62、商業の街スピカ 〜新たな依頼
「ヴァンさん、派遣執事の契約は、まだ継続にしておくと旦那様がおっしゃっていました。ファシルド家の黒服として、フロリス様のことをお願いしますね」
翌朝、海辺の町カストルを離れ、商業の街スピカのファシルド家の本邸に挨拶に行くと、執事長バトラーさんから、妙なことを言われた。
昨夜、あの後は、何もなく解散になり、僕は何も聞いていない。僕が何の講師をするのかについても、クリスティさんは教えてくれないんだ。
それに、なぜか、フロリスちゃんをよろしくとまで言われている。
「バトラーさん、話が見えないんですが。今回の件は、これで解決だと思うんですけど、僕の契約は……」
「ヴァンさんの契約は、ポスネルクの件がすべて片付くまでとのことです。アーチャー系貴族の人達は、今後一切、当家に害を及ぼすようなことはしないでしょう。ですが、主犯を泳がせてあるのですよね?」
あ、ハーシルド家のあの人か。
「泳がせてあるのですか? 何も事情を知らされてないんですが」
「貴族家同士のことだから、お話できないこともあるのでしょう。ですからヴァンさんには、当家の派遣執事として……」
「あの、バトラーさん。その繋がりが意味不明です。何か誰かに口止めされてます?」
僕がそう尋ねると、バトラーさんはニヤリと笑った。口止めされたとは言えないだろうけど……それが事実だと肯定してくれたようだ。
「フロリス様が関わるには、ヴァンさんに当家の派遣執事の契約を継続していただく必要があるのですよ。貴方がいないと、フロリス様の安全を確保できませんからね」
いや、ちょっと、何それ。まさかフロリスちゃんが、今回の件の主犯を追うつもりなのか?
「なぜ、フロリス様が……」
「それと、ブラウンさんにも契約を延長してもらうことにしました。こちらは、彼を守るためでもありますね。ルファス様からの進言です」
マルクが進言? 黒服のブラウンさんは、ブラウン学長の息子で、暗殺されそうになって……というか殺されて蘇生され、長い間、獣人の里に居たんだよな。彼は、ハーシルド家の分家の人だから、確かにファシルド家から出るのは危険だ。きっと、ハーシルド家のあの人が、ブラウンさんを消そうとする。
裏ギルドで闇堕ち貴族として有名な毒薬のラット……ラット・ハーシルドさんは、多くの暗殺者と繋がりがあるだろう。おそらく裏切られたと知ると、それまで手駒にしていたテック・ヨルースさんも消されるか。
「ヴァン、あのね、アーチャー系貴族だけなら、あとの始末は彼らに任せればいいんだけど、ハーシルド家が企んだことだから、同じナイト貴族として、黙っていられないのっ」
フロリスちゃんから、思わぬ言葉が飛び出してきた。まだまだ子供だと思っていたのにな。僕は背筋が伸びるような、身の引き締まる印象を受けた。
「それで、なぜフロリス様が関わられるのですか? ファシルド家なら、他にもたくさんのジョブ『ナイト』の方々もいらっしゃるのに……」
「私が、ジョブ『神矢ハンター』だからよっ。ヴァンは、ゼクトさんと親しいのに、神矢ハンターの役割を知らないの?」
「えっ……神矢を集める手伝いをするのが……」
そう言いかけると、フロリスちゃんは、大きなため息をついた。大人の真似事をしているかのような大げさな仕草は、とっても可愛らしい。あっ、彼女も13歳の成人だから、大人なんだけど。
「ヴァン、神矢ハンターはね、皆の生きる希望なのっ。私はまだ上級だから限られたことしかできないけど、神のしもべである天兎を通じて、他の人にはできないことができるの。頑張ろうと努力する人達を支える、もう一つの神官なのよっ」
もう一つの神官? 確かに神矢ハンターは、神官家の血筋からしか生まれないと聞く。フロリスちゃんの母親は、神官三家のひとつ、フラン様と同じくアウスレーゼ家の人だ。
「神矢ハンターが、もう一つの神官なんですか?」
そう尋ねると、フロリスちゃんは、ふんすと鼻息荒く、両手を腰に手を当て、仁王立ちしている。光の精霊様がよくやる仕草だな。
「神矢ハンターは、神官家の血筋にしか生まれないのよ?」
「あぁ、はい、それは知ってます」
「じゃあ、わかってるじゃないっ」
えーっと、何が? 僕が首を傾げると、フロリスちゃんは、またふんすと鼻を鳴らしている。お嬢様、とても可愛らしいですけど、屋敷でそれは、どうかと思いますよ。
「えっと、よくわからないけど、とりあえず何となくわかりました。バトラーさん、具体的に僕は何をすれば良いのですか?」
神矢ハンターのことは、そのうちゼクトさんに尋ねようと決め、僕は話を変えた。
「ヴァン、わかんないけどわかったって、どっちなのっ」
フロリスちゃんが、プンスカ怒っている。ふふっ、ほんと、打てば響くというか、期待を裏切らない反応だね。
「えーっと、どっちでしょう?」
「まぁっ、からかっているのねっ。私はもう大人なんだからねっ。そんな手には乗らないわっ」
ありゃ、話が変な方向に解釈されている。からかっているわけではない……とは言えないな。
バトラーさんも、こらえきれずに吹き出している。そんな僕達を交互に見比べて、フロリスちゃんは、頬を膨らませていた。
「ヴァンさんには、当家の派遣執事として、ガメイ村に行っていただきます」
バトラーさんは、笑いをこらえながら、説明を始めた。
「ガメイ村、ですか?」
「はい、ルファス様からの提案だそうです。ガメイ村には、隠居貴族の別邸が立ち並ぶ広いエリアがありますよね」
「そうですね。ガメイ村は、ぶどう農家よりも隠居貴族に関わる人の方が圧倒的に多いですね」
「ガメイ村は、最近、治安が悪化してきていると聞いています。隠居貴族に関わる人達を狙った盗賊も増えているそうです」
あぁ、確かに。黒服のブラウンさんも、お金を盗られたんだよな。いくつもの盗賊団が転移屋付近に集まっていた。
「もしかして、国王様からファシルド家に、その治安維持の命令が出たのですか?」
僕がそう尋ねると、バトラーさんはニヤッと笑った。あー、逆か。ファシルド家から、申し出たんだな。
「それについてはお答えできません。ただ、当家は、ガメイ村に別邸を購入しました。その理由は、ガメイ村のワインを当家が直接買い付けるため、として届け出ています」
「なぜ、ワインを? 旦那様は、ワインには無関心ですよね」
「そこは、ヴァンさんを行かせるためですよ。ルファス様から、ヴァンさんを使うならソムリエの仕事もさせないと、フラン様の許可が得られないとのことでして……」
そう言うとバトラーさんは、その表情を引き締めた。あぁ、マルクから、僕のジョブの印の陥没の話を聞いたみたいだな。だけど、なぜ、ガメイ村なんだ?
「では明日から、よろしくお願いしますね」
バトラーさんは、それ以上、何も話してくれなかった。