126、黒兎の平原 〜あらがえないチカラ
「大丈夫よねっ?」
黒く燃える火球が、凍って、空中に静止している。まるで、時が止まったかのようだ。だが、この声は……。
彼女と誰かの二つの技が激突したのか?
辺りは、白い水蒸気のようなものが立ち昇っている。頭では理解できない、異様な光景だ。水蒸気のようなものは、まだわかる。だが、空中に静止する黒く燃える火球は、なぜ落ちてこないんだ? そもそも、燃えているのに凍っているなんて、あり得ない。
僕達と翼の折れた魔物との間には、青く輝く獣がいる。
「テンちゃ? これは一体……」
「アイツが、主人もろとも焼き尽くそうとしたのっ。ありえないんだけどっ」
突然現れた青く輝く神獣テンウッドは、翼の折れた魔物ではなく、空を見上げている。
こんなに怒っているテンウッドは、僕の従属になってからは初めて見たな。彼女の強い怒りのオーラで、大気がピリピリと揺れている。
アイツって誰だ?
さっき何が起こったのか、僕の目には見えてなかった。ただ、何かとんでもない攻撃が来ると感じて、フロリスちゃんに覆いかぶさったんだ。
人間の結界バリアには防げない攻撃だと、頭の中に警笛が鳴ったような気がした。突然、一体……いや、その前にフロリスちゃんだ。
「フロリス様、木いちごのエリクサーを食べてください」
僕は、固まっているフロリスちゃんに、小声でささやいた。だけど彼女は、動けないらしい。薬師の目を使って、素早く診てみたが、ほとんど怪我はないようだ。だが、強いショック状態か。
アマピュラスの姿に変化している僕は、フロリスちゃんの状態を改善しようと意識すると、回復魔法を使うことができた。
ふわりと柔らかな光を放って少し経つと、フロリスちゃんの目の焦点が合ってきた。
「あっ……ヴァン……」
「フロリス様、木いちごのエリクサーを食べてください。魔物と対峙しているときは、ダメージを受けたら必ずすぐに回復してください」
「あ、う、うん、あの……まさか、テンちゃ?」
フロリスちゃんの囁き声は、神獣テンウッドには届いていない。いや、たぶん聞こえているはずだけど、今はそれどころじゃないようだ。空をジッと睨んでいる。
僕は、フロリスちゃんに、やわらかな微笑みを向ける。すると、やっと彼女は、木いちごのエリクサーを食べてくれた。
「ヴァンが呼んだの?」
「いえ、勝手に来ました。たぶん、テンちゃが来なかったら、僕は死んでいたのだと思います」
「えっ……何が……でも、魔物は、あの子たちしかいないし……悪霊も近くにはいないよ?」
フロリスちゃんは、異界サーチを使っているようだ。ゼクトもよく使うから、神矢ハンターの技能なのだろう。
大気が揺れた。
空を見上げた僕の目には、予想しなかったモノが見えた。まさかの存在が、再び雨のように火球を降らせたのだ。
今度は、僕達のいる場所とは違う。未開の地の方へ降り注いだ火球は、乾いた枯れ草を一気に燃え上がらせた。
真っ暗な影の世界に突然色がついたような、不思議な光景だ。そして、未開の地へとオレンジ色の火の海が広がっていく。
「ヴァン、何が……」
フロリスちゃんは、両手に木いちごのエリクサーを持ち、不安げに瞳を揺らしている。彼女には、何がなんだかわからないのだろう。
だけど、アマピュラスの姿を借りている僕には、あの存在が、今、何をしているのかだけは、わかる。僕達まで巻き込もうとした理由は、わからないけど。
「この世界に入ってきたモノを、焼き尽くそうとされているようです。黒兎の予知は、これだったのかもしれません」
「えっ? 誰が、何を……あっ! ヴァン、あの子たちが……」
翼の折れた魔物が、神獣テンウッドに飛びかかり……簡単に吹き飛ばされている。倒れていた魔物は、かなり状態が悪くなっているな。火球の熱のせいか。
僕達の周りには、まだ凍った火球が浮かんでいる。黒く燃えているように見えるけど、僕達はバリアを張っているためか、熱さも冷たさも感じない。
フロリスちゃんは、倒れている魔物に向かって、木いちごのエリクサーを気化させて飛ばした。やはり、優しいな。
翼の折れた魔物は、再び、神獣テンウッドに飛びかかろうとしている。だが、それはマズイ。テンウッドは、今は他に気を取られているから、手加減ができないよな。
『翼のあるキミ、この獣に飛びかかるのはやめなさい。死ぬよ?』
僕は、翼の折れた魔物に、念話でそう話しかけた。
『人間! その獣はザワザワする。厄災をもたらす獣だ。ワレには、神の使いを守る役割が……』
『この獣は、神獣だよ。氷の神獣テンウッドだ。すべての神獣の頂点に立つ、統制の神獣だ』
『だが、ワレに……』
『神獣テンウッドは、キミ達を襲撃しに来たわけじゃないよ。キミ達は、何? 神の使いって、倒れているその子のこと?』
そう問いかけたが、翼の折れた魔物からの返答はない。僕が素性を探ろうとしたから、警戒しているのだろうか。
ヒュン!
