123、死霊の墓場 〜始まった
フロリスちゃんと長の女性が、僕と黒兎の話を聞いてしまって、凍りついている。どのあたりから聞かれたのかな。
長の女性がフロリスちゃんの母親だろうという話をしたときは、地下室には誰も居なかったはずだ。
その後は、鍋を気にしながら話していたから、階段の方は見てなかった。失敗したな。でも、他の住人はいないから、まだマシか。
「ヴァン、一斉討伐って、どういうこと? どうして私に話してくれないの!?」
長の女性が口を開く前に、フロリスちゃんが僕を責めるような言い方をした。だけど彼女は、僕を責めているわけではないと感じる。
「フロリス様、すみません。不確かな情報も含まれているので、報告は、レイランさんに確認してからと考えました」
「レイランさんに確認? あっ、黒兎の予知?」
フロリスちゃんが、レイランさんに視線を向けると、彼はぎこちない笑顔を作った。全然笑えてないよ。
「はい、黒兎の予知は、僕が得た情報と同じ件だということがわかりました。ただ、不確かな部分は、わからないままなんですが」
「ラフレアから生まれた魔物の一斉討伐があるのは、確かなの? 影の世界に誰かが攻めてくるってこと?」
「えーっと、どのあたりから聞いてました?」
「レイランさんが、とても取り乱して、討てないとか言ってたあたりよ。この草原で戦乱が起こるの?」
あー、微妙に話がズレてる。
「いえ、影の世界じゃなくて、黒石峠や商業の街スピカのことです。このままだと、スピカにまでボックス山脈の結界が押し広げられてしまうようです。だから黒石峠近くのボックス山脈に集まっている新種の魔物の一斉討伐の、王命が出たようです」
「なぜ、ボックス山脈を覆う神の結界が……そっか、そういう能力を持つ新種の魔物が現れたのね。ラフレアの赤い花が、ゲナードの身体を喰ったことで生まれる魔物だものね……ゲナードの野望を受け継いだ個体もいるわね」
フロリスちゃんの言葉に……僕は一瞬、頭が真っ白になるような衝撃を受けた。
そうか、堕ちた神獣ゲナードの、野望か。僕は、北の海での壮絶な戦いを思い出した。今ゲナードは、ボックス山脈にいる。だが奴は、この世界を壊し、そして新たな世界の覇者になりたいんだ。
「ヴァン、一斉討伐があるから、この付近に霊が大量に入ってくるということ? でもそれなら、当たり前の循環だわ。霊は生まれ変わるまでの間、ただ浮遊しているだけよ?」
そうなのか? 僕は、影の世界の仕組みがわかっていない。黒兎のレイランさんに視線を移すと、彼は頭を抱えていた。フロリスちゃんの話には間違いがあるのかな。
「こういう話は、たぶんラフールさんがよく知って……あっ、噂をすれば……」
ラフール・ドルチェさんが、数人の住人と一緒に、地下室への階段を降りてきた。
「おや? 皆さん、どうしたんですか? 神妙な顔をされていますね」
どうしよう。集落の住人が知るとパニックになるよな。
「あっ、ラフールさん、追加の料理が遅くてすみません。ちょっと煮込み料理を始めてしまったので……そちらのおつまみは完成ですよ」
「そうでしたか。じゃあ、こちらを広場に運んでもらえますか。俺は、ヴァンさんの煮込み料理を見てみます」
ラフールさんは、一緒に降りてきた集落の住人に、そう指示をしてくれた。勘がいいな。
「おぉっ! 見たことのない料理ですね! 広場に運びますね」
簡単なおつまみを、先に作っておいてよかった。
「はい、煮込み料理も急ぎますね。どんどん召し上がってください」
「わっかりました〜! 楽しみです」
ワインで陽気になっている彼らは、おつまみの皿を持って、階段を上がっていく。彼らの気配が消えるまで、地下室の中は、シーンと静まり返っていた。
「レイランさんの予知を皆さんが知ったのですね。一応、避難用にと、この地下室を作りました。どんな襲撃があるかはわかりませんが、来るとすれば、獣でしょう。地下室は安全です。獣は地下にまで来ませんよ」
ラフール・ドルチェさんは、柔らかな笑みを浮かべながら、そう話した。ん? ラフレアの排泄物は、何のために用意したんだ?
