162、商業の街スピカ 〜ファシルド家の旦那様の迷い
「こちら側とかあちら側と言っているのは、王宮や神官三家の、新旧勢力のことだろうな」
フロリスちゃんの問いかけに、旦那様は何でもないことのように返答した。
「お父様! さっきの方は、前国王様の命令で動いているみたいなの。その彼と同じということは、私やヴァンが、前国王様派だということなの? 私は、現国王様の判断の早さを尊敬しているわ」
現国王様の顔をはっきり知らないフロリスちゃんは、聞いた話から国王様を信頼しているんだな。もし、神官見習いのフリックさんが、現国王様だとわかったら、どんな反応をするだろう。
旦那様は、もちろん、国王様がドゥ教会で神官見習いをしていることを知っている。だけど、そのことは口外しないようにと、命じられているようだ。
僕の方をチラッと見た旦那様は、情報を整理できてないみたいだな。僕は、フロリスちゃんが何も知らないことを、身振りで伝えた。
「フロリス、彼らは前国王から、現国王を支えるようにと命じられているはずだ。国王様は代替わりすると、いろいろと血生臭い事件が起こる。前国王のお父上は、反対勢力に討たれたからね」
王宮も貴族と同じく、後継争いが酷いのか。フリックさんも、子供時代は、リースリング村に隠されていたもんな。
「じゃあ、こっち側って何なのかしら?」
「新たな勢力のことだろう。彼は、自分と考え方が近い若者を集めているようだよ。影の世界との行き来が始まり、世界はガラリと変わった。それを良しとしない勢力が、彼がいうあちら側という意味だ」
「変わりたくない保守派が、あちら側ということかしら? 神官三家の上層部は、皆、あちら側なのね」
フロリスちゃんは頭が良い。僕よりも早く、ピンときたようだ。だから旦那様は、新旧勢力と言ったんだな。言葉通り、古くからの身分ある人達に対して、若く新しい勢力か。
「あぁ、そういうことになる。古い勢力というと、お叱りを受けそうだが、現在、力を持つ勢力はその古い勢力だ。ナックさんは、時代遅れな考え方を変えようとしている」
「彼は神官ではないのに、神官三家を変えられるわけないわ。いくらアマピュラスを従えているとしてもね」
フロリスちゃんは、否定的だな。まぁ、ナック・トロッケンさんの印象が、悪すぎたのかもしれない。サラ奥様の前で、フロリスちゃんが娘であることを暴露したもんね。
「ナックさんは、ジョブ神官ではないが、家名を名乗ることを許されている。こちらの世界と影の世界の行き来を監視することが、彼のトロッケン家での役割だ。だから、視野が広がったのかもしれないね」
「でも、私もヴァンも、あの人と一緒にされたくないわ。あんな冷たい人……まぁ、トロッケン家だものね」
フロリスちゃんは何かを言おうとしたけど、プクッと膨れっ面をして自己解決している。うん、トロッケン家だもんな。
「あー、フロリス、成人の儀が終わった何人かが、おまえが戻るのを待っていたぞ。今の時間なら、食事の間にいるはずだ」
旦那様は突然、話を変えた。
「えー? ブランチでも食べているの? この時間は、奥様だらけじゃないのかしら」
フロリスちゃんは、嫌そうな顔だ。
旦那様には何人の奥様がいるかは定かではないが、フロリスちゃんのジョブが神矢ハンターだとわかってからは、コロッと態度を変えたらしい。その奥様の中には、サラ奥様を瀕死に追いやった人がいるはずだから、その点でも、やはり距離を置きたいんだよね。
「最近は、この時間は、10代前半の子達が集まっているようだ。ちょっと行ってやってくれないか? 冒険者登録をしてボックス山脈へ行くつもりらしい」
「ふぅん。きっとナメてるわね。自信過剰な子は、ボックス山脈になんか行くと死ぬわよ?」
「俺から何かを命じるわけにもいかないからな。いま、フロリスの言葉が一番、あの子達には届くはずだ」
