155、ガメイ村 〜戻るまでの猶予期間
「ひっ! 神獣テンウッド様、お許しください」
ナック・トロッケンさんは、気の毒なくらい何度も頭を下げて、青い髪の少女に謝っている。
ブラビィ、そろそろいいんじゃない?
『は? オレは何も関係ねーぞ』
だって、ブラビィがテンちゃを呼んだんでしょ?
『呼んでねーよ。何かぐだぐだ言ってきたから、いまヴァンは取り込み中だから後にしろって言ったら、すっ飛んで来たんだ。オレだって困ってる。テンウッドは、転移阻害結界を張りやがった』
ブラビィは、逃げる気だったのか……。転移阻害の結界ってことは、テンウッドは、この付近の人達を逃がさないつもりだな。
それで彼は、必死になって謝っているのか。
「テンちゃ、もういいよ。料理が冷えてしまうし、お客さんが困ってる」
僕がそう言っても、青い髪の少女の怒りは収まらない。僕をバケモノ呼ばわりされたことで、そんなに怒るのか? 同じことを他の人が言っていても、何も気にしてないみたいだったけど。
「主人ぃ、こいつら、ドゥ教会にも来たよ? 中庭で、ルージュがウッド草と遊んでたら、バケモノの娘はバケモノだって言ったんだよ! ルージュが可哀想だよ!!」
あー、なるほど。怒りの原因は、それか。
「テンちゃ? ルージュがウッド草で遊んでたの?」
「うん! ルージュが呼ぶと、ウッド草が、はーいって返事してたよ。ルージュは楽しそうだったよ」
えっ……まじか。
中庭のウッド草は、花は咲いてないはずだ。でも、ルージュには花に見えてるんだっけ。他の人には、恐ろしい人面花に見えるんだよな?
そんな恐ろしい人面花と遊んでいる2歳の娘……。確かに、バケモノに見えるよね。ルージュの立場からすれば、呼べば返事をする花は、面白いのだろうけど。
「神獣テンウッド様! どうか、お許しください!」
「やだっ! トロッケン家なんかいらないっ。うさぎだらけにして監視しても無駄だよ。あんたの性悪うさぎは、あたしより弱いからね。神に仕えるアマピュラスとは別物だよ? そこんとこ、わかってないでしょ」
アマピュラスにも、差があることは知っていた。確かに、神に仕えるアマピュラスと、人間に仕えるアマピュラスは違って当然だ。
神獣テンウッドは、アマピュラスが嫌いだからな。神に仕えるアマピュラスは、すべての神獣よりも格上だもんね。
しかし、どうしようかな。ルージュのことが絡むとテンウッドは……。あっ、何か用事があったのか?
「テンちゃ、そろそろルージュは寝る時間じゃないの?」
僕がそう尋ねると、青い髪の少女は、ハッとした表情に変わった。やはり、用事があるらしい。
「そうだった! 主人ぃ、クリームを赤くしたいのっ。どうすれば良いの?」
はい? クリームを赤く?
「それって、瓶入りの生クリームを赤色にしたいってこと?」
「うんっ。全部じゃなくていいの。でも、白い花ばかりじゃつまんないでしょ? 赤い方が可愛いでしょ?」
話が見えない……。
すると、フロリスちゃんが口を開く。
「ヴァン、クリームのお花のことだよっ。こないだ、ルージュちゃんがスープに浮かべてたよっ」
「そそ、クリームのお花! 主人が作ったのを真似てみたけど、お花の形は簡単にできたけど、色の変え方がわからないのっ。ルージュは、おやすみなさいの前に、コーンのスープを飲むんだよっ」
スープにまで、甘い生クリームを浮かべるのか。
「テンちゃ、コーンのスープに赤い花は合わないと思うよ。白い花でいいじゃない?」
「良くないのっ! スープは温かいからすぐに溶けてしまうし、ルージュの笑顔がすぐに消えちゃうのっ!」
そんなことで、来たのか……。
「テンちゃ、スープに浮かべるなら、クリームのお花じゃなくて、野菜のお花にしたら? ちょっとこれを見て」
フロリスちゃんは、食べ放題の料理を置くテーブルに、テンウッドを手招きした。彼女が盛り付けた可愛いサラダ皿の前だ。
「わぁっ! 可愛いかも!」
「でしょ? この緑色の野菜にハムをクルッと巻いて、こうやって広げると……」
「わっ、すごい! フロリス天才! かわいい! 野菜がお花になった! すごぉい! もう一度やってみせて。あたし、覚える!」
