148、自由の町デネブ 〜フランへの報告
「フラン様、残っていた怪しい光も消えました」
調薬が終わり、信者さん達が帰って行った後、フラン様にそっと耳打ちした。
「まぁっ! よかった!」
彼女は、弾けるような笑顔を見せ……だけど自分の目で見ないと心配なのか、僕の右手のグローブを外した。気持ち悪いスコーピオンの絵は、以前のものに戻っている。
「きっと、ワインの講習会を開くことにしたからだね。ワインを知らない人に知識を伝えることは、ジョブ『ソムリエ』として何よりの仕事だわ」
「えっ? その話ってしましたっけ?」
「あら? デネブではみんな知っているわよ。今日は、その宣伝に来たのでしょ? ワイン講習会の宣伝のために店を2日ほど臨時休業するって、誰かが言っていたわ」
マジか。恐ろしいほどの伝達力だな。
「えーっと、それは実は言い訳なんですよ。昨日、実はですね……」
僕は、教会の奥の屋敷で昼食を食べながら、影の世界の人達とボックス山脈に『道化師』の神矢拾いに行ったことを話した。
屋敷の食堂では、僕達から離れたソファで、テンウッドと娘のルージュが、ヒソヒソと何かを話している。この距離なら、ルージュには話は聞こえないだろう。
「ゼクトさんから、その集落のことは聞いていたわ。神矢を得たなら、ジョブボードは復活するわね。もし、復活していない人がいたら、ここに連れてきて」
「はい。たぶん全員大丈夫だと思います」
僕がそう返答しても、テンウッドは反応しない。ということは、僕の言葉に間違いはないのだろう。
「そっか。よかったわ。皆さんが無事に戻るべき場所に戻れたらいいね」
「はい。あの、フラン様、その集落の長さまなのですが、その……」
どう話せばいいかわからない。サラ奥様は、フラン様の姉か叔母だ。フラン様の感覚だと、親しい姉、だろうか。
「サラ・ファシルド、なのね。ゼクトさんから、黒兎が住人を生かしていると聞き、そうじゃないかと思っていたわ。サラ姉様は、天の使いのジョブだったから」
「はい、サラ奥様でした。集落の人達の記憶も、すべて戻っています。天の使いのジョブということは、フロリス様と同じく神矢ハンターなのですか」
「いえ、違うわ。サラ姉様のジョブは、天地共鳴という珍しいジョブよ」
「天地共鳴? 初めて聞きました。どんなジョブなのですか」
「でしょうね。いわゆる語り部なの。この世界と影の世界、そして神々や神獣、さらには精霊のことまで、すべての歴史を伝えていく伝承者たるジョブよ。白魔導系には優れているけど、それ以外に目立つ能力はないわ」
「へぇ……すごい知識量なのでしょうね」
「ええ、そうね。サラ姉様の成人の儀は、一日で終わらなかったらしいわ。神官家に稀に生まれるジョブよ。もしかすると、ルージュに与えられたジョブも、天地共鳴かもしれないわ」
「えっ? ルージュが?」
僕は驚きのあまり、声が大きくなってしまった。すると、離れたソファにいたルージュは……なぜか隠れた。叱られると思ったのか。
「ふふっ、まだわかんないけどね。ただ、共通点が多いの。サラ姉様は、幼い頃から、精霊や妖精に懐かれていたみたい。語り部には、神に関わる種族は無条件に惹かれるらしいわ」
「ん? ルージュに精霊様が懐いてましたっけ?」
「ルージュには、神獣が懐いているでしょ? 神獣も精霊も、神に関わる種族よ。もちろん天兎もね」
「確かに、テンちゃは、ルージュが大好きみたいだけど……あ、そっか。天兎のぷぅちゃんも、ルージュには舌打ちしたりしないですね」
「えっ? 舌打ち? ふふっ、ヴァンは、ぷぅちゃんに舌打ちされてるの? 確かに仲悪いよね」
「別に仲が悪いつもりはないんですけど、ぷぅ太郎が一方的にライバル視してくるというか何というか……」