また嫌な音が聞こえた。すると、神獣テンウッドが瞬時に動いた。こちらに降り注ぐオレンジ色の火球は、黒く燃える火球に変わって、空中で静止している。
未開の地から平原に出て来ようとしたモノ達が、酷い声をあげている。悲鳴ではない、断末魔か。悪霊も獣も、そしてそれらを追ってきた人間にも、火球は容赦なく降り注ぐ。
フロリスちゃんは、両手で耳を塞いでいるようだ。彼女にも聞こえているのか。
しかし、なぜ、こんなことを……。
◇◇◇
どれくらい、時間が経ったのだろう。
僕達は、平原で動けずにいた。
『終わった、のか?』
翼の折れた魔物が、ポツリとつぶやいた。
『さぁ、どうかな。まだ、神獣テンウッドは警戒を解いてないよ』
『なぜ、人間に、神獣のことがわかるのだ? ワレは、選ばれたモノだが、何が起こっているのか理解できない。ただ、おまえ達が、ワレらを助けようとしていることは理解している。しかし、人間は、神の使いを殺したいのだろう?』
『神の使いって、天兎だよね?』
『違う。世界をひとつにまとめることを望む、神の使いだ。そしてワレは、神の使いを守り、人間の街へ行かねばならない』
うん? さっきも、導きの声に従って人間の街へ行こうとしたとか言ってたよな。まさか……。
僕は、2体の魔物の特徴を調べようと意識した。アマピュラスの能力なら……あぁ、やはり、そうか。どちらかが、ボックス山脈の結界を押し広げる能力がある。いや、2体が揃えば、それができるのか。
翼の折れた魔物は動物で、もう一方の魔物は植物だ。そして、この2体の魔物は、対になっている。しかも身体がツタのようなモノで繋がっているようだ。
ラフレアが生み出した異種の双子か。
『ふん、アマピュラスか。考えたな』
まさかの存在が、空から降りてきた。神獣テンウッドは、臨戦態勢だ。
「テンちゃ、ダメだよ」
「ダメじゃないよ。コイツは、主人を焼き払う気だったんだよっ。主人が死んだら、ルージュが悲しむのに。こんなやつ、殺しちゃおうよっ」
いやいや、視点がおかしいでしょ。
「テンちゃ、ダメだよ! 火球の雨は、影の世界を守るために必要だったんだよ。未開の地から、こっちの平原に出てくるモノは、もういないよ」
「だって、主人を焼き殺そうとしたよっ」
「テンちゃ、そんなはずないよ」
『ふっ、甘いなヴァン。おまえがラフレアの力を使っていたなら、氷の神獣が来ても無駄だった。ワシの炎は、地中深くのラフレアの根をも焼き払うからな』
背筋が凍るような冷たい声だ。僕を試していたのか、竜神様は……。
次回は、5月3日(水)に更新予定です。
よろしくお願いします。