「うん、いいよ。テンちゃ、スープに合う野菜でお花を作ろうか。厨房にはたくさんの色の野菜があるよ」
「うんっ! たくさん作る!」
フロリスちゃんが、テンウッドを厨房に引き入れてくれた。これでもう、トロッケン家のことは忘れるだろう。
「ナック・トロッケン様、今のうちに帰られる方がいいと思いますよ」
「だが、神獣テンウッド様の怒りが……」
「貴方の顔を見なければ、このまま忘れると思います。ドゥ教会への見張りもやめてください。ウッド草をボックス山脈から持ってきてドゥ教会の中庭に植えたのは、神獣テンウッドです」
「えっ? おまえじゃなく、神獣テンウッド様が……なぜだ?」
「テンウッドは、僕の娘と仲が良いのです。だから、ウッド草の実を、僕に渡したかったのでしょう」
そう言って僕は、影の集落の人達がいるテーブルに視線を移した。僕の思考を覗いている彼には、これ以上の説明は不要だろう。
「そうか。ヴァン・ドゥ、悪かったな。キミがこちら側の人間だということがよくわかった。ドゥ教会の監視は撤収する」
また、こちら側って言ってるよ。トロッケン家の人に、そんな風に言われるのは、薄気味が悪い。そしてまた、同じ言葉を使ったということは、尋ねてほしいのか。
「こちら側というのは、何のことですか」
そう尋ねると、彼はフッと笑みを浮かべた。
「この店で、ワイン講習会をするらしいな?」
「へ? あ、はい」
「俺も、時間の合うときは参加させてもらうよ。そのときに話そう。参加者に特別な制限はないと聞いているが?」
はい? 僕は、速攻で断ろうと考えたが……こちら側という意味が気になった。くそっ、断らせないための話術か。
「ええ、どなたでもお越しいただけます」
僕がそう返答すると、彼はふわりと柔らかな笑みを浮かべ、店から出て行った。
「皆さん、お騒がせしました。お詫びに、ここから閉店時間までは、飲み物も無料にさせてもらいます」
そう告げると、常連さん達はワッと歓声をあげた。僕の素性を知らなかったお客さんは、恐る恐るという感じだな。トロッケン家のせいで、明日からお客さんが減りそうだよ。
「あの、ヴァンさん」
ラフール・ドルチェさんが、小声で僕を呼んだ。彼はサラ奥様を支えている。フロリスちゃんは、まだテンウッドと厨房にいるんだよな。
「はい、すぐに参ります」
僕は、フロリスちゃんに合図をしたが、彼女はまだ覚悟ができないらしい。僕はひとりで、あの集落の人達のテーブルへと向かった。
「ヴァン・ドゥさん……」
サラ奥様は、僕の名を呼ぶと、深々と頭を下げている。賢い人だから、さっきの会話でいろいろなことを正確に把握したのだろう。
「長さま、いえ、サラ奥様。騙すような形になり、申し訳ありません。フロリス様は、ずっと不安だったのだと思います。幼児期のフロリス様は、お母様を失って、かなり辛い思いをされていました。だから、その……」
「ヴァンさん、お優しいのですね。フランは、貴方のような方を伴侶に迎えて幸せだわ。私は、これからは、あの子のためにも……」
彼女は、思い詰めた表情をしていた。
「サラ奥様、失礼ながら貴女の知識は、少し古いものです。まずは、それを何とかすることをお考えください。今は、二つの世界の行き来は、比較的自由になっているのですよ?」
僕は失礼なことを口にしたが、サラ奥様は、ふわりと笑みを浮かべた。
「そうね。私は、時の流れから遅れてしまったわ。そして無意識に、大勢の……」
サラ奥様は、チラッと獣人の姿をした黒兎に視線を移した。黒兎のレイランさんは、捨てられた子犬のような顔だな。
「貴女が従えている黒兎達にも、この世界の常識を学ばせてください。そうすれば貴女の供として、この世界でも暮らせますよ」
「私は、ファシルド家に戻らなくてはいけないわよね」
「それは、僕にはわかりません。ただ、今はその時期ではないと思います。旦那様を継ぐ後継者が決まってからの方が良いのではないでしょうか」
僕がそう言うと、サラ奥様はホッとした笑みを見せた。やはり、戻るまでの猶予期間が、今の彼女には必要だったようだ。