「ふふっ、フロリスに近寄らせたくないのねー。あっ、神矢集めには、フロリスも行ったんだよね? サラ姉様と会って、どんな感じだった?」
きた! この話をしたかったんだ。
「フロリス様は、娘だということを隠しているんです。フラン様にはお伝えしておこうと思って、今日来たんです」
僕がそう話すと、フラン様の表情から笑みが消えた。
「そう……。フロリスの心の傷は深いわね。当たり前か。ヴァンがあの子を変えてくれなかったら、今頃フロリスは生きていないわ」
「フラン様、僕の印象では、もちろんそれもあると思いますが、サラ奥様を気遣われてのことだと感じます。サラ奥様は娘を失ったと思っているから、影の世界の集落で暮らせるのかなって……」
「ヴァン、それは違うわよ。今では、二つの世界の行き来は自由になったわ。両方の世界に屋敷を持つ人だって増えてきているもの。だけど……貴方の言う通り、フロリスがそう思い込んでいるのかもしれないわね。すべては、フロリスの心の傷が深いからだわ」
フラン様の言葉には、一部理解できない所もある。彼女自身も、サラ奥様の件では、深い心の傷を負っている。どうするのが正解かは、わからない。だけど……。
「フラン様、ワイン講習会は、その集落の人達のためのものなんです。もちろん、他にも参加したい人は受け入れます。サラ奥様にも、来ていただきたいと思っています」
「そう……。私は、どうすればいいのかしら」
フラン様は、珍しく弱気な表情を見せた。ワイン講習会に来れば、サラ奥様と会える。僕が伝えたかったことは、正確に伝わっている。
ただ、その判断は、僕にはできないし、口出しすべきではないけど……。
「フラン様も、時間が合えばお越しください。ドゥ教会の布教活動の一環として」
来い、と言ってしまった。
だけど、彼女からの返事はない。迷っているのだろう。責任感の強い人だから、適当な返事はできないんだ。
「じゃあ、俺が行こうかな」
はい? いつからいた? 突然、フリックさんが話に割り込んできた。
「まぁ、フリックさん? いつの間に?」
フラン様も気づかなかったらしい。彼女は、凛とした神官の顔に戻っている。
「いちゃいちゃしてるなぁと思って盗み聞きしてた。あはは」
「あははじゃないわよ? ほんとに、もうっ」
僕もそう思う。盗み聞きって……。
「俺も、布教活動に行くからさ。神官様も一緒に行こうぜ。ヴァンがどんな話をするのか、面白そうじゃん。リースリング村に住んでいた頃には、白ワインのことしか学ばなかったし、何より美味いワインを飲みたい」
「フリックさんなら、いつでも美味しいワインを飲めるわよね?」
「フランさんは、わかってないね。ワインの味は、誰とどんな場所で飲むかによっても変わるんだぜ? なぁ、ヴァン」
国王様がドヤ顔だよ……。
「まぁ、そういう雰囲気も大切ですね。でも、フリックさん、ワイン講習会は昼食後に予定しています。その時間はいつも、別のお仕事が……」
「んなもん、どうにでもなるだろ。【富】を学ぶことの方が、重要だぜ」
さっきは、ドゥ教会の布教って言ってたよね? 国王様の執務時間を……サボるつもりだろうか。
「そんなことよりヴァン、中庭をなんとかしろよ。どこからあんな奇妙なものを集めてきたんだ?」
「あれはテンちゃが、ボックス山脈の神殿跡で……」
「未知の花がたくさん咲いている。しかも、生育が禁じられている植物もな」
そう言って、フリックさんは古い本を僕に見せてきた、表紙には、王宮の印と禁書扱いを示す模様が書かれている。
「こ、こんな本を、僕が見てもいいんですか!?」
「いいから見せてるんだろ。しおりを挟んであるページだ」
そう言われてページをめくると……そこには、禍々(まがまが)しい色合いの不気味な花が描かれていた。