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2、商業の街スピカ 〜奥様方からの洗礼

「本日より派遣執事として参りました、ヴァンです。短期間ですが、よろしくお願いします」


 勝手知ったるファシルド家の門を顔パスで通り抜け、誰に咎められることもなく屋敷内を進み、僕は、当主の私室の扉をノックして、そう伝えた。


 ガチャッと扉が開かれると、そこには驚いた表情の旦那様と数名の奥様方、そして仕える黒服達の姿があった。どうやら、この件は知られていなかったらしい。


 ふと目が合った黒服も呆けている。執事長のバトラーさんには伝えてあるはずなんだけどな。フロリスちゃんの悪戯だろうか。



「ヴァン、いま、何と言った? それになぜ黒服を着ている?」


 旦那様は、大混乱中らしい。こんな顔をする旦那様も珍しい。いつもなら、多少のことには動じない人なんだけどな。


「本日より派遣執事として参りました、と申し上げました。旦那様、フロリス様の成人の儀の手伝いに、十名ほど派遣執事を募集されていますよね?」


「ふぉっ! そうだったな。フロリスの成人の儀は、フランちゃんが担当してくれるとは聞いていたが、まさかヴァンまでが来るとはな」


 そう言うと旦那様は、少し遠い目をしている。僕が、フロリスちゃんの黒服をしていた頃を思い出しているかのようだ。ほんの短い期間だったけど、濃い時間だったな。5歳だった少女と過ごした思い出が、僕の心にもよみがえってくる。


「フロリス様の成人の儀には、僕も参加させていただきたいと考えました。デネブの僕の屋敷の4階には、フロリス様のお部屋もありますし」


「それなら客人として招くぞ? まぁ、もう遅いか。ヴァンは黒服として、フロリスを祝いたいと思ってくれたのだな」


 もう、いつもの威厳ある旦那様だ。


 あっ、扉の近くに立つ黒服は、フロリスちゃんの世話もしている人だ。なるほど、やはり彼女の悪戯だな。旦那様がどういう反応をしたかを後で聞いて、彼女はケラケラと笑うんだろうな。




「ちょっと! それは大変だわ!」


「ヴァンさんが、しばらく滞在するのよね? 私、お肌の保水薬をたくさん作ってもらいたいわ」


 何が大変なのかはわからないけど、奥様方は、コソコソと話を始められた。嫌な予感がする、



 僕はファシルド家とは、以前から『薬師』契約を結んでいる。とは言っても、常勤の薬師の女性はいるんだ。ただ、その女性の手に負えないときだけ、僕が呼び出されるという契約になっている。


 だから今日、こうして屋敷の中に入ってくることもできたし、半数程度の顔は知っている。僕がここ、商業の街スピカの中で最もよく知っている貴族家が、このファシルド家なんだ。


 僕の妻フラン様も、ファシルド家には縁がある。幼児期から成人になるまで、この屋敷で暮らしていたそうだ。フロリスちゃんの母となるサラ様が、旦那様に嫁いだ縁で預けられていたらしい。


 フロリスちゃんの母サラ様は、フラン様のお姉さんだそうだ。実の姉か否かは、今となっては、わからないらしい。サラ様は、既に亡くなっている。


 フラン様やサラ様が生まれた家は、神官家のアウスレーゼ家。神官家も貴族家も、当主はたくさんの伴侶を持つことが常識となっている。だから、わからなくなるんだよな。



「奥様方、僕は派遣執事として来ていますから、薬に関することは、常勤薬師のノワ先生に言ってください」


「ヴァンさん、なぜ黒服なの? フロリスさんだけ特別扱いかしら? それにジョブ『薬師』が、調薬を断っていいと思っているの?」


 うわ、この奥様は、フロリスちゃんを嫌っているんだっけ。サラ様を殺させた人かもしれないんだよな。


「奥様、僕はジョブ『ソムリエ』ですよ。薬師だと思われるくらいジョブの仕事をしていないのは、さすがにマズイですね〜」


 僕は、笑って軽く流したつもりだが……この奥様は執念深い。


「ジョブ『ソムリエ』なの? 薬師でもなく魔獣使いでもなくて? あんなにも獰猛な獣を従えているのに、ソムリエですって?」


 はぁ、もう……。獰猛な獣って、どの従属のことを言ってるんだ? 僕には、それなりの数の従属化している魔物がいる。だけど、みんないい子だ。


「僕はジョブ『ソムリエ』です。今回の派遣執事としての役割も、食事に関する業務になっています。ワイン選びやワインに合う食事などの面で、働かせていただきます」


「やはりフロリスさんだけ、特別扱いなのね!」


 そう吐き捨てるように言うと、その奥様は部屋から出て行った。旦那様の方に視線を移すと……苦笑いだ。


 ファシルド家には、数十名の奥様がいらっしゃる。そのほとんどが、いわゆる政略結婚だ。有力貴族であり続けるためには、必要なことらしい。



「奥様を怒らせてしまいましたね、すみません」


 僕は、丁寧な仕草に気をつけて謝っておいた。つい忘れそうになるけど、今の僕は黒服だ。


「あら、ヴァンさんが謝ることじゃないわよ?」


 そう言ってくれる奥様もいるが、僕は、調子に乗った自分の言動がマズかったと感じていた。もっと上手く立ち回らなければ。


「いえ、僕は黒服ですから」


 僕がそう言うと、囁き声が聞こえた。嫌な予感しかしない。



「ヴァンさんは、そんな謙虚な話し方もできるのね?」


 嫌味か。いや今の僕は黒服だ! 反論したくなる気持ちを必死に抑えて、笑みを浮かべた。すると別の奥様が口を開く。


「ヴァンさん、貴方、伴侶はフランさんだけかしら?」


「はい? あ、はい」


「じゃあ、あと数人伴侶がいても、おかしくないわよね? 貴方と縁を結びたい貴族家は、たくさんいるわ。国王様と親しい薬師ですもの」


 いや、ジョブ『ソムリエ』だって! それに、何?



 コンコン!



「失礼いたします。ヴァンさん、ご挨拶が済んだら仕事をお願いしますよ」


 執事長のバトラーさんだ。助けに来てくれたんだ!


「はい、すみません。では皆様、失礼いたします」


 僕は、旦那様そして奥様方に丁寧に頭を下げ、部屋をあとにした。




「バトラーさん、助かりました」


 僕は、旦那様の私室の扉を閉めると、小声でそう囁き、執事長バトラーさんに深々と頭を下げた。ほんと、彼は救世主だ。


「いえいえ。しかし、さっそく洗礼を受けたようですね。ヴァンさんが居てくれる間は、貴方にターゲットが集中しそうで、こちらも助かりますよ」


 そう言うとバトラーさんは、やわらかな笑みを浮かべた。さっき出て行った奥様が、彼に何かを訴えたのか。


 あぁ、そうだ。貴族の屋敷はこういう場所だった。常に誰かを蹴落とそうとした騒ぎが起こっている。気を引き締めなければ……。



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