「はぁ……神矢ハンターだからでしょ。これまで、散々なことをしてきた人達が……。まぁ、いいわ。行ってくるわよ。ヴァンは、もうドゥ教会へ帰る?」
不機嫌マックスなフロリスちゃんは、魔法袋からノートのような何かを取り出し、僕に差し出した。
「はい、帰りますが、これは?」
「テンちゃから頼まれていたレシピよっ。たくさんの花の野菜のアレンジを書いておいたわ」
確かに、可愛らしい絵で、いろいろと説明されている。絵本にも見えるな。
「フロリス様は、幼い頃から字をご存知だったし、こういう才能があるんですね。ルージュが見てもわかりやすいと思います」
「ふふっ、フランちゃんは、絵は苦手だもんね。じゃ、よろしくね」
そう言うと、ドヤ顔をしたまま、フロリスちゃんは客間を出て行った。僕も、早く帰ろう。
「旦那様、では、僕も失礼しますね」
「ヴァン、ちょっと待ってくれ」
そういうと、旦那様は、客間に防音を施したらしい。そして、それとほぼ同時に、執事長バトラーさんが入ってきて、他の黒服達を部屋から退出させた。
「あの、ガメイ村の報告は、以前手紙に書いた通りです。フロリス様が、詳細は自分が説明するとおっしゃっていましたが……フロリス様には聞かせられないお話でしょうか」
「ふっ、まいったな。ヴァンには、どこまでも見透かされているようだ。影の世界の集落のことだが……」
旦那様は、そこで口を閉じた。話しにくいみたいだな。サラ奥様の件で間違いはないだろう。ファシルド家には戻せないということだろうか。とすると、僕ではなくフラン様に伝えたいのかな。
旦那様に代わって、バトラーさんが口を開く。
「ヴァンさん、サラ奥様の件です。ガメイ村のあの屋敷は、ドルチェ家の名義に変わっています。旦那様はサラ奥様へ譲るつもりだったようですが」
「えっ? もしかして、ラフール・ドルチェさんですか?」
「ええ。一応、代理という形になっていますが、このままだと、数年で彼の所有物になってしまいます」
あー、ラフール・ドルチェさんは、サラ奥様の名前が出ないようにしたんだな。
「バトラーさん、ラフールさんのことなら大丈夫だと思います。彼は、厳密には、こちらの世界の人ではありません。そして、彼が仕えるグリンフォードさんから、あの集落の保護を命じられているようです」
そこまで話すと、旦那様は目を見開いていた。知らなかったのか。
「ヴァンさん、では、彼は信頼に値すると?」
「はい、大丈夫だと思います。そのうち、サラ奥様の調子が戻れば、きっとキチンと引き継がれますよ」
すると、なぜかシーンと静かになってしまった。えーっと……。
「ヴァン、教えてくれ。俺はどうすればいい?」
へ? ちょ、旦那様? だが、ふざけている様子はない。心底、迷っているのか。僕はスウハァと深呼吸をして、口を開く。
「旦那様、ドゥ教会の当主の伴侶として、発言させていただいてもよろしいですか」
僕は、迷いながらもそう尋ねた。だが、うん、これが正しかったらしい。旦那様は、教会で祈りを捧げるときのような仕草をした。
「ドゥ教会の旦那さんとして、頼む」
旦那様は、救いを求めているのだと、直感した。ファシルド家として、サラ奥様を迎えにいかないということは……離縁を意味する。だけど旦那様は、そうはしたくないのだろう。しかし、それは許されない。有力貴族の様々な慣習に、縛られているんだ。
「ファシルド殿、サラ・ファシルドさんは今はまだ、影の世界を離れられません。彼女は多くの黒兎を従えています。今、彼女を連れ戻すと、黒兎は主人を失い堕ちてしまいます。今は、静かに見守る時です。これは、竜神様のご意思でもあります」
そう告げると、旦那様はホッとした笑顔で、深々と頭を下げた。
次回は、7月26日(水)に更新予定です。
もうすぐ本編は完結予定です。
その後は、後日談という形で、既に完結済みのこの作品の元となる物語も含めた話から、エピローグへと進む予定です。
よろしくお願いします。