29、海辺の町カストル 〜半魚人との交渉
「へ? 僕が雇うんですか?」
そう聞き返すと、冒険者ギルド所長ボレロさんは、ニコニコしながら頷く。それが、彼が考えた良いことなのか?
「デネブのドゥ家には、元奴隷や獣人の使用人がたくさんいるじゃないですか」
それは、あの町が、奴隷だった人達の逃げ場になっているからだ。ドゥ教会は、そんな人達が普通に暮らせるように尽力している。だから、自然にそういう使用人が増えていく。
ドゥ教会では、ほとんどの物が無料だ。食事や宿泊も、中庭で育てている花も、必要とする人には無料で与えている。僕が教会の片隅で薬を作っているけど、それも当然無料で教会を訪れる人達に提供しているんだ。
これは、当主であるフラン様の方針なんだ。新たに立ち上げたドゥ家の信者を増やすために、神官三家とは全く異なることをやっている。
フラン様は、お金が絡むから人の欲が増すと考えているようだ。そして、どんどん心に余裕がなくなって、恵まれない者は堕ちていくしかないと言っていた。
だから、ドゥ教会の運営資金は、すべて彼女と僕が、別の手段で稼いだものを使っている。そうしていることで、信者さん達には、少しずつ変化が現れたんだ。
教会には薬をもらいに行く、という理由もあるから、信者さん達は来やすいみたいだ。教会で自由に過ごして、ストレスを発散する人も増えてきた。
だから教会の使用人には、世話好きな人が、新たな仕事を紹介してくれることも多い。また、急に人が必要になったときは、教会に来ればなんとかなると考える人達までいるようだ。
本来なら、そういう斡旋は、商業ギルドの仕事だ。だけど、様々な理由で、商業ギルドに登録できない人もいる。ドゥ教会は、そんな人達をすべて受け入れているんだ。
「ボレロさん、ここはデネブではありませんよ? それに教会なら、ベーレン家の教会がありますし」
僕は、一応、断ってみる。だけど、ボレロさんが何を言いたいのか、だいたい想像はできる。
「じゃあ、ヴァンさんは、彼らをどうするつもりですか?」
ボレロさんが僕に言わせたいことが、完璧にわかってきた。確かに、半魚人達をカストルに棲ませるには、それしかない。ファシルド家が雇えないなら、僕が雇って、僕の仕事を手伝わせる、か。
だが、僕は気づかないフリをして、半魚人達の方を向いた。半魚人達は、かなり警戒している。
「キミ達は、人間の言葉を普通に話せる?」
そう尋ねると、僕がポーションを渡した個体が口を開く。
「当然だ。ずっと、この町の漁師に協力してやっていた。それなのに、海がおかしくなってから、ガラリと変わってしまった」
海がおかしいというのは、6〜7年前のことを言っているのかな。確かに、海からマナを集めていた大きな組織がある。カストル沖の海竜の島には、今もまだ、破壊された実験施設が残っているだろう。
破壊したのは、僕達なんだけど。
「キミ達は、漁が得意なんだね? 僕も、釣り人のスキルはあるんだよ」
「人間は、スキルがないと何もできない不器用な生き物だからな。ふぅん、漁師ができるのか」
「うん、でもスキルには頼らずに、のんびりと釣りをしてみたいんだよね」
僕がそう言うと、その半魚人は、ブッと吹き出している。
「人間のくせに、スキルを使わずに賢い魚を釣るだと? 変わり者だな」
半魚人は、普通に笑うんだな。もう、魔物じゃなくて、獣人と同じく人でいいよね。
「僕の従属にも同じことを言われたよ」
あっ、失言だったか。半魚人達の表情が一瞬で固まってしまった。覇王なんか使わないよ。というか今の僕には、覇王なんて使えない。そんなことをすると、ジョブの印が完全に陥没してしまいそうだ。
えーっと、どうしよう?
ぐるりと見回すと、半魚人達を運んでくれた冒険者達も、表情をこわばらせている。うん? 彼らの視線の先をたどると……あぁ、黒い異界の魔物か。
「アレは、従属なのか?」
半魚人が僕に尋ねた。
「黒い生き物かな? カストル沖から流れてきたみたいだね。僕も、さっき初めて見たよ。黒すぎて種類もよくわからないね」
「魔獣使いなのに、わからないのか?」
「調べることはできるけど、その必要もないでしょ。臆病な性格みたいだし」
すると、半魚人はグワッと目を見開き、首を横に振っている。他の半魚人達も同じだな。
「奴らは夜行性だ。海が真っ暗になると、奴らは我々の眷属を食い荒らす」
半魚人の眷属って何? ボレロさんに助けを求めると、彼は口を開く。
「ヴァンさん、半魚人は、テリトリー内のすべての、自分より弱い海の生物を眷属化できますよ。カストルなら、ラモラかな?」
ラモラ? 何、それ?
「伝説の白魚ラモラですか!!」
離れた場所で怯えていたはずの料理長が叫んだ。有名な魚みたいだな。僕は、初耳だ。
「いかにも。ラモラは我々の眷属。そのラモラの眷属も、さらにその眷属の眷属も……あの黒い獰猛な魔物に食われるのだ!」
「もしかして、だからキミ達はこのカストルにいるの?」
僕がそう尋ねると、半魚人は口を閉じた。肯定ってことだよな? それなら、彼らには海岸に居る理由がある。
『おい、影の世界の魔物よりも半魚人の方が圧倒的に獰猛だぜ? 半魚人を海岸に連れて来たから、めちゃくちゃビビってるみたいだ』
デュラハンからの念話だ。姿は見えないけど……召喚してたのに、帰ったのかな。
『帰ってねーよ! おまえなー、人間が騒ぐから隠れてやってるだけだ』
そっか。別に出てきていいよ。その方が話が進むと思う。
ギャー!
冒険者達から悲鳴があがった。僕の背後に、デュラハンが現れたからだな。
「皆さん、よく見てください。首無しですよ?」
ボレロさんは落ち着いているが、さっき見ていなかったのか、料理長は失神寸前だな。
僕は、デュラハンを背後に立たせたまま、半魚人に話しかける。
「キミ達、この岩壁なら、棲家をつくれるよね?」
高台の方を指差してみたが、半魚人達は話なんか聞いてない。
「心配しなくていいよ。デュラハンは、僕の契約精霊だから。デュラハンがいれば、黒い魔物は、そんなに暴れないと思う。生きるために必要な狩りはするだろうけど」
「えっ? 人間なのに、闇の精霊様を……。人間ではないな?」
いや、人間ですが、何か?
ボレロさんが急かすように、合図を送ってくる。かなりの野次馬が集まってきた。今が好機だということか。
「キミ達は、この高台下の海岸を警備してくれないかな? その対価として、この付近の岩壁に棲家を作っていいからさ。僕に釣りを教えてくれるなら、給料も払う。どうかな?」




