18、商業の街スピカ 〜フロリスちゃんの部屋にて
その夜、僕はパーティの片付けが終わった後、冷やした白ワインと簡単な軽食を持って、フロリスちゃんの部屋を訪ねた。
魔物ポスネルクのせいで、急遽、パーティを早く切り上げることになったから、おそらく彼女は空腹なはずだ。
コンコン!
「ヴァンです。お預かりしていた白ワインを、冷やしてお持ちしました」
扉を開けたのは、担当の黒服ではなく、僕の妻フラン様だった。腕には、もうすぐ1歳になる娘ルージュを抱いている。フロリスちゃんの式の間は、この部屋のメイドに預けていたのかな。
ということは……やっぱり、居た。
ソファには、青い髪の少女が座っている。最近、僕の従属になった子だ。見た目は、10歳くらいの色白なかわいい女の子だけど、これは本来の姿ではない。
少女は、神獣……氷の神獣テンウッド。数ある神獣を統制する役割を与えられているはずなのに、北の海の小島で、溶けない氷の檻に閉じ込められていた戦闘狂だ。
何をしでかしたのかは知らない。だが、絶対的な力を持つ神獣は、神の怒りを買ったようだ。
神獣テンウッドは、いろいろあって、今は僕の従属になっている。彼女には覇王の技能も使っているからか、僕を主人と呼ぶ。
だがテンウッドは、僕よりも、僕の娘に懐いている。まだ何も喋れなかった娘が発した言葉を気に入ったからだと思う。娘ルージュの近くには、必ずテンウッドが居るんだ。
「ヴァン! それって、フリックがくれた白ワイン?」
フロリスちゃんの元気な声が聞こえた。浴室から出てきた彼女の髪は、びちゃびちゃだ。
「はい、冷やしてお持ちしました。簡単な軽食もありますが、召し上がりますか?」
「うんっ! 食べるよ。お腹減ってたの〜。フランちゃんと、さっき、ヴァンに軽食を作ってもらおうって話してたんだよっ」
そう話しながら、髪を魔法を使って乾かす少女……。だけど、魔力が強すぎる彼女は、髪を熱風でぐちゃぐちゃにしてしまう。
「フロリス、またぐちゃぐちゃよ?」
フラン様は、フロリスちゃんの髪を手櫛で整えている。ふふっ、娘のルージュも真似をしようとして、フロリスちゃんの頭をペチペチと叩いているんだよな。
「あーん、ルージュがぐちゃぐちゃにしちゃう〜」
フロリスちゃんは、頭をペチペチされても、ルージュに優しい笑顔を向けてくれている。そんな様子を、青い髪の少女はジッと見ているんだよね。神獣テンウッドは、まるで人間の行動を学習しているかのようだ。
僕は、そんな彼女達を横目で見ながら、テーブルに持って来た軽食を並べていく。
「ヴァンさん、お手伝いします」
「ありがとう、みるるん。あれ? ぷぅちゃんは?」
声をかけてくれたのは、メイド服を着た獣人。フロリスちゃんに仕えている天兎のひとりだが、一応、オスらしい。ただ、フロリスちゃんがメスだと思い込んでいるから、メイドの姿をしているようだ。
天兎の成体は、中性的な綺麗な顔をした獣人だから、メイド服を着るだけで、女性に見えるんだよな。
「えっと、しばらく見てません」
そう言ったみるるんの視線の先には、青い髪の少女がいる。なるほど、ぷぅちゃんは逃げたな。
ぷぅちゃんは、役割を持つ天兎だ。神獣に対しては絶対的な攻撃力がある、天兎のハンターなんだ。たぶん、戦闘狂の神獣テンウッドは、ぷぅちゃんと遊びたがるのだろう。
「ヴァン、私は今夜はここに泊まるわ」
フラン様から、突然のお泊まり宣言だ。フロリスちゃんといろいろと話したいのかな。
「わかりました。僕は、中庭の向かいの宿舎を借りていますから、何かあったら声をかけてください。2階の階段横の部屋です」
「あら? フロリスのパーティが終わるまでの契約じゃなかったの?」
「旦那様から、期限の延長をお願いされたので……」
僕がそう答えると、フラン様は片眉をあげた。これは彼女の癖なんだけど、意味が何通りもあって、いまだに解明できていない。
「フロリス様、白ワインを開けてもよろしいですか?」
よほどお腹が空いていたのか、すごい勢いで食べている少女は、その動きをピタリと止めた。
「よろしくてよ?」
「ふふっ、急に大人なフリをしていますね、フロリス様」
「なっ? 私は、今日から大人だよっ! ほらっ、ちゃんと見てよっ、ほらほらぁ〜」
フロリスちゃんは、前髪をかき上げて、ジョブの印を見せてくる。ふふっ、大人はそんなことしませんよ?
「フロリス、ジョブの印は人に見せちゃダメって言ったでしょ。ちゃんと魔力を流して、隠しておきなさい」
「はーい。もうっ、ヴァンのせいで、フランちゃんに叱られたじゃないのっ」
いやいや、お嬢様……。
ぷんすか怒るフロリスちゃんのおでこからは、スッと印が消えた。僕は、印を隠すことはできない。ちょっと負けた気になってくる。
白ワインのコルクを抜くと、部屋の中に甘い香りが広がっていく。リースリング村のぶどうから作られたアイスワインだ。しかも、状態も良い。
「わぁっ! いい香りね。レモネ家の奥様からいただいたワインは、パーティで少し飲んだよ。綺麗な色で、とても飲みやすかったわ」
「フロリス様らしいワインでしたか?」
「ふふっ、落ち着きなく転がってたわよねーっ。美味しかったけど、私っぽいっていう意味は、わかんないな」
「元気いっぱいで爽やかな、ほんのり赤いロゼワインでしたね。あのワインをゴロゴロと転がしたときに、僕のそばにいたお嬢様を覚えておられますか?」
僕がそう尋ねると、フロリスちゃんの表情からは笑顔が消えた。事件のことを知っているみたいだな。
「うん、エリンさんがいたね。彼女も、もうすぐ13歳になるよ。お母様が武術系の貴族の子は、ここ1年くらいで、かなりの数が行方不明になってるみたい」
「ええ、そのようですね」
すると、フラン様が口を開く。
「ヴァンは、その調査を依頼されたの?」
「まぁ、そんな感じです。だいたいのカラクリは、わかってきましたけど、誰の仕業かはまだ全くわかりません」
「そう、それなら、あの奇怪な事件が片付くまでは、ファシルド家からは解放されないわね」
僕は、軽く頷いておく。
「ヴァン、あの子は大丈夫なの? ヴァンが発見したのかな」
フロリスちゃんは、屋敷を離れていたのによく知っているな。フラン様も軽く頷いている。
「はい、前向きに進もうとされてますよ。今夜も、フロリス様のお祝いに来られていました」
「まぁっ、じゃあ、お礼を言わなくちゃね」
僕は、軽く微笑みを返しておいた。エリン様が今も狙われているなら、あまり近寄らせたくない気もするけど……。
「さぁ、フロリス、改めて乾杯しましょう。お誕生日おめでとう!」
フラン様は明るい声で、ワイングラスを高く掲げた。