118、死霊の墓場 〜騒ぐ黒兎
「あら、ぶどう畑で何をしているの?」
僕達が、門番のレイランさんから実は彼が黒い天兎の長であり、この集落の本当の長だという話を聞いていると、長の女性が声をかけてきた。
いつの間にかフロリスちゃんにすり寄り、頭を撫でられていたレイランさんは、慌てて帽子を被った。長の女性は、自覚はないかもしれないけど、レイランさん達を従えているんだよな。
「あぁ、長、今朝は早起きなんだな」
レイランさんの声は、一部、裏返ってるよ。隠し事ができないみたいだ。フロリスちゃんが従えている天兎のぷぅちゃんも、主人であるフロリスちゃんだけには忠実だもんな。
「ええ、朝市の商人さんが来てくれているし、珍しいお客様もいらっしゃってるからね。旅立たれる前に、もう少しお話しをしたいと思って」
長の女性は、ほとんど眠っていないのかもしれない。さっき、長は夜は眠れないのだと聞いていた。まだ明るくなってから、それほど時間は経ってない。
「長さま、私達は、もうしばらくここに滞在させてもらうつもりですっ」
フロリスちゃんが、元気よくそう話すと、長の女性は一瞬うれしそうな表情を浮かべたけど、すぐにレイランさんの方に視線を移した。
「お客様を引き止めたのね、レイラン」
「ぬぉっ!? いや、俺は別に何も……」
レイランさんは目が泳いでるよ。やはり、天兎は主人には嘘はつけないようだ。
「長さま、私が言い出したことなのです。色のある世界で、私は食堂をやっているのですが、店がずっと忙しかったので、店員さん達に長期休暇を取ってもらうために、1週間ほど店を休みにしているのです。私、こちらの世界には初めて来たから、もう少しゆっくりしたいなと思って」
フロリスちゃんは、よどみなくスラスラと説明した。いつの間にこんな話術を身につけたのだろう。
「あら、食堂をされているのね。私は料理はできないから、その才能がうらやましいわ」
サラ奥様らしき女性は、僕の妻フラン様と同じようなことを言う。やはり、似ているよね。
「長さま、私も料理は勉強中なんです。私は接客担当で、料理は、彼や数人の店員さんに任せてるんですよ」
「あら、そうなのね。彼は、えーっとヴァンさんだったわね。ヴァンは、フロリスさんの伴侶なのかしら? 同室で泊まられたと聞いたけど。でも、昨日は、ヴァンさんの奥様がフロリスさんのお母様の妹さんだとも聞いたわね」
そう尋ねられて、フロリスちゃんは少し頬を赤く染めた。ちょ、その反応は誤解を招きますよ? 僕は、慌てて口を開く。
「長さま、フロリスさんは僕の妻の姪っ子さんです。僕には伴侶はひとりしかいません。彼女が幼い頃に、僕が彼女のお屋敷の黒服として働いていた縁もあって、懐いてくれているのですよ」
「まぁ、不思議なご縁なのですね。そう言えば、様呼びされていたのは、その頃の名残りかしら?」
長の女性は、とても記憶力がいい。黒い天兎達から、いろいろな報告を聞いていたのかもしれないが。
「僕は、農家の生まれですし、今はフロリスさんの……フロリス様の店で雇われているから、でしょうか」
「色のある世界では、生まれによる身分差があるのですね。私もその世界で生まれたはずなのに、何も思い出せないわ。あっ、フロリスさん、私のジョブボードを調べてくださるのでしたわね」
長の女性からそう言われて、フロリスちゃんはギクリとしたようだ。彼女が母親でなかったら、と考えると不安なのだろう。だけどきっと、サラ奥様で間違いない。
「うわぁあぁ、長、それよりも、朝なのに精霊様が居ないんだ!」
レイランさんは、フロリスちゃんに調べさせたくないらしい。突然、大声で会話に入ってきた。
フロリスちゃんも、本当に見るつもりなら、今、話しながらでもジョブボードを調べることもできそうだけど……まだ、心の準備が出来ていないようだ。
「レイラン! 失礼よ? ごめんなさいね。この子はわがままで、気になることがあると黙っていられないの」
長の女性は、フロリスちゃんに軽く頭を下げると、身体の向きを変えて何かに集中している。彼女にも、精霊の声を聞くチカラがあるようだ。
「な? 居ないだろ? 何も聞こえないだろ? 昨夜の見回りのときは、夜だからと言ってたけど、朝なのに居ないだろ?」
レイランさんは、騒がしい。まるで、彼女の術を邪魔しているかのようだ。それがいつものことなのか、長の女性は特に気にする様子はない。
「そうね。朝はいつも賑やかなのに、どうしたのかしら? そういえば、夢にも出てこなかったわ」
「襲撃じゃないか? 精霊様が先に襲撃されたんじゃないか? 門で黒兎が騒いでいた。不気味だって、騒いでいた」
なんだかレイランさんは、母親に何かを言いつける子供のようだな。完全に彼女を頼っているのだと感じた。天兎のぷぅちゃんとは、真逆なタイプだ。
そんな二人の様子を眺めているフロリスちゃんは、複雑な表情をしていた。母親を取られたような気になっているのかもしれない。
「精霊様が襲撃されたのなら、ここはどうなるのかしら」
ぽつんと呟いた彼女の言葉に、レイランさんは慌てている。僕達が色のある世界へ連れて行くと感じたのか。
「その人が、精霊様の加護は消えてないと言っていたぜ。なっ? そう言ったよな?」
はぁ……この黒兎は……まったく。主人の不安を煽っておいて、何なんだよ。
すると、フロリスちゃんが口を開く。
「長さま、大丈夫ですよ。ヴァンは精霊師でもあるので、精霊様に何かあれば気付きます。それに集落の周りには、たくさんの黒ネズミがいるのでしょう? 襲撃者は、近寄れないわ」
「そうね、そうだったわね。フロリスさん、ありがとう。ヴァンさんは、精霊師なの? 精霊使いは聞いたことあるけど、初めて耳にするスキルだわ」
「精霊使いは精霊を支配するスキルだけど、精霊師は精霊使いの上位スキルなんですよ。精霊とは対等な協力関係を築いていくレアスキルなの」
「まぁ、そんなスキルがあるのね。フロリスさんとお話していると楽しいわ。神矢ハンターってとても知識が深いジョブなのね」
「私は、まだまだですけどね」
ニコニコと楽しそうに話すフロリスちゃん。だけど、そんな二人の間を邪魔しようとするかのように、レイランさんがウロウロしている。
「やっぱり、まだもっと怖い襲撃がある! 精霊様は逃げたのかもしれない!」
レイランさんがそう叫ぶと、集落の中にいた人達に動揺が走った。
ほんとに、この黒兎は……。
だけど彼の叫びは、僕の心にも強い動揺を与えた。黒い天兎の彼が、対応できない惨事が起こると、新たに予知したのだろう。この必死さは、その表れだと感じた。
ゼクトからの情報では、今日の夕方から、黒石峠近くのボックス山脈で、新種の魔物の一斉討伐がある。こちらの世界に逃れた魔物や死んだ霊が、集落までやって来るのは、その数時間後か。
フロリスちゃんは、やはり帰る気はなさそうだ。
レイランさんが言うように、この集落を作った精霊様達は、おそらく避難したのだと思う。そんな場所で、僕は、一体何ができるだろうか……。
いや、弱気になってる場合じゃない! こんな思考になるのは、やはりこの世界の大気のせいか。フロリスちゃんは僕より、もっと不安なはずだ。
ちょっと冷静に、本気で策を考えないといけないな。