、正直に言う。助けてほしい」
「えっ、ちょっと、旦那様……」
彼は立ち上がり、僕に深々と頭を下げた。そして、椅子に座ると、僕にも着席を促した。僕は黒服なんだけどな……。
僕が座ると、彼は、側近達に視線を移した後、口を開く。
「存続の危機かもしれないと思っている」
一瞬、ふざけているのかとも思ったが、旦那様は真顔だ。側近の人達も神妙な顔をしている。
「どういうことですか」
「奇妙な事件は、この1年のことだ。屋敷内で何かに襲われて、ほとんどが行方不明になっている。さっきは4人と言ったが使用人を含めると13人だ。今まで生存者は居なかった。エリンだけだ。ヴァンが機転を効かせて、エリンを歩き回らせただろう? あれで、魔物の仕業だと皆が気づいた」
さっき僕を怒鳴った人が、悔しそうにしている。歩き回らせたつもりはないんだけどな。
旦那様の言葉の一部に引っ掛かりを感じた。ほとんどが行方不明で……生存者は居なかった。そうか、エリン様も、僕が見つけなかったら、あのまま亡くなっていたよな。
「だが、魔物は跡形もなく消えるのだ。エリンが発見された場所へも調査に行かせたが、魔物の臭いさえ消えていた。おそらく、ヴァンがエリンを歩かせていたときに、証拠を消したのだろう」
「そう、ですか」
旦那様は、僕の言葉を信じてくれている。ただの黒服なら、嘘だと判断されたかもしれない。エリン様の言葉も、錯乱状態だったと片付けられそうだ。
「人を頭から喰うほどの大きさの魔物を、警備兵がなぜ見つけられない? 極級『魔獣使い』のヴァンなら、わかるか?」
そうか、ファシルド家の人達は、冒険者をする人が少ないから知らないのか。特に側近の騎士なら、冒険者登録さえしてないかもしれない。
「簡単なことです。『魔獣使い』上級の技能に、従属というものがあります。魔物を従える技能ですが、ピンチに陥ったときは、従属を召喚できます。そして危機が去ると従属は消え、元いた場所に戻ります」
「転移魔法か?」
「召喚魔法だと思いますが、転移との違いは僕にはわかりません」
「そうか! では『魔獣使い』を探せばいいのだな」
「旦那様、『魔獣使い』は冒険者なら、ほとんどの人が持っているスキルです。神矢もよく落ちていますから、超級も極級でさえ、珍しくありません」
そう話すと、旦那様はガクリと肩を落とした。