20、商業の街スピカ 〜ブラウン学長の息子
フラン様だけでなく、フロリスちゃんも青い顔をして起きてきた。テーブルの上には、僕が冷やして持ってきた白ワインだけじゃなく、レモネ家からの贈り物のロゼワインの空き瓶も並んでいた。ちょっと飲み過ぎだよな。
「ヴァン、来てたのね。私、頭が痛いの……それに気持ち悪い。ウプッ」
フロリスちゃんは、洗面所に駆け込んでいった。初めての二日酔いかな? 大人の洗礼だな。
そんな少女を、不慣れな黒服は、心配そうに見ていた。そして、僕に何かを催促するような視線を向ける。まぁ、言われなくてもわかっている。
僕は、魔法袋から薬草を取り出し、アルコールを分解する解毒薬を作った。この程度の簡単な調薬なら、ジョブの印のある右手は痛まない。ただ、量が増えると厳しいだろうな。
「フラン様、お二人分の二日酔いの薬です」
「ありがとう。フロリスには、これも勉強ね」
フラン様は、娘のルージュをソファに寝かせると、こめかみを押さえながら僕から薬を受け取った。ルージュのそばには、すかさず青い髪の少女が座っている。
もしかするとフラン様は、わざと二日酔いになる量を飲ませたのかもしれないな。自分の酒量を知ることも、大人としては大事なことだ。
洗面所から、ゾンビのような顔をして、フロリスちゃんが戻ってきた。メイドのマーサさんが、少女に水の入ったコップを渡している。水を飲むと、また気持ち悪そうな顔をする少女。辛そうだな。
「フロリス、これを飲みなさい。私も飲むから」
「何これ?」
「ヴァンが作った二日酔いの薬よ。ちょっと苦いと思うけど」
苦いと聞いて、表情を歪める少女。ふふっ、本当にゾンビみたいな顔だなぁ。
フラン様が飲むと、フロリスちゃんも真似るように、グイッと一気飲みをしたようだ。苦かったのか、吐きそうなのか、必死に堪えているみたいだな。
薬が体内を駆け巡り、二日酔いをもたらす成分を中和し、マナの流れを整えていく。
「うわぁっ、嘘みたいに治ったわ。ヴァンの薬ってすごいのねっ」
うん? こんな解毒薬よりも高度なポーションやエリクサーを作ってるんだけどな。でも、そうだよな。体調が悪い人にとって、その症状を打ち消す薬は何よりの驚きの対象だろう。調薬の難易度なんて話は、ただの薬師の自己満足だ。
「ふふっ、フロリス様、お酒は飲み過ぎると、翌朝こんなことになります。ご自身の適量を学んでくださいね」
「ヴァン、その薬、もっとたくさん作ってちょうだい。それを持っていれば、無敵だわっ」
「フロリス、体調を診てその場で作る薬師の薬は、次の機会にも効くとは限らないのよ?」
フラン様がそう言ってくれた。これも彼女の教育だろう。貴族家では、お酒に関わる機会も少なくない。自分で酒量コントロールができるように教えているんだ。
「えーっ、効かなかったら、二つ飲めばいいじゃない?」
そう反論したフロリスちゃん。まぁ、ポーションならそれでいいんだけど……。フラン様は、僕に視線を移し、片眉をあげた。交代要請かな。
「フロリス様、薬は、飲む量を間違えると毒にもなるんですよ。だから、ポーションやエリクサーは、ギルドで売っていますけど、二日酔いの薬は、薬師の店でしか売ってないでしょう?」
「あっ、そういえばそうね。ギルドで売るのは、高い薬なんじゃないの?」
フロリスちゃんは、本当にわかってないみたいだな。キョトンと首を傾げている。本来なら母親が教えるようなことを、彼女は知らないんだ。
「ギルドで売っているポーションやエリクサーは、飲み過ぎても回復しないだけで害にはなりません。あと、怪我をしたときの塗り薬も、使い過ぎても大丈夫だから、ギルドで売っています」
「傷薬も? あれは、安いわよね。魔導学校でも、持っている子が多いもの」
そう言ってフロリスちゃんは、不慣れな黒服に視線を送った。彼は、コクリと頷いている。うん? 魔導学校の知り合いかな?
「一方で、薬師に調薬を頼むような、身体の不調を改善する薬は、様々な薬草を組み合わせています。一度に身体に入れすぎると、拒絶反応が出てしまったり、毒として作用することが多いんです。だから、効かないからといって、二つ飲むのは危険なんですよ」
「あっ! 薬物失神って、それのこと?」
はい? 突然、何? またフロリスちゃんは、黒服の方をチラ見している。だが、黒服にはわからないのか、首を傾げてるんだよな。
「フロリス様、あの黒服は、お知り合いですか?」
「うん、魔導学校の剣術の先生だよっ。冒険者もしてるの。ね〜、ブラウン先生っ」
ブラウン先生? 僕は、同じ名前を知っている。剣聖とも呼ばれる武術学校の学長さんで、5〜6年前に、一緒に行動したことがある。彼には娘さんがいて、そして息子さんはボックス山脈で亡くしたって言ってたよな。
「もしかして、武術学校のブラウン学長の息子さんですか? ボックス山脈で亡くなったと聞いたことがありますが」
僕がそう尋ねると、黒服は目を見開いた。
「いかにも、俺はブラウンJr. だ。当主を継ぐ男は、名前も受け継ぐからな。そうか、薬師のヴァンさんは、果物のエリクサーを作る伝説の少年だったか」
彼の表情が少しやわらかくなった。懐かしい二つ名を言われたな。もう少年という歳ではないけど。
「生きてらっしゃったんですね、よかった」
「俺は、ボックス山脈の獣人の集落で保護されていたんだ。しばらくは記憶を失っていてな。戻ってきたのは最近のことだ。今、リハビリ代わりに、魔導学校の講師をしている」
すると、フロリスちゃんが口を開く。
「ブラウン先生の家も、武術系ナイトの家系なんだよっ。でも、家の名前は秘密なの。私が、ジョブ『ナイト』かもしれないからって、昨夜から警備で来てくれたの」
「魔導学校がしばらく休みだから、暇を持て余すよりはと思ってね。だけど、来てよかったよ。『神矢ハンター』なら、ナイト以上に狙われるかもしれないからな」
正義感の強い人だな。ブラウン学長とよく似ている。
「ブラウン先生、大丈夫だよっ。私は、あまりこの屋敷には居ないもん。普段は、フランちゃんの教会から学校に通ってるの」
「そうだな。神官フラン様の伴侶は、堕天使さえ従えるらしいから、最も安全な場所だ。確か、動くラフレアだとも噂に聞いたな。神獣を従えているとも……。まぁ、あくまでも噂にすぎない。そんなバケモノは存在しないだろうけどな」
えっ……バケモノ。
「うん? ブラウン先生、何を言ってるの。全部、本当のことだよ。この子が神獣だし、ヴァンはラフレアだもん、ねーっ」
ニコニコしながら、青い髪の少女を指差すフロリスちゃん。不慣れな黒服は目を見開き……固まってしまった。
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次回は、7月26日(火)に更新予定です。
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