4、商業の街スピカ 〜ワイン保管庫から地下へ
ワイン保管庫は薄暗く、一定の温度と湿度が保たれている。ワインが光や温度変化を嫌うためだ。これは、人間がずっと居るには少し寒い環境だ。
いま僕は、そんな場所に閉じ込められている。でも身体を動かしていれば、そんなに苦にはならない。僕が生まれ育ったリースリング村では、冬はかなり雪が降るので、寒さへの耐性があるのかもしれない。
ワイン保管庫には、壁面にズラリと棚が並んでいる。そして棚の下には木箱を置くスペースがある。この街ではよくあるタイプのワインセラーだ。
棚は活用されていない。酒屋から納品された木箱のまま、床に雑多に置かれている状態だ。
ジョブ『ソムリエ』がいない屋敷は、誰も整理することができず、こんなことになりがちだ。
とりあえず、整理しようか。
僕は、ワインを一本一本、手に持ち、状態を確認しながら分別していく。『ソムリエ』には、ワインのボトルに触れることでその中身の状態を知る、ワインの精という技能がある。僕は、その技能を使いながら、ワインを整理していった。
保管庫の扉正面の棚には、よく飲まれる甘いテーブルワインを並べた。その棚の下のスペースには、ストック用に木箱を置いておく。
そして、その横の棚には食事に合う飲みやすい白ワインを、さらにその横の棚には少し辛口の白ワインを並べていく。棚ごとに味の特徴で分類しておいた。
反対側の壁面の棚には、赤ワインを並べようか。
だが、赤ワインはあまり飲まれないのか、状態の悪いものが多い。劣化しているワインは扉のすぐ横の棚に並べた。これは料理に使ってもらおう。
その横の棚には、赤ワインを並べた。赤ワインは軽い飲み口のテーブルワインしかなかったから、特に分類はしていない。
整理をした結果、ワイン保管庫の棚は、入り口付近だけしか埋まっていない。奥の方は空っぽだ。
だが、パーティ用のワインを用意するには、この空きスペースはちょうど良いかな。
貴族家の成人の儀の規模は、その成人となる人の立場で大きく異なる。後継者候補の場合は、男女関係なく、かなりの規模になる。
ファシルド家はナイトの家系だから、ジョブ『ナイト』を与えられた人が、後継者となる。おそらく、フロリスちゃんの兄のアラン様に決まるだろうと、僕は思っている。
貴族家では、この後継者争いがあまりにも酷い。自分の子を後継者にしたい母親が、ライバルになりそうな他の子を殺すこともあるくらいだ。
フロリスちゃんのジョブは、おそらく『ナイト』ではない。ゼクトさんが以前、自分と同じジョブだろうと言っていた。もしそうなら『神矢ハンター』だ。後継者にはなれないけど、非常に貴重なジョブだから、やはり大規模なパーティになると思う。
使われていない棚の掃除を始めると、床の一部に違和感を感じた。薄暗いからよく見ないと気づかないが、足音が変わったんだ。
隠し階段だな。
貴族家には、あちこちに隠し部屋や、隠し通路がある。そのすべてを把握しているのは執事長くらいだろうか。
床に隠されていた取っ手を引くと、床の一部は扉のように開くことができた。そして、下への階段が見える。
ワイン保管庫の地下には、ワインを愉しむための試飲部屋が設けられていることもある。一応、確認してみようか。
僕は、階段を数段降りて、ワイン保管庫の床を元に戻した。誰かが落ちたら大変だからな。
そして、ゆっくりと階段を降りていく。キシキシと軋むから、下に人がいれば気づくだろう。だけど、何の声も聞こえない。
トンと足音が乾いた音に変わった。まだ部屋までたどり着いていない。階段の踊り場か?
改めて見上げてみると、もう2階分くらいは降りたようだ。そして、この踊り場は広い。薄暗くてよく見えないが、この踊り場に繋がる階段は、ひとつではないようだ。いくつかの場所から、ここに来ることができるみたいだな。
あれ? 踊り場は、左右に長々と続いている。ということは通路か。これを進むと、どこかの地下室に繋がるのだろうか。
どうしようかな。下への階段も見える。この階段は幅が広い。とりあえず降りてみようか。
幅の広い階段を降りていくと、なんだか錆びた金属のような臭いがしてきた。そして階段の途中で、灯は無くなっている。足元がよく見えない。
こんな場所で、ワインの試飲会をするわけがないか。上に戻ろうかな。
「いやぁ〜!! 殺さないで!」
下の方から、若い女性の声が聞こえた。僕は、慌てて、残りの階段を駆け降りた。
かなり暗い冷たい部屋だ。床は、土が固められているだけのようだ。まるで……。
「来ないで! いやぁ!」
その声の主を探すと……僕を見つめて怯える瞳。僕が、殺しに来たと思ったのか?
だんだんと目が慣れてきて、僕は思わず息を飲んだ。ここは……地下牢なのか。
僕は、スキル『迷い人』のマッピングを使って、この場所の位置を確認した。
ここはかなり巨大な部屋のようだ。屋敷の一部から裏の畑の方までの広さがある。
この場所へ通じる道は、屋敷からは、今、僕が降りてきた階段だけだ。畑の数ヵ所からも、階段があるようだな。
マッピングに表示されたここの名称は、解体場。ファシルド家では、肉の解体なんてしていない。ということは……。
「怖がらないでください。僕は、派遣執事です。屋敷内で迷ってしまって、ここにたどり着きました。貴女は?」
「私は、エリン。母はセイラよ。双子の弟は……うわぁああ」
悲痛な声……。弟さんは殺されたか。僕は、どの名前にも覚えがない。だが、この話し方から考えても、彼女はファシルド家のお嬢様だろう。
彼女を落ち着かせるためにも、灯りをつけたいけど、監禁されているならマズイか。見張りがいれば、簡単に的にされてしまう。
「エリン様、とりあえず、これを食べてください。毒ではありません。僕も食べますから」
僕は装備していた魔法袋から、正方形のゼリー状のポーションを二つ取り出した。これは僕が作ったグミのようなポーションだ。
彼女は、顔を僕の手に近づけて、匂いを嗅いでいる。
「あっ、これって、薬師のヴァンさんのポーションね」
そう言うと彼女は僕の手から、まるで動物のようにそのまま食べた。そして僕が食べようとしていたもう一つも、奪っていく。
体力回復だけなら、ひとつで足りるんだけどな。
僕は、薬師の目を使って、彼女の状態を確認した。うわ、ひどい怪我をしていたようだ。二つ目のポーションは、彼女の骨折を治していった。