「ラフールさんも知らないのね。ヴァン、一斉討伐って、どこからの情報なの?」
フロリスちゃんが、わかりきっていることを尋ねた。皆に説明しろということかな。でもゼクトの名前は出せない。
「僕が所属する冒険者パーティ、青ノレアにも、一斉討伐への参加要請があったようです。その伝言係からの情報です。ラフールさん、黒石峠近くで討伐された魔物は、どうなるか教えてください」
「へ? 黒石峠で一斉討伐があるんですか。えーっと、普通は、あちらの世界で死ぬと、こちらの世界に霊となってやって来ますね。生まれ変わるまで、好きな場所を浮遊していますよ」
フロリスちゃんの話と同じだ。でも、普通は、と言ったよね。
「ラフレアから生まれた新種の魔物でも、同じですか?」
「おっと、ラフレアが生み出す魔物ですか。いやー、それはわからないな。こちらの世界には来ないで、討たれた場所で悪霊化する個体もいるでしょうね」
「黒石峠では、トロッケン家を中心とした神官三家が、討たれた霊が人に取り憑くことがないようにと、待ち構えているようです」
僕がそう話すと、ラフール・ドルチェさんは表情を歪めた。フロリスちゃんも、ハッとした顔をしている。
「すべての厄災を、影の世界に送り込む気だな。これだから神官は嫌いなんだ。あっ、ヴァンさん、ドゥ家は別ですよ? 神官三家が腐り切っているという意味で……」
「僕も、神官三家は嫌いですから、大丈夫ですよ」
「ヴァン、神官三家が確実に、大量のラフレアが生み出した魔物の霊を、ここに……私が帰らないと言ったせいで……」
フロリスちゃんの顔は血の気が引いたように、真っ白になっている。彼女は、自分のせいで僕を危険にさらすと、自分を責めているようだ。
「フロリス様、大丈夫ですよ。僕は、動くラフレアですし、変化を使えば竜神様の姿を借りることもできる。僕以上のバケモノは、そうそう現れませんよ」
僕が明るい声でそう言うと、フロリスちゃんは、軽く頷いてくれた。だが、まだ自分を責めていると感じる。
「た、大変だ! 草原に、大量の異常な霊が……」
獣人が、慌てて地下室に降りてきた。見張りの黒兎か。もう、始まったのか……。
「クッ、どうする……獣じゃなくて、異常な霊とは……」
ラフール・ドルチェさんは頭を抱えている。僕が指示をするしかないな。
「レイランさん、皆を地下室へ誘導してください」
「は? 異常な霊を弾く結界なんて、張れねぇっつっただろ」
「じゃあ、ラフレアの排泄物を使いましょう。ラフールさん、あれはそのためのものですよね?」
「へ? あ、壺か? あれは水源確保のための、水の種みたいなもんだ。ラフレアの排泄物?」
あぁ、飲み水のためか。聖水は、ほんの数滴で、水魔法で出した水の中のマナの乱れを鎮める。だから、調理場にあったのか。
「聖水の元となるあの液体は、ラフレアの森で採取されるものです。悪霊を浄化できます。だから、あれを地下室に撒いておけば、ラフレアが居ると思ってほとんどの悪霊は入ってきませんよ」
「うん? じゃあ、ヴァンがここに居れば入ってこない?」
フロリスちゃんの表情は、少し明るくなった。だが、それではダメだ。食料が尽きると詰んでしまう。
「僕は可能な限り、異常な霊を減らしますよ。煮込み料理は、あと数十分で完成です。ラフールさん、鍋はお願いしますね」
ふわりと柔らかな笑みを浮かべて、僕は、調理場から出て行く。自信はない。だけど、やるしかない。
「じゃあ、私も手伝うよっ。ヴァンだけだと不安だもん。黒兎さん達は、住人の誘導をしっかりねっ」
フロリスちゃんが、僕の腕をガシッとつかんだ。
次回は、4月26日(水)に更新予定です。
よろしくお願いします。