5、商業の街スピカ 〜お嬢様の救出
「エリン様、歩けますか?」
僕は、彼女の骨折が完全に治っていることを確認して、声をかけた。
「ええ、薬師のヴァンさんのポーションだもの、当然よ」
僕がそのヴァンだと名乗るべきか迷ったが、ここから出るのが先だな。さっきから話していても、見張りらしき人は誰も来ない。抜け出すなら今だ。
「では、とりあえず、屋敷のお部屋に戻りましょう。僕が付き添います」
「えっ……」
彼女は、不安げに瞳を揺らしている。暗くてよく見えないが、彼女が着ている服は、おそらく血で汚れていると思う。それに、かなり臭う。貴族家のお嬢様には、これは何よりの屈辱かもしれない。早く着替えたいだろう。
さっきの彼女の悲痛な叫び……。双子の弟さんが目の前で殺されたのだろうか。この臭いは、魔物のよだれか。裏の畑から、彼女がここに逃げ込んだとも考えられるな。
ファシルド家の畑に魔物がいること自体、あり得ないことだけど……この強烈な臭いは、人間のものではない。
「でも、私……ここから出ると殺されるわ。フロリスさんの成人の儀が終わったら、コッソリ出してやると言われて……」
はい? フロリスちゃんの成人の儀は、まだ3日先だ。
「エリン様、あと3日間も、ここにいるつもりですか?」
「えっ? フロリスさんの成人の儀は今日でしょう? そんな、私、餓死……ハッ! やはり私は殺されたのね」
「エリン様は、生きていらっしゃいますよ」
「でもでも、ここで弟がバケモノに襲われていて、私は、通路から……あれ? 私、なぜここにいるの? ロインはどこ!? なぜこんなに暗いの? バケモノはどこ?」
震える彼女の背中をぽんぽんと優しく叩きながら、僕は、スキル『魔獣使い』の魔獣サーチを使う。この部屋には魔物はいない。僕達以外に生命反応は無さそうだ。見張りも居ないな。
さらに範囲を広げようとすると、右手にピリッと痺れを感じた。クッ、魔獣サーチさえ、自由に使えないのか。
さっきソムリエの技能は、全く問題はなかった。ジョブは使えるけど、スキルはダメってことらしい。緊急時以外は、無理しない方がいいな。ジョブの印の陥没が進行してしまう。
「ごめんなさい、取り乱しましたわね。ロインは、バケモノに頭から喰われたわ。それを目撃して、私は……バランスを失って、通路から落ちたみたい。そう言っていたわ」
彼女の様子はおかしい。通路から、突き落とされたのか。この臭いから考えて、彼女はその魔物のよだれを浴びたが、襲われなかった。魔物の習性からして不自然だな、あり得ない。
この件に、魔獣使いが絡んでいることは、間違いない。
あぁ、そうか。通路から突き落とされたから、彼女は首しか動かせなかったんだ。だから、ポーションを僕の手から直接食べたんだな。おそらく彼女は足や腰そして腕も骨折していたのだろう。
「通路の上にいた人から、フロリス様の成人の儀が終わったら助けに来ると言われたんですね」
「ええ、私も狙われているの。不用意に出ると殺されるのよ。でも、バケモノは? バケモノがここにいたのよ! 本当よ」
彼女は、暗い闇をジッと見つめている。
「安心してください。いま、この部屋には魔物はいませんから。助けに来ると言った人は、よく知る人なのですか」
そう尋ねると、彼女は首を横に振った。
「わからないわ。黒服の顔なんて、いちいち覚えてないもの」
なるほど、だがそれで十分だ。彼女の専属の黒服ではないということはわかった。部屋に返しても大丈夫だろう。
「そうですか。とりあえず、お部屋に戻りましょう」
「でも、私は狙われているのよ。ここから出ると殺されるわ」
彼女は、心底怯えているようだ。まぁ、当然だな。
「エリン様のジョブは、ナイトですか?」
「えっ? 私はまだジョブの印は現れていないわ。もうしばらくしたらわかるけど……なぜ、そんなことを聞くの?」
やはりな。彼女は12歳か。双子の弟さんも。
「多くの貴族家では、後継者は旦那様と同じジョブの方ですから……」
僕は言いかけた言葉を飲み込んだ。さすがに未成年の子に、ジョブ『ナイト』なら殺されるかも、とは言えない。
「お父様の後継者? まだ決まらないわよ。三年以内に決めるみたいだけど、それまでは候補者の発表もしないって。候補者になると、不審死してしまうことが多いらしいわ」
はい? そんな宣言を旦那様がしたのか?
「それは、旦那様がおっしゃったのですか?」
「ええ、そうよ。ひと月ほど前の、誰かの成人の儀のときに、そう言っていたわ」
ちょっと待て。そんなことを言ったら、後継者が決まるまで、大変なことになるじゃないか。
そういうサバイバルを生き残った者が当主を継ぐべきだという貴族家の考え方は、僕には理解できない。なぜ、別の方法を選ばないんだ?
「その方のジョブは、ナイトだったのですね」
「うーん、そうかも。あまりよく知らない人だから覚えてないわ」
「そうですか。とりあえず、お部屋に戻りましょう。僕が護衛しますから、大丈夫ですよ」
「でも、ここから出ると殺されるわ」
ここまで頑なに、顔も覚えていない黒服の言いつけを守るなんて、おかしいな。恐怖状態の彼女に暗示をかけたか。
仕方ないな。
「エリン様、僕の顔をご存知ないですか?」
「知らないわ。私、黒服なんてイチイチ覚えてないもの」
「でも、さっき、僕が作ったポーションは、ご存知でしたよね?」
「えっ……」
「さぁ、行きましょう」
「嘘よ、騙されないわ」
えー、まだ、ダメか。
「じゃあ、その通路まで行きませんか? ここは暗すぎる。灯のある場所で、ポーションを作って見せますよ」
僕がそう言うと、彼女はやっと立ち上がった。一瞬、服の臭いを消してあげようかと思ったけど、やめた。これは、証拠になるからな。
手を差し出すと、彼女はキュッと握ってきた。その手は震えている。僕は、彼女の手を引いて、ゆっくりと階段を上がった。
灯がある場所まで来ると、彼女の表情がよく見えた。恐怖で青ざめているが、気丈に振る舞っている。
そして、想像した通り、長いスカートは血に染まっていた。この血は、彼女の弟さんのものかもしれないな。
通路まで階段を上がると、彼女は左へと進んだ。
「エリン様、ポーションは作らなくてもいいのですか?」
「あのポーションは、薬師なら誰でも作れるのでしょう? 意味がないわ。私の部屋はこっちよ」
彼女は、スタスタと通路を歩いていく。だけど、僕の手は離さない……離せないようだ。
皆様、お読みいただきありがとうございます♪
ハハァー!!(ノ´ロ`)ノ☆^((o _ _)oペコ
本作は、連載中の作品で書かなかった空白の二年間を、新たな連載として始めたものです。
以前から連載中の作品は、極級ハンターを目指すヴァンの成長物語ですが、本作は、その話の流れから外れる部分を別に分けた、派遣執事メインの物語として描いていきます。
あっ! ご心配は無用です。極級ハンターを目指す話をご存知なくても問題なく読んでいただけるように書いていきます。
ちょっとダークなスタートになっていますが、全体的には、ゆるふわな雰囲気になると思います。ブックマークして継続して読んでいただけたら嬉しいです(*´-`)
日曜月曜お休み。
次回は、7月5日(火)に更新予定です。
よろしくお願いします。