26、海辺の町カストル 〜屋敷に溜まっていた邪気
上の階に戻ると、にこやかに微笑む執事長バトラーさんと、その背後に隠れるように縮こまっている料理長がいた。
料理長は、なぜ、こんなにビビってるのだろう。僕の顔を見ないようにしているようだ。彼のことは僕はほとんど知らない。レストランか何かを経営している料理人だから、ジョブは料理人だろうけど。
「ヴァンさん、当家の警備にデュラハンを使ってくれたんですね。助かります」
バトラーさんは、さっきまでとは違って表情が明るい。屋敷内を案内されていたときには、難しい顔をしていたのにな。
「いえ、バトラーさん、警備というわけではないですよ。影の世界の獣が居たみたいなので、デュラハンに任せています。たぶん、カストル沖の島から流れてきた魔物だと思いますけど」
「ですが、デュラハンを召喚されたことで、屋敷の中の邪気は消えましたよ」
邪気? 悪霊のことだろうか? 僕は全く気づかなかったんだけどな。これも、ジョブの印が……陥没の兆しがあるためだろうか。精霊師である僕は、悪霊も見えるはずなんだけど。
「厄介な悪霊か何かがいましたか?」
僕は、気づかなかったとは言えない。
「悪霊ではないと思います。嫌な感じの……呪われた屋敷だと感じました」
へ? 呪い? それは僕にはわからない。呪術士のスキルは持ってないんだよな。
「だから、浮かない表情をされてたんですね」
僕がそう言うと、バトラーさんはスッと視線を逸らした。失言だったな。彼としては気まずいのだろう。言葉には気をつけなければ。
「貴族の屋敷には、何かしらの重い空気みたいなのがありますからね〜。あー、だから、この屋敷には一度も入居されずに売りに出されたのかな」
ボレロさんは、魔道具を操作している。この屋敷についての商業ギルドの情報を調べているのか。彼は、ずっと冒険者ギルドで勤務していたと聞く。
この世界には、ギルドと呼ばれるものは3種類ある。商業ギルド、冒険者ギルド、工業ギルドだ。
最も利用者が多いのは、商業ギルド。僕も派遣執事の仕事は、商業ギルドを通じて依頼を受けている。他にも物品の販売を扱っているから、僕が作ったポーションやエリクサーも、商業ギルドで販売している。
最もお金の動きが激しいのが、冒険者ギルド。魔物討伐による珍しい素材は、冒険者ギルドが解体し、商業ギルドや工業ギルドへと卸している。3つのギルドの中では、一番発言力が強いみたいだ。
そして最も登録者が多いのが、工業ギルド。様々な工作物を請け負っている。屋敷も工業ギルドが建てているんだ。工業ギルドでは、年齢に関係なく登録すれば仕事ができる。だから、最も働く人が多いそうだ。冒険者を引退した人は、主に工業ギルドの仕事を受けているらしい。
「ボレロさん、この屋敷は完成前に、多くの事故があったんじゃないですか」
バトラーさんがそう尋ねると、ボレロさんは魔道具から目を離した。
「うーん、何かの陰謀的なものは無さそうですよ。でも、確かに工期は随分と遅れたようですねぇ。この場所は、高台の端に位置するため、異界の魔物が押し寄せたり、この下の海岸にもいろいろと……あははは」
ボレロさんは、笑ってごまかしてる。そんな屋敷だから、入居しないで売ったんだ。それを買わされたファシルド家の執事長は、不快感を隠さない。
だけど、この屋敷があることで、高台の他の屋敷には影響がないとも言えるよな。ここが、影の世界の魔物の溜まり場になっていたのか。だから建設中に事故があった、ってことかな。
バトラーさんのいう呪われた屋敷の意味はよくわからないけど、彼には、特殊な重苦しい空気感を感じる技能があるんだろう。
「それなら、旦那様の目的にはピッタリですね。カストル沖の島の調査をさせるために、ここを買われたのでしょう?」
僕がそう言うと、バトラーさんは苦笑いだ。執事長としては、カストルにまともな別邸を持ちたかったのかもしれない。
「ヴァンさん、旦那様からは、この屋敷を貴族の集まりに使えるように整えろと、命じられています。料理長が派遣されたのも、そのためです」
料理長は、いつもとは様子が違う。僕とは目を合わさないようにしているし、オドオドしている。
「なぜ、料理長はそんなに怯えている?」
黒服のブラウンさんが声をかけると、料理長はブラウンさんの方に視線を向けた。
「ハーシルド様の坊ちゃん、いや、あの、俺はその……」
「家の名前は口に出さないでくれ。今の俺は、ただの黒服だ」
「あー、はい、すみません」
だが、料理長は何も答えない。すると、バトラーさんが口を開く。
「彼は、ヴァンさんにキツく当たってましたからね〜。今後のためにも、ヴァンさんがなぜファシルド家にとって重要な人なのかを、少しご説明しておきました」
ちょ、バトラーさん。
「あはは、ヴァンさんのことを知らなかったんですね〜。そりゃ、オドオドしちゃいますね。でも、大丈夫ですよ。ボレロも、ヴァンさんにいろいろと無茶振りしてますから〜」
ちょ、ボレロさん……。
「俺も、最初は警戒したが、やめた。敵わない相手を警戒しても無駄だからな。それに、ヴァンさんは神官でもある。ささいなことは許してくれると思うが……」
黒服のブラウンさんに話を振られて、僕は、とりあえず愛想笑いを浮かべておく。そもそも料理長の言動なんて、何も気にしてなかったし。
「そ、それならいいのですが……」
料理長は、実は気が弱いのかもしれないな。だから、あんな風に怒鳴り散らすのか。
ボレロさんとバトラーさんの視線が僕に向いた。何かを言えと、催促されているようだ。
「料理長、あの……」
僕が声をかけると、彼は飛び上がりそうなくらいギクリとしている。
「な、何でしょうか」
うわぁ、めちゃくちゃビビってる。
「僕は、今は派遣執事で来ている黒服です。ジョブ『ソムリエ』ですよ。だから、ソムリエと料理長は対等な関係の屋敷もありますが、大抵の貴族家では料理長の方が、立場は上ですよ?」
「え? あ、あぁ」
「冒険者として会ったときは、僕の方が上かもしれませんが、それぞれに応じた態度を心がけているつもりです」
これで伝わっただろうか?
「そ、そうか。それなら、対等な関係ということで……よろしくお願いします」
料理長は、まだオドオドしながらも頭を下げた。僕も、彼に合わせて、頭を下げる。
「こちらこそ、よろしくお願いします。この町は、フロリス様が旅行に行きたいとおっしゃっていました。女性が好まれる食事メニューを考えられると思いますが、飲みやすいワインの保管庫も欲しいですね」
「若い女性が好む料理か……。ちょっと町を見て回りたいな」
よかった。料理長の表情は、いつもの顔に戻っていた。