121、死霊の墓場 〜黒兎レイランの予知
「レイランさん、貴方が予知したことを正確に教えてくれませんか。長さまにも伝えていないことがあるでしょう?」
僕は、地下室の調理場に他に人がいないことを確認し、黒兎のレイランさんにそう尋ねた。門番をしていた彼は、この集落の本当の長らしい。
サラ奥様らしき長の女性と出会ったことで、彼は成体になれたようだ。そして、予知という役割を得たらしい。天兎だけでなく黒い天兎も、成体になると役割を得る個体がいるということは……神との繋がりもあるのだろうか。
「おまえっ、俺に料理を手伝ってくれというのは、嘘だったのか」
相変わらず乱暴な言葉遣いだけど、生意気な黒兎だと思えば、逆に可愛い。長の女性と引き離されて、拗ねているのだろう。
「嘘じゃないですよ。できた料理をすぐに運んでもらえると助かります。ただ、レイランさんに話しておきたいことがあるのも、事実です」
僕が声のトーンを抑えたためだろうか。レイランさんは、ガラッと表情を変えた。
「何の話をするんだよ?」
「黒兎の予知を正確に教えてください。僕が得た情報には、不確かなものが多すぎるのです」
レイランさんは、無言になった。僕への拒絶という雰囲気はない。話すべき言葉を整理してくれているのかな。
僕は、広場でラフール・ドルチェさんが出していたワインを思い出しながら、調理場で追加の料理を作り始めた。赤も白もあったけど、飲みやすいものばかりだったな。
すぐにできる簡単なおつまみを作った後、僕は調理場の棚に、大量の食料が用意されているのを見つけた。魔法袋にいれてあるけど、黒兎も含めた集落の住人が、ひと月くらいは余裕で生きていけるほどの量だ。
彼は、この集落の人達を救おうとしているのだろうか。もしくは、悪霊に取り憑かせた後のことを考えて、食料を用意したのか……やはり、わからないな。
あれ? これは?
棚の奥に隠すように置かれている蓋付きの壺を見つけた。調理場に置いてあるなら、塩だろうか?
その壺に触れてみると、温かく感じた。強い加護だ。壺の蓋を開けてみると、中には水のような液体が入っていた。調味料ではないな。
薬師の目を使って成分を調べてみると……。
「あー! その壺には触るなよ! 蓋を開けたのか? すぐに閉めろ! 逃げるだろうがっ」
レイランさんが、突然叫んだ。その声で、あやうく壺をひっくり返しそうになってしまった。
「レイランさん、これは、貴方が置いたのですか」
「バカか! 俺がそんなもんを集めるかよ。朝市の商人が持ってきたんだ」
「これは、ラフレアの排出物ですよね。この水から、聖水が作られる。僕は、ラフレアの森でしかこれを見たことがありません。こちらの世界にもあるんですか?」
「そんなもん、知らねぇよ! その水は……長には飲ませてないけど……その……」
なるほど、そういうことか。
ラフレアの排出物にはいろいろな効果がある。ゼクトは、ラフレアのしょんべんだと言ってたけど、そういう排出物ではない。ラフレアが汚れたマナを含む水を取り込み、いらない水を吐き出したものだ。すなわち、ラフレアによって浄化された水なんだ。
しかも、壺の中の水には、強い加護も加えられている。ということは……。
「これを適度に薄めて飲めば、体内のマナも浄化されて、失った記憶が戻るかもしれませんね。蓋を開けても、加護は逃げませんよ? あぁ、そっか、水が蒸発すると困るのかな」
「うぬぬ、覇王持ちのラフレア! 長には言うなよ!」
レイランさんは強い口調だけど、不安そうな表情をしていた。彼は、主人である長の女性を手放したくないんだな。だから、彼女にはこの水を飲ませていないんだ。
この黒兎……。
だけど、今はそんな議論をしている場合ではない。
「レイランさん、長には話さない代わりに、貴方の予知を正確に教えてください」
僕がそう言うと、レイランさんはチッと舌打ちした。だけど、おそらくこれで、彼は話すはずだ。フロリスちゃんに仕える天兎のぷぅちゃんも、交換条件を出すと、ちゃんと僕にも従うもんな。
「俺の予知は外れない。だから、ぼんやりとしているんだ」
レイランさんは、話し始めた。
「おまえらが来る少し前に、恐ろしい襲撃がある景色が見えた。俺達の草原が真っ黒になって、黒い波が集落に押し寄せてくるんだ」
あぁ、だから僕達を襲撃者だと思ったんだな。黒ネズミ達が、僕達を守って付いてきたからか。
「黒ネズミを引き連れた僕達が、集落に入った後も、別の予知を見たって言ってましたよね?」
「チッ、今からそれを話すんだ。邪魔するなよ」
あーあ、拗ねたか。ふふっ、天兎って面白いよな。喜怒哀楽が激しいというか、素直というか。
僕は、煮込み料理も作り始めた。あまり長い時間、調理場に引きこもっていると、フロリスちゃんが来るだろう。時間がかかっていた理由にもなるからな。
「昨日の夜には、大きな襲撃者が集落を踏み潰してしまう景色を見た。精霊様は、空に逃げていったんだ。俺達を見捨てたんだ」
だから、精霊がいないと騒いでいたのか。
「精霊様が逃げたんですか? 何も言われなかったんですか」
「俺の予知には、音はない。だから声も聞こえない。だけど、慌てて空へと飛んでいった。集落を捨てたんだ」
レイランさんは、ぜーぜーと肩で息をしている。感情がたかぶって過呼吸を起こしたのだろうか。
「他には、何か見えなかったんですか」
「夜が見えた。襲撃は今夜だ。今夜すべてが潰される。そして、おまえ達は居なかった。きっと俺の話を聞いて、色のある世界に帰るんだろ? みんな、俺達を見捨てるんだ」
僕達のことは、予知に含まれないのか。フロリスちゃんは、襲撃が終わるまで留まると言っていたけど、僕がまだ心のどこかで迷っている影響もあるのかな。
「ラフールさんには、話してないんですか?」
「俺がこの予知を、朝市の商人に話したから、アイツは地下室を作ったんだ。だけど、俺の予知は変わらない。予知を変えるためにアイツに話したのに、恐ろしい景色は変わらないんだ!」
あぁ、それでラフールさんは、ブランチを提案したのか。
誰も地下室に降りてこない。きっと、ラフールさんが足止めをしているのだろう。僕が、この黒兎と話をすると予想してたんだな。
おそらく、黒兎の長であるレイランさんが、こんなに動揺している状態では、避けられる危機も避けられない。
そして、この壺は、ラフールさんから僕へのメッセージでもあると感じた。自分は、彼らを守る意思があると。そして、ラフレアの力を借りたいと。
僕なら、ラフレアの排出物を使ってラフレアの結界を張り地下室を守ることはできる、彼はそう考えたんだな。
ラフールさんは、ラフレアの力をわかっていない。
影の世界にいるラフレアは害獣だ。だが、色のある世界の動くラフレアは……ラフレアの本体から株分けされた僕達は、比較にならないほどのバケモノだ。そして襲撃者も、ラフレアから生まれた新種の魔物だ。
「おい、何を黙ってんだよ! 俺の予知は話したぞ。おまえも、知っていることを話せよ」
やっと、聞いてくれたね。
「レイランさん、襲撃者は、数百体の霊と魔物だと思う。もうすぐ色のある世界で、ラフレアから生まれた新種の魔物の一斉討伐が始まるんだよ